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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第6話 長靴を履いたニャンデレラ<前編>
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2.増えていく役

 そんなこんなで台本と茶封筒の二つを抱える事になり、委員会後、俺は自分の教室へ戻ってそれらを鞄に収めた。教室で演劇の舞台道具の制作を進めていた龍彦もちょうど作業に区切りをつけたところで、帰り仕度が済むと俺達は共に教室を出た。

 昇降口へ向かう途中、先の経緯を龍彦に話す。

「ふーん、じゃ今から徳永先輩の家まで届けに行くのか」

「そうだな、この足で向かうか」

 明日の土曜が祝日で二連休になるため土日のどちらかでもいいが、人からの預かり物であるし、届けるのは早いに越したことはない。

 牧村先輩によれば、生徒がプリントを届けに行く旨は担任から徳永先輩の家に電話済みで、その際に伺った様子では、彼はもう解熱し普段通りにしているという。行けば本人に会って直接渡せるだろう。しかし本題の件については徳永先輩が文化祭を避ける理由を知らないので、いざ彼を前にして、どう話を持っていくべきか分からない。下手を打って一度機嫌を損ねてしまったら、牧村先輩と同様、二度と聞く耳を持たれなくなる可能性もある。

 悩みながら廊下を歩いていると、偶然職員室から出てきた天瀬に会った。彼女は俺達を見てふわりと笑う。ああ、任された諸々の重みがいっとき軽くなる。良い事もあるもんだ。

「いま帰るところ?」

「ああ、委員会終わったし」

「そっか、委員の人は今日定例会だっけ」

 龍彦が天瀬に尋ねる。

「文化祭の準備で残ってんの?」

「うん。うちのクラスお好み焼きの屋台だから、今日はメニューと必要な食材をまとめてたんだ。あと、のぼり旗作ったりとか」

 それを聞いて、正直な心の声がこぼれてしまう。

「いいな、俺もそういうのが良かったな……」

「そうだ、一年生で演劇に当たったのって二人のクラスだよね。演目決まった?」

 葦沢高校の文化祭では、一学年と二学年から各一クラス、出し物に演劇が定められている。二日間ある文化祭のうち、両日とも外部公開されるのは午後からで、午前は文化部を中心とした体育館内での舞台イベントを、全校生徒で楽しむ形となる。演劇は、代々そこに設けられた枠なのだ。そして演劇を立候補するクラスがない場合は担任によるくじ引きとなり、結果、今年の一年生はうちのクラスが大当たりしてしまったのだった。

「あ、えっと、うん……『長靴を履いた猫』を」

「こいつ主役」

 俺を指してすかさず教える龍彦。役そのものはどうにか受け入れたつもりだが、天瀬に知られるという別枠の気構えまでは出来ておらず、無防備な俺は焦った。

「えっ考史郎君が? ほんとに?」

「ほんとほんと。なっ」

 なっ、じゃないだろと肩に何の荷もないお気楽な龍彦を恨めしく思うも、虚をつかれたせいで咄嗟に言葉が出てこない。意外そうに俺を見つめる天瀬の瞳が、みるみる輝きを増す。

「すっごく、観たい――」

 それは、間違いなく心の底から出たと分かる呟き。天瀬に会えて心が軽くなったのも束の間、同じ人物からとんでもない重圧がもたらされてしまった。

 ――そうだった、演劇は全校生徒が観るんだから、当然天瀬にも観られる事になるんだった……。

 今更気づいて、もう既に舞台のど真ん中に立っているような緊張を覚える。固まる俺から何かを察したのか、天瀬は気遣いつつ励ましの言葉を掛けてくれた。

「あ、じゃあ劇が終わったら、お疲れ様でお好み焼きを一枚ご馳走するから頑張って。売り子じゃない時間に届けに行くね。豚玉がいいかな、他にはエビ玉とか、イカ玉とか――」

「え、ああ……ありがとう」

 天瀬の笑顔ひとつに、和まされたり、動揺させられたり、癒されたり。忙しく跳ねて落ちて、俺の心はわらべの彼女に毬つきをされているみたいになっていた。そんな俺の代わりに、龍彦は天瀬と喋って間を繋ぐ。

「天瀬は当日売り子なのか」

「うん。そうなんだけど、その事でいま困ってて」

「何?」

「校門から中庭にかけてのスペースで屋台を出すクラスは、売り子がお祭りの法被を着るんだって。毎年恒例らしくて法被は学校の備品なんだけど、去年汚れて何枚か処分したとかで、うちのクラスの分が足りないの。それで不足分の予算が下りて私が買ってくる事になったんだけど、どこ回っても夏のお祭り時期以外は扱ってないって言われちゃって。二枚だけなんだけど……どうしよ」

 服の売り場が広い百貨店等にあちこち出向いたり電話で問い合わせたが、見つからなかったと彼女は言う。

 法被か、と頭を巡らせて、俺は一件の店に思い当たる。

「島中字の『しょうふく』にならあるかも」

 龍彦も頷いた。

「あー、あそこなら多分あるな。俺も小さい頃、子供神輿担ぐのにそこで買ってもらった事ある」

「え、島中字にあるお店? どこ?」

 呉服屋『しょうふく』の前は先日の定期巡回でも通ったので、俺はそのコースを頭の中でなぞりながら伝える。

「商店街の一本横の通りに祠があって、その斜め向かいの脇道を行くと左手に時計屋があるから、そこを右に曲ったら突き当たりの工場脇の木を登って、飛び移ったブロック塀伝いに裏の家まで抜け――」

「木を? ブロック塀……?」

 途中で龍彦に肩を叩かれ、説明が強制終了される。……しまった、これは完全に猫用コースだ。

 目を丸くする天瀬に、龍彦は落ち着いて対処してくれた。

「懐かしいな、子供ん時はよくそうやって近道したよな。あの辺はそのくらい入り組んでて、口で説明すんのはちょっと難しいんだ」

「……ふうん、そうなんだ?」

 龍彦のごまかしがこなれてきたのは、それだけ俺のやらかしが多い証拠であり、そこは非常に申し訳なかった。

「だから、一緒に行った方がいいな。天瀬、明日空いてる?」

「空いてる! 案内してもらえたら助かる!」

 ごまかしからの提案。余程困っていたらしく天瀬は飛びついてきた。彼女の予定を確認した龍彦は、俺にも振って寄越す。

「孝史郎も島中字の徳永先輩ん家に届け物あるから、そのついでで行けるよな」

 届け物は今からするつもりだったが、そういう事なら明日改めてと考える。

「そうだな、案内するよ」

「よかったあ! じゃ明日十時に待ち合わせでいい?  商店街のパン屋さんの前で」

 俺が承諾したタイミングで、龍彦はしれっと大変な事を明かした。

「俺は行けなくてごめんな」

「へ?」

「部活。一日練習」

 てっきり三人で行くものと思っていた俺は面食らう。彼は知らんぷりでさっさと話をまとめる。

「孝史郎がいりゃ、場所は絶対分かるから」

「うん、孝史郎よろしくね。また明日!」

 困惑しまくる俺とは対照的に、天瀬の方は意識している様子などまるでなく、明るく別れを告げると自分の教室へと戻って行った。

 

 

 誰に何を聞かれるか分かったものではないので、龍彦への抗議はとりあえず校舎を出てからにした。

「妙な気を遣うなって前に言ったろ」

 駐輪場に向かいながら、龍彦は人差し指に引っかけた自転車の鍵をくるくる回している。

「あん時みたいに、俺が外れたら部屋で二人きりになるような気まずさはないからなー。状況が全然違うんで、今回は遠慮なく遠慮した」

 事も無げに答えられ、文句にため息が混じる。

「俺はともかく、天瀬の気持ちも分からないのに」

「……その、天瀬の気持ちっていつ分かるんだよ。知りたくないならいいけど、そうじゃないんだろ」

 龍彦は、一向に前へ踏み出そうとしない俺をもどかしく思っている。それは前々から何となく伝わってきていたが、不意にこうした強い口調で示されると、やや気後れしてしまう。

「……それは、まあ気になるし、気にしてるけど、でも、だから余計に、二人だけでってのはまだ早いような」

「知る機会がなきゃ分かりようがないのに、分からないからって機会を作らないんじゃ、そりゃ永遠に分からないままじゃね? 早い遅い以前に」

 煮え切らないところに正論をぶっかけられ、返答に詰まる。そこへ更に畳み掛けられる。

「お前は何においても小さな積み重ねを大事にするタイプだろ。別に告白みたいな大技一発でケリつけて来いって言ってる訳でもなし、今回は道案内のミッションを一つこなすだけだと思えば平気平気!」

 ……この、俺の性格を知り尽くした陽気な幼馴染に、いずれ何らかの仕返しをしたいと思う。今日はやられっぱなしだ。いや、俺の事を考えてくれているのは理解できるしありがたいのだが、今の俺は一度に色々抱え過ぎていて、素直に礼を返す余裕など持てない。ひたすら眉間にしわが寄る。

「ま、そう心配すんな。天瀬はお前と二人で行く流れになっても全然抵抗なさそうだったろ? 目はあるんだって。伊達に見てないぞ俺は」

「そもそも、そういうのの対象外だから……って可能性もあるし……」

 最早口を開いても辛気臭さしか出てこない。そんな俺を、龍彦はからりとした空の下で笑い飛ばす。

「びっくりするほど後ろ向きだな! 俺も豚玉ご馳走してやるから、頑張れ」

「……同じように励まされても、お前だとびっくりするほど元気出ないな……」

 これにより、『無事に文化祭を乗り越えられるだろうか』だった俺の不安が『無事に文化祭を迎えられるだろうか』にまで拡大したのは確かだが、それに押し潰されそうになりながらも、正直、明日を楽しみにしている自分がいた。天瀬と一緒に出掛けられる事が嬉しくないわけがない。ただ今は、単純に喜べるだけの気力が不足しているだけで。

 ――今日の巡回は小波字だけに留めて、明日のためにも早く休もう。

 そう決めて、俺は帰路に着いた。

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