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温度差

作者: KMMK
掲載日:2026/02/27

もう戻らないとわかっている。

通知は、来ないとわかっている。


飲み会の帰り道ほど辛いことはない。


それでも親指は勝手に画面を更新する。

トーク画面を閉じては開き、閉じては開く。

最後のやり取りは三日前。「おつかれさま」のスタンプで止まったまま、会話は凍っている。


いけない関係を終わりにしたいと向こうは思っていた。

曖昧な言葉で、でも十分に決定的な距離を置いて。


なのに、無視して連絡してしまおうかと考える。


「今からゲームでもやりに行っていい?」


文字にすると、あまりに幼い。

家に行くきっかけになったゲームを使おうとしている卑怯者だ。

三十五にもなって、夜の22時前に送るセリフじゃない。

酒の勢いを借りないと打てないくせに、送信ボタンの前で震えるほどの勇気もない。


向こうはきっと、楽しく過ごしている。

友達と笑っているかもしれないし、もう別の誰かと映画を観ているかもしれない。

自分の存在なんて、今日一度も思い出していないかもしれない。


画面を伏せる。

ポケットに入れても、数歩歩けばまた取り出してしまう。


結局、自宅の最寄り駅まで我慢して帰る。

改札を抜けたところで、急に空腹とは違う何かが込み上げる。

腹はいっぱいのはずなのに、締めのラーメンが食べたくなる。


温かいものを、無理やり体に流し込みたかった。


適当に入った店は、蛍光灯がやけに白い。

カウンターの隅に座ると、店主は無言でラーメンを置いた。


一口すすって、すぐに後悔する。

ぬるい。


驚くほど、ぬるい。


ああ、と心の中で笑う。

こんな夜にふさわしい温度だと思った。


さっさと帰ればよかった。

こどもがいる家に。


まだ22時。

もしかしたら、まだ起きているかもしれない。

「おかえり」と、少し眠そうな顔で言ってくれるかもしれない。


自分には帰る場所があるのに。

それでも、帰りたくなかった。


ぬるいスープをすする。

味もよくわからないまま、後悔だけが積み重なる。


あのとき連絡しなければよかった。

あのとき優しくしすぎなければよかった。

あのとき本気にならなければよかった。


後悔はいつも、食べたくもないラーメンみたいに胃に残る。


スマホが震えた気がして、慌てて取り出す。

通知はニュースアプリだけ。


わかっている。

来ない。


それでも、期待する自分をやめられない。


丼の底が見えても、何も変わらない。

スープの温度も、気持ちの行き場も。


会計を済ませ、夜風に当たる。

酔いが少し引く。


家の灯りが遠くに見える。

あそこには、確かな生活がある。

自分が守るべき、揺らいではいけないものがある。


スマホをポケットの奥に押し込み、電源を落とす。


もう戻らないとわかっている。

もう来ないとわかっている。


それでも、画面を気にする自分ごと引き連れて、

ドアノブに手をかける。


「ただいま」


小さな声が、やけに大きく夜に響いた。

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