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さんざんな目にあった。
打ち身や擦り傷だらけの身体を引きずり、”狂犬”は暗い道を歩いていた。
(あのアマ、まったく手加減しやがらねえ)
連戦連敗。初記録だった。
それも、たったひとりの相手に。
ウワサにでもなったらシャレにもならねえ。
(轟あえか、つったか)
日和の師匠をしていると言っていた。
(いい先生のもとで、修業してやがる)
知らないうちに、口には笑みが刻まれる。
さんざっぱらぶん投げられ、手や足を蹴られ、ときに殴られて、それでも隙というものを見つけられなかった。
ボクシングには足元が、柔道ならあたまが、おろそかになる。試合のルールで守られているせいで、ルール無用のデスマッチとなるケンカの際にはそこが弱点となる。
わかっていても身体はなじんだルールが暗黙的にたたきこまれているため、予想だにしなかった位置を攻撃された相手はとまどい、隙をおおきくする。そこをついて嵌めていくのが、常勝無敗の理由だった。
そのために、目につく格闘技書や武道の解説書はすべて目をとおした。自力で弱点を看破し、勝利を手にする。こぶしの強さにくわえ、豊富な知識からとりえるべき最善の手をえらびだす脳と瞬発力の連係プレイ。
彼は決してあたまが悪いわけではない。必要なことならば、徹底して身につけるねばり強さをもっている。それが、”狂犬”の誇りだった。
それが、あっさり破られた。
隙を見せたかと思えば、逆に見透かされていて罠にかかる。古武道の本もいくつか目にしたことがあるが、じかに相手をしたのは今回がはじめただった。
むかしの武道には決まりきったルールがない。一瞬でも隙をみせればそれが死につながる戦場の格闘技。実践から編みだされた技というものは、現代のスポーツ化された格闘術とは比べものにならないほど、対処法が多様化し、流動的にことに対処するすべに長けていた。それが敗因だ。
(……わるくねえな)
一戦も勝てなかった。
それなのに、心は静かな月を映しだす湖面のようにおだやかだった。ざわついていた焦りや苦悩といったものが、投げられるたびにひとつひとつ消えていった。
おかしなものだと思った。いままでにない経験だ。
見上げると、月が出ている。まんまるとかがやく天上の光輪に彼は目をほそめた。
明日、日和にあやまろう。
――ズドン。
一瞬、近くで花火があがったのかと、彼は思った。
すぐにおとずれた、焼け付くような痛みに、くずおれる。
「……いっ……て」
目の前が真っ暗になるほどの痛みに手を当てると、ヌルリと気色のわるい感触が手についた。
「なんだ、よ、こりゃ」
ねっとりとからみつくような赤い血は、自分のものだ。
腹から、血がでている。
背中にかけて、穴がひらいていた。
「ははっ! あったりぃ!!」
無邪気な少年の声。
かすむ視界の焦点をあわせると、林のなかに子供がいた。
無地の黒シャツに黒ジーンズ。夜の闇にまぎれるかのようなその衣装で、片手に拳銃らしきものをもっている。
「て、めぇ」
がはっ、と血が吹き出る。どうやらまずいところをやられたらしい。
「やった! これでパーフェクト!」
煙をあげる銃口をつきつけ、少年はあかるい声でさけぶ。
「けっこうさがしちゃった。ひとりで歩いているなんて、不用心だね。お兄サン」
(俺の、捜してた、ガキ)
プツン、と頭のなかで線が切れる。
「おおおおおらァァァ!!!」
雄叫びをあげて立ち上がると、血走った眼を自分より背の低い少年へ向ける。
数滴のしずくが地面を赤く染める。
「会いたかったぜぇ、ガキィ」
「ボクはガキじゃないよ」
「どうでもいいんだよォ、んなことはァ」
血のついた手で顔をなでると、エサに飢えた狂犬があらわれる。
「おまえこそ、俺のまえに、ひとりで来るたぁ、人生終わったぞ?」
「くす! あはは!」
少年は腹をかかえて大笑いする。
血液が逆流してきたのか朱に染まった視界で、笑いすぎて涙まで浮かべた子供が、こらえきれない笑いを必死で押さえて言う。
「ひとり? はは? 何いってんのさ!」
彼がそう言うと、ぞろぞろと近くの茂みから、奇妙な格好をした団体が取り囲んだ。
帽子にサングラスにマスク。
「ケガしとるよォやのォ。え? ”狂犬”サマヨ」
おおきな図体の男が前に進みでると、帽子とサングラスとマスクをはずす。折れた歯が、にたりと笑みを浮かべた。
「よォも”怒羅権救利忌”を潰してくれたのォ。おかげでセンパイらに顔向けできへんわ」
イヤな奴が出てきた。大沢木は虚勢を顔にはりつける。
「てめ、しぶてぇな」
「たかがひとりのぺーぺーに族潰されたぁゆーのはホンマ痛いでぇ。うしのうた信用を回復するためにゃ、ヤッた奴にキチッとやりかえさんとなぁ」
「ねぇ、はやくやりなよ。ムシのイキじゃん」
少年の物言いに、”怒羅権救利忌”の頭はギロリと腫れたまぶたの奥からにらんだ。
「ガキはだまっとけや」
「ふーん、そんなこと言うんだ」
そういうと、銃口の照準をちゃきりと合わせる。
「撃つよ」
頭はあわてて腰を低くした。
「う、ウソやがなァ。おれらの誰も、あんサンに逆らおうとはおもてまへん。お願いでっから、それひっこめてつかァさい」
「ボクの言うことを聞いたらね」
「わ、わかってますがな。ただ、こっちにもメンツってものがあるんでサァ」
「情けねぇ」
大沢木の物言いに、頭はまたいきおいを取りもどすと、ズンズン歩いて前に立った。
「誰のせいでこんなマネしてると思ってやがる」
「てめぇらが弱ぇせえだろうが」
ずむっ。
傷口に拳がめりこむ。
「ぐっ」とうめき、大沢木は片膝をついた。赤い視界が濃さを増す。
「いい気味やの。そのまま地獄の底におち――べ!?」
立ち上がりざまに蹴りあげた足が頭のあごにクリーンヒットし、ついでにおしゃべりな口も閉じる。
「へっ、どうだ」
「……利かんのォ。まったくきかん。腹にチカラがこもってねぇぜ」
コキコキと首をまわしながら、言葉どおりに本人が起きあがる。
くそ。
「とっととやっつけちゃってよ」
少年は興味をなくしたようで、あくびをしながら近くにあった小型の社の上に腰をかけている。
「さっさと次のステージにコマをすすめたいんだ」
「? へ、へえ、そうすね? ヤロウども!」
号令一下、顔の変装をとりはらった暴走族の兵隊が押し寄せてきた。
先手をとれたのは二、三発程度だろうか。
一方的なリンチがはじまった。
大沢木はケガでまともに動けず、三下どもにサンドバック同然になぐられる。けられる。
「よぉやってくれたんのぉ!」「死ねオラ!」「生意気なんだよ!」「なんだこいつ弱ェー!」「どしたオラァ!」
「そぉらよ!」
最後に頭がジャイアントスイングよろしくフルスイングで足をまわし、適当なタイミングで投げ捨てる。
「わっ!」
少年があわてて飛びのいた。
ガタタタ!!
ちいさな社が倒壊し、ボロきれが一つ、転がる。
「あっぶないなー」
「あ、えろうすんまへん」
「なげるなら言ってよ」
少年はむくれたが、思い出したように頭にたずねる。
「まだ死んでないよね?」
「は? はぁ、たぶん、死んでないと、思いますけど……」
そこまで言って、頭は唐突に怖くなった。どれだけ顔が凶暴であろうとも彼はまだ未成年で、人殺しの前科をつけるには若すぎる。
いそいで心臓の鼓動をたしかめるために、大沢木のもとへ行く。
顔を近づけると、「ぺっ」ほほに血にまじったツバを吐きかけられた。
頭はもとの顔もわからないボロきれに一発をいれると、「生きとるようです!」と声をかける。
「じゃ、いいや。あとはボクがやっておくから」
そう言うと、銃をぶらさげて大沢木へとちかづく。身の危険を感じ、頭はあわてて待避した。
「ケーサツだ-!!」
誰かがさけんだ。
「何! ポリ公!?」
いち早く頭は反応し、仲間たちに指示をとばす。
「てめぇら! 逃げろ!
「まちなよ。まだ終わってないんだよ?」
「知るか! おれたちは捕まりたくねーんだよ!」
「なんだよケーサツくらい。みんな殺しちゃえばイイじゃないか」
その発言に頭は一瞬目に恐怖の色をうかべたが、それどころではないと一目散に逃げていった。
「ガキー」
少年はぽつりとつぶやくと、めんどくさそうに銃を構える。
「……つかまると、パパとママが心配するかな」
銃をおろし、後ろ髪をひかれる様子で歩きだした。
静寂。
5分ほど経って、誰もいなくなったのを確認すると、日和は草むらから頭をつきだした。
「ケーサツだー」
小声で言いつつ、いそいで大沢木のもとへ向かう。
「やはり、このようなことに――」
日和のでてきた草むらのほうから、あえかが顔をだす。
「いっちゃん! 大丈夫か!? しっかりしろよ!」
助けおこす彼の目でさえ、とてもじゃないが友人が生きているとは思えなかった。
「くそ! オレってなさけねえ! いっちゃんがやられてんのに、あいつら逃げだすまで怖くてふるえてたなんて!! ほんと、なさけねーよオレ!!」
泣き声まじりに友人の名をさけびつづける春日に哀れみの目を向け、あえかは言った。
「……春日君。その子はもう」
「うるせー」
もぞりと、くちびるらしきところが開き、言葉を口にする。
おどろくあえかの前で、大沢木はむくりと身を起こすと、傷だらけの身体でしっかりと地面を踏みしめた。
「いっちゃん! よかった!」
抱きつこうとする春日を押しかえし、前方だけを見つめて言葉をはき出す。
「見つけたぞ。あの野郎。ゆるせねぇ」
びくっ、とその凶相に日和はおびえた。
ギラつく目を闇夜にかがやかせ、”狂犬”は歩きだした。
「いっちゃん! どこ行くんだよ!」
「狩り」
「かりってなにを狩るんだよ!」
日和の言葉はもう耳には届かず、走ってすらいないのにその姿はすぐ遠くまで去りみえなくなった。
「いっちゃん……」
呆然とする日和の横で、あえかが壊れている社を発見する。おそらく、先ほどの騒動でこわされたのだろうと考え、この社の霊を鎮めるために祝詞をとなえる。
「……?」
反応がない。
普通、社を壊された祖霊は猛りくるい、その地に災厄をまき散らしたり氏子に不幸を起こしたりする。それを鎮めるために社を移動する際には地鎮祭をおこない、一度社憑きの祖霊に断わりをいれ、奉り場所をかえる手順をふむのだ。
それなのに、この社には霊のやどっている気配がない。もぬけのカラだ。まさかはじめから、奉るもののない社など建てる者もいないだろう。
「どうして……」
疑問をうかべるあえかの瞳には、一抹の不安と、立ち尽くす日和の背中が映っていた。




