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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第3話 彼の朝と猫時計
11/57

1.不機嫌な朝

 しとしとと降り続け、町を湿らせる雨。梅雨の今は連日、低い雲が青空を蓋している。

 でも余程の悪条件でなければ基本的に風紀委員の朝の活動に天候は関係ないので、俺こと考史郎は、今日も早くに家を出た。

『猫が顔を洗うと雨が降る』なんて民間的な天気予測があるが、あれは湿気や気圧の変化に敏感な猫が、雨降り前の湿気を嫌がってしきりに顔を洗うような仕草の毛づくろいをする事が理由なんだとか。確かに、低気圧が近づき湿度の高い日はヒゲがしんなりとしてしまって気になるので、俺もコクミツの時は知らず顔を洗う頻度が増えているかもしれない。

 そんな事を考えつつ俺は羽織ったレインコートで小雨の粒を弾き、タイヤで路面の水を跳ねさせながら、学校へと自転車を走らせた。

 

 

 今の時期、元気に咲くのはアジサイと雨傘だ。

 俺と同じく今日が挨拶運動の当番である風紀委員数名と顧問の先生は今、レインコートで防備して校門前に立っている。門を入ってすぐの右手で雨に粧され色づいたアジサイと一緒に、これまた多様な色彩の雨傘を差して続々と登校してくる生徒達を迎え入れていく。

 さて、始業時間が迫り、大方の生徒は登校を終えた。

 自分達も授業に備えるべく定刻に活動を切り上げ、揃って校舎に戻り始める。その時に前を行く風紀委員長の牧村先輩が、隣にいる風紀委員の顧問、相楽譲さがら・ゆずる先生にぽつり話しかけた。

「今日も、まだですよね。徳永君」

「あーしょうがないなあいつは。まあどんなに遅れても登校してくれるだけまだいいが……」

 今年五十路の大台に乗るという、黒縁眼鏡の似合う相楽先生はため息を交じえた言葉の途中で「ん?」と後ろを振り返る。

 近づく車輪の音を、耳ざとく捉えたからだ。

 皆も立ち止まり、先生同様振り返る。

 すっかり人が引けたその校門を息急いて自転車に乗ったままくぐったのは、話に上っていた当人だった。小雨とはいえ何の雨具もなしに自転車を飛ばして来た彼は、学ランに水気を含ませてその黒をより濃く滲ませている。どう見ても校則的にアウトな染められた茶髪も、湿りからしぼんですっかり軽さを失くし、褪せて思えた。

「徳永君! なんでレインコート着ないの、べたべたじゃない」

 濡れて鮮やかになるアジサイとは逆にみすぼらしくなった彼――徳永隆とくなが・たかしは何も言わず俺達の横を通り過ぎて駐輪場に向かおうとしたが、牧村先輩に呼ばれて停車し、さも面倒そうに振り向いた。

「……あ? 着てくる暇なかったんだよ。それで間に合ったんだからいいだろ」

 相楽先生が横から挟む。

「遅刻しなかったのは偉いが、風邪ひくぞ。せめて雨合羽を着るくらいの余裕は持って家を出られるといいんだがな」

「るせーよ」

 そう捨てて、彼は駐輪場へと去って行ってしまった。

「もー……。がさつなんだから」

 牧村先輩は、彼と同じクラスだと前に聞いている。だから彼も俺よりひとつ先輩の、二年生なのだ。

 ほぼ毎朝、こうして時間ぎりぎりに駆け込んでくる。遅刻してしまう事もしばしばだ。風紀委員の挨拶運動をする中で、俺はそれを知った。素行も良いとは言えず、特に喧嘩っ早い事で敬遠されて一年の時から校内で浮いた存在になっているらしいが、そもそも学年が違うので、その徳永という先輩に対する俺の関心は薄かった。

 しかし後に、俺は彼と接触を持つ事になる。

 

 

   ***

 

 

 別棟の特別教室から普通教室へ戻るため、俺は龍彦と一緒に教科書と筆記用具を持って、廊下を歩いていた。

「……雨、やまねえな。グランドでの基礎練ができないから、体育館の使えない曜日の部活がなくなっちまうんだよなあ」

 と、廊下の窓から見える空と同じく顔をしけらせて、龍彦がぼやく。うちのグランドはあまり水はけが良くないので、やんだとしてもすぐには乾かず、梅雨入りしてからというものなかなか授業や部活に使えないでいる。

「今日も休みか?」

「多分な。他に予定もないし、お前も委員会の仕事がないんなら、今日うち来るか?」

「ん、そうだな。巡回も、お前ん家からの方が出やすくて助かるし」

 遊びに行ったついで、龍彦の家からコクミツとして町の定期巡回に出かけるのは度々している事だ。俺の家の動物禁止なアパートと違い龍彦の家は一軒家なので、猫になった姿を見られないようにと周囲の人目を気にしなくて良い分、外へ出かけるのが楽なのである。

「こんな雨でも見回りに行くのか? お前も大変だな」

「昨日は本降りで行けなかったんだけど、今日はまだ小雨だから晴れ間を見計らって、何とか出られるかなと思――」

 話しながら角を曲がり渡り廊下に入った時、俺は意外な光景を捉え、思わず言葉と足を止めてしまった。つられて止まった龍彦も、やや遅れて俺が目に留めたのと同じものを見る。

 俺達の視線の先にいるのは、渡り廊下の中ほどで立ち話をしている天瀬。俺としては彼女だけでも気を奪われる対象だが、今回固まってしまった理由は、彼女が会話している相手にあった。

 すっかり乾いて明るさと軽さを取り戻した茶髪に、片耳だけ飾るシルバーのイヤーカフ。間違いなく、それは徳永先輩だ。

 全く接点のなさそうな二人だが、その雰囲気は実に和やかなものだった。徳永先輩の切れ込んだ釣り気味の目尻がちょっとばかし下がっているのも、これまで今朝みたくつんけんとした態度の彼にしか会った事がなかっただけに、ものすごく貴重なものを目撃したような気分になる。

 ちょうど話を終えたところだったのか、はたまた少し挨拶を交わしただけだったのか。二人はすぐに別れ、徳永先輩は向こうの棟の方へ、天瀬は俺達のいる棟の方へと足を向けた。

「あ、考史郎君」

 近くまで来て、天瀬が俺達に気づく。若干動揺しつつもそれを繕って返し、俺は彼女に尋ねてみた。

「……今の、徳永先輩だよな。知り合いなのか?」

「先輩の事知ってるの?」

「ああ、風紀委員長の牧村先輩が同じクラスなんで、ちょっと話に聞いてるだけだけど」

 そう、と微笑んで天瀬は快く答えてくれた。

「前に、公園で木から降りられなくなってる猫を見かけてね。どうやって助けようかって困ってた時に、通りかかった先輩が代わりに助けてくれたのがきっかけで知り合ったんだ」

 それまた意外な逸話に、俺は目をしばたかせてしまう。

「……猫を、徳永先輩が?」

「うん。猫の他にも、生き物いろいろ好きなんだって。見た目は少し怖そうだけど、話してみると面白い人なんだよ」

「……ふうん、そうなのか……」

 どういうふうに面白いのだろうと興味を持つも、その時に自分の持っていた先輩に関する断片的な情報からは、イメージを湧かす事ができなかった。

「にしても、木登りは得意なはずなのに降りられなくなるなんて、間の抜けた猫だなあ」

 という龍彦の発言に、俺はちょっとばかし猫フォローを入れる。

「……いや、確かに猫は木に『登る』のは得意だけど、『降りる』のは苦手なもんだからな。勢いで高くまで登って、自分で降りられなくなる事はままあるんだ」

 へえー、と龍彦と一緒に知らなかったらしい天瀬も感嘆した。

「猫の事に詳しいんだね。そういえば、うちのアメリア達の事を時々聞いてくれるからそうかなって思ってたんだけど……考史郎君、とっても猫好き? もしかして飼ってたりする?」

「えっ……ああ、まあ、猫は好きだ。でも飼ってはいないんだ。うちはアパートだから」

 猫に関連する自分への突っ込みは、結構焦る。飼っているどころか自分が猫、なんて事は言えるはずもないので、差し障りのない事をさっぱりと返した。

 ただ、『猫好き』というのは天瀬にとってポイントの高い項目であったようだ。ぱっと顔が華やぐ。

「そうなんだ。じゃあ良かったら一度、うちにアメリア達を見に来ない? 龍彦君も一緒に。二人とも家が同じ葦沢町内だから、近いし来てもらいやすいと思うんだけど」

 思わぬ誘いに、まるで大きすぎるリンゴの欠片でもつっかえたように喉が詰まってしまった。言葉を出せもせず飲めもせずに急遽固まった俺を察して、龍彦が間を持たせる。

「お、いいのか? そりゃ嬉しいな、天瀬ん家の親子猫の話、俺も気になってたんだ。行こうぜ考史郎」

「あ……うん、天瀬が良いなら、猫達に会ってみたいと思ってたから……行くよ。ありがとう」

 どうにかそう返答できた。もちろん、断る理由なんてない。

 良かった、という天瀬の笑顔が花弁に跳ねて踊った透明のしずくみたいに無邪気で偽りなかったのが、また嬉しかった。

「それじゃ、いつがいいかな。二人の予定が揃って空いてる日ってある?」

「……そうだな、今日ならどっちも空いてるんだけど……さすがに、それは急すぎるよな」

「ううん、うちなら大丈夫だよ。私も特に予定入れてないし。今日にする?」

 家に招かれたとはいっても猫達の様子を見に行くだけであるので、休日などを選んで変に改まって訪問するよりも、学校の明けにちょっとだけ立ち寄る、という形の方が逆に気を遣わせなくて良いかもしれない、と思う。

「……ああ、じゃあ、今日で。着替えたら行くよ」

 それでいいよな、と確認した龍彦が承知すると、天瀬は頷いた。

「ん、わかった。待ってるね」

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