九話:魔王様 VS 道案内
昼下がりのギルドは、朝ほどの喧騒もなく、どこか穏やかな空気に包まれていた。
受付奥にある掲示板には新しい依頼が数枚貼り足され、冒険者たちはそれぞれのタイミングで集まってきては、のんびりと物色している。ホールの一角では、午前の依頼を終えた冒険者たちが談笑し、また別の一角では、次の依頼に備えて装備の手入れに余念がない者の姿もあった。
その中を、泥のついた裾を引きずるようにして航平は歩く。
「いやー……疲れた……」
「あれのどこで疲れたんだよお前」
「すみませんね、筋肉0なもやしなもんで……」
そんな軽い応酬を交わしながら、二人はギルドの入口を潜っていった。
受付には、いつの間にか配置についていたオルフェンの姿がある。
航平は思わず背筋を伸ばした。なぜかこの人の前に立つと、ちょっと居住まいを正したくなるのだ。不思議な威圧感というか、教師の前に立ったときのような妙な緊張感がある。
「依頼の完了報告」
アレクがさらりと依頼書を提示し、手元のポーチから薬草の束を取り出した──が、それを見たオルフェンの手が一瞬止まる。
「……10本ずつで結束、ラベルまで。これは……?」
「あ、えっと、確認しやすいかなと思って」
航平が差し出したのは、10本1束に丁寧にまとめられたレフリ草のセットだった。草の状態ごとに小袋が分けられており、それぞれに手書きのメモが添えられている。日付と採取場所、簡単な状態メモ。簡素だが、一目で情報が入るように整えられていた。
「……非常に、わかりやすい仕上がりです。状態も良好。規定数以上の納品、問題ありません」
オルフェンは一つ一つを確認しながら淡々と告げたが、その口調には明らかな好印象がにじんでいた。
その様子に航平はホッとする。なにせこの世界の基準がわからないのだ。まぁ街や人々の様子を見るに、航平の世界より大雑把なのだろう。
「それでは今回の報酬です。お確かめください」
報酬はさほど多くはなかった。銀貨数枚と銅貨がいくらか、いかにも初仕事といった控えめな額面だ。しかし、それでも航平はなんとなく、ずっしりとした手応えのようなものを感じていた。
ただの草集めだった。それも、アレクがほとんど指示してくれたおかげで、自分はたいして役に立っていたわけではない。それでも。
「忘れてた感覚だけどさぁ、こうやって働いて報酬もらうの、達成感あるよなー」
しみじみと呟く航平に対してアレクはぎょっとしたように一言。
「あ? お前働いてたことあんの?」
「なんだと思ってたの俺のことを」
「手荒れとか全然してねぇし腕も足もなまっちろいから、てっきり屋敷の奥に引きこもって外に出ない引きこもり野郎かと思ってたわ」
「………………………………」
あっちのことを何も説明してないせいだがとんでもない人物に仕立て上げられてると思うと同時に、家からなかなか出てこない引きこもりはあながち間違いでもないのでなんとも言えなかった。
リモートとか通じるかな……と、後で絶対説明しようと心に誓う。
それにしても、初めてバイトで給料もらった時もこんな感じだったっけ、と思う。
報酬がすべてというわけではないけれど、自分の働きが明確に目に見えた形でわかるのは、やはり気分が良い。社会人として働くにつれてその特別感は日々の忙しさに自然と消えてしまったが、その時のことを思い出していた。
「報告、確かに受理しました。次回も安全に、宜しくお願いします」
そう言って、彼はぱたんと帳簿を閉じた。きっちりとした動作だった。
その瞬間、なんとなく一区切りがついた気がして、航平はようやく肩の力を抜いた。知らず知らずのうちに身体に力が入っていたのか、突然張りつめていた気が緩んだせいか、1日動いていたかのような疲れが訪れる。それはデスクワークだけでは得られない心地良い疲れだった。
これからは今までよりは確実に動くようになるし、そしたらちょっとはスタミナがつくかな、と思っていると、アレクが顎をしゃくって「行くぞ」と一言。二人でギルドのホールを後にした。
ギルドの外に出ると、空はすっかり午後の色になっていた。
眩しすぎない陽の光が石畳に長い影を落とし、人々の行き交う足音が穏やかに響く。喧騒と静けさがちょうど半々、日常の空気に満ちた街路だった。
「……さてと」
アレクが小さく伸びをしながら、周囲をぐるりと見回す。銀白の短髪がさらりと風に揺れた。
その視線に何かを察した航平が、思わず眉を上げる。
「……なに?」
「足りねぇ」
「まぁもう午後だからなぁ。ランチの時間過ぎてるし」
「ああ、さっきから腹減って……じゃねぇよ」
違った。絶対腹が減った、というと思ったのに。
「親父さんからもらったサンドイッチ、どっかで食べる?」
「食うけどだからそうじゃねぇって。なんでそんなに食う方向にもっていきてぇんだよ、食いしん坊か。大した量も食えねぇのに」
「だってもう15時だし……」
呑気か。と、頬を抓られた。
「つうか弁当頼んでるやつ初めて見たわ」
「え!? 皆昼どうしてんの!?」
「……携帯食とか?」
「絶対美味しくないじゃん……」
「ピクニック気分やめろ」
そうか、皆昼はお弁当とかないんだ。そういえばお弁当って文化は日本にしかないって聞いた気もする。と、航平は元の世界のことを思い出す。
どうりでガルドに弁当を頼んだら変な顔をしていると思った。
「つか飯の話じゃねぇよ。動き足りねぇっつってんの。今日は戦ってねぇからな」
「どんだけアクティブなんだ……」
ちなみに航平は既に三日分くらい動いた気がするのでもう今日は動きたくない。
アレクは普段かなり動いてるみたいだし魔物討伐自体がわりと好きみたいなところがあるので、彼にとっては街の外に出たにも関わらず戦闘をしないという選択肢はないのだろう。あの地這い獣との戦闘はなかったことにされてるが。
「つーわけで、ちょっとダンジョン行ってくる」
「えっ、一人で?」
「別に平気だろ。近場の軽いやつだし」
そういうもんか、と航平はあっさりと納得したが、普通ダンジョンは一人で散歩のように潜るものではない、ということをまだ知らない。
アレクはどことなく楽しそうに笑いながら踵を返し。
「ま、すぐ戻る。お前はのんびり街でも見てろよ。夜の飯屋でも探しとけ」
「……はーい」
軽やかに去っていったあと、航平はぽつんとその場に取り残された。
目の前には、行き交う人々と石畳の広場、そしてどこまでも異国めいた空気が広がっている。
「……さて」
ひとりになった瞬間、どっと疲労感が増した気がした。
もともと今日はアレクに引っ張られる形で外に出たのだ。どこか緊張していたのかもしれない。
それでも、さっきの報酬の感触と、ちゃんとやれたという手応えは、心のどこかでじんわりと効いていた。
「とりあえず、どっかでサンドイッチ食べて飯屋でも探すか……っていうか、どこにあるんだよ飯屋」
この街に来てまだ日が浅い。地理感覚なんて皆無である。ギルドと宿の往復すら怪しいのに、単独行動って以外とハードルが高いのでは、と思ったが、航平は案外知らない土地を地図も見ないでふらふらと歩くのが好きだった。
(いざとなれば誰かに道を聞けばいいか)
そんなことを思いながら大通りに足を向ける。アレクが聞いたら「だから警戒心が足りねぇって言ってんだろ」と怒られそうなことを考えながら、航平は歩き出した。
◆
適当な広場の縁にあるベンチを見つけて、航平はどさっと腰を下ろした。
視線の先には、よくわからない建物、見慣れない看板。すべてが新鮮に映って、何もかもが目新しい。きっと海外から日本に来た旅行者とかこんな気分なんだろうなぁと思いながら、こそこそとアイテムボックスを漁る。
いまはとにかく腹が減っていた。
「……とりあえず、食べるか……」
ガルドにもらったサンドイッチは香ばしいパンの香りと、ほんの少しだけハーブが利いた肉の匂いが鼻をくすぐって、思わず笑みがこぼれる。
野菜もローストビーフもぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、食事の時に言われた「もっと食え!」という言葉が聞こえてきそうだ。
「やば……うまぁ……」
一口かじって、ふぅ、と息を吐く。幸せってこういうことだ。
空腹は最高のスパイスって誰かが言ってたなぁということを思い出しならサンドイッチにかぶりつく。パンもまぁまぁのサイズなので正直顎が外れるかと思った。
胃袋が満たされていく幸福感に包まれながら、あっという間に完食だ。
暖かな日差し。街中の心地良い喧噪。そして満腹のこの状況。眠気を誘うには十分だ。
うと、と船をこぎかけたところで、ふいに、ベンチの隣に影が差す。
「……っ」
ちらりと視線を向けた先に黒ずくめの男が静かに腰を下ろしていたので、一瞬で目が覚めた。
全身黒装束、黒髪、黒いマントに、なんかねじれた角まで生えている。
(すげぇ! 亜人ってやつだ!)
種族に関しては全くわからないが。おそらく冒険者だろう。流石の航平も、冒険者とそうでない人の区別くらいは判断できるようになっていた。
……噂の魔王様。ふいにそのあだ名が、航平の脳裏をよぎる。
(確か……全身黒くて、角が生えてて長髪、あと身長が高い……って)
特徴ドンピシャだ。身長に関してはもう全員大きいのでよくわからなかったが。
男はちら、と航平の顔を見て、思案するように考えてから静かに口を開いた。
「……この宿、どこにあるかわかるか?」
そう言って差し出されたのは、どうやら街の地図らしき羊皮紙。筆で書かれた店名は達筆すぎて解読不能だった。だが、航平は地図が指し示す建物に、なんとなく見覚えがあった。確か、道を挟んで一本向こうの通りだ。
どうしようかな、と航平は考える。アレクには散々「警戒心を持て」と言われているし(ちなみにガルドにも「知らないやつについていくなよ」と言われた)かといって何もしないのもな、と考えるが、自分にできる数少ないことなのだからと決心した。
「たぶん、知ってるかも。あの……案内します?」
そう提案すると、推定魔王様は一拍置いてから静かに頷いた。
会話終了。えっ、そんなにあっさり? と少し拍子抜けしつつ、航平はベンチから立ち上がる。
「じゃあ行きましょうか。こっちです」
そう言って案内役を買って出たはいいものの、航平は内心、やや緊張していた。
隣を歩く男はとにかく静かで、足音ひとつ立てないほどの滑らかな歩き方をしている。気配が薄い、というより無いに近い。どこか生き物っぽさが希薄だ。
(いや、生き物なんだけど……なんだこの無機質さ……)
思わず隣を見上げる。
その横顔は淡く光る琥珀色の瞳に長い睫毛、黒髪は肩まで流れていて、マントの影でさらに表情が読みづらい。すぐ横を歩いているはずなのに、どこか遠い世界にいるような、そんな不思議な距離感があった。
(王様とはまた違った強さを感じるなぁ……)
アレクが動の強さだとすれば、この男は静な強さとでも言えば良いだろうか。アレクを初めて見たときもそうだったが、彼とは違う方向性でこの男からの強さが漂っていた。
それでいて、威圧的なところがまるでないのが逆に恐ろしい。
でも、不思議と怖いとは思わなかった。むしろ、なぜか落ち着くような、そんな不思議な感覚だ。
「………………………………」
「………………?」
ふと、推定魔王様がこちらを見下ろしていた。
視線に気づいて、航平がきょとんと見上げ返すと、男は言った。
「ちょろちょろ動くな」
「えっ、あ、すみません……」
言われて初めて、自分が右へ左へと視線を泳がせながら、建物や看板を興味津々で見ていたことに気づく。思えば道中、三回くらい立ち止まって「あれ何の店だろう」とか「あ、あの看板かっこいいな」とか呟いていた。
恥ずかしさに頬をかく航平に、男はしばし視線を落としていたが、何かを思い立ったように手を伸ばしてきた。
「……?」
手のひらを上にし、こちらに差し出している。わけがわからなかったが、その手をおもむろに握った。
すると。
「えっ」
推定魔王様は何事もなく、そのまま航平の手を引きスタスタと歩き出した。
え? これどういう状況? と確認する間もなく、異世界ってこれが普通なのか……? と疑問に思いながらも下手に口を滑らすとボロが出るな、と思い、航平は手を引かれるがまま歩くほかなかった。
ちなみに当然航平が考えているようなことはなく、単純にうろちょろとし過ぎて迷子になりそうだな、と思ったから手を繋がれているだけということは知らない。
夕刻に差しかかり始めた街路を、二人の影が並んで歩いていく。片方はひときわ背の高い黒衣の男、もう片方はその手を引かれた、小柄な青年。
会話はまったくない。ただ足音だけが、石畳の上に軽く響いていた。
しばらくして、航平はようやく見覚えのある通りに出た。あの小さな酒場の角を曲がれば、確か宿の看板が見えるはずだ。街についたばかりの時に色々と見渡した甲斐があったと、ちょっとだけ誇らしい気持ちになる。
「……あ、ありました。あそこです、多分」
指さした先には、赤いタイル屋根と木製の軒が特徴的な、こじんまりとした宿が建っていた。周囲の建物より少し奥まっているせいか、見つけづらい場所ではあるが、確かに地図にあった名前と一致する。
推定魔王様は、ちらりと目を向けたあと、軽く頷いた。
「……助かった」
それだけの言葉。でも、その声はほんの少しだけ、さっきよりも柔らかかった気がする。
見た目はまぁまぁ怖いけど、悪い人じゃないんだろうなぁと思いながら航平は無事に目的地まで案内出来たことに安堵していた。
「……えっと、気をつけてくださいね。強そうなので、あんまり気をつける必要無さそうですけど」
その一言を最後に、推定魔王様は航平の手をそっと離す。だけかと思いきや、離れたその手は航平の頭上へといき。ぽん、と。なんの脈絡も無く、その大きな手が航平の頭を撫でていた。
「……………………?」
それはもうわっしわっしと撫でられた。何が起こってるのかわからず航平はされるがままだった。
やがて満足したのか、推定魔王様は深く頷き。
「子供なのに偉いな」
それだけ呟いて宿の扉を押し開け、振り返ることなく中へと消えていった。
「………………………………え?」
たっぷり固まること、十数秒。
そこで航平はようやく、自分が子供扱いされたことを悟ったのだった。