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 今日は師匠の出迎えがなかった。いつもは神社の掃除をしながら、日和に向けて投げかけられる笑顔がないので、いきなり調子がくるう。

 道場へと向かうと、道着姿の師匠がいた。

 その前に正座をした大沢木の姿がある。


「あれ! いっちゃん、今日一番乗りじゃん」


 靴をぬいで玄関口にそろえ(こうしないとあえかに怒られる)、靴下をなかへと突っこんだ日和は木の床をペタペタとはだしで歩いた。


「春日君。よく来ましたね」


 師匠はいつもどおりにほほえみを浮かべて挨拶あいさつをする。

 大沢木は斜にかまえた顔をさらに仏頂面ぶっちょうづらにまで歪めて、ブルブルふるえながら正座をしていた。


「あの、聞いていいっすか?」


 もちろん、目の前の事態に対する疑問だった。


「その前に。日和君、今日学校はありましたね?」


 師匠の当然の質問に、素直すなおにうなずいた。


「はぁ。今日木曜っすよ」

「だそうですよ。大沢木君」


 大沢木は日和へ怒ったような顔を向けた。


「えーっと、オレ、なんかマズイこと言いました?」

「大沢木君が午後一いちにここへ来て、修業してくれと」

「へー、いっちゃん、いつの間にそんな熱心になったんだ?」


 大沢木はそっぽを向いた。


「わたしがたずねると、今日は創立記念日で学校が休みだから、と答えたのですが、そんな話は春日君から聞いていませんでしたので、あなたが来るまで待っていたのです」


 日和の顔に一抹いちまつの汗がれる。

 まったく同じイイワケを、以前日和自身つかったことがある。そしてその結果、まさにそのときとまったく同じ場面がデジャブとして目の前にある。

 おそるおそるたずねた。


「あの、午後一からいままで、ひょっとしていっちゃん、ずーっと正座して?」

「はい。それがなにか?」


 素敵な笑顔を浮かべる師匠を見て、プルプルふるえる大沢木を見る。


「す、すまねえいっちゃん! オレが本当のことさえいわなけりゃぁ!」

「……別にひーちゃんのせいじゃねえよ」

「師匠! いっちゃんを解放してやってください! この通りっス!」


 と言って、日和は頭を下げた。


「わかりました。ではこの質問に答えてください」

「なんなりと!」

「今日干していた下着は何色でしたか?」

「白っス! フリフリのついたレースのやつ! やっぱり師匠には白が一番似合うっス!」


 …………。


 ガクリとひざをついた。


「……誘導尋問ゆうどうじんもんにひっかかってしまった」

「何をすればよいか分かっていますね?」


 にこりと笑う。

 日和は大沢木の隣でまったく同じように正座した。


「ひーちゃん、俺、たまにお前のことがかわいそうでたまらなくなる」

「いっちゃん、男には避けては通れない道ってのがあるんだ」

「私語はしない」


 日和と大沢木は無言で耐久レースを再開する。


「今日はみすずさんのみを修練させることにします。あなたたちは終わるまでその態勢でいなさい」

「くっ」


 大沢木がブチ切れる寸前の顔で師匠をにらむ。


「『真心錬気道』をまともに学びたいなら、今日一日その態勢で我慢がまんなさい」

「ぐぐぐ、ぐぐぐ!」


 なにをそんなに頑張っているのか、大沢木はめずらしく文句を言わずに云われたことを聞く。


「こんにちわー」


 みすずの声がする。


「いらっしゃいみすずさん」


 師匠が声をかけても、いつもの軽いノリの返事は返ってこず、あからさまな意気消沈オーラを発っして道場に入ってきた。

 ちなみに彼女は母屋おもやのあえかの私室を使って道着へ着替える。


「どうかしましたか?」


 心配そうに、あえかは声をかけた。


「あっ、いえ、なんでもないです……」


 なんでもなくないような返事をして、大沢木と日和にならんで自分も正座する。


「あの、みすずさんはそこに座らなくてもよいですよ?」

「え?」


 マスカラをつけた目をパチクリさせて二人を見る。


「彼らはばつとしてそこで正座しているだけですから」

「いや、師匠。こうなれば一蓮托生いちれんたくしょう三人一致で責任をとるという方向でどうでしょうか?」

「なにがどうなのですか? みすずさんはあなたたちと違います」


 みすずの肩がびくっ、とふるえた。


「……わたし、特別なんかじゃないですっ」


 強い口調に、あえかは戸惑とまどった表情を浮かべた。


「みんなと同じでいいです!」

「みすず、おまえ、なんか変だぞ」


 反撃を予期していた日和も、自分の意見がこうも素直に受けいられたことにそこはかとなく不安を感じてたずねる。


「変じゃ、ないもん」

「いーや、変だね。いつものお前ならオレたちに向かってさげすんだ口調で悪口のラップを利かせてくるくせに」

「ラップなんか歌わないよ」

「オレたちには聞こえるんだよ。おまえの悪口雑言あっこうぞうごんが右耳から左耳へ抜けていくときに」

「なにそれ。馬鹿みたい」


 みすずはすこしだけ元気を取りもどして笑った。


「このやろう! またバカにしやがったな!」

「だって、ホントのことだし」

「そうやって他人のこと見下してると、友達できねーからな!」


 みすずは急に黙りこんだ。

 あえかと大沢木もどうしたのかと不思議そうにみすずを見る。


「……友達って、むずかしいよね。どうやったらつくれるんだろう」

「は? なに言ってんだおまえ」

「学級委員にまでなって、みんなから頼りにされるかなって期待したのに、誰もわたしを必要としてない。自分のことばかりに精一杯で、迷惑かけてばかりなんだから、しかたないよね。学校にもちゃんと出てないんだから、友達の輪にも入れない。いまさら、こわくて――」

「なんだ、おまえ、学校サボってんの?」

「サボってなんかない」

「だって、学校にちゃんと出てないって――」

「休みたくて休んでるわけじゃないもん!」


 ぱちぃん!


 大きな音がほほに炸裂さくれつし、立ち上がるとくつかずに走って出て行った。


「……なんで?」


 ほほを押さえてナミダを浮かべる日和は、あえかと大沢木を見た。


「たぶん、悪いのはひーちゃんだな」

「ええ? なんでオレ? どっちかっつーと脈絡みゃくらくなく殴られたオレは被害者じゃね?」

「思春期というのはむずかしいものです。あなたの不用意な一言が、みすずさんの繊細せんさいなこころを傷つけたのでしょう」


 オレだって思春期の少年なのに。


 と、日和は思った。

 誰がオレのこころの傷をいやしてくれるんだろう。

 あえかのほうを見る。


「あやまってきなさい」


 現実は甘くなかった。


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