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「おはよう諸君!」
教室に入るなり、春日日和は元気よく挨拶する。
気づいた何人かが適当な挨拶を返してくる。それにいちいち挨拶で答え、上機嫌に自分の机へと向かう。
「ヒヨリ! ちょっと来いよ」
席に着く前に声をかけられた。
声をかけた男子生徒の周りには、見慣れた顔が取り巻いている。
「よぅ志村。おはよう!」
「いいからよ、ちょっと……っておわっ、また怪我してんの?」
「フフン、いいだろ」
得意そうにほほをなでる日和に、クラスメイトはあきれた顔を見せた。
「また例の『朝練』か?」
「まぁね。高尚な武術の特訓さ」
「いったいどんな特訓してるんだよ」
「そりゃ」
言葉に出そうとして、日和は少し考えた。
「――そこにチチがあるからさ」
「ワケわかんねえし」
「まだねらってんの? ”鳴神坂の巫女様”」
志村のつくえに腰掛けている御堂という少年がたずねる。
「やめとけよ。ずっと年上じゃん」
「おまえらなにもわかっちゃいない」
日和は制服のえりを正すと、びしっ! と親指を自分に向けてつきだした。
「オレと師匠は今、同じ屋根の下でともに武術を極めるというひとつの目標に向けて歩んでいる。門下生はオレただひとり。ひたむきに汗を流すオレ。日々成長していく教え子を見守る師匠。月日をかさね、次第にカッコよく一人前の男として磨きあげられていくその姿にやがて師匠と弟子という垣根を越え禁断の関係へと」
「一人前の男っておまえ、いつまで弟子でいるつもりだよ」
「一生」
「一生!?」
はははっ! と爆笑。
「あんだよ」
「おまえ、弟子ってさ、いつか師匠を越えていくモンだろ? 一生弟子っておまえ、そんなんじゃいつ一人前の男になるんだよ」
「バカヤロー! 越えちまったら一緒にいられないだろうが!」
日和にとっては弟子でいることのほうが重要なのだ。
「つーか無理だろ。相手はここらじゃ最強の男ぎらいじゃん」
「ああ、知ってる知ってる。空手部の先輩が商店街で見かけて声かけたらぶん投げられたってよ」
「こえー、まじ?」
「まじまじ。それでもあきらめきれなくてさ、巫女様の道場に押しかけてヒヨリと同じように入門テスト受けたんだってよ」
「それで?」
日和以外の全員が身をのりだして話に聞きいる。
「翌日事故ったみたいな大怪我して病院から出てくるとこ見た。先輩は話してくれなかったけど、一言、もう二度とからすま神社にはちかづかねー、って」
「どんなテストだろーな。ヒヨリ、おまえもその入門テスト受けたのか?」
「あたり前じゃん」
得意そうに答える彼に、友人たちが尊敬のまなざしを向ける。
「よく無事だったな」
「怪我なんざ治るモンだろ。人生のほうはやり直しがきかないからな」
「うっわオヤジくせえ」
「どんなテストだったんだよ」
「それは、えーと」
口に出すべきだろうか。日和は考える。
あえか様の道場は、からすま神社という神社の敷地にある。師匠はその何代目かの巫女で、真心錬気道の後継者は代々その地を守ってきたのだという。その敷地内にある洞窟。その中を無事とおり抜けることが入門の試験だ。
入門試験を終えたあと、師匠から言われたことがある。
「秘密」
「ふざけんなよ」
「教えろよ」
「師匠とオレだけの秘密だ!」
言った後、日和は自分の言葉に衝撃を受けた。
「師匠とオレ、二人だけの秘密……」
「そこじゃねえ!」
全員からつっこみを受ける。
「なんだよおまえらうらやましいんだろ!」
「うらやましいわけねえだろ! 怪我までして女の尻なんぞ追いかけたくねえ」
「ふっふっふ。先行き見とおせねえ野郎にはオレの綿密な計画が理解できないだろうな」
「あーあ、わからないね。ヒトメボレして神社に押しかけただけじゃねえか」
「なっ! 馬鹿っ、何しゃべってんだ!」
日和は志村の口をふさぐと、押し殺した声でつぶやく。
「ヒトメボレなんておまえ、格好悪いだろ」
「いいじゃねえか。青春だナァ」
「なぁー」
ケタケタ笑う彼らに、ヒヨリは念を押す。
「二度と人前でそんなこと言うなよ!」
「わかったって。それよりさ、今月のスランプ、みたか?」
『スランプ』は、毎週発刊されている漫画雑誌だ。最近の人気は中世期を舞台に陰気な魔術師が殺人鬼をおいつめていく本格ファンタジーが好評を博している。ヒマをもてあました学生たちは、100円2枚で買えるこの雑誌をたいがい購読している。
「うんにゃ、まだ」
「じゃ見せてやる」
といって、志村は満面の笑みを浮かべて机の中から今週号の『スランプ』を大事そうにつくえにおいた。
「今週号の特集」
表紙に手のひらで隠したまま、志村はにやついた目つきで日和を見上げる。
「誰だと思うよ?」
「誰だよ」
「まぁ慌てるな」
「おまえが見せるっつったんじゃねえか」
『スランプ』は少年向け雑誌だが、毎回表紙を開くと若手女性タレントや人気アイドルのグラビア写真にカラーページをさいている。大胆なポーズでの水着写真や日常の一コマを切り取った素顔の一瞬は、健全な青少年にとっては何より変えがたい宝物と言える。
とくにこの志村は、そういうグラビアページを切り取って集めているコレクター趣味の変態だ。
「聞いておどろけ。なんとあのッ――」
「志村くん」
びくうっ、とわかりやすいビビリようで、全員が肩をちぢめる。
振り返った日和の目に、ギラリと銀ぶちの眼鏡をきらめかせて彼らをにらむ女生徒の姿がある。
「やべぇ、委員長だ」
「学校にそんなモノ、持ってきていいと思っているのですか?」
冷たい目をかがやかせて近づいてくる女生徒に、あわてて志村が『スランプ』を机に引っこめようとする。
――ばんっ!
びりりッ。
間に合わなかった。
「ああぁぁぁ、俺のみっちー……」
ぴくりと表情を引きつらせ、しわくちゃになった表紙を見下ろす少女。
反対側で志村はぐちゃぐちゃになった本の表紙を、絶望的なまなざしで見下ろしている。
「こんなところでこんなものを、持ってくるほうが悪いんです」
「そりゃないよ委員長!」
抗議の声を上げた御堂が、委員長と呼ばれた少女のひとにらみで押しだまる。
「わたし、間違ったこと言っていますか?」
説得力のかたまりのような言葉を投げつけられ、仲間はなにも言い返せなくなる。
「そのくらいにしろよ、委員長」
「わたしは委員長じゃありません。南雲という名字があります」
南雲美鈴。
眼鏡でお下げ髪、きっちりと校則にしたがった膝下のスカート。まるで先生から見た生徒のお手本のような言動で、周りのクラスメイトはほとんど彼女を本名で呼ぶことはない。委員長、と呼ぶほうが当を得てしっくりくるからだ。
当人はいやがっている様子だが。
「じゃ、南雲委員長。志村だって悪気があって『スランプ』を持ってきたワケじゃないんだ。わざわざオレに見せたいがためにもってきてくれたんだ」
「そう。それじゃ、悪いのは春日くん、あなたね」
「はぁ!?」
頓狂な声をあげる日和に、委員長は眼鏡を押しあげ冷たい笑みを浮かべる。
「あなたがこんなものを見たいと言うから、没収されることになるの」
「見たいなんて言ってねえよ!」
「あら、せっかく友達が持ってきてくれたのに、自分のせいじゃないと言うの? とんだ卑怯者ね」
「なんだと、このやろう!」
「ううっ、ほんとだー。春日のせいだー」
志村が恨めしそうに見上げてくるのに、リキんだ腕の力をぬく。
「なんだよそれ」
「おれはみっちーの特集のためだけに200円を支払って『スランプ』を手に入れたんだぞー。それがこんな悲惨な運命をたどるなんて悲しすぎる」
「オレのせいじゃねえよ。そこの眼鏡女のせいじゃねえか」
「わたしはクラス委員長としての責務をまっとうしただけですから」
そう言って、委員長は志村の『スランプ』を小脇にかかえる。
「オレのスランプぅ~」
「返してやれよ! もしかしたら志村だって中身を読むかもしれねえだろ!」
「これはわたしが先生に預けておきます。返してほしいなら、溝口先生に言ってください」
キーンコーンカーンコーン……
ガラッ
チャイムが鳴るのと同時に、教室のドアが開いて担任教師が入ってくる。
「先生!」
すぐさまその教師のもとへ駆けつけ、委員長が一気にまくし立てる。
「春日くんがこんなものを学校へ持ってきています!」
「なんでオレなんだよ!」
抗議の声を一切無視し、勝利宣言のように委員長は戦利品を担任教師の目の前へ突き出す。
「あー、うん、そうかー」
1-Aの担任である溝口おどろは、無精ひげの生えたあごをボリボリとこすりながら、日頃から死んだ魚のような目を眼鏡の奥から向けた。
「かすがー、きをつけろー。それじゃ朝礼はじめるぞー」
「な」
絶句した委員長と正反対に、日和と志村は(やりぃ)と手をたたく。
「なぐもー、席につけー。じゃぁ点呼とるぞー」
しぶしぶ席に戻ろうとすると、目の前に日和が立ちふさがる。
「……なによ」
「かえせよ」
「校則違反は校則違反。先生が預かれないならわたしが預かる」
「おまっ、ふざけ――」
「かすがー、席につけー。げんてんするぞー」
「ぐぬぬ」
日和は「ふん」と悪態をついて去っていく委員長の姿を見送り、自分も席につく。志村の後ろの席だ。
溝口の出席点検がはじまる。「あくつー」
(悪い。取りかえせなかった)
日和は前の友人に小声であやまった。
(仕方ねえよ。休み時間にでもこっそり強奪しようぜ)
(だな)
(それにしてもよ。おまえって、委員長と仲悪いよな。なんかあったのか?)
「知るかよ。オレがきらいなんだろ」
「そこー、くちをつつしめー」
(じゃ、休み時間にな)
日和は席に座りなおすと、委員長のほうをみて「ケッ」とつぶやいた。