/7/
「はー。はー。」
全力疾走で逃げてきた日和は、燃え尽きたように座りこみ、肩で息をしていた。
「……重かった」
「誰がよ!」
顔を赤くして、みすずが日和の頭をなぐる。暗闇で表情がわからないのがせめてもの救いだ。
「あたしだって歩けたもん!」
「その足でかよ」
ブルブルふるえるひざを指さし、日和は疲れた声で言った。日和と大沢木は学生服に着替えていたが、みすずは私服の姿なので、ショートパンツからのぞく足が露わだった。
「どこ見てるのよ! 変態!」
みすずはもう一度なぐると、うごけない足を両腕で抱えこむように座った。
「帰りたい」
「心配すんなよ。師匠がなんとかしてくれるって」
日和は安心させようとするが、顔を伏せたみすずは黙ったままだった。
疲れていたので、日和も師匠がくるまで休むことにする。
とっさに飛びこんだはいいが、ここはどこだろうと思った。
教室にしてはひどく手狭で、どこかの準備室のようだと判断する。暗闇になれてきた目をこらすと、おおきな棚があり、なかにはビーカーやフラスコがならんでいる。
あえかが来るまで、じっと息をひそめておかなければならない。何しろ、日和には戦う手段はないのだ。懐中電灯さえあの騒ぎで落っことしてしまった。
はやく来てくれないと、この闇に押しつぶされそうだと思った。
コツ……コツ……
誰かの足音が聞こえてきた。
みすずの肩をゆさぶり、「もう大丈夫だ!」と声をかけると、手を引いて立ち上がらせる。
「師匠がきてくれたぜ!」
コツ、コツ、という音が近づいてくる。
人間にしてすこし軽い。
日和は準備室から顔をだすと、音の聞こえてきた方向に耳をすませた。
「こっちだ」
右側だと決めると、みすずの手をとって一緒に歩きだす。
音が近づいてくる。
歩きながら、日和の頭の片隅に、ムクリと疑念があたまをもたげてきた。それは歩くたびに着実にふくらんでいき、つられるように歩みも遅くなってくる。
そうだ。
巫女装束の師匠は、いつも草履を履いている。
かたい床をたたく靴音なんて、するわけがない。
廊下の曲がり角まであと数メートルまで来て、その歩みがピタリと止まった。
「まずい」
ぽつりとつぶやいた一言に、みすずが赤くはれた目を向ける。
「どうしたの? はやく行こうよ」
「逃げるぞ」
コツ。
すぐその先に、あえかではない何者かの足音がひびく。
日和は足を引いた。
「きゃっ!」
「わっ!」
すぐうしろにいたみすずを巻きこみ、尻餅をつく。
「なにしてんだ!」
「い、いきなりさがるあんたが悪いんじゃない!」
「悪いでいいよ! だから早く」
コツ。
日和の目の前を、人影がふさいだ。
いや、それは人影ではなく
人骨。
白い骨を闇に浮かびあがらせた人間の全身骨格が、耳ざわりな音をさせてしゃれこうべをうごかした。目玉のない落ちくぼんだ眼窩が、へたりこむ日和とみすずとみすえる。
みすずが日和の肩にもたれてくる。
「あっコラ! なにを――」
文句を言った日和の前で、みすずはさらにたおれて腰までずれ落ちてきた。
気絶している。
「ふざけんなーーーー!!!」
日和はみすずをまた腕にかかえて走りはじめる。重いのは、みすずよりも荷物のほうだ。
隠れていた理科準備室をとおり過ぎると、その先の教室からニョキリとひとの腕が伸びてくる。
「わっ!」声をあげてとっさに避けてふりかえると、おそろしく無表情な顔をした全身裸人間がこちらを見ていた。
いや、ちがう。
全身のうち半分はまだ教室のなかだ。その半分は――
「かそくそーち!!」
日和はさけぶとスピードを若干あげて走りはじめた。
「シショー! おねがい返事してー! わるい妖怪に食べられるーーー!!!」
涙と鼻水で不細工な顔をして廊下を走り抜けながら、彼はまた適当な場所へ逃げこんだ。
というより、体力が限界なのだった。
とりあえず気をうしなったみすずを床に寝かせ、背負ったリュックのなかから、あえかがお祓い用に清めた水1.5リットルのペットボトルを取りだすと、豪快にのどに流しこむ。うしなった水分を補給し一息ついた彼は、まわりを見渡す。
黒いカーテンで仕切られたここがどこなのか、よくわからなかった。また準備室のたぐいだろうか。こんなことなら、旧校舎の地図をナミヘイからぶんどっておけばよかったと、ひどく後悔する。
立ち上がると、奇妙なにおいが充満していることに気づく。
においの元をたどると、壁にくっついた机の白いトレイに、なみなみと液体が入っている。近くには巨大なピンセットがおいてあり、フィルムみたいな束が巻かれておかれている。
壁に目を向けると、貼りつけられた複数の写真のなかから、一枚の写真に目が引きこまれた。
少女が笑っている。
師匠とおなじ黒髪ロングヘアで、師匠よりもおもざしが優しい。制服を着ているということは、この学校の生徒なのだろうか。瓜実型で色の白い、声をかけられてすこし照れているように、窓辺からこちらをふりかえって笑っていた。
「むぅ……美人だ」
おもわずつぶやいてしまう日和。
特に師匠とおなじ和服が似合いそうなところがポイント高いね。
「ありがとう」
日和は写真のなかの少女が声をかけてきたような気がした。




