1話 転生
燃える町並み。
そこに倒れる数多の人々。
少年もその中の1人だった。
―――どうしてこうなったのだろう?
わからない。
急に、何の前触れもなく、あいつらは現れた。
【悪魔】
あいつらはそう名乗り、街を蹂躙し始めた。
異形の者たちが多く、その姿は想像していた悪魔そのものだ。
しかし、やつらを指揮していた者の中には、人と同じ姿をしている者も多くいた。
その者たちに、街の住人はなすすべもなくやられ、そして死んでいった。
「―――――。」
自分もその中の1人なのだろうと少年も思う。
声を出そうとしても、出てくるのはヒューというかすれた音だけ。
今となってはもう恐怖はなかった。
いや、感じる暇さえなかった。
―――悔しい。
今の少年の感情はそれだった。
自分には何もできなかった。家族を守ることも、友人を守ることも。
せめて、あいつらに一矢報いたい。
自分から未来を奪ったあいつらに、せめて少しだけでも反撃したい。
―――これは復讐の気持ちなのだろうか?
憎しみにとらわれてはいない。自分でも不思議とそう思う。
たぶん、自分の中にあるのは、純粋な悔しさだ。
『へぇー、あなためずらしい子ね。この状況で憎しみや絶望に飲まれないなんて。』
声がした。
「――――――。」
誰だ。言おうとして声が出ないことを思い出す。
『しゃべらなくてもいいわよ。思えば伝わるから。』
こいつも悪魔なのだろうか。
もう、少年には目の前の景色すらよく見えない。
『半分は正解かしらね。』
くすくすっと声の主が笑う。
目的はなんだ。
『あなた、もう少し生きてみる気はないかしら?』
…そんなことが可能なのか?
『それ相応の対価はあるけどね。』
教えてくれ。その対価ってなんだ?
もしも、その対価で自分が生きていれるのだとしたら…僕は…。
『対価は“人であること”よ。』
その言葉に少年は、思考すら止まった。
『人間としてのあなたの死はすでに確定しているわ。これはたとえ神であろうと、この状態になっては覆しようがない。でもね、あなたが人間じゃなくなれば、話は別よ。』
僕は、いったい何になるというんだ。
『―――悪魔、よ。』
な…に…?
『あなたが生き残るためには、今あなたの嫌う悪魔になるしかない。あなたにそれが耐えられるかしら?』
………………。
少年は迷う。
『時間はあまりないみたいよ。』
くすくす。声の主が笑いながら囁く。
迷ってる時間はない。それなら…。
頼む。俺を悪魔にしてくれ。
『ええ、喜んで。』
声の主の声の後、自分の胸に手が当てられるのがわかった。
そして、
――――――――グシャ。
“心臓を握りつぶされた”
「――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
少年は声にならない悲鳴を上げる。
『さあ、深淵の淵、絶望の海からあなたは何をつかみ取る?』
強烈な激痛に支配される中に、少年は1つのものを見た。
それに助けを求めるように、手を伸ばす。
『あっは、それがあなたの力ね。おめでとう。』
激痛が止むと同時に、一気に意識が沈んでいく。
『ようこそ、悪魔の世界へ。もっとも、目覚めたあなたは私のことなんて覚えてはいないのでしょうけど。』
それが、最後に少年が聞いた言葉だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
横たわった少年を見つめる1人の少女がいた。
「………。」
「気になるのか? アスタロト。」
「…………いいえ。」
短く少女が答える。
そう答えながらも、少女は少年から目をそらさなかった。
「何をしているのじゃ、バアル、アスタロト。」
現れたのはフクロウ姿の老人だ。
「アモンか。アスタロトがな。」
「ふむ。」
老人はじっとアスタロトを見つめる。
「…何を見た?」
「…なにも。」
「ふむ。バアルよ、この少年、どう思う?」
バアルと呼ばれた男が少年を凝視する。
「ほう。まだ息があるのか。」
「いや、そうではない。もっと本質的なことだ。」
「わかっている。…こいつ、どこかアスタロトに似ているか?」
ピクッとアスタロトが反応した。
「余計な詮索はせずに殺せ。」
アスタロトの背後から大男が現れた。
「はっ。魔王様の命とあらば。」
そういってバアルは光の剣を取り出す。
「―――お待ちください。」
バアルを止めたのはアスタロトだった。
「魔王様。この少年の命、私に下さいませんか?」
「…ほう。」
静かな瞳で魔王がアスタロトを見る。
「なれば問おう。お前はこいつの中に何を見た?」
「…何も。“何も見えません”でした。」
「ほほーう。」「…そんなことがあり得るのか。」
予言の魔神将アスタロト。彼女の能力は未来予知だ。
いくつかの未来予知の能力がある中で、彼女は言葉という形で人の未来を予知する。
「それが嘘か真かはわからぬが、興味深いな。よかろう、お前の好きにしろ。」
「ありがとうございます。」
アスタロトの言葉を聞いたのち、魔王はその姿を消した。
「珍しいこともあるものだのぉ。」
フクロウ姿の老人、アモンは少年を興味深そうに観察している。
「そもそもそれは本当のことなのか?」
「…本当よ。こいつの未来だけは、見えなかった。」
「それは、こいつの未来が“死”ということではないのか?」
アスタロトは首を振る。
「私は人の未来を言葉で予知するわ。その未来が死であれば、私には“死”という文字が見えるもの。」
「ますますわからんな。」
ううん。不意にもう一度、アスタロトが首を振る。
「見えないというより、これは…、“何者かに邪魔をされている”感じがする。」
「なん、だと?」
ゴオォォォォォォーーーーー。
少年の方からいびつな音がした。
「アモン? 何をしている。」
「…これを見てみぃ。」
「これは…。」
アスタロトが驚きの声をあげる。
アモンは今、この少年に魔術を使っていた。
『汚染』
アモンが得意とする魔術の1つ。相手の精神を蝕み、壊す術。
それが――、
「弾かれている…だと?」
「どういうこと?」
アモンは少し考えた後、真剣な表情に変わって言った。
「バアル、その少年を背負え。本拠に戻ってから話す。」
「…わかった。」
アスタロトも何かを察したように周囲を見渡す。
「帰るぞ、アスタロト。」
「…ええ。」
帰り際、アスタロトはただ一点の闇を見つめていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あー、怖い怖い。」
アスタロトが見つめていた闇の中から、1人の少女が現れた。
「あれが“今代”の悪魔たちかー。なかなかに良いじゃない。」
微笑みながら少女は言う。
「殺したら、どんな綺麗な花が咲くのかしら?」
周囲の闇よりもさらに深い闇を宿した瞳がギラリと光った。
「いないと思ったらこんなところにいたんだ。」
闇の中からもう一人、現れる。
「あらー、“王様”じゃない。」
「どう? 面白い子たちは見つかった?」
「ええ、とっても面白そうな子たちを見つけたわ。」
王様と呼ばれた少年は、「そう。」と短くつぶやくと、微笑を浮かべた。
「ところで、“向こう側”はとても面白いことになっているそうじゃない。」
「そうだね。【主神】オーディンがいろいろと仕掛けてるみたい。」
へぇー。そう声を漏らした少女の目が輝く。
「そっちも面白そうね。その主神、私が殺してもいいかしら?」
「あれは私の獲物だよ?」
「それじゃ、側近は貰うわね。それで我慢してあげる。」
バサッと少女は大きな扇子を開いた。
「それでいいよ。…で、あの子たちはほっといていいのかい?」
「ええ、あの子たちはまだ何も知らないもの。」
少年は目を閉じて、静かに息を吸い込んだ。
目を開けた少年の左目には、きれいな魔法陣が描かれている。
「…そう。」
少年は一瞬で、すべてを理解したようであった。
「私はね、あの子たちなら“物語の終着点(私の存在)”にたどり着けるって信じてるわ。」
「そっか。なら私はその先の、“次の歴史を刻むもの”になってくれることを祈っているとしよう。」
少年はそう言うと、そのまま静かに闇の中へと戻っていく。
対照的に少女はアスタロト達が消えて行った方を向き、静かに座った。
そのまま腕をからめる。
その姿は、神に祈りをささげる聖女のようであった。
「どうか、あの子たちが過ごすこれからの日常に、“多くの幸運”と“多くの絶望”があらんことを…。」
―――少女が紡いだ言葉は、天使の祝福の言葉のようでもあり、悪魔の呪詛のようでもあった。