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「知ってるか、ヒヨリ。今日、あの”狂犬”が登校してくるんだってよ」
朝、クラスの情報通である御堂がそう言ってきた。
「キョーケン? イヌ?」
「ちげーよ。入学早々地元の珍走団をつぶして停学になったヤツ。知ってるだろ?」
「そんなヤツ居たっけ?」
「バッカおまえ、今日そのウワサで持ちきりじゃん」
志村のフォローに、御堂がうなずく。
「磯垣中で3年のトップ締めて番張って、以来負けなしの喧嘩百段。勝つためにはなんでもやるってんで、ついたあだ名が”狂犬”。有名じゃん」
「大沢木だよ。お・お・さ・わ・き」
「大沢木って、いっちゃんのことか」
「「いっちゃん?」」
全員から疑問の目を向けられ、日和はうなずいた。
「小学校の時のオレの同級生。噂なんてガセだぜ? あいつくらいに友達思いのやついねえよ」
自分の言葉にうなずいている日和を、周りはうさんくさげに見つめる。
「嘘じゃねえよ!!」
日和の記憶にある大沢木一郎は、屈託なく笑うおさない同級生だった。習字が得意で、字を書くのが苦手な日和はおねがいして提出用の清書を2枚書いてもらったことがある。あとで先生にばれて大目玉を食らったが、なぜばれたのかいまだに人生の七不思議の一つだ。
だがそのときだって、大沢木は自分がわるいと日和をかばってくれたのだ。結果、なおさら日和のほうが悪者にされたことはわきに置いておくとして。
「いいやつだぜ。いっちゃんは」
日和は自信満々で言った。
そのとき、ガラリと教室の扉が開いて、クラスメイト全員がそのほうを向く。
制服の下に、カッターシャツでなく大きな目玉――イラストがでかでかとのったTシャツを着た髪の長い少年が、じろりと教室をねめつける。その鋭い目ツキはどう見てもカタギにはみえない。
教室が一瞬で沈黙する。
ウワサの不良少年は目を一度閉じると、半眼になって自分のつくえへとむかう。
志村たちもカチコチと置物のようになり、はるか遠くのとおりを歩いていく彼を見送る。
(目をあわせるな。殺されるぞ)
妙な警戒心を起こしてたがいに石像と化すことを決意している。
どすん、と静寂をやぶるように、前方に足が投げ出される。
「へっへっへ……」
内山だ。
このクラスでもっともチカラのつよい連中をとりまとめるグループのリーダー格。体育のサッカーなどに、日和も何度か悪質な反則をされたことがある。女子連中には分けへだてなく色目をつかい、気味悪がられていることに本人は気づいていない。
ようするに、クラスにとっての嫌われ者だった。
小太りで中肉中背。寝不足なのか、目元はいつもはれぼったくクマがある。
大沢木は目の前に投げ出された小汚いシューズを見たあと、首を曲げて内山のほうをみた。
すこしだけ腰の引けた様子を見せたが、クラス全員が注目しているのにきづくと、気を取り直して精一杯に虚勢をはる。
「……いまの時代にあんなことするか、フツー」
御堂のあきれ声に、日和も全面的に賛成する。小学生だってあんなつまらないマネはしないだろう。
大沢木は首をもどすと、なんでもないかのように足のうえを乗りこえ、列の一番うしろの自分の席についた。
内山たちはなかばほっとしたような、なかばやってやったぜ! みたいな顔で仲間うちで盛りあがる。
「クールだ」
「ちょっと格好良くない?」
「わりと顔かわいい!」
「好みィ」
女子連中が騒ぎだした。
当てがはずれた内山は、自分の行動が相手の好感度を上げたことにようやく気づいた。
大沢木は机につくと、さっそく鞄から本を取りだし、ながめだした。
今週号の『スランプ』だ。
志村がぴくりと反応する。
「おい、ヒヨリ」
小声で志村は日和のそでをひっぱる。
「おまえ友達なんだろ? だったらスランプのグラビアページを手に入れてきてくれ」
「……なんでひさしぶりにあった友達への第一声が『スランプのグラビアページゆずってくれ』なんだよ」
「今週オレ、”みっちー”の写真集買っちまって金穴なんだ。たのむよ」
「”みっちー”なー」
日和は道場でおなじ『真心錬気道』を学ぶ同門の徒のことを思い浮かべた。
生意気。
高飛車。
あえか贔屓。
苦手。
良い言葉が浮かんでこない。
「おまえ、そろそろファンのり変えたほうがよくねえ?」
「ヤブカラボーになんだよ」
日和は美倉みすずが自分とおなじ流派の門弟であることは誰にも言っていない。親にも言っていない。しゃべってしまうと破門すると笑顔で師匠におどされたからだ。
だから一生黙っている。
「たのむぞ! オレのグラビアコレクションあとで見せてやってもいい!」
微妙な報酬に期待ゼロで、日和は級友のもとへと向かう。
その前に別の人間が立ちはだかった。
「大沢木君」
眼鏡のふちがギラリとかがやく。
「学校にそんなものを持ってきてはいけません」
おそれもせず、委員長が大沢木の前で胸をはって告げた。
「没収します!」
「……またこっそり見る気じゃ」
聞こえないようにぼやいたはずなのに、委員長はくるりと半回転すると、真っ赤な顔で日和に怒った。
「そんなことしないもん!」
大沢木はつまらなそうにそのやりとりを見ていたが、不意に目を大きく開けると、「南雲…」とつぶやいた。
「はい。なにか?」
冷静な表情を取りもどし、眼鏡をキラリと光らせる。
「あ、いえ、なんでも」
どもる不良に、好奇の目が向けられる。
「ひさしぶり、いっちゃん」
片手をあげると、大沢木はガタッと席を立っておどろいた。
「おまえ……ひーちゃんか?」
「みんなのスーパーヒーロー春日日和だ。ヨロシク!」
ビシッ、と親指を立てた日和に、大沢木はなま暖かい目を向ける。
「変わってないな」
「……もう少し感情をさらけだしてくれないかな。こんな事をしたオレがものすごく馬鹿みたいに思えるんだけど」
日和はそら寒い空気をふりはらうと、大沢木の手をとって握手する。
「オレたちおなじクラスだぜ? 仲良くしようや」
大沢木は皮肉げに笑い、日和の手をはらった。
「……俺は、変わった」
「いっちゃん?」
「あまり俺にかかわるなよ。ケガするから」
そう言うと、旧友から目をはなし、『スランプ』に目を落とす。
なぜかその姿は、日和にはとてもちいさく見えた。




