赤いカーテンと暴走する最高権力者
北京、人民大会堂。
三千人を超える全国人民代表大会(全人代)の代表たちが、微動だにせず着席していた。赤い巨大な星のエンブレムの下、会場は張り詰めた緊張感と、これから始まる「偉大なる指導者」の重要演説に向けた熱気に包まれている。
音響スタッフの「ケンゾウ」は、国営テレビ局が外部から特別に招聘した「スイス人音響コンサルタント」という完璧な偽装経歴と変装で、演壇のすぐ脇に立っていた。
国家主席がゆっくりと壇上に歩み寄る。分厚い防弾ガラスと無数のSPに守られた男。ケンゾウはマイクの最終調整を装って一歩前に出た。SPが鋭い視線を向けるが、ケンゾウの動きはそれを上回るほど自然で、かつ一瞬だった。
マイクの角度を直すフリをして、主席の右こめかみを、中指で「トンッ」と弾くように突いた。
「……ん?」
主席は眉をひそめたが、すぐに気を取り直し、世界中に生中継されているカメラへ向かって威厳に満ちた顔を作った。会場から、鼓膜を破るような一糸乱れぬ万雷の拍手が沸き起こる。
主席が原稿に目を落とし、重々しい口を開いた。
■ 経済状況への本音
「同志諸君。我が偉大なる国家の経済は、党の正しい指導のもと、持続的かつ安定的な成長を遂げており……って、んなわけあるかボケェ!! 不動産バブル完全に弾けてスッカラカンだよ! 地方政府の隠れ借金なんて天文学的数字すぎて俺も把握してねえわ! お前ら自分の保身のために適当なGDP盛って報告してくんなクソ官僚ども! 経済成長率5%? 笑わせるな、マイナスじゃねえか!!」
ピタリ、と。
三千人の拍手が、まるで時間が止まったかのように一瞬で消滅した。
代表たちの顔から血の気が引き、全員が石像のように固まっている。「いま、主席は何と言った?」「これは新しい高度な政治的ジョークなのか?」「笑うべきか? 泣くべきか?」誰も判断できない。
■ 軍事・外交への本音
しかし、術にかかった主席の口は止まらない。凄まじい剣幕でマイクに唾を飛ばし始めた。
「我々は核心的利益を断固として守り抜き、強大な軍隊を建設し……けどな、ミサイル高けぇんだよ!! こないだ視察に行ったらミサイルの中に水が入ってただと!? 笑えねえ冗談だろ汚職将軍ども! メンツがあるから空母とか作ってるけど、本音じゃアメリカと戦争なんかしたくねえよビビるわ! お前らが勝手に『戦狼外交』とか言ってネットで煽るから、引っ込みつかなくなっただろうが!」
最前列に座っていた軍の最高幹部数名が、白目を剥いて椅子から崩れ落ちた。
副調整室では国営メディアのディレクターが「放送を切れ! 画面を切り替えろ!」と絶叫していたが、ケンゾウがあらかじめ回線を完全にロックダウンしていたため、主席のドアップと暴言は世界中へ高画質で配信され続けていた。
■ 情報統制とネットミームへの本音
「党はインターネット空間の健全な発展を導き、人民の思想を正しく……って、俺の悪口書くヤツは全員強制労働行きだ! 言っとくがな、誰が黄色いクマのプーさんだコラ!! 似てねえよ! 俺はハチミツなんか舐めねえ、毎日最高級のフカヒレと燕の巣食ってんだよ! ネット検閲官も、毎日毎日プーさんの画像探して消すのダルいって泣いてんだよ! いい加減にしろお前ら! 今日からディズニーは出禁だ!!」
会場はもはや阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
拍手をするのをやめれば「反逆罪」で処刑されるかもしれない。しかし、この狂った演説に拍手しても「国家への侮辱に同調した罪」で処刑されるかもしれない。極限のジレンマに陥った代表たちは、**「顔面蒼白で涙を流しながら、音を立てずにエア拍手をする」**という奇妙な集団トランス状態に陥っていた。
■ 粛清への本音
「最後に……党内の腐敗分子は徹底的に排除し、より強固な団結を……ぶっちゃけ、周りがいつ俺を暗殺するか分かんなくて毎日夜も眠れねえんだよ!! ちょっとでも優秀な奴は全員難癖つけて粛清したから、周りがイエスマンのバカばっかりになっちまった! 誰か俺の代わりにこのクソ重たい国を経営してくれよ! あー、スイスあたりに亡命して余生はネトフリ見てダラダラしてえ!!」
「……以上だ!! おい、誰か俺のオムツ替えろ! 緊張でチビっちまった!!」
■ 予想外の結末
演説が終わった瞬間、主席は白目を剥いて壇上に倒れ込んだ。
数十人のSPが一斉に飛びかかり、会場は怒号と悲鳴に包まれる。国営放送の画面は突如「美しい大自然の風景」に切り替わったが、時すでに遅し。
数分後、世界のインターネットは完全に崩壊の危機に瀕していた。
『プーさん自白wwww』
『ミサイルに水はマジだったのかよwww』
『「スイスに亡命してネトフリ見たい」で世界中が謎の同情ww』
『独裁者もストレス溜まってんだな……』
翌日、国際市場は大混乱に陥り、西側諸国の首脳たちは「彼のメンタルヘルスを案じる」という皮肉たっぷりの声明を発表。国内では、あまりのスケールのデカすぎる本音暴露に、怒りや反乱を通り越して「なんかもう、主席も大変なんだな」という謎の同情論が人民の間に広がり、奇跡的に暴動は起きなかった。
「ふぅ……」
数日後。すでに国境を越え、東南アジアの安宿に潜伏していたケンゾウは、冷えた青島ビールを煽りながら、スマホで世界中のニュースを眺めていた。
「さて、次はロシア大統領のテレビ討論会にでも潜り込むとするか」
ケンゾウの指先が、次のターゲットを求めて軽く鳴った。




