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 中は暗かった。


 背中を悪寒がかけめぐり、止まらない。


 日和はブルブルと真冬のようにふうるえながら、前を行く師匠の背中を見た。

 凛々(りり)しく歩く師匠の姿がある。その姿を見るだけで、日和はほっとした。師匠がいれば安心だ。師匠がいればだいじょうぶ。次第にふるえもおさまってくる。


 霊感のつよいせいで、人よりもひどく霊障れいしょうを受ける。なんでもない林のなかで気絶していたこともある。人にとってなんでもない場所が、彼にとっては命をうばうほど危険な場所だった。あとでその林のなかに、殺された幼児の死体が発見された。


 過敏かびんであるということは、悪霊にとって絶好のエサでもある。生前に晴らせなかったうらみを霊感の高い人間――霊媒体質れいばいたいしつの人間にとり憑き、復讐ふくしゅうを果たそうとする。うらみが濃ければ濃いほどに、その影響は日和を苦しめる。彼らにも同情の余地よちはある。だが、日和にはその責はない。それでも、彼らは自分を苦しめた。


 だが、あえかにめぐりうことによって、悪夢のような世界が変わった。ひどい霊障で気をうしなうこともなくなった。師匠が自分の側にいてくれる。それだけで、恐怖が自然と消滅した。それほどに、師匠はすばらしい人なのだ。


 それとチチも。


 大沢木が歩いている。もともと神経がふといのか、平然としてあえかに並んでいた。うらやましいと思った。彼は、師匠の背中がなければどうしようもないといのに。

 みすずを見た。

 肩がふるえている。

 ひょっとしたら。


「おまえ、怖いのか?」


 日和はみすずの横にならび、声をかけた。びくっ、と反応し、蒼白な顔と目が合う。いまにも泣きだしそうだった。


「なんでついてきたんだよ」

「だって……だって、ひとりだけ行かないなんて……なかまはずれは、いや」


 春日ははぁ、と息を吐いた。ここは男を見せてやる。


「手ェだせ」

「?」わけがわからない様子でぽけっ、と日和をみる。

「つないでてやる。すこしは気がまぎれるだろ」


 怒ったように左手を突きだす。

 おずおずと、みすずは日和の手を取った。


「……ヘンなこと、しないでよ」


 軽口がたたけるなら十分だ。


「しねーよ。するなら師匠だけだ!」


 きっぱりいいきると、「ばか」馬鹿にされた。


「とてもつよい地縛霊のようです」


 あえかは慎重しんちょうに歩をすすめながら言った。手には神札かむふだと白木で作られた祓串はらいぐしをにぎっている。


「はぐれないように注意してください」

「地縛霊ってなんだよ」


 大沢木がすこしの緊張感もなくたずねる。


「地縛霊とは、その土地で死んだものが未練みれんをもち土地にとり憑き、あやかしの相をなしたものです。彼らは土地に入ってきたものを侵入者と見なし、様々なわざわいをふりかけて相手を追いはらい、時には殺そうとします」


「自分の土地だって主張してんのか?」


「ええ。土地の権利書も、家賃も支払わず、無断で居着きます。彼らの呪縛はつよく、それゆえにはらうにはそれ相応のちからがいります」

「強制的に立ち退かせんのか?」

「少々語弊ごへいがありますが、そうなりますね」


 あえかは微笑んだ。


「彼らだって、きたくて土地に居座っているわけではありません。果たせぬ未練がゆえに、土地をはなれられない。私たちは、苦痛の鎖をほどいてあげるだけなのです」


 あえかの言葉に、大沢木は「ふーん」とうなずいただけだった。


「あなたにとり憑いた狗神いぬがみの霊もいわば土地に呪縛されているぶん、そのひとつかもしれません」

「本当にそんなもん、俺にとり憑いているのか?」

「ええ」

「信じられねーな」

「その首にある、輪がなによりの証拠ですわ」


 金剛の鎮魂ちんこんの法により、狗神は大沢木のなかに封じこめてある。その代償として、彼の首には細い輪――錫杖の車輪が片時もはなれず取り付いている。ある種のファッションみたいだと、大沢木が気に入っているのが、まだ救いだろう。


「この輪っか、どうやったってとれねえんだよ」


 大沢木は首と輪っかのあいだに指をいれ、ぐいぐいとひっぱるが、首が締めつけられるばかりで痛いだけだ。


「それを解くのは無理でしょう。金剛様でもなければ」


 あえかはふと思った。

 金剛は首輪は外れないと言った。それは、外せないのではなく、外せば彼の身になにかが起こるから、外すことを避けたのではないか。


「風呂入るときくらいには、外したいんだけどよ」


 あえかは。苦笑した。


「……時期がくればその鎖も外せるでしょう。いまは、そのときでない。それだけのこと」


 あえかは自分の言葉に自身で納得をつけた。


「そういや師匠。オレ、思い出したことがあるんすよ」


 日和の言葉に、あえかは先をうながす。


「この旧校舎にはね、ひとり、とんでもないのがとり憑いてるんすよ」

「霊に心当たりが?」


 おどろくあえかに、日和は「うーん、どっすかね」と要領を得ない。


「オレたちクラスじゃ、”旧校舎の妖怪おどろ”って、呼んでるんですけどね」

「妖怪? それだとわたしの担当外なのですが……」


 あえかはまじめに困った様子だ。


「あ、いや、ちがうんす。その妖怪ってのは――」


 日和が口に出そうとしたところで、『職員室』とプラカードがぶら下がった教室の扉が音もたてずにスィ、とひらく。

 戸口に立った無精ひげと伸び放題の髪の毛。

 死んだ魚のように生気のない瞳。

 身につけている白衣に、割れた窓ガラスから入りこんできた夕日が血のように赤いデザインをつくりだす。

 血まみれの亡霊のできあがりだ。


「おひょひょぅ!」


 日和は飛び上がってみすずにすがりついた。


「きゃぁぁぁぁぁぁあ!!」


 ばしんっ! と豪快ごうかいり手がとび、日和は壁に向かって押しつけられる。もろくなっていたのか、壁はペキリと音を立てて人型に千切れてたおれた。


「おまえたち、なにをしている」


 亡霊がのそりと動くと、彼ら3人の担任教師溝口おどろがあらわれた。


「あっ、先生!」


 みすずが声をあげ、そのあとあわてて口をふさぐ。

 溝口はメガネをかけると、無精ひげの伸びた青ひげをポリポリときながら、「おまえら不法侵入だぞ」と言った。


「学校はキモだめしをするところじゃぁない。わかったらさっさと帰れ」


 くもったガラスの奥があえかを捕らえる。


「……部外者のかたも、立ち入り禁止ねがいます。とくにアナタのようなコスチューム・プレイで生徒をあやしい世界へと引きこむような不健全なかたは金輪際こんりんざい出入りを禁止ねがいたい」

「春日君。これがあなたの言っていた妖怪ですね」


 あえかは春日の返事も待たずに神札かむふだはらい棒を構えた。


「なんという凶悪なツラがまえ。一刻もはやく退治する必要があります」


 あえかの目はわっていた。


「ここはワタシの住みです」

「地縛霊はどこだって自分の住み処を主張するのです」

「ワタシは教師ですが」

「まだ未練があるようですね。さっそく春日君にとり憑いておそったようです」


 みすずは黙っていた。


「この建物は老朽化して壊れやすい。あまり暴れまわらないでいただけますかな。雨もりがひどくなる」


 ぬぼぅ、とした表情で溝口はあえかの挑発ちょうはつを受け流す。


「その服は社をうやまい神への礼をあらわすよそおい。けがれをいとう古神道では無垢むくをしめすために家系の女性がその衣をまといまつりごとをおこなう。それは聖域で神につかえる者のみにゆるされた化粧けしょうたわむれで着られれば神霊の怒りを買いアナタに不幸をなすでしょうな」

「たわむれではございません。これは正装です」

「正装? では、本職が巫女のかたですか?」

「そうなりますわね」


 あえかは艶然えんぜんとほほえんだ。

 おどろは眼鏡をくぃ、と指で持ちあげると、「はぁ」とつぶやいた。


「……巫女が巫女衣装を着ている。それは自然ですな」

「わたしはこちらの校長先生からじきじきに依頼を受けて、この建物に巣くうあやしをしずめにきました。疑念があればどうぞご確認ください」

「そちらの三人は?」


 溝口は相手を変えた。


「彼らは、わたしの弟子たちですわ」

「彼らも巫女なので?」


 間のぬけた質問をする溝口に、あえかはあきれた。


「みすずさんはまだしも、春日君や大沢木君には似合わないと思いますわ」

「そうなのか?」


 溝口はたおれている春日にむけて聞いた。


「男の巫女姿なんて見たいとおもうっすか?」


 春日もまじめに答えた。


「うむ。一理いちりある」


 ぽんっ、と手のひらを打ち、納得したようだった。


「それではこちらから質問をしてもよろしいでしょうか?」

「はい。Give&Takeですな」


 溝口は古文の教師らしくない流暢りゅうちょうな英語でかえすと、白衣のポケットに手を突っこんで「なんなりと」と言った。


「あなたはなぜ、こちらにいらっしゃるのですか?」

「それは簡単な質問です。ここがワタシのHomeだからです」

「ここに住んでいらっしゃるんですか?」

「転勤してからずっと」


 あえかは首をかしげた。


「……それではなにか、んでいるあいだに怖い思いをされたことはないですか?」

「なにも」


 溝口はあっけらかんと答えた。

 押しだまるあえか。


「あ、そう言えば」


 溝口は唐突に気づいたようにまた、ぽんっ、と手をたたいた。


「やはりなにかあったのですね?」

「近頃おおきいネズミがうろついていて困っています。あと、チャバネゴキブリも何匹か見かけました」


「「ゴキブリ」」


 その言葉に反応したのは、あえかとみすずだった。


「そ、それ以外は?」

「なにも」

「…………」


 こわごわと自分の足下を確認する。影が濃くて、その色とおなじヤツらの姿はわからない。たとえ見れたとしても、それはそれで悲惨ひさんではある。


「古い家屋ではよくあることです」


 はっはっは。と寒い笑い声を上げる溝口に、あえかとみすずは敵意に満ちた視線を送る。


「春日君。荷物を」

「あっ、はいっス」


 あえかは春日の背中に背負ったリュックを探り、キンチョールと虫除むしよけスプレーを取りだした。


「みすずさん、完全防御でお願いしますわ」

「了解しました! 完全防御ですね」


 プシューッ


 白い煙が周りに立ちこめる。

 日和と大沢木は、ふたりでゲホゲホと目鼻口に入りこんでくる白い煙を一生懸命に手ではらった。


「任務完了!」

「よく出来ました。みすずさん」


 あえかとみすずはガッツポーズをつくった。


「……キンチョールって、ゴキブリに聞くんだっけ?」

「さぁな。当人たちが納得してるからいいんじゃないか?」


 日和と大沢木がコソコソ話をしていると、溝口は薬液だらけでくもったメガネを指で拭き、あえかに声をかける。


「許可があるならなにも言いませんが、くれぐれもワタシの安眠を妨害なされぬようにおねがいしたいですな」


 言いたいことを言った溝口は、また出てきたときと同じように音も立てずに元の部屋の扉を閉じた。

 向こう側から、日和の型がそっくりそのまま起きあがって壁にはめこまれる。


「さ、行きましょうか」


 あえかは無防備なふたりに声をかけた。


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