八話:初依頼 VS 地這い獣
ギルドの受付を横目に通り過ぎ、アレクと航平はそのまま奥のホールへと足を踏み入れた。
正面には一枚板で作られた大きな掲示板があり、そこには羊皮紙に書かれた依頼書がびっしりと貼り付けられている。依頼の種類によって色分けされた依頼書の数は膨大で、どこから見ていいのかすらわからないほどだ。
掲示板の前にはすでに数人の冒険者が立っていたが、誰もがパーティー同士で依頼書を見上げ、真剣に吟味して──いるようで、必ずしもそうでもなかった。
その中に、ひときわ脱力した雰囲気を漂わせている男二人組がいる。
「なあ……鳴き砂の採取って、もっとこう……穏やかなもんだと思ってたんだけど」
「俺も。“鳴き”ってそういう意味じゃねぇだろ普通。まさかガチで悲鳴みたいな音鳴るとは思わなかったわ。マンドラゴラじゃねぇかよ」
「しかも、ちょっと強く踏んだら爆ぜるしな。なんなんだよ、低温圧縮魔素反応って」
「科学か魔法かどっちかにしてくれ。足元から、ぴぎゃって音出るの、マジでびびる」
「あと依頼人、絶対あの音好きだよな。最後『もっと鳴かせてきて!』って笑顔で言ってたもん」
「こえぇよ。もうあの系統の採取依頼、二度とやらん……」
二人は目の前の依頼掲示板を見つめながら、地雷案件リストを心の中で増やしていた。
そんなゆるい掛け合いに、航平は思わず小さく笑いそうになった。どうやら、冒険者といっても命がけの戦場ばかりというわけでもなさそうだ。
航平も一歩踏み出し、掲示板を見上げた。
「なんか……思ったよりアナログだな」
「そうか? こんなもんだろ」
アレクはずらっと並んだ依頼書の中からいくつか既に当たりをつけているようだった。航平も隣で真似して手を伸ばし──しかしすぐに顔をしかめた。
「『腐肉沼にて夜鳴き虫の卵採取』……って、何それ」
「読んで字の通り。虫の卵を腐った沼の中から探すだけだ。簡単そうだろ。俺は絶対に行きたくない」
「俺もいやだわ」
他にも、「老犬の介護手伝い(要力仕事)」「人探し(ただし生存率は低め)」「毒草摘み(猛毒)」など、妙にクセの強い依頼が目白押しだ。
……よく言えばバリエーションに富んでいて、冒険者を飽きさせない工夫が凝らされている気がしないでもない。と、航平は誰に向けたかわからない擁護をしていた。
「こっちの『薬草採取』とかどうだ? 定番だし、初回っぽくて無難じゃねぇの」
「お、なんか初心者向けって感じの響き」
航平が反応したのは「ラントア南東の丘陵地帯にて薬草の採取と納品」という、極めて地味な依頼だった。報酬も低め、日数は三日以内、指定種と納品個数が明記されている。正直、これ以上ないくらい冒険者入門編という内容だ。
「よし、それで決まりだな」
「えっ、でもこれだと王様物足りなくね? もっと見なくていいの?」
「まともな装備もねぇ状態で討伐依頼に連れてくわけねーだろ」
「……はい」
当然のことを言われて、航平は返す言葉もなかった。むしろ装備が整っても討伐依頼には出来るだけ同行したくない。
アレクが依頼書を剥がして受付へ持っていくと、奥からオルフェンが現れて内容を確認していた。表情は動かず目線だけが文章を追っていて、そういう人形みたいだな……と思ったが航平は口を噤んでいた。
「……妥当な選択です。ですが、丘陵地帯の第七区画は最近地這い獣の目撃情報があります。無理はしないように」
「地這い獣……? なんかやばそうな名前だけど」
「そうでもない。見た目は最悪だが、実際は動きの遅い雑魚だ。泥がつくから嫌いなんだよな」
「絶妙にイヤな情報ありがとう……」
「動きは鈍重なので、避けることは容易ですよ」
オルフェンがそう告げた時、アレクがじっと航平を見つめる。
とっても言いたいことが手に取るようにわかったが、航平は視線をそらし全力で気づかないふりをした。
◆
街の喧騒が背後に遠ざかるにつれて、辺りは徐々に静けさを増していった。未舗装の土道を、二人は並んで歩いている。のどかな風景で思わずのほほんと気を抜いてしまうが、普通にこういう状況で魔物が出るというのだから異世界は恐ろしい。
「そういや薬草ってどんなの?」
「あー……葉の先が三叉になってて、裏が赤い。触るとちょっとべたつく。これがレフリ草。中級回復薬の材料だな。ここらへんから大体生えてるはずなんだが……」
アレクはそう言いながら、手近な草むらへとしゃがみ込んだ。指先で一房の葉をつまみ、なにげなく裏返してじっと観察している。その動作にまるで迷いはない。まるで呼吸するように自然だった。
航平はその様子を横目に見ながら、ふと足元の草むらに視線を落とす。
一面に広がる緑──それは、遠目には美しい自然の一部に見えたが、いざ薬草を探せと言われた瞬間、ただの情報過多な背景だ。
三叉の葉、裏が赤、べたつきあり。
……いや、言葉では理解しても、それっぽい草が多すぎる。むしろ全部がそれっぽいせいで、めちゃくちゃ目が滑る。
葉の形が似ているもの、裏にうっすら赤みがあるように見えるもの、指先でつまむには少し勇気がいるような、棘付きの草も混じっていた。
まさに、罠が多すぎる草むら。視覚情報の地獄。
これ、一枚一枚確認するのか……マジか……と航平が途方にくれていたところで、そういえばと己のスキルを思い出した。
ちなみに冒険者は自分のスキルを「そういえば思い出す」ということもなく息を吐くように使いこなしているので、まずそこの意識から訓練しなければならないということを航平は全く知らなかった。
「……よし、やってみるか」
近くの三叉っぽい葉を一枚選び、意を決して手をかざした。なんとなく意識を集中し、スキル名を心の中で唱える。
──【分析】。
視界の端に、薄く淡い光が走った。何かが読み取られる感覚がする。視界の奥に、UIのような小さな窓が現れ、そこに一文が表示された。
《ナグラ草(毒草)。摂取・接触注意。素手で触れると手荒れを引き起こすことがある。体内摂取するともれなく死ぬ。》
「毒草じゃねーか!!」
すぐに手を引っ込めた。
慌ててぶんぶんと手を振り、草のぬめりを払う。指先に変な粘り気が残っていて、余計に気持ちが悪い。思わずズボンの太ももで拭ってしまい、泥のついた染みが広がった。
「死ぬって書いてあったよな……? もれなくってなんだよ、もれなくって……!」
指に傷とかなかったよね……? と、動揺を隠しきれずに呟くと、隣でしゃがんでいたアレクが既に何度めかわからない呆れた視線を寄越した。
「お前なぁ、なんで確認する前に触るんだよ。不用意にも程があんだろ」
「いや、なんとなく……これっぽいかなって……」
「よく生きてたな今まで」
「生憎とうちの世界にはあんな堂々と生えてるのはなかったので……」
正確には、あったかもしれないが生活圏内には無かった、もしくは認識していなかったということだが。
言い訳じみた声を出しながらも、航平は己の無知を痛感していた。スキルがあるからといって、何もかも安全に進むわけではない。結局は、自分の判断力にかかってくる──そんな、現実でも当たり前のことが、異世界でも変わらないのだと実感させられる。
膝に手をついて深く息を吐いた。ほんの数十秒で、やたらと精神力を消耗した気がする。
「……よし、次は慎重にいこう。選定から見直さないと」
「つーか手袋くらい持ってくりゃ良かったな。忘れてたわ」
……早く思い出してほしかった。
ていうかこれ、範囲指定とか出来ないのかな……出来たら便利なのに……範囲指定……と航平がむむむ、と自分の手のひらを睨みつけている、と。
ふと、視界の隅にまたあの光が走った。完全に意識に反応した感触。もしかして、と思い、試しに指先で自分の足元をぐるりとなぞるように空中を描いてみる。半信半疑のまま、頭の中でイメージする。「このへん一帯を、まとめてスキャン」と。
──次の瞬間、地面を中心にして半径一メートルほどの草むらに、淡く青緑色のリングが浮かび上がった。
ぽわん、と音を立てるように、視界にポップアップが複数表示される。まるでゲームのログ画面のように、そこには草の種類と簡単な解説文がずらりと並んでいた。
《ナグラ草(毒草)/アシュラ草(雑草)/レフリ草(薬草)/レフリ草(薬草)》
「おおお……!?」
あまりにもスムーズな処理に、航平は思わず二度見した。指先をこするようにして操作してみると、それぞれの草の位置がミニマップ的な表示と連動していて、どこに何があるか一発でわかるようになっている。
ピンチアウトとかピンチインとか出来るんだ……スキル操作が俺に忖度してる……。
アレクからしたら航平に何が見えてるのかはわからないので、彼が空中に向かって指をつまんだり開いたりしている謎の動作に見えて結構不気味だな……と思ったが、それは口にしなかった。
「すげぇ! 王様! なんかこう……すごい!」
そして航平も、それを説明する術を持たなかった。
◆
「なるほど、範囲指定か」
「すげー便利な使い方だよな……あ、そこにも一本」
航平は草むらをかき分けながら、分析で範囲指定しつつレフリ草を見つけ、その道すがら先ほどの出来事をアレクに説明した。
アレクは少しだけ眉をひそめながら、航平の説明を黙って聞いていた。正直、何をどうしたらそんな機能が使えるのかさっぱりわからない──が、それでも目の前で航平がレフリ草を次々と的確に見つけ出していく姿を見れば、便利であることは間違いなかった。
「……ふぅん。範囲を意識して指定したら、そこだけまとめて分析できるようになった、っつーわけか」
そう言ってアレクは一本の草を抜き取り、指先で裏返して確認する。赤い裏地と、べたついた手触り──それは確かに、薬草として記載されていたレフリ草だ。
「なんつーか……俺たちのスキルって、大体が最初から形決まってて、それをどう応用するかって話だろ。けど、お前のは進化してるって感じがするな」
「進化っていうか……元々あった機能に自分で気づいてなかっただけかも?」
「いや、違うな。お前のスキル、多分使う側の発想で変わるタイプだ。入力式っていうか……操作型か?」
アレクのその言葉に、航平はハッとした。
「……言われてみれば、たしかに使うとこうなるじゃなくて、こういうふうに使いたいなって思うと反応してる気がする。スキルが、命令待ちっていうか……」
思い返してみれば、最初に【分析】を使ったときも、薬草を確認したいという意識が強かった。次に「まとめて調べられたらいいのに」と思った瞬間、実際にそれが反映された。そして今、さらに表示形式まで自分好みに整理されてきている。まるで、使いながら調整されていくツールのようだった。
航平はあらためて、自分のスキルが固定された能力というより、カスタム可能な機能なのだと理解し始めていた。
「は、発想力が試されるのか……つまりこれを生かすも殺すも自分次第……」
「ま、お前は渡り人だし俺たちにない発想とかもありそうだしな。上手く使えりゃ青天井だ」
「頑張りまぁす……」
航平は一呼吸置いて、再度草をかき分けた。
風が通り抜けるたび、葉が擦れ合い、しゃらしゃらと控えめな音を立てる。その中に、レフリ草が静かに混ざっている。今や【分析】による範囲指定で、それは明確に視界の中に浮かび上がって見えていた。
だが、それでも一歩踏み出すたびに、思考はフル稼働だった。
(あの操作型って性質……使い方によっては、もっといろいろ応用できそうだよな)
たとえば、毒草だけをピックアップ表示させるとか、指定キーワードで絞り込むとか。
思いつくだけでもやれることがいくつもある。だが同時に、考えすぎると情報が溢れて操作ミスに繋がる可能性もあった。
(便利だけど……結構脳が疲れるかも)
そんな本音がこぼれそうになったところで──
「……おい」
アレクの低い声が、空気を切った。
反射的に顔を上げると、彼の視線は少し先──斜面の下、少し窪んだ湿地帯に注がれていた。
ずるっ、ずるっ──
地面を這うような音が聞こえる。泥を巻き込むような、鈍く湿った音だ。
草の向こう、遠くにぼんやりとした影が動いた。
「地這い獣……?」
さきほどオルフェンが言っていたあの名前が、頭をよぎる。
航平は無意識のうちに息を呑み、身体を固くした。
「動きは鈍重だが近づかれたら面倒だ。静かにやり過ごすぞ。泥まみれになりたくねぇしあいつ食えねぇし」
「そこ重要なんだ……」
泥を引きずるような音は、徐々にこちらへと近づいてきていた。
視線の先──湿地の向こうから、ぬらりと姿を現したのは、粘土をこねて作ったような異様なフォルムの獣だった。
全体的に扁平で、足のようなものは見当たらない。ただ、うねるように体をくねらせながら地面を這い進むその姿は、なんというか……見ているだけで不安になるタイプの生物だ。
「う、わ……なんか思ってたより気持ち悪い……」
ずるっ、ぬちゅっ、と体を引きずるたびに、濡れた泥が音を立てる。体表はぬめり気を帯びており、ところどころにびっしりと苔のようなものが生えている。まるで腐敗した岩肌に命が宿ったかのようだ。
目はなく、口らしきものも見当たらない。だが何かを感知しているのか、こちらへとじわじわ進んできている。
「……こっち気づいてる?」
「気づいてんだろ。音と熱には反応するからな。あの手の魔物は」
アレクがそう言って、剣の柄に手を添える。
その動きに合わせて、地這い獣がぐぐっと動きを加速させる。泥を跳ね上げるようにして、ぶよぶよの体をくねらせ、突進と呼ぶには遅すぎるが、明らかに攻撃とわかる動きで迫ってきた。
「うわ、来た! ちょっと待って、俺はどうしたら──」
「下がってろ」
その一言と同時に、アレクの身体がふっと前へと出た。
剣が抜かれる音はなかった。むしろ、その動きはあまりにも滑らかすぎて、剣がいつ抜かれたのかすらわからない。
刹那。風が裂けた音がした。
アレクは一歩、前へ踏み込む。まるで重力を無視するかのように、ぬかるんだ地面でも足取りが沈まず、迷いのない軌道でそのまま獣の正面へと躍り出た。
ぬめった粘液質の表皮が、その剣の一閃に触れた瞬間──ぱしゅん、と音を立てて、獣の身体が真横に裂けた。
刃は途中で止まらない。獣の体が斜めにずるりと崩れ落ちるまで、まるで空気を裂いたように軽やかだった。
地面に倒れたそれは、泡のようにふつふつと体表を波打たせ、やがて動きを止める。
「……っ、うわ、すご……」
思わず航平が呟く。
あまりにも一瞬の出来事だった。まるで、斬られるために現れたような存在だった。アレクの剣筋に、地這い獣が抵抗した形跡すらない。
「なんだ。案外あっけなかったな」
アレクは剣を軽く振り、こびりついた泥と粘液を飛ばす。反射的に顔を背ける航平の肩をぴしゃりと叩いてから、彼は軽く笑った。
「こんなもん、俺の敵じゃねぇよ。どうだ? 安心したか?」
「出会い頭に巨大イノシシぶっ飛ばしたの見てるんで……」
地這い獣の死骸が泥の中で静かに崩れていく。
その様子を見届けたアレクは、興味を失ったように肩をすくめて踵を返した。
「んじゃ、薬草集めの続きだな」
彼にとっては、あの程度の戦闘は作業の延長線上なのだろう。
航平は泥の跳ねたズボンを軽く払いながら、再び【分析】の範囲指定を展開した。
◆
青緑色のリングが地面に浮かび、またしても草の種類が一覧で表示される。
その中からレフリ草の位置を特定し、慎重に手を伸ばして一本ずつ抜き取っていった。
アレクは時折、「これはどうだ」と無造作に草を渡してきたり(しかもあってる)「こっちに多そうだな」と草むらを踏み分けて進んでいたが、彼には採取系に特化したスキルは無いと言っていたのになぜわかるのだろうか、と思っていたが「勘」と一言返された。
時々すごく雑だ。
淡々とした作業だが、ただの単調な採取ではない。
足元から聞こえる小さな葉擦れの音、時折飛び出す小動物の気配、泥の湿り気、草の香り──五感すべてが、今自分が異世界にいることを実感させる。
「……なんか、意外と楽しいな」
ぽつりと漏らした航平の言葉に、アレクがちらりと横目を向けた。
「そうか?」
「うん。俺、植物とか詳しくないし、虫は苦手だし、正直こういうのもあんまり得意じゃないけど……」
「はは、まあ確かに。お前見るからにインドアだしな」
「お察しの通りですぅ」
二人は笑い合い、再び草を集め始めた。
陽は高く、空は澄んでいる。
一度地這い獣と遭遇したものの、その後は運良く他の魔物とも遭遇することなく終わり、結果的に、レフリ草を必要数以上採取することができた。
そうして昼食も忘れてそろそろお腹が空いたなと感じた頃、二人は街への帰路についた。
丘を下りながら振り返ると、採取したエリアが太陽に照らされ、青々と染まっている。
そこには、確かに航平が初めて冒険者として働いた痕跡があった。
「今日の依頼、成功ってことでいいよな?」
「ま、上出来なんじゃねぇの。魔物と初遭遇して腰抜かさなかっただけ大したもんだろ」
アレクがにやりと笑い、航平の肩を軽く叩いた。
痛くはなかったけれど、なんだか誇らしくてちょっとくすぐったい気持ちだった。
異世界での最初の任務。
危なっかしくも、確かに一歩踏み出したという実感が、航平の胸の中にしっかりと根を下ろし始めていた。