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顔をかばってガラスの張られた窓へつっこみ、床を数回転して壁にぶつかる。
巨体をすばやく立ちあがらせ、金剛は状況を把握する。
子供が一人。獣が一匹。見知った顔が一つ。
「なにをしておるのじゃ? オヌシ」
腰のぬけている日和をみると、金剛は普段の調子にもどって言った。
「こ、金剛サン、たすけて!!」
錯乱している日和は床に手をついたままものすごいスピードで金剛のもとへたどり着くと、うしろにまわって顔をだす。
「い、いっちゃんがバケモノに!!」
「夢でもみたのではないか?」
あえかの報告から聞いている。大沢木という少年は、祖霊に憑かれた状態のはずだ。
「ゆ、夢じゃねえよ! そこにホンモノがあるじゃんか!」
日和の指さす方向にいる巨大な獣を見て、金剛は「ふむ」とうなずいた。
「あれは犬じゃな」
「イヌじゃねーよ! セントバーナードでもあんなでかくねーよ!!」
「いや、あれは犬じゃ。犬の祖霊が憑いておる」
金剛は錫杖を手にもち、一度シャン…、と鳴らした。
黒い獣が反応し、首をこちらに此方に向ける。
「これは大物じゃわい」
うれしそうに金剛は言った。
「オオモノ過ぎるわ! やべーよ! 喰われちまうよオッサン!」
「うむ。喰うなら年寄りより若くぴちぴちしたほうがよいわの」
「オレが先!?」
「うまかろうて」
錫杖を横に構えると、指を二本立てて念仏を唱えはじめる。
「待ってー!! そんなに早くあきらめないでー!!」
「五月蠅いわい! 黙っとれ」
「鳴りもの入りだね。およびじゃないよ。ハゲのオッサン」
少年が教壇から飛び降り、犬に向けて銃口を向ける。
「じゃまするなよ。ボクと彼との戦闘なんだ」
そう言うと、不意打ちよろしく弾丸を撃ちこむ。
獣はすばやく地を蹴ると、机のうえに飛びあがって難を逃れた。
「はやいね。さすが畜生だ」
つづけざまに2発、3発。
ことごとく避けられ、少年の顔から余裕が消える。
獣がくわり、と笑みを浮かべた。馬鹿にしている。
「コイツ……!」
少年はムキになって、残弾を発射した。
「くそっ! あたらないじゃないか! 不良品!!」
弾をなくしたのを見計らうと、獣は巨体を見せつけるように少年のもとへとひたひた近づいていく。
少年はあわててカラになったリボルバーから弾をひきぬくと、ポケットから次の弾をとりだした。そのひとつひとつを入れることに時間がかかり、焦りの表情がしだいに別の感情に変わっていく。
装填しおわると安堵の笑みをうかべ、銃口を向けた。
「死ね! 死ね死ねッ!!」
六発の弾が発射される。それらはすべて対象を撃ちぬくことなく、壁や床に埋めこまれた。
カチ。
カチ。
むなしい音が響く。
「どうなってるんだ! ぼくは強いはずなのに!」
それが武器に頼った強さだとは、おさない頭では気づかない。
黒い獣が堂々とした足取りで、少年のまえにたった。
恐怖の表情を顔じゅうにはりつけ、少年が銃を硬くにぎりしめておびえる。
おおきな口がひらいた。
勢ぞろいした牙が夜にもかかわらず鋭くかがやき、ながい舌が肉を食らう快楽に這いまわる。
「うわ……ああああああああああああああッ!」
目を閉じた少年のまえに、金剛が割りこんだ。
「ふゥん!!」
あごの上と下を腕でふさぎ、ふくれあがった筋肉にものをいわせて固定する。
その体は金色にかがやき、まるで成金趣味の銅像のようなまぶしさで暗闇を照らしだした。
黒い獣がよだれを撒き散らしながら、目の前の金のオッサンの腕を噛み千切ろうと力をこめる。だが、するどい牙は腕にはいくらも食いこまず、逆にじりじりとあけられていく。
金剛。
またの名を不動金剛明王和尚。
体内の酒成分を硬質化させ、ダイアモンドの細胞を形成する。体内に満ちた酒の量が濃いほどに体は硬質化し、いかなる刀も槍もとおさぬ不動の身となる。
金剛のみの特殊な性質だ。五式不動の宿世にあるものにしかこの世に顕現できない希少な能力である。
馬力同士のたたかいとなった。
金剛はひたいに汗をうかべ、黒い犬のあごをこじ開ける。
黒い犬はよだれを撒き散らしながら、金剛を胃袋におさめようと閉じきろうとする。
「やべぇ、オレだけ、ノンケじゃん」
常識ハズレの事態に、日和はポツリそんな言葉をつぶやくのだった。
「和尚!」
こわれた扉を乗りこえ、白い羽織に朱の袴を着た女性が入ってくる。
「ししょぉォォォ!」
日和はぶわっ、と目から涙をほとばしらせ、全力でダッシュしてその腰に取りついた。
「怖かったよぅ!」
「よしよし」
あえかは弟子の頭をなでると、やわらかくその手を解いた。
「あぶないから、下がっていてくださいね」
あえかは、ぐずる日和をなだめて札を取りだした。
「手伝います! 和尚!」
「すまぬ!」
そういって、あえかは少年にねらいを定める。
その目をみた少年が、引きつるような声を上げる。
「ひっ!」
それは反射的な行為だった。あえかに銃を向け、引き金をひく。
ぼん!
爆発が起こった。
なにごとかと目をむく一堂のまえで、暴発した黒焦げ(くろこげ)の銃が少年の腕からゴトリと落ちる。
炭のように焦げつき、炭化した腕の皮膚がぼろぼろとはがれ、赤い水が噴きだす。
「腕が痛い! 痛いよゥ! ママぁ」
涙を流して自分の腕をみて嘆く少年に、あえかのはなった札が飛ぶ。
その札は眉間へと吸いこまれ、仕込まれていた針はまっすぐに脳みそを前から後ろへうちぬいた。
わずかに身じろぎすると、少年はだらしなく口をあけてうしろに倒れる。
「なにを!」
目を見張る金剛に向け、あえかは不遜な笑みをむけ、逃げだした。
「春日! その女を捕らえろ!」
「えっ!」
言われた春日はあえかをみて、キラリと目を光らせた。
「そのチチもらったァ!!!」
俊敏なケモノのように日和はあえかに飛びついた。はじめて女性の胸に触れる。しかもほほにダイレクトだ。
「これは事故だ! 事故なんです! だから怒らないでつかーさい!!」
(やわらかい。なんてやわらかいんだ。まるで羽毛布団のような――)
突然つかんでいた腰がなくなった。
「あれ?」
ゴン、と日和は頭を床に打ちつけると、雄たけびをあけて転げまわる。
「オレのチチ! オレ俺のチチはどこにいったー!!!!」
はらりとそのわきに、人型に切られた紙が落ちてくる。
「おのれ! やられた!」
金剛は激怒した。もうすこしで手がかりがつかめたものを!!
怒りのままに、噛みついた獣をふりまわし、投げ捨てた。
ずぅん、と教室がおおきく揺れる。
「おい! しっかりせい!」
金剛はうしろの少年に向き直ると、その傷を見た。
致命傷だ。
一撃で眉間が貫かれ、絶命している。
ここまでの苦労が無に帰す事実に失望し、金剛のかがやきが衰える。
「オッサン! アブない!」
日和の声にふりかえると、獣がおおきく口をあけていた。
「高天野原に神留坐す素戔嗚尊に奉る――雷の祝砲を」
とんできた札が黒い獣にはりつくや、強力に発光してその身を焦がした。かぼそい声をあげ、巨体がたおれる。
「間に合いました」
巫女姿のあえかが札を構えて立っている。
「金剛様、おケガは?」
「シショーぅぅぅ!!」
その姿を見た日和が無防備にもつっこんでいく。
空中でつかまれると、裂ぱくの気合とともに彼のからだは宙へとほうり投げられた。
(ああ、この感触。ほんものだ――)
「ぐふっ」
受身をとったものの、今回のはかなり痛かった。床に背中をくっつけたまま、日和は金剛に向けて親指を立てる。
「こ、金剛サン、この師匠は、本物だ、ぜ……」
「春日……まさか、そのためにこのようなマネを……なんたる自己犠牲の精神!!」
「違うとおもいますよ」
あえかは男泣きのふたりに向けて冷たい視線を投げつけると、「遊んでいるヒマはありません」と叱咤した。
「和尚! 彼を」
「うむ」
けろりと涙をひっこめた金剛は、たおれた獣に近寄ると、念仏をとなえはじめた。
「ま、まさか、死んじまったのか!!」
駆け寄ろうとする日和を制し、あえかは首をふった。
「そうではありません。見ていなさい」
念仏をとなえつづける金剛のまえで、黒い獣のからだが次第にちぢみ、はだかで横たわる少年の姿があらわれる。
「いっちゃん!」
「むんっ」と、金剛が最後に気合を入れると、大沢木の首にちりん、と銀色の輪があらわれた。
「これでよかろ」
ひたいの汗を拭いた金剛は、暴発してシリンダの弾けとんだ輪廻式古銃――コルト・ネイピーレプリカを拾い、あえかに向けて酒のぬけた顔で言った。
「この小僧の始末はまかせる」
「はい。わかりました」
ちりん、といくつもの輪が先についた錫杖を鳴らし、禿げた大男は去っていった。




