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自己嫌悪だ。
自転車をわきに止め、学生鞄をカゴから取りだすと、からすま神社の階段をのぼる。
(どうして、オレはあのとき、いっちゃんに声をかけなかったんだ)
死ぬかもしれない、と言われたとき、足がすくんだ。
どいつもこいつも自分勝手。
自分も結局は、そんな人間のうちのひとりなのだ。
(なさけねぇ。オレ、マジで腰抜けじゃん)
階段をのぼりきると、「はぁ…」とため息をつく。
そこには道着を着たあえかの姿があった。
「待っていました。春日君」
普段の春日なら飛び上がって喜びそうなものだが、今日の春日はいつもより幾分シャイだった。
「師匠……」
「どうかされしたのですか? 顔色がわるいですよ」
心配してのぞき込むあえかに、日和は限界に達した。
「師匠ォォ! その胸で泣かせてください!!」
ビタァァァン!
「目が覚めました?」
容赦なく弟子をぶん投げたあえかは朗らかにたずねる。
「……意気消沈する弟子にこの仕打ち。ひどいっす師匠」
「ちゃんと受け身がとれたから良かったですね。修練のたまものです」
微妙にかみ合わない会話に日和は身を起こすと、めずらしく最初から道着姿でいるあえかを見上げた。いつもは日和が来るまで、お決まりの巫女衣装で常連客相手に愛想をふりまいているはずなのに。
「どうかしたんすか、師匠」
「昨日、わたしはあなたになにを命じたか、おぼえていますか?」
あえかは腕を組み、ほほえみを絶やさずおだやかにたずねた。
「えっと、庭のそうじ、でしたっけ? あっはっは」
「庭のそうじはわたしの日課です。あなたには修練を命じたはずです」
日和は小動物が肉食獣をまえにしたかのような錯覚に陥った。
「ち、違うんす! オレ、真面目に三〇分間型の練習をしようとしたんすけど、みすずのヤツが――あれ? みすず、さんは、いずこへ?」
「今日、彼女はお仕事の都合で欠席するそうです」
あのヤロウ、図ったな。
と日和は考えたが、後の祭りだった。
ここはすばらしいイイワケを思いつき、肉食獣の注意を別にそらさねばなるまい。
「あ、あれっすシショー。オレ、親に頼まれてた用事があって、それを、思い出したんす」
「どのような用事です?」
「え、用事? あ、用事っすよね。ようじ、ヨージ……」
なぜ人は、追い詰められたときうまいイイワケが口からすべり出てこないのだろう。
なにか思いつかないかと四方八方に目を飛ばし、二階のベランダにぶら下がっているピンク色の布きれへ吸いこまれるようにたどりつく。
「ああっ! あんなところに師匠のパンティーがっ!!」
日和にとっては大発見だった。
「そうですか。それは良かったですね」
「はっ!?」
注意をそらすどころか、逆なでするようなイイワケをしてしまった。
日和は自分の反射神経のするどさと的確な指の動きを後悔し、その場にちぢこまったついでに正座した。
「すいませんでした」
地面に手をついてひたいを土にこすりつける。
「それで、昨日のことはゆるしましょう」
ほっ、と胸をなでおろす日和。
「ですが、今あなたの叫んだことは、ゆるしません」
「ひいいいィィィィ……」
彼の絶叫が小高い森の中腹にこだまし、それは長くを引いて夕暮れの空へと消えていった。
道場。
あえかは正座したまま、自分の弟子から昨日の出来事を正確に聞きだしていた。
「それでは、あなたは友達のために、必要な修練を投げだしたというのですね?」
「ふぁい」
おおきな拳のアトをくっきりほほにつけた少年が、床に目を落として答える。
「友達のために協力しようとする行為は、とがめられるものではありません。ですが、武器を持った相手に無防備に挑むのは愚策としか言いようがないでしょう」
今日の大沢木との会話も踏まえ、洗いざらいを日和は告白させられた。
「でも師匠。オレ、アイツのために何かしてやりたかったんです」
「良い心がけです。ですが、そのためにあなたが犠牲になったとしたら、その友達はどう思うでしょうか」
「だからって、何もしないでいることなんて、オレには出来ません!」
「……やはり、わたしの目にくるいはありませんでした」
あえかの満足げな一言に日和は疑問符を浮かべる。
「この件は、わたしが一時預かります。あなたは、自分の成すべきことをしなさい」
「成すべきことって」
「決まっているでしょう? 昨日の続きです」
あえかは楽しそうに笑った。
「それから、その友達とぜひ一度じっくりお話をしてみたい。彼をここに連れてきてください。できれば、明日にでも」




