七話:職人 VS 王様
朝食を取り終わったアレクと航平は、少しのんびりしてから宿を出た。目的は、昨日の会話にもあった航平の装備調達だ。
明るい陽の下で見る街は、昨夜とはまた違った表情を見せていた。
街路には人が行き交い、店先からは賑やかな声があちこちに響いてくる。
昨夜は静かでどこか影のある街だったが、今は朝市の活気に満ちており、石畳さえも光を反射してきらきらと輝いていた。
軒先に干された洗濯物が風に揺れ、パン屋からは焼きたての香りが漂ってくる。
同じ道を歩いているはずなのに、景色がまるで違って見えることに、航平はひそかに感動していた。
「えーと、装備品とかそういうのってどこで買うの?」
「買うっつーか作るだな。贔屓にしてる鍛冶屋があんだよ」
「鍛冶屋……? 俺武器もらっても使いこなせないと思うんだけど……」
不安そうにそう言う航平に、アレクは「ばーか」と言うと。
「お前みたいな貧弱雑魚に武器なんか持たせるわけないだろ。服だよ作んのは」
「服?」
「昨日も言ったろ、んなぺらっぺらな服じゃすぐ死ぬぞって。あとその服だとこっちじゃ浮くしな」
そういわれ、航平は改めて自身の恰好を見返した。上下迷彩服に、スニーカー。洋服は兎も角、スニーカーは間違いなく浮いている。なんというか、航平の服装はラフすぎるのだ。
確かに、冒険者たちは皆甲冑を身に着けていたり、鎧とまではいかない軽装備でも、胸当てをつけたり、動きやすそうな恰好だったり、町民でさえ動きやすそうではあるもののラフであるという印象は全くない。
「で、その鍛冶屋ってのは?」
「もうちょい先。見りゃわかる」
アレクに連れられて向かったのは、街の中心通りからやや外れた路地の先だった。
人通りは少なくなったが、遠くからカン、カン、と金属を打つ音が響いてくる。
「……おお……それっぽい……」
そこに建っていたのは、煤けた石造りの建物。扉の上には鉄製の看板がぶら下がっていて、剣とハンマーが交差した意匠が彫られている。
ドアは開け放たれており、立ち昇る熱気と鉄の匂いがすでに外まで漏れていた。
「ここ。入るぞ」
そう言ってアレクが中に入ると、すぐに工房の奥から賑やかな声が飛んできた。
「やっだ~! またアンタ? 今度は何壊してきたのよ、アレクちゃ――って、あら?」
現れたのは、金髪をラフにひとつに結んだ中背の男だった。鍛冶屋然とした黒エプロン姿だが、顔立ちも物腰も、航平が想像していた工房の男とは違い、良い意味でだいぶ異なる。首元にはゴーグルをぶら下げ、手には金属片を挟んだままのペンチを持っていたその男は、航平とアレクを見比べてパチパチと目を瞬かせていた。
「……あんた、ずいぶん趣味変わったのね?」
「ぶち殺すぞ」
「んも~、冗談よ冗談。余裕のない男はモテないわよ~?」
また濃いキャラが出てきたな、と航平は思い、そっとアレクの横に身を寄せる。しかしその男はそんなことは関係ないとばかりに二人の前へ軽やかにやってくると、航平に向かってニッコリと笑った。
「ごめんなさいねぇ、私の名前はリーヴェ・カルナット。ここの工房で装備品一式を作成する仕事をしているの。武器はもちろん、防具も洋服も装飾品も、なんだって作れちゃうのよ? ふふっ、よろしくね!」
「あ、と……俺は森本航平です。航平が名前なんで……え、と……宜しくお願いします」
さっと差し出された右手に、航平もおずおずと手を差し出して握手をする。優しそうな人だな、とほっとした瞬間。
「親方ァ! この素材、どうやって加工します!?」
「だぁれが親方だ!? んなゴツい呼び方してんじゃねぇよ!!」
「いだだだだだ!」
力はしっかり男だった。
「あらやだ、私ったら。ごめんなさいねぇ、怒るとついカッとなっちゃって! 恥ずかしいわぁ」
「ついカッとなった結果、こいつの手ェ握りつぶしかけてんぞお前」
「はは……まぁギリギリ潰れなかったから……ほんとにギリギリだけど」
航平は取り戻した右手を擦りながらそう呟く。
リーヴェは誤魔化すようにごほん、と咳払いをすると。
「それで? 今日はなんの修理依頼? それとも、また新しいおもちゃでも作ってほしいわけ?」
「いや、今日はそっちじゃねぇ」
アレクは軽く顎で航平を指すと、「こいつの装備を頼みてぇ」とだけ言った。
一瞬、工房の空気が静まる。遠くでカン、カン、と誰かが鉄を打つ音だけが響く中、リーヴェは航平を上から下まで舐め回すように見ていた。
「……ふぅん?」
視線がじわじわと登ってくる。足元、膝、腰、胸、顔と、リーヴェはあからさまな品定めを隠すこともせず、航平をじっと見つめる。
「この子、戦えないでしょ?」
「だから装備で頑丈にしろっつってんだよ」
「頑丈って……限度があるじゃない。退魔防御で魔法の無効化は出来ても、物理は厳しいかもよ?」
リーヴェは正面からだけでなく、横、後ろに回ってやはり上から下まで航平のことを吟味するように眺めていく。
360度どこからどう見ても筋肉0のインドア体格なのは変わりませんよ、と、航平は申し訳なさそうに思った。
「物理はそれこそどうにかなるだろ。そもそも近寄らせねぇよ」
「まぁ……それならいいけどねぇ」
えっ、あっ、そんなことできるんだ? と困惑する航平を他所に、リーヴェはまぁそれもそうかとあっさりと引き下がっていた。
普通魔物を近づけないようにするとかそういうのって結構難しいんじゃ、と思ったが、アレクと出会ったばかりのあの巨大イノシシを吹き飛ばしていた様子を思い出し、まぁ王様ならそれも確かにできそう……と、航平も納得せざるを得なかった。
「で、素材は?」
そう尋ねられたアレクは、無言で腰のポーチからいくつかの布包みを取り出した。ゴトリ、と無造作に作業台の上へ並べると、中からは金属片、革、そして何やら光沢のある繊維状のものが現れる。
「あらヤダ、あんたこんな変な素材……って、ちょっとコレ、翡翠獣の外殻じゃないの?」
「おう。前に巣穴潜った時のな」
「しかもこれ、 黝夜鳥の尾羽根でしょ? こっちは……うわ、裂牙コモドの背鱗じゃない! いやっ、しかも白藍のサーペントロアまで!」
リーヴェのテンションが一段階跳ね上がったのが、航平にもわかった。光を反射するように美しく輝く素材の数々に、航平自身も思わず見入ってしまう。そしてそのリーヴェの反応からしても、きっと希少な素材なのだろうということが、流石の航平にも察することが出来た。
「……どれも名前からしてめちゃくちゃ強そうなんだけど」
「そうか? 素材ほしさに何回か縄張り行ったくらいだな」
「アンタ、一時期燈朱のスレイヴレム素材にハマってたわね……」
「見た目も派手で、アレ気に入ってんだよ。あれのついでになんかに使えそうだなと思ってそこらへんの魔物乱獲したんだったな、そういや」
リーヴェは素材をひとつひとつ丁寧に手に取りながら、作業台の奥から設計用の紙束とペンを引っ張り出してくると、いそいそとスケッチを始めた。
口元には笑み。目は真剣そのもの。先ほどまでの軽い口調が嘘のように、プロの顔になっている。
「この翡翠獣の外殻を芯に使って……ここに裂牙コモドの鱗を重ねて……ふふっ、羽根は縁取りにぴったりじゃない!」
「いや待って、それどこにどう使われんの? 俺が着るんだよね……?」
「もちろんそうよ? うふふ、似合う似合う、絶対かわいいわぁ!」
「か、可愛さは必要ないんじゃないかな~、なんて……」
航平がそういった瞬間、リーヴェの目がギラリと光った。あ、踏んだかも。と思った。そしてそれを後悔する間もなく、リーヴェが目をぎらつかせたまま拘りを熱弁する。
「アレと並ぶのよ、あなた!? アレクは格好いい系でキメてるんだから、あなたもそれ相応の恰好をしないとダメじゃない!? 折角素材は悪くないんだし磨かないなんて、これは冒涜としかいいようがないわ! 魔物たちは自分の一部を残していったのよ!? だったらその命、最高の形に昇華してあげるのが鍛冶師ってものでしょうが!」
航平が一歩下がると、アレクが肩を揺らして笑った。どうやら完全に面白がっている。
そしてその勢いに押されるまま、航平は工房の隅にある仮設の試着スペースに連れていかれる。簡素な木の間仕切りで囲まれたそこは、どう見ても更衣室というより作業場の一角といった趣だ。天井の梁にはランタンが吊るされており、その下には脚の長いスツールと、古びた姿見が一つ。
「さ、じゃあ脱いでちょうだい。インナー一枚になってくれればいいわ」
「えっ!? え、ちょ、えっ……!?」
「なにをそんなに動揺してるのよ。採寸するに決まってるでしょ」
リーヴェは手にしたメジャーを器用に指で弾き、ぴしゃんと鳴らして見せた。完全にプロの顔だった。先ほどの濃いテンションはやや引き、職人としての熱気だけが空間を支配している。
航平は、アレクの方をちらりと見た。助けを求める目だったが、当のアレクはというと作業台に腰掛け、暇そうに欠伸をしていた。
「………………」
こちらに気づいてはいるが、目を逸らされた。完全に助ける気はないらしい。
観念した航平は、ため息を一つだけつくと、服を脱ぎ始めた。
シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、肌着と短パンだけの姿になる。人前で採寸だなんて現代でもしたことがないので少しだけ気恥ずかしさを感じながら、彼は姿見の前に立った。
「それじゃいくわよぉ~! ふむ……思ったよりも肩周りはしっかりしてるのね。背中も意外と広め……」
リーヴェが真剣な顔で手を動かす。メジャーが航平の肩から背中、胴回り、腕、太ももへと滑るように移動するたび、メモを取る音が工房の空気を切った。
「可動域の確認するから、腕を真横に上げて――そうそう。それから、しゃがんで。あと、両腕で円を描くように――うん、可動性は申し分ない。可動性は、ね」
「言い方がちょっとひっかかるんだけど……」
「だってあんた、筋力皆無なのよ? せめて素材の軽さでカバーするしかないじゃない。ほら、正面向いて胸張って!」
「はい……」
言われるままにポーズを取り続ける航平。傍から見れば、完全にファッションショー前のフィッティングだ。
「顔立ちは悪くないわね。目元は少しキツめだけど、無駄がないし」
リーヴェが顎に手を当て、真剣な表情で考え込む。顔立ち云々は装備に関係あるのかと問いかけたい気持ちはあったが、航平は口をつぐんだ。なんだかんだで彼女……いや、彼の目が真剣だったからだ。あと普通にあの勢いが怖かったともいう。
「色合いは、翡翠獣の光沢が映えるように上着のベースは白ね。アレクが真っ黒だからちょうどいいわ。そこに裂牙コモドの重ねをアクセントに。羽根は……そうね、フードの縁取りにしましょう」
「ふ、フード……?」
「動きやすい軽装でカジュアルな印象を持たせたデザインね。あなたの雰囲気に合ってるもの。でもカジュアルなだけじゃなくて素材で上品さも兼ね備えて……“整ってる”方向に振りましょう。きっちり仕上げてあげるから覚悟なさい!」
もう完全にデザインは頭の中で完成しているらしく、リーヴェは楽しそうに鼻歌まじりで設計を描き始めた。
その様子を、アレクが笑いながら眺めている。
「あいつはアレで仕事はしっかりするぜ? 案外職人すぎるが、悪くない」
「いや……なんかもう……流されるしかない人生なんだなって実感してるだけ」
「そんなもんだろ」
軽口を返されたが、妙に説得力があるので何も言い返せなかった。
工房の一角、リーヴェはすでに何枚かの紙にスケッチを描き終え、別の用紙を取り出しては航平の体格をもとに寸法を記録していた。アレクはそれを無言で見ていたが、やがてふと目線を落とし、壁際に並んだ武器の棚へと歩を進めた。
その手が向かったのは、自身が常に腰に下げている長剣だった。柄に手をかけると、アレクは迷いなく鞘から引き抜く。刃に傷はない。だがそれでも彼は、脇に置かれた布と油を取り、丁寧に刃を拭った。
軽い仕草だったが、工房にいた弟子らしき若者たちは一様にその手の動きに目を奪われていた。
誰よりも、道具を大事にしている男だ。それがこの工房における、アレクの評価だった。
「……やっぱあんた、手入れだけはほんと丁寧よね」
視線も上げずに作業を続けていたリーヴェが、ふと口元に笑みを浮かべながら言った。
「当然だろ。命預けてんだぜ、こいつに」
アレクは剣を拭き終えると、油を塗り直して鞘に納めた。その手つきには迷いがなく、使い慣れているが故の無駄のなさがある。工房の弟子たちの何人かが、小声で「やっぱ装備、かっけぇな……」と呟いているのを、航平は聞き逃さなかった。
設計図を前に目を輝かせるリーヴェと、それを静かに見守るアレク。その隣で、航平はようやく試着スペースから戻ってきた。
「……なんかこう、どっと疲れた……」
工房の熱気は、朝から変わらず籠もっている。けれど、それは決して不快なものではなかった。
鉄と油の匂い、打ち付ける金属音、火の明かり――すべてが、息づくようにこの空間を満たしている。
航平は椅子に腰を下ろし、ようやくひと息をついていた。
着慣れた服に袖を通し、靴紐を結び直したその手が、わずかに汗ばんでいることに気づく。
緊張。疲労。そして、ほんの少しの高揚感。
初めて尽くしの時間だったが、それは不思議と嫌なものではなかった。どこか、心の奥で確かにわくわくしている自分がいる。これまでの人生では感じたことのない類の感覚だった。
視線を移せば、アレクが壁に背を預けたまま腕を組み、工房全体を見渡している。気を抜いているようでいて、その姿にはどこか凛とした静けさがあった。
そしてリーヴェは、机に向かって設計図を何度も確認しながら、素材とにらめっこしている。細かな呟きがこぼれ、そのたびにペンが紙の上を走る。
職人の空気。王の空気。そして、異世界の空気。
まだ何も始まっていない。けれど、始まる前の準備という時間すらこの世界では尊いのだと、航平は感じていた。
「おい、そろそろ行くぞ」
アレクがぽつりと声をかける。
その声に応えるように、リーヴェも顔を上げた。
「明日には完成させるわ。細かい調整は着てからじゃないとできないけど……楽しみにしててちょうだい、コーヘイちゃん」
ふっと微笑むその顔は、最初の軽薄さなど微塵も感じさせない。鍛冶師としての誇りが、確かにその瞳に宿っていた。
「……うん。ありがとう。なんか、すごい楽しみになってきたかも」
リーヴェに改めて礼を伝えてから店を出ると、外の空気がひんやりと感じられた。工房の熱がまだ肌に残っているのだろう。それすらも、どこか名残惜しいような気がした。
「よし、次は依頼だな。軽ィのならそのペライ服でもいけんだろ」
「え、もう? まだ心の準備が……」
「おせーよ。動けるうちに動け。慣れればどうってことねぇから」
ぶっきらぼうなその言葉に、思わず笑う。
「はいはい、了解しましたよ、王様」
そんなやりとりをしながら、二人は朝の光の中へと歩き出した。
異世界の街並み。遠くから聞こえる鐘の音。通りを行き交う人々。石畳に落ちる自分たちの影。
そのすべてがこれから始まる冒険の序章のように思えて、航平は静かに、けれど確かに胸を高鳴らせていた。