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「やれやれ」


 神父は落ちていた帽子を目深くかぶると、表情を隠すようにつぶやいた。


真経津鏡まふつのかがみは地上から消えた。南雲美鈴、キミの役目は終わりだ」



 ペンペン。


 鼻先を誰かが叩いている。

 お花畑で死んだじいちゃんと談笑していた日和は、パチリと目が覚めた。


 目ツキの悪いイタチ。


 そう見えた。

 ゴシゴシ目をこすってからもう一度みる。


 目ツキの悪いイタチ。


 ……まだ夢をみているらしい。

 日和がかえってきたのを見ると、ニィ、と底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 イタチのくせに!


「イケ好かん顔やのぉ」


 日和はおどろいて飛び退いた。


「しゃべるイタチ!」

「失敬な! ワイは板吉イタキチ言うんや。おぼえとき」


 叩いていたキセルをくわえると、日和のオツムの上を指さす。


「んで、そこでアクビしとんのが、大蛙のガマ公」


「ゲぇーコぅ」


 ガマガエルが、眠そうな顔で膨らんだ喉をへこませる。


「まぶしいゲロ。もう朝ゲロ」

「朝ちゃいまんがな。昼ですがな」


 キセルをピョコピョコ振りながら、板吉がガマ公に語った。


「外の世界どすぇ。ずいぶん久しいワァ」


 なよなよした足取りで猫が歩いてきた(・・・・・)。二足歩行の化け猫(メス?)が、日和に向けて流し目を送る。


「こんち、ご機嫌宜しゅう。あちきは玉梓たまあずさいいます。玉ネェ呼んどくれやす」

「あっ、これはどうも」


 日和は挨拶あいさつした。


女難じょなんそうが出とるどすえ」


 玉ネェはズバリと言い当てた。


「ま、マジっすか?」


 その肩に、ぽん、と片手が置かれる。

 置かれた手は、毛むくじゃらの剛毛。

 口元をヒクつかせ、腕に沿うように視線を動かして主を見上げる。


アニさん、じょうのコレでっか?」


 デヘヘヘ、と親父のような巨大タヌキがみじかい小指を器用に立てている。


「わかっとる。みなまでゆうな。ワシが嬢を喜ばすテクニックを伝授したる」

「ま、マジっすか!?」


 タヌキに教えを乞う日和。


「うっそ」


 うぷ。

 タヌキが笑う。


「げへらげへら」


 ポコポコとお腹を叩いて騒ぎまくる。

 このヤロウ。


「オドレみたいな不幸そうな顔しとるやつは一生お嬢の奴隷じゃわい」


 げはげはげは。


「せまいトコロはもう堪忍かんにんどすえ」

「ほんまに、こうしておてんとうさんのでるのを何百年待ったことか」

「封じられてまだ百年は経ってねえべ」

「鏡のなかは日にちがあいまいやからなぁ」

「まだ眠いゲコ」


「…………」


 日和は両手で頭をはさみ、空を見上げ。


「なんじゃこりゃーーーーーーーーーーーーー!!!」


 叫んだ。


「ああ、とうとう……」


 あえかはガクリを地面に手をつき、目の前の現実が消えてくれるように祈った。

 顔を上げると、魑魅妖怪ちみようかいのたぐいが自分を見ている。


 現実だった。


「なんや、嬢が色っぽい格好しとるやないけ」

「ちがいますえ。あれがハヤリのふぁっしょん、どすぇ」

「げへへ、オデはあれ、よいなぁ」

「冬眠はまだかゲロ」


「……なんですか、あれは」


 神父は日和を取り囲んでたのしそうに談笑する不浄ふじょうな怪物を指さし、唯一正体を知るであろう人物にたずねた。


「あれは真経津鏡まふつのかがみではありません」


 あえかは肩を落として答える。


「馬鹿な! 確かにここだと――」

「残念ながら。あれが三種の神器の正体にみえますか?」


 神父はまた視線を怪物どもに映した。

 目が合うと、挨拶してくる。


「まさか――ではやはり、伊勢にあるのか!?」


 神父は歯ぎしりをしてあえかを見た。


「それも、レプリカでしょう」


 あえかは苦しそうに声をしぼり出した。


「では、どこに!?」

「……真経津鏡は、ここにはありません。それは、たしか……ああっ!?」


 あえかは身をよじった。

 ピクッ、と敏感に反応する人間が一人。


「鏡とは、人を映すもの。あれは、わたしが、封印した、わたし自身――ううっ」


 あえかは懸命にあらがおうと、汗をうかべて身体をくねらせる。


「くっ、イテテ……」


 神父の一撃で気をうしなっていた大沢木が目を覚ますと、眼前で半裸のあえかが淫靡いんぴにもだえている。

 ぶばっ、と赤い血が鼻からきだす。


「こ、これは――いけねぇ」


 あわてて目をらすが、火照ほてった身体に玉の汗をうかべ、柳眉りゅうびをゆがめて快楽に耐えるようにもだえ苦しむ姿に、チラチラと思春期の衝動が抑えきれない。

 タッタッタッ、と美鈴が転がっていた鏡の残骸を拾いあげ、鏡面のない円形の鈍器でその頭を後ろからはたいた。


「ゴフッ、いてぇ!――み、美鈴――も、もとに」


「変態」


 グサッ。

 大沢木が致命的なダメージを受けて地面にふさぎ込む。


「ヌォォォォォ!!」


 もう一人。

 春日日和15歳。彼は思春期まっただ中だ。


「しっしょぉぉぉぉ!!」


 自分を取りもどした日和は、また自分を見失って、師匠のもとへと駆けつけた。


「オレが、オレが正気に取りもどすキッッッスをッ!!」


 ふくれあがったタラコクチビルがあえかに迫る。


 かっ! とあえかの目が見開いた。


「ぶぺっ!?」


 切り裂かれた袴のスリットからのぞくおみ足が、フライングしてきた背中を地べたに押しつける。


「フフ……うふふ――ほォォォほほほほ!!」


 嬌声きょうせいがひびく。


「よーやく制してやったわ! あの女の強靱きょうじんな意志を!!」


 口元に手を当て、切り裂かれた巫女服姿のあえかは、別人のように尊大な態度で日和を足にいて語った。


「おまえ」


「は、はい! なんでしょう?」


 いつものあえかとちがう態度に、踏んづけられたまま身動きとれない。


「鈴の用意をし」

「す、すず?」

「一秒だよ」


 と言って、足を放すと無様な尻を数Mほど蹴りあげる。


「あおう!!」と叫んで、日和は地面に突っ込んだ。

一秒経ったよ! どれだけかかってんだい!!」

「そ、そんなムチャな」


 日和は急いで背負ったリュックの中から、心当たりがある「鈴」を探しはじめる。


「おまえたちも用意をし!」


 あえかは出てきたモノノケどもに命令した。

 四匹の妖怪はその声を聞くなり、ピシリとキヲツケしてそれぞれの持ち物を取りだす。


 化け猫が笛をかまえる。

 ガマガエルが喉をふくらませる。

 大タヌキが腹をたたく準備をする。

 イタチがどこからか、当たりがねをとりだし「チィン」とひとふりキセルをぶつけた。


「あった! ありました!」


 日和が鈴がブドウのように連なった金色の鈴――神楽鈴かぐらすずを探し当てた。


「よくやった! お渡し!」

「させませんよ」


 日和の前に、黒い神父が立ちふさがる。


「ひぃぃぃぃい!!」

「まかせい!!」


 その背後に巨大な影が立ち、むんずと両腕を捉えた。

 金剛はそのまま、万力まんりきのように締めつける。


「この、死にぞこないが!」

「師匠!!」


 リュックを外して身軽になった日和は、ふたりの横を通りすぎ、師匠に向かって神楽鈴を投げた。

 パシッ、と手にするあえか。


「もうひとつ!」

「え!? もうひとつ!?」


 神楽鈴は二つで一つだ。

 日和はもどって捜しはじめる。


「まだ神は、我を見捨てず」


 神父は片足を浮かせ、大男の拘束を解くためにねらいを定めてカカトで蹴り上げた。


「うっほう!!」


 急所の直撃に金剛の腕の力が弱まる。


「お、おのれ、唯一強化できないところを……」


 神父はその脇腹に蹴りを入れた。ずぅむ、とたおれる金剛。


「あった!!」


 日和がもうひとつの神楽鈴を見つけた。

 ふり返ると、また神父が目の前にいる。


「げっ!!」

「遊びは終わりです」


 パラリと聖書を開く。


「小僧!!」


 その脇を、あえかが横切った。


「もらうぞ!!」

「しまった!」


 神楽鈴をふたつ手にしたあえかは、高慢こうまんな表情に会心の笑みをうかべた。


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