雨色パレット
「入部テストをするわよ!」
その言葉で、俺は雨の降りしきる校庭と、真っ白なキャンバスとを交互ににらみ合っていた。
高校二年になって初めて絵画などと言う、芸術性溢れる知的な文化に触れ合った俺には難しい課題だった。
なぜ、六月の今頃になって入部テストなど受けているのかと言うと、この美術部の部長にして、俺の姉。天音 花梨の突然の思い付きだ。
姉さんは、美術部のエースで、数々のコンクールに入賞し。将来を期待された画家だった。半年前のあの日までは……
「くそっ!」
吐き捨てるように画板を叩きつける。雨のグラウンドに野球部の面影を見てしまったからだ。
半年前……俺と姉さんの乗ったタクシーは大きな追突事故にあった。その時、とっさに俺をかばったのが姉さんだった。姉さんはその事故で利き腕の右手に大怪我を負った、俺をかばったが為に。
その罪滅ぼしに俺は野球部を辞め美術部に入った。俺にはそれぐらいしか出来なかったのだ。それでも罪は消えない。姉さんの代わりになる様な人間なんて、そうは居ないのだから……
「やってやる!」
つたない筆捌きでキャンバスに風景を描き止める。入部して二ヶ月、何もしなかったわけじゃない、描いてみせる。自分に言い聞かせる。
姉さんに言われた期限は三日。どうも今日から三日は雨らしいと、天気予報が言っていたからだそうだ。
姉には同情しているが無茶苦茶過ぎる。突然思いついたかのように入部テストなんて……。他の部員にはそんなの無かったのに。
そんな葛藤を他所に梅雨の雨はジトジトと振り続けた。
三日後……
「出来た!」
俺は早速部長の姉に絵を見せる。
「話にならないわね」
一蹴。
「そりゃ、姉さんの絵には適わないだろうけれど、入部テストって努力とかそういうのを見る物なんじゃねーの?」
流石にこれで退部なんて話は困る。俺はこの部で姉さんの後を追わなければならないのだ。
「努力してこれなの? はっきり言ってあんたには才能無いわ。今すぐ辞めなさい」
しかし姉の言葉は驚くほど残酷だった。
「ちょっ、確かに才能無いのは認めるよ。だけど辞めろって無茶苦茶すぎるだろ!?」
「これを見て」
姉さんは、そっと近くにおいてあった画板に掛けてあるシートをめくる。そこから出てきたのは、俺と同じ雨の校庭を描いた風景画だった。
こちらは俺のと違い色彩豊かで線もしっかりしていて、デッサンに一部の狂いも無い。
「これ、わたしが描いたの」
姉さんは驚きの事実を告げる。利き腕は今もまともに使えないはずなのに……。
「そんな……どうやって?」
「こうやってよ」
そう言って姉さんは左手で絵をなぞる様に鉛筆を振るう。
「わかった? これが才能の差なのよ。あんたには絵を描くなんて無理なの、わたしの半分にすらなれないのよ! だから……辞めなさい。辞めて野球部に戻りなさい」
姉さんは一度も俺の顔を見ずに言った。わかってたんだ、俺がここに居る意味を……
「でも、俺は……」
「うるさいわね! 入部テストは失格。あんたは今日から美術部員じゃないの! これから好きな部活に入りなさい。もし、もしわたしに引け目を感じているのならなおさらよ!」
姉さんは俺の言葉を遮り矢継ぎ早に告げる。
「それと、二ヶ月の間ありがとう」
姉さんの消え入りそうな声が、俺のモヤモヤした感情をふっと晴らした。
弟が部屋を去った後。花梨は一人、もう一枚の画板からシートをめくる。
そこには線はよれ、色はところどころはみ出し、とても花梨からは絵と呼べないモノが合った。
「一年前と同じ様に描くにはまだまだね……」
弟の絵と自分の一年前の絵、そして今の絵。三枚の絵を見比べる花梨。
「丁度半分ってところか! やるわね我が弟よ」
花梨はニヤニヤしながら左手で絵を描き始めた。梅雨の晴れ間グラウンドで汗を流す野球部の絵を……。