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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第3話 彼の朝と猫時計
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3.尾行する尻尾

 雨だったら止めようと思っていたが、翌日は晴れ間がのぞいていたので、俺は徳永先輩の独自調査を決行した。

 人と猫の兼業生活が始まってからというもの、龍彦にはすっかり考史郎の服係になってもらっていて申し訳なかったが、急いでいた俺は学校で誰にも見つからないよう気をつけてコクミツになり、彼に服を預けて敷地を出た。

 堤字の学校から向かった先は隣の区画、龍彦の家もある貝塚字。天瀬から得られた情報によると、徳永先輩は下校の途中に、妹を迎えに幼稚園へ寄るらしい。

 それで、自転車通学している先輩を追うなんて事は猫には少々無理があるからと、俺は貝塚字にあるその幼稚園へ、先回りしてみたのだった。

 門から園内の様子をうかがうと、大勢の園児達が表に出て、先生達と遊んでいるのが見えた。まだ保育時間は終わっていないんだろうか。

 門の脇に細長い常緑樹のポットが置かれていたので、俺はその陰で、とりあえず先輩が来るのを待った。

 そのうちに、門は幼稚園の送迎バスや保護者達を出入りさせ、帰宅していく園児達を多数見送ったのだが、しかし先輩は一向に現れない。

 ひょっとしたら今日は親が迎えに来ていて、妹のみゆちゃんはすでに帰ってしまったのかもしれない。あるいは何かの事情で幼稚園を休んでいたならば、先輩が今日ここに来る理由はなくなる。そうなると、俺がここで待つ意味も全くなくなってしまう。

 そうした心配をつのらせつつ残り少数となった園児達を見ていたら、横から声をかけられた。

「どうしたコクミツ、そんなところで」

 振り向くと、そこにいたのはススケだった。

「ああ、少し気になる事があってな。調べ事をしているんだ」

 答えながら、ふと彼に思う。ススケはこの貝塚字の班長猫だから、毎日のようにここを訪れる人間の事も、知っているかもしれない。

「ススケ。ちょっと尋ねたいんだが、今ここで遊んでいる子ども達の中に『ミユ』という名前の子はいるか?」

「ミユ? さてな、人のいる時間に入った事はないから、ここへ集まってくる人間についてはよく知らんが……」

 と言いつつも、ススケは俺と並んで幼稚園の中をうかがい、子ども達を見た。すると何かに気づいて、口元のヒゲをピンと張らせる。

「――ああ、その名前で覚えのある子どもが、確かにいるな。あの、頭の両横で毛を束ねている子だ」

 園内に残っている園児の数がもう少なかったので、ススケの指した子は俺にもすぐ見つけられた。

「梅じいさんの銭湯へ、たまに来る四人兄妹がいてな。その一人があの子で、兄弟達にミユと呼ばれている」

 いつものれんを下ろす間際の、他の客が引けた時間に来るので印象に残っていたのだと彼は言う。

 四人兄弟。それが徳永先輩の兄弟の数に同じだったので、あの子は先輩の妹に間違いないだろうと俺は踏む。

 ついでに貝塚字の現況を俺に報告して、ススケは店番があるから、と帰っていった。彼は銭湯『鈴音の湯』の看板招き猫として梅じいさんと番台で番をする姿が今やすっかり定着していて、いないと寂しがる常連客がたくさんいるのだ。一匹狼……もとい一匹猫的な気質のススケは人に愛想を振りまくような事はしないが、ああしてまめに番台の仕事へ行くところをみる限り、客達に喜ばれるのもまんざら悪くない、と思っているようだ。

 それにしても、『鈴音の湯』に先輩も入りに来ている事は知らなかった。兄弟四人で、という事は、やはり兄弟達の面倒は普段から長男の先輩が主に見ているのだろうか。そう考え巡らすと同時に、訪れる時間帯が違うだけで、考史郎の自分と彼とはきっとずっと以前から一緒の湯に浸かっていたんだろうな、としみじみ思う。その事から、同じ街に住み、『同じ釜の風呂に入る』という言葉が頭に浮かび、妙に親近感が湧いたのだった。

 ……そんな言葉、なかったっけ?

 

 

 みゆちゃんがいる事を確認できた俺はそのまま待ち続け、ようやく先輩が幼稚園にやって来たのは、ススケと別れておよそ三十分が過ぎた頃だった。自転車を表に停めて門をくぐっていく先輩に見つからないよう、ポットの陰に身を潜めて彼の動きを追う。

「おにーちゃん!」

 彼の姿を見つけたみゆちゃんが、元気に彼へ向かって駆ける。

 先輩はみゆちゃんと手を繋ぎ、幼稚園の先生から小さな鞄を受け取って、門の方へと引き返してきた。

 先輩は特に無愛想な表情を変えていなかったが、みゆちゃんは至極嬉しそうに笑顔を弾ませていて、彼になついている事がよくうかがえた。

 徳永先輩はみゆちゃんをサドルに座らせてハンドルを持ち、自転車を押し始める。そのまま家まで歩いて帰るようで、俺はほっとした。運転していかれたら追いかけるのが大変だからな。

 足音を立ててしまわないようきちんと爪をしまい、距離を保って、俺は彼等の後についていった。

 

 

 みゆちゃんを乗せた自転車を押して、徳永先輩は車の往来が少ない堤防下の道を歩き続ける。

 時折はしゃぐ彼女をたしなめたり話を交わす後ろ姿はいつもと同じく冷めたものだが、しかしそこに刺々しさはなかった。

 小波字を過ぎて、島中字に入る。

 先輩の家は線路の北側らしいので、このまま線路を渡っていくんだろうと思っていたのだが。

「あっ、ねこちゃんいた!」

 みゆちゃんが唐突に上げたその声に、自分が見つかったのかと思った俺は一瞬身をすくめる。

 だが彼女が指差していたのは、俺ではなかった。みゆちゃんにせがまれた先輩は、そちらの公園へと入っていく。

 俺もついていって、青葉の桜で涼やかな木陰に潤うその小さな公園を、そっとうかがい見た。

 自転車から降ろされたみゆちゃんが駆けていく先には、確かに一匹の猫がいる。ユキチじゃないか。

 ユキチの方からもみゆちゃんと先輩に歩み寄る。元々人懐っこい性格のユキチだが、それにしても全く警戒のない素振りから、ユキチと二人とはかねてよりの知り合いであるように見受けられた。

 徳永先輩は自転車のかごに突っ込んでいた鞄から学校の購買部で買ったと思しきパンを取り出し、袋を開けてちぎったその端をユキチに差し出す。

 先輩の手から無邪気にパンを食むユキチを見ながら、天瀬が徳永先輩を見かけると言っていたのはこの公園なのかな、と思っていた俺は更にもうひとつの話も思い出して、もしやと考える。

 やがて先輩は立ち上がり、みゆちゃんに帰る事を促した。まだユキチと遊びたいらしく口をとがらせる彼女を軽々と抱え、自転車に乗せて家路へと戻っていく。

 俺はそこで尾行を打ち切る事にし、先輩達を見送った後、公園へ入ってそこに留まっているユキチに声をかけた。

「ユキチ」

「あ、コクミツさん! 巡回すか、いつもお疲れ様です。島中字は今日も平和スよ!」

 じめっとした梅雨が続いても、からっとしたユキチの元気さに変わりはない。

「さっきの人間達とは、よく会うのか?」

「はい、前に助けてもらったのがきっかけで知り合ってから、仲良くしてもらってるんですよ」

 その話で、さっきの『もしや』が濃さを増す。それに伴い、湿気でしんなりした俺のヒゲ先が更にしなだれる。

「……前に、木から降りられなくなった猫が人間に助けられたという話を耳にしたんだが……じゃあひょっとしたらそれがあの人間で、猫の方は……」

「僕っス!」

 ……猫は木に『登る』のは得意だが、『降りる』のは苦手なもの。

 それはよくわかっているんだが、ユキチの場合は何だか違う気がして、彼の底抜けた明るさの返事に、俺はついがっくりとうなだれてしまったのだった……。

 

 

 徳永先輩の家を知っている、というユキチに案内してもらって訪れたのは、アーケードの商店街がある西側とは反対の、民家と商店の合間に町工場が点在する東側。そこへ着く頃には、夜の割合が昼を少しばかり上回っていた。

 大衆食堂だったのか、と木の看板やガラスの引き戸に庶民的な趣を染み込ませたその家を、ユキチと並んで見上げる。

 きっとこの辺りの工場で働く人達が主な常連客になって毎日賑わっているんだろうとか、それで仕事に追われる両親に代わって先輩が小さな兄弟達の面倒を見ているのかもしれない、なんて想像をあれこれ勝手に膨らませていると、カーテンを閉められていた二階の窓が開けられ、そこから徳永先輩が顔を出した。

 枠に腰かけ、手元に起こした火を口元へ持っていく。

 ――タバコだった。

 身体に悪いのにな、と思う端で、先輩がああして反抗的な態度を取り続けるのは何か理由があっての事なのだろうか、とも考える。

 行動には、先立つ動機があるものだ。たとえそれが、他者はおろか自身でさえ上手く説明できないものだったとしても。

 先輩が漂わせるタバコの火と煙に、俺はささやかな存在の主張と、誰にも届かないまま消える心の哀愁を見た気がした。

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