6
ビニールハウスに着いたら、女の人はもう帰ってしまったのか、姿を見る事はなかった。
誰だったんだろう?
どこかで見た様な気がするけど、気のせいかな?
「颯太……」
「なに?」
「お前……、好きな奴とか……いる?」
「え?」
驚いて優斗を見上げると、優斗の顔が何だか赤い。
また心臓がバクバクと暴れる!
暴れるな!
こら!
「……好きな人……いるよ」
それは優斗だ! って叫びたいけど、そんなの恥ずかしくて言えるわけない。
それに……やっぱりまた振られてしまうんじゃないかって思うと、怖くて言えない。
「そっか……。いるのか。……そうだよな。もう、高校生だもんな。大人になったしな……」
優斗はぼそっと呟くように自分で納得しながらモゴモゴと口の中で喋って、溜め息を吐いて黙り込んでしまった。
なんだか気まずい空気が流れる。
どうしよう……。話しかけた方がいいのかな?
でも、何を話していいのか分からない……
二人とも黙り込んでしまって沈黙が続く。
こういうのは苦手。
どうして、優斗は何も話さないの?
「あの……」
「別荘に送るよ」
言いかけた言葉を遮るように、優斗は僕の手を握ったままトラックに向かうが、隣のビニールハウスにいた人に声をかけられる。
「優斗、今から何か用事あるか? 取引先が来るからお前紹介したいんだけど」
「俺を?」
「ああ」
その人は僕をチラリと見て、
「この子は?」
「あ、じいさんが管理してる別荘の坊ちゃんで……」
「東京の? だろうなあ。田舎臭くないもんなぁ。ども! こんちは!」
その人も陽に焼けて真っ黒で、ニカっと笑った時に出た歯が白い。
「こんにちは……」
頭を下げてあいさつして、優斗を見上げた。
「ひとりで帰れるから大丈夫だよ」
「え?」
「お仕事でしょ? 道は分かるし、もう、子供じゃないから……」
優斗の手を離して、仕事仲間の人に頭を下げて早足で道まで歩いた。
ちらっと後ろを見ると、優斗はその人と話していて僕の方を見ていなかった。
少し寂しい気もしたけど、仕事の邪魔をしたくはなかったし、気持の整理をつけたかった。
どうして、好きな子がいるかとか、そんな事聞いてくるの?
きゅううううっと締めつけられる胸の痛みに下唇を噛んで道を歩く。
このままいつもどおりに優斗と話したり出来ない様な気がする。
優斗は大人で、僕はまだまだ子供で……
「颯太……君?」
呼びかける声に振り返ると、さっき、優斗と話していた女の人が立っていた。
「はい……」
頷いて、その女の人の顔を見る。
「覚えていない……かな? 優斗と同じ生徒会してて、貴方にも何度か会ったことあるんだけど」
「あ……」
思い出した!
優斗の彼女だ!
「覚えててくれた?」
「はい。……えっと……、緒方さん……でしたよね?」
「名前も覚えててくれたの? 嬉しいわ!」
忘れるわけが無い。
優斗の彼女で、僕のライバルだったんだから。……といっても、それは僕が勝手にそう思っていただけなんだけど。
ほんと、嫌になるくらい毎日優斗と一緒にいたよなぁ。この人……
でも、ぽっちゃりして優しそうで可愛くて……
きっと男の人にモテるんだろうなって思ってた。
僕なんか全然かなわないって思ってた……
「こっちに来るのは久しぶりじゃない?」
「3年ぶりです」
「そんなに経つの? ほんと、色々あってもあっという間に3年なのね。私たちも、貴方も」
なんだか意味深な言い方だな。
しかも、私たちって、優斗と自分ってひとまとめにしているのが気に入らない。
「まだ、……優斗の事好きなの?」
「……え?」
なんで知ってるんだ!
「あ、ごめんなさい。それ……秘密なのよね?」
緒方さんはしまったという顔で僕を見て、ふふっと笑った。
耳の裏で、さーーーっと血が引いている音が聞こえる。
どうしてこの人が知ってるの?
「今でも彼の事……」
「失礼します! 急ぎますので!」
緒方さんに頭を下げて逃げるようにその場を離れた。
なんで?
誰にも言ってないのに!
あ、……優斗から……聞いたのか。
きっと、優斗が話したんだ。
颯太に告白されたけど、俺は君の事が好きだからとか何とか緒方さんに言ったんだろうな。
あの時も、きっと、ずっと緒方さんと一緒だったんだ。
バカみたいだ。
一人で考え込んで。
優斗は……
優斗は僕の事なんて何とも思ってないのに!
悔しくなって全てを振り切るように走った。
走って走って……
なんだか泣けてきて、泣きながら走った。
体育の時間で走らされているより、きっとタイムはいいんだろうな。なんて、泣きながら関係ない事を考えてひたすら走る。
そして別荘に着いた時にはへとへとで、中庭のハンモックに転がるように入りこんで空を眺めた。
ショックだった。
緒方さんが知っていたなんて……
知られたくなかった。
優斗も、どうして緒方さんに言うの?
僕の初恋は……やっぱり実らないんだ。
永遠に……ずっと。
やっぱり、東京に帰ろう。
うん。
それがいい。
これ以上、惨めな思いは沢山だ。
ハンモックから下りて自分の部屋に向かった。
バッグの中に本や着替えを適当に詰め込んで、2階の戸締り確認をする。
そして1階に下りて戸締り確認をしてガス栓を閉めた。
おじいちゃんに会えないまま帰っちゃうけど、帰り着いたら電話して謝ろう。
母さんにも事後報告でいいよね。
一刻も早くここを出たい。
そして、一生、ここには来ない。
タクシー会社に電話して一台手配すると、外に出て玄関のカギを掛ける。
荷物を持って中庭に向かい、さっき横になったハンモックを眺める。
優斗が取り付けてくれたんだっけ。
嬉しくて、よくここで昼寝してたなぁ。
純粋に優斗を慕う幼い自分はもういない。
そしてもう二度と、優斗と会う事はない。
玄関先に車が止まった音が聞こえ、タクシーが来たと思って走って向かうと、
「颯太? なんだ? その荷物」
優斗が立っていた!
止まった音は、タクシーじゃなくてトラックの音だったんだ!
どうして、こんなタイミングに……!
「……その荷物は何だ? どこに行くんだ?」
優斗は僕に一歩近づいた。
その顔が少し怖くて、僕は一歩後ずさる。
「か、帰る……」
「帰る?」
「東京に……帰るから」
「突然どうしたんだ?」
優斗は驚いた顔から困惑した顔になって俺の腕を掴んだ。
「電話があって……、会いたいって言われたから……」
「会いたい?」
「す……好きな……人から……」
嘘をついた。
思わず言ってしまった。
それ以上は何も言えなくて黙りこんだら、
「そんな事、させるわけないだろ……!」
優斗は僕の腕を握っている手に力を込めた。
「痛いっ」
「勝手に帰らせられるか! 東京になんて帰さないからな!」
怒っている優斗を初めて見た。
怒っている顔もすごくかっこいい……なんて惚けている場合じゃない!
優斗は僕から荷物を奪い、トラックの荷台に投げるように置いた!
「あ! 返して!」
荷物を取ろうとする僕の腕を掴んで助手席のドアを開けた。
「乗れ!」
「やだ! 離してよ!」
無理矢理押し込もうとする優斗に抵抗して、その場で揉み合いになった。
「あいつと何を話した? 話したから帰ろうって思ったんだろ?」
「……え?」
「さっき、お前と話したって聞いて、何か嫌な予感がして来てみたらお前は勝手に帰るなんて言うし!」
それは緒方さん?
緒方さんと話したから怒ってるの?
そんな勝手に怒られても!
「そんなの関係ないじゃん! 放してよ! あの人は関係ないよ!」
押し問答をしていると、タクシーが来た。
「おお? 優斗ぉ、どうした?」
タクシーの運転手のおじさんが出てきて優斗に話しかけた。
「あ、おっちゃんでよかった。ごめん。こいつ、勝手に東京に帰るって電話したんだ。まだこっちにいなきゃいけないのにさ。だから、キャンセルできる?」
「勝手に決めないでよ! 乗りますから!」
僕は運転手のおじさんに言って優斗の手を離そうともがく。
「こら、暴れるな! ごめんね、おっちゃん。こいつ、ちょっとホームシックでさ」
「違う! ホームシックなんて勝手に決めるな! そんなんじゃないってば!」
僕は優斗から離れようともがき、運転手のおじさんに助けてくれと目くばせするが、おじさんは……
「そうかそうか。お坊ちゃんはお家が恋しくなったのか。分かった分かった。じゃあなぁ」
ごねて帰ると我儘言って電話した子供。という目で僕にガハハと笑い、タクシーに戻って行った。
「待って!」
帰らないで!
走り去るタクシーを追いかける僕の体を、優斗は強く抱きしめてきた。
「放してよ! バカ! 帰るのーー!」
「颯太! 頼むから帰らないでくれ! まだここにいてくれ!」
「嫌だ! 帰る! こんなとこ……もう来ないんだから!」
暴れる僕の体をぎゅうううっと強い力で抱きしめた優斗は、
「頼む。……ここに……いてくれないか?」
耳元で囁かれた声に、足の力がストンと抜けて地べたに座り込んでしまった。
み……耳元で囁くなんて……反則だ。
「まだ……帰るな」
苦しそうな優斗の声。
強く抱きしめられた体。
何なの?
何でそんなことするの?
「くるしい……よ」
何もかもが苦しい。
息もできない。
身動きもとれない。
心も……痛くて苦しい。
「帰らないから……だから、もう、放して……」
僕の体を拘束する優斗の腕が少し緩んだ。
ほっと息を吐き、立ち上がると、後ろから頭をクシャリと撫でられた。
「行こうか」
「え?」
突然の言葉に振り返ると、優斗はいつもの表情で、
「今日は畑でお前の歓迎会するんだよ。買物行くから付き合え」
「歓迎会?」
いや、そんなことしてもらわなくても……と、言いそうになるが、それを言ったら優斗がまた怒るかな? と思って言えなかった。
「ほら、乗れ」
トラックの助手席を開けた優斗はニカっと笑う。
「うん……」
さっきの事は何もなかったかのような振る舞い。
なんだか、ほんっと、優斗にとって僕は子供なんだなと思う。
それがすごく悲しくて虚しくて悔しいけど、帰るなと言ってくれたのが嬉しかった。
少し滲む涙を見られたくなくて、その涙が落ちない様に、窓から見える空を見上げた。




