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夕暮れ。
定員割れをくりかえし、廃校となり果てた中学校の教室。「2-C」と黄ばんだ表札のかかるホコリだらけの部屋のなかで、日和はナワでくくられて転がっていた。
「……こないねえ」
少年は教壇に座り、足をぷらぷらと遊ばせながらつまらなそうにつぶやいた。
「見捨てられちゃった?」
日和は少年をにらみつけた。
「どうしようかな。タイムリミットは日没までってのが、よくあるシチュエーションなんだけど」
その片手には、本物の銃がぶら下がっている。
「ちゃんと手紙もだしてきたのにさ」
「見てねーんじゃねーの?」
日和はつっかかるように言った。
「見てないかー。それだとお兄さん、ご愁傷様」
「なにがだよ」
「代わり」
と言って、少年は日和に銃口を向ける。
「じょ、冗談だよな」
「うん、半分冗談」
「よかった。……って半分!?」
「だってつまらないんだもん。うさ晴らししたいな」
「まぁ、待て。落ち着こう、な、ボク」
日和は少年から離れようと、もぞもぞと足を使った。
「あはは! お兄サン、ヘタレー!」
「ヘタレでわるいか! オレはまだこんなところで死にとうない!」
少年は銃口をおろした。
「わざわざ果たし状まで書いたんだ。ほら、見て見て」
最前列の机のうえに置いてある書道道具一式から、文字の書かれた半紙をとりあげる。
”今夜七時。晴嵐中学にて待つ。”
達筆だ。とびもはねも完璧だった。
ミミズの軌跡のような日和のノートとは次元が違った。
「これを、こうして……」
と言って、少年はポケットからかたそうな石を取りだすと、『果たし状』でくるむ。
「こう、と」
力一杯に、窓ガラスに投げつける。
甲高い音が誰もいない学校にひびき、『果たし状』は夕焼けのグランドへと飛びだしていく。
「おまえ! まさか!」
「十枚くらい書いたからさ、アイツの家つきとめて投げこんでおいた。どこにいてもわかるように、全部の窓に向けてね」
たのしそうに語る少年の目は、子供のように澄んでいる。
だが、違う。と思った。子供はここまで無邪気に他人に害をなすだろうか。
「いっちゃんの家はおふくろさんしかいねえんだぞ!? もし当たってケガでもしたらどうする気だ?」
「いったーい! って感じ? あはは」
「おまえ! ふざけんなよ!」
日和が立ち上がろうとすると、少年は素早く銃口を向けた。
「うごかないでよ。まだ、生きていたいんだよね」
どこかが欠けてやがる。日和は戦慄した。純粋な子供の酷薄さ。アリやバッタを踏みつぶすように、おなじ人間すらも自分と同類とは見なしていない。言葉がつうじるだけの踏みつぶす対象。自分以外を生きている対象とは認めていない傲慢さが、そこにはあった。
「アイツのしわざだろ、ボクのオモチャをこわしたの」
「オモチャ?」
「そう、ボクがつれてきた珍走団のバカども。うらみがあるって言ってたから、利用してやったんだ。それが、あんなしかえしされたから、全員ビビって逃げだしちゃった。なさけないったらありゃしない。あれでボクより年が上って、マジバカじゃないの?」
今朝の新聞記事。
「……あれ、いっちゃんの仕業だってのか?」
「『いっちゃん』だって! はは! かっこ悪!」
少年の笑いにさすがに日和はむっとしたが、その目が笑っていないことに気づいて背中に冷たいものが走る。
「ともだちヅラした呼びかたやめなよ。クッサイな」
「おまえに指図されるいわれは――」
ズドン、と足下に穴があく。
「無いでございますワ」
日和は両足を出来るだけ高くかかげて言った。
「あはは! なにそのカッコ! サイコー!」
「ぐぬぬぬ……くそ」
「ともだちなんかいらないよ。チカラさえあればいい」
少年は銃を目の前にかかげ、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「勉強だっていちばん。成績だっていちばん。ちかよってくるのはハイエナみたいなやつらばかりだ。ボクの威光にさずかろうと、下心ミエミエでちかづいてくる。そんなヤツらはともだちじゃない」
あどけなかった少年の横顔が、急に老けこんだ老人のように影が濃くなる。
「自分よりよわいからっておどすヤツらも最低だ。そんなにカネがほしいなら、銀行でもおそえばいい。自分より弱いヤツからしかうばえないなんて、ヒキョウなやつらばかりだ」
少年は銃口を日和のひたいにポイントし、引き金に手をかけた。
「お兄サンみたいなひとはきらいじゃないけど、アイツのともだちならしかたないよね。タイムリミットも終わっちゃったし、バイバイ」
「待ちな」
こわれて外された教室の出入りぐちに影が差す。
「そいつをはなせ」
「いっちゃん!」
暗くなってしまった部屋ではよく見えなかったが、まちがいなく大沢木の声だった。
「あーあ、来ちゃったんだ」
来たばかりの待ち人に照準をあわせ、うれしそうに少年は言った。
「あぶなかったね。ギリギリセーフ。キミのともだちののうみそ、ぐちゃぐちゃになっちゃうところだったよ」
「やりたきゃやれよ」
「え?」
日和が声を上げる。
「あ、そ。じゃ」
少年は見ることもなく、外したばかりの場所へすばやくポイントし、引き金をひく。
ねらいは正確だった。
ズドン、と命中した先に、日和のすがたはない。
「あれ?」
不思議そうな顔の横を、日和をかかえた大沢木がとおり過ぎる。
「おまえはもう帰れ」
巻きついたロープを爪の先で弾くと、まるでスパゲティみたいにぱらぱらとほどけて床に落ちる。
「ここにいると、おまえまで巻きこむ」
「なに言ってんだ! いっちゃん逃げるぞ! 相手は銃もってるんだぜ?」
「関係ねえ」
にたりと笑った友人の顔が、日和にはとても人間には見えなかった。
「にがしはしないよ。キミたちはボクが狩るんだ」
「違うな。狩るのはオレだ」
声をかけようとした日和の前で、大沢木の身体がふくらんでいく。
肩が盛りあがり、足が太くなり、顔がヒトの骨格とは別のモノに変形していく。
毛が生え、四肢が床にはりつき、つきだしたアゴからは大量のよだれがびたびたと床をよごした。
ガあああああああああああああ!!
異形の狼が吠えた。




