/11/
「もう駄目だ。もう歩けねー」
あえかの家の縁側にたおれこんだ日和に「よくがんばりました」とねぎらいの言葉をかけ、あえかは少女を居間に敷いた布団のうえへ寝かせた。
「ひどい汗ですね。何か拭くものを用意しないと」
「あっ、オレとってきます」
日和はすばやく立ちあがると、勝手知ったるわが家のように、奥の部屋のタンスの引き出しからハンドタオルを持ってくる。
「……なぜあなたが知っているのですか?」
「こまかいこと気にしっこなしですよー」
ははははと笑う日和に冷たい目を向け、あえかは少女の服を脱がせにかかる。
その様子を、じぃぃぃぃぃ……と見ている。
「……春日君。わかっているとは思いますが」
「あっ、そっすね。濡れていたほうがいいっすよね。桶に水汲んでくるっす」
風呂場から桶を拝借すると、裏手にある井戸でつるべ落としを引きあげて水をうつし、なみなみ入った水桶を部屋へと持ちこむ。
「ささっ、おもう存分拭いてやってください」
「でて行きなさい」
「えー! 運んだのオレなのに!」
「関係ありません」
日和は疲れた身体を思い出したかのように、のろのろと外へ去っていく。
「さ、これでよいでしょう」
あえかは気をうしなっている少女の服を脱がして下着だけの格好にすると、しぼったタオルで身体を手早く拭き、自分の古着に着替えさせた。
「すこし、大きいかしら」
身長170近いあえかのパジャマは、少女に着せると子供が大人の服を着ているようなサイズだ。
すずしい風を入れたほうが良いと考え、縁側の扉をガラリとひらく。
「……なにをしていますか」
間男がどこかへ飛び立とうとしていた。
否。
春日日和はしこたま目を泳がせ、この場にいた理由を必死になって弁明した。
あえかの耳の防音機能は完璧だった。
数分後、顔中ぼこぼこになり、縁側のふちにちょこんと正座させられた日和が口をひらく。
「なんだったんすかね。あれ」
「わかりません。追われている以上、何らかの騒動に巻き込まれたと考えるのが自然でしょう」
乱れた襟をととのえ、あえかはすこし刺のある言葉をかえす。
「しかも式神となると、少々厄介かもしれません」
「厄介なんですか?」
「ええ、相手は人間です」
あえかはそれで終わったように、口をとじた。
「相手が人間だと、まずいんですか?」
「自我意識に欠けた悪霊や邪霊と違い、狡猾な知恵をもっています。式神をもちいて彼女を疲弊させたあと、捕まえるつもりだったのでしょう」
やすらかな息をあげる少女の髪をはらう。
「その子、夕方にも見ましたよ」
「こっちを向かないこと」
あえかに釘を刺され、日和はまた首を暗い外に向けた。
「それは本当ですか?」
「マジっす。あれからずっとだったら、四時間くらい逃げつづけていたんじゃないっすかねえ」
「ひどいことを」
あえかのつぶやきに、日和は悪寒を感じて身をすくめた。
「身につき得た能力を他人を傷つけるためにもちいる。これは裁かれねばならない悪行です。この女性はどれほど恐怖に身をふるわせたことでしょう」
「で、でも撃退できたし、もう来ないんじゃ?」
「式神を破った程度ではたいして効果はないでしょう。……呪詛返しのほうが、良かったかもしれません」
意味はわからなかったが、あえかがとても恐ろしいことを口にしているような気がする。
「彼女はしばらくここに留めおきます。外を歩かせるには危険ですから」
「そうっすね。オレもいますし」
「あなたは帰りなさい。親御様も心配されているでしょう」
「別にかまやしないっすよ」
「いけません。あなたが思っている以上に、両親はわが子のことを心配しているものです」
子供扱いしないでほしかったが、今のあえかに逆らう気はなかった。
「了解っす。それじゃ、また、明日来ます」
「気をつけてお帰りなさい」
あえかの言葉に見送られ、日和はうしろ髪を引かれつつも神社を後にした。




