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鳥居をくぐるなり、あえかは張っておいた結界が破られていることに気づいた。
金剛と大沢木を置き去りにし、境内を走りぬけ、本殿には向かわず、目的の場所へおもむく。
鎮守の杜の奥へ向かった彼女は、”鏡呪の祠”にひろがる惨状に息を呑んだ。
樹齢百年を経たいくつかの木がまっ二つに裂け、黒こげになっている。
十中八九当たるであろう想像の逆の可能性に賭け、洞窟の奥へと向かう。
果たして彼女は、奥に安置してあるはずの鏡が失くなっていることに気づき、卒倒しそうになった。
「……やられました」
洞窟から出てきたあえかは、出口で待っていた金剛と大沢木に呆然と語った。
「やられた?」
「御神体がうばわれたのか!」
金剛にちからのないまなざしを向け、黙考したのち、「はい」とうなずいた。
「なんということだ!」
応急手当でティッシュを二つの耳と鼻につっこんだ金剛は、あたまを抱えてもだえた。
「大事なモンなのか?」
横で不気味な踊りをおどる金剛を無視して、大沢木がたずねる。
「はい。……あれは、外に出てはならないもの。余人が手にしてはならない禁忌なるモノです」
「御神体というのはな、神社の宝だ。熱田神宮の草薙の剣。出雲大社の大洋の貝、三輪山を奉る大神神社、那智滝を奉る那智大社。すべて、神の依り代となるほどの霊力がこめられた宝とされる」
「山と滝だぁ? そんなものどうやって持ち出すんだよ」
「持ち出すことなどできんわい。そういった地に根付いた御霊代ならのう。じゃが、鏡や玉や剣なら持ち出せる。ちがうか、”舞姫”」
「金剛様のおっしゃるとおりです」
あえかは青ざめた顔で、焦げついた木にヨロリと手をついた。
「……一刻も早く、取りもどさないと」
「あの鏡が、ここの御神体だったってのか?」
大沢木がたずねると、金剛が口を開いた。
「御神体はふつう神主ですらじかに見られぬものじゃぞ? なぜ、オヌシが知っておる?」
「それは――」
あえかは目を泳がせる。めずらしいことがあるものだ。
「あっ!!」
声を上げる。
「どうしたのです! 春日君!!」
「……ししょー」
ずぶぬれで森の奥から歩いてきた日和は、三人の前でパタリとたおれた。
「も、もう、水飲めねーっす」
「まさか! あなたが持ちだしたのではないでしょうね!?」
あえかは日和の胸元をぐいと持ちあげてたずねた。
その形相に、日和チビる。
濡れているのがせめてもの情けだった。
「ち、ちがうッス! つーか、オレの心配は……?」
「そんなものは後回しです!」
般若というより悪鬼に近い顔で見下ろしてくる師匠から、大沢木にアイコンタクトで助けを求める。
「お師さん、そのくらいにしてやれよ。ひーちゃんがビビってチビってんじゃねえか」
バレていた。
落ちこむ日和。
「では誰です! 誰がこんなことを!」
「えっ! いや、それはちょっと」
「言いなさい」
「美鈴です」
簡単に自白する。
「美鈴!?――南雲がここに来たのかひーちゃん!」
大沢木にまでえりをつかまれる。
なぜか理不尽にからまれている気がするのに、二人の気迫に押されて反論できない。
「お、落ち着きません? 二人とも」
「なにを暢気なッ!!」
「なんで美鈴を行かせたァ!!」
泣きたくなった。
「まぁ待ていオヌシら」
金剛が巨体を生かして間に入りこみ、浮いていた日和のからだを地に降ろす。
「金剛サン、オレには今、あんたが神様に見える」
「ふむ。宗旨替えするか?」
「……悪い、いまの発言なしで」
あえかに殴られたほほを押さえ、日和はボソリとつぶやいた。
「止めようとしたんだよ。そしたらオレ、飛ばされて、滝壺のなかに落ちて……」
「「滝壺へ!?」」
あえかと大沢木はそろって声をあげた。
「あ、あの中へ落ちたのですか!?」
「よく生きてたなひーちゃん!」
「まーなんつーか、運が良かったってカンジ? あはは」
日和は笑いながら頭をかいた。
というより、気づいたら森のなかで気絶していたのだが。
近くに川なんかなかった気がするのに。
「運でピンチを切り抜ける男、と呼んでくれぃ」
「夢でも見たのでしょう」
あえかの一言にわれ知らず涙がこぼれた。
なんだか師匠がものすごく冷たい。
「それより、御神体を美鈴さんが持っていったというなら――」
「ああ。おそらく、あの神父の野郎に横どりされただろうぜ」
「横どりというよりは、彼の差し金でしょう。ふつうの人間がねらうような価値のある宝ではありません」
「骨董価値は、高いかもしれんぞ」
「いえ、それもありません」
「ふむ。やけに詳しいのう」
「え? い、いやですわ和尚様。わが神社の御神体ですもの」
あえかの目が泳ぐ。
「あ、あやつられた、とか」
日和はおそるおそる発言する。
「可能性はありますね」
あえかは日和を見下ろした。
「もしくは春日君がウソをついているか」
「そんなコトするわけないじゃないすか! いままで師匠にお仕えしてきたこの春日日和、着替えをのぞくことはあってもウソはつかないっす!」
「……その発言の細かいところは後で制裁を科すとして」
「オレのバカー!!」
「鏡を取りもどすために、作戦を練る必要があります。一度、私の家で今後を相談しましょう」
「ふむ。そうじゃのう。今日はずいぶん身体をうごかした」
金剛はコキコキと肩を慣らし、「酒…」とつぶやき、出口へと向かった。
「春日君は洗濯とお風呂に入るのを忘れないように」
スタスタと立ち去るあえかに向け、日和は熱いまなざしを向けた。
「師匠……なんていい人なんだ……!!」
「単に家がよごれるのが嫌だったんじゃねぇか?」
大沢木の言葉を完全に無視し、日和は水(とその他)を含んで重たい学生服をえっちらおっちら引きずり、風呂場へと向かった。




