十五話:再会 VS 過去
──ドン、と岩が崩れる音が響いた。
その瞬間、通路の奥に仄かな明かりが差し込む。舞い上がった埃が静かに沈んでいく中、ヴァイスと二人で魔物かと警戒したが、すぐにひときわ騒がしい声が転がり込んできた。
「おい! 無事か!?」
「王様!」
思わず声をあげた航平に、ヴァイスが軽く肩を押さえて静止する。警戒ではなく、落ち着け、という意味合いに近かった。
そのすぐあと、瓦礫の間から現れたのは、息を切らせたアレクだった。
アレクは航平を見るなり、ホッと表情を緩ませる。確かに戦えもしない航平が奈落の底に落ちたとなれば、かなり心配させたに違いない。
残った瓦礫を押しのけてすぐさま二人の元に走り寄ったアレクは、航平の身体を隅々までチェックしてから漸く安堵の息を吐いた。
「怪我はしてねぇな?」
「うん、大丈夫。ヴァイスさんが守ってくれたし」
「そうか……」
不意に静かな声で問われて、航平は少しだけ目を見開いた。軽口を叩くこともなく、心底ほっとしたような響き。
ああ、この人なりにずっと心配してくれてたんだな、というのが伝わってくる。
そうして三人は坑道の岩陰に腰を下ろしながら、情報を整理し始めた。
アレクが腰のポーチから簡易地図を広げると、ヴァイスがすっと手を伸ばして自分たちが落ちた位置を指し示す。
「ここだ。崩落の影響で下層に落ちたが、構造的に不自然だった。自然の坑道というより……人工的な通路に近い」
「人工的……?」
航平が問いかけると、ヴァイスは僅かに頷いた。
「壁面が均一で、彫り痕も直線的。おまけに、崩落の起点には金属製の柱のようなものが埋まっていた」
「なるほど、古い施設の残骸かもな」
「封鎖されていたはずの区画に、何かが残っていた。おそらく、魔力を中継していた術式の一部。経年劣化で制御が効かなくなり、魔素が漏れ出したというとこだ」
「……中継って……何の?」
「さあな。だが、軍の管理下にあるべきものだ。冒険者が触れていいモンじゃねぇよ」
その言葉に、航平は微かに眉をひそめた。なにか、触れてはいけないものを覗いてしまったような居心地の悪さがある。
一方、アレクはというと、地図の端に×印をつけながら軽く舌を鳴らしていた。
「……こっちでも魔物の種類がおかしかったぜ。通常この鉱区に現れるのはゴブリン系なんだが……空気魔素に反応するやつが混ざってた」
「つまり……魔素濃度が異常ってことか」
「ああ。ついでにそいつらは周囲の魔素を吸って強化される傾向がある。放っておけば地上に出るぞ」
「うわ……なんでそんなことに……」
航平は背筋に汗がにじむのを感じた。冒険のロマンなんてものを感じる余地はなく、ただただトラブルと隣り合わせの危うい現場だったのだと実感する。
「とりあえず今日は、ここでの調査は打ち切るべきだろう」
ヴァイスが立ち上がりながら言うと、アレクもそれに続く。
「ギルドに報告を上げて、あとは上がどう動くかだな。下手に手ぇ出すと、めんどくせぇことになる」
「……はぁい」
”面倒くさいこと”は、流石の航平も聞かずとも想像がつく。
アレクはひらひらと手を振りながら。
「ま、お前が気にすることじゃねぇ。それよりとっとと地上に戻るぞ。あんまり長居したら肺まで魔素で詰まっちまう」
「なにそれこわぁ……そうなったらどうなるの……?」
「最悪ゴブリンになるな」
「早く出よう!!!」
◆
採掘場を離れ、三人はギルドへと戻ってきた。
内部はいつも通り騒がしく、冒険者たちで混み合っている。だが、砂埃にまみれた三人が戻ってくると、その空気がわずかに揺れる。何人かの冒険者がヴァイスに目を留め、言葉を飲み込むように視線を逸らしたのが、航平にも分かった。
(あれ……なんか……距離、置かれてる……?)
航平が視線を巡らせていると、アレクはいつもの調子で受付のカウンターに肘を突いた。
「よぉ、帰還報告。ついでに、封鎖鉱区で異常魔素の噴出確認。あと出現する魔物の種類が変わってたな」
矢継ぎ早な言い回しにも関わらず、その場にいたギルド職員たちは表情を変える。奥から現れたのは、ギルド職員のオルフェンだった。
「詳細を伺います」
短く言いながら書類を差し出すと、アレクが軽口を交えつつ内容をまとめ、ヴァイスは必要最低限の補足を口にする。
報告を終えると、航平はそっとヴァイスに目を向けた。
「ヴァイスさん、あの……ちょっとだけ、外の空気吸いに行きません?」
彼は一瞬だけ驚いたように航平を見てから、アレクとオルフェンを見やる。
しかしアレクは手で追い払うような仕草をするだけで、特になにも言わなかった。抜けても問題ないということなのだろう。
その仕草にほっとして、航平はヴァイスを連れて外に出た。
ギルドの外、夕暮れが始まりかけた街並みに、涼やかな風が吹いている。騒がしさとは無縁の静けさに包まれて、航平はそっと口を開いた。
「改めてなんですけど、落ちた時とかその後とかも、色々と有難うございました」
「……戦えないものを守るのは、義務だと言ったが」
「それでも、ですよ。人の善意を当然だと受け止めるのは違うと思うので。そもそもヴァイスさんとはパーティーでもなんでもないですし」
「……お前の考え方はいいな。心地が良い」
「…………初めて言われましたね、それ」
むむ……と難しい顔をしながら、呟く。あまり馴染めていないようだったので気を使ったつもりだったが、どうやら逆に気を使われてしまったようだ。
しばらく二人の間に、風だけが通り抜ける静かな時間が流れた。
夕日が街の石畳を茜色に染め、遠くから子どもたちの笑い声が聞こえてくる。航平はなんとなく目を細めながら、隣に立つヴァイスの横顔をちらと見た。
物言わぬ氷の狙撃手──そう呼ばれても違和感がないほどの佇まいだが、今はただ、ゆっくりと呼吸を整えるように風を受けていた。
「……さっき、ギルドで周囲の視線に気づいていたな」
その言葉に、航平はぴくりと肩を揺らした。やはり気づいていたのか、と内心で苦笑する。
「……ああ、ええと……なんかこう、空気が変わったというか……。俺、変なことでもしたかなと思ったけど……」
苦笑してそう言いながら首をすくめると、ヴァイスはほんの僅かに首を振った。断定するような動きだった。
「違う。お前のせいじゃない。……俺のせいだ」
淡々とした口調だった。怒りも苛立ちもなく、ただ、静かに置かれた言葉。
航平は、不思議そうに首を傾げた。
「……でも、ヴァイスさんって、別に他の人とトラブってる感じでもないですよね? むしろ、仕事はしっかりしてるし、実力だってあるのに……」
思ったままそう呟くと、ヴァイスは一度だけ遠くを見てから、ぽつりと語り始めた。
「……昔、軍にいたと言っただろう。つい最近まで、ずっとそこで生きていた。そこでの生活は、少し……特殊だった」
声は小さく、それでいてよく通った。街のざわめきの隙間に吸い込まれるような、静かな声だった。
「必要最低限しか喋らない。笑わない。感情を持たない。そう教育され、そう訓練された。人間的な行動を制限されていた。選ぶことすら、基本的には許されなかった」
淡々と語られる言葉の一つひとつが、やけに重く、航平の胸に沈んでいく。
感情を制限されるという経験は、想像するだけでも息が詰まりそうだった。だがヴァイスの話しぶりには、苦しみを滲ませる気配すらない。ただ、当然の過去として語っていた。
「戦場では、それが最も効率が良かった。命令に従い、感情を殺し、ただ結果を出す。……そのうち、同僚たちから人間というより兵器だと呼ばれるようになった」
ヴァイスの目は、どこか遠くを見ていた。
「そう呼ばれることに、最初は何も思わなかった。だが、ある時……命令で仲間を失った。その時に、初めて思ったんだ。命が失われることに、正しさがあるのかと」
短く息を吐く。それは溜め息にも似ていたが、どこか硬く冷えた音だった。
「その時、思った。命令よりも、自分の意志で生きたいと。誰かを失いたくないと。……だから、軍を離れた。命令を拒んで、自分で選ぶことを選んだ」
風がまた、ふわりと吹き抜けた。街灯が照らす石畳の上に、夕暮れと夜の境目がゆっくりと落ちていく。
「そのあとは……行き場がなかった。軍の外に、俺の居場所なんてない。だから冒険者になった。……繋ぎだ。俺にできることなんて、他にない」
言葉の最後に、少しだけ力がなかった。投げ出したわけではないが、どこか疲れたような響きだった。
航平は、しばらく黙っていた。うまく言葉が見つからなかったというのもあるし、下手な同情は失礼だと感じたからでもある。
けれど、しばらくしてから──言葉を探して、ゆっくりと口を開いた。
「……だから、ギルドの人たちも、ちょっと距離を取ってるんですかね。軍の人ってイメージ強いし……」
ヴァイスは一瞬だけ航平を見たあと、ふ、と目を細めた。
「……表向きはそれが理由だろうな。近づきにくいと、思われている」
「ええ……ちょっと感情を出すのが不器用なだけなのに……」
勿体ない、と言った航平に、ヴァイスはほんの僅かに黙り、それから淡々と答えた。
「軍を抜けた人間は、少なからず訳ありだと思われる。俺がそうだとは誰も明言しないが……警戒はされる。それに、感情の乏しい人間は、組織にとってはやりにくいらしい」
小さく、笑った。けれどそれは自嘲の色もない、ただただ、遠くから見ているような音だった。
航平は、しばらく考え込んだように視線を落とし、それから小さく口を開く。
「……俺は、ヴァイスさんには助けてもらったし、優しいなって思ってますけど……」
「……優しい?」
予想外の言葉だったのか、ヴァイスが戸惑ったように目を瞬かせた。
「俺が落ちた時、真っ先に庇ってくれたじゃないですか。それって反射的なことなので、すごく優しい人だなって」
その言葉に、ヴァイスは返す言葉を見つけられず、しばらく黙っていた。けれどその横顔には、僅かに揺らぎが見えた。
かつて兵器とまで言われた青年の中に、確かに何かが残っているのだと、航平は感じていた。
──そのまま、静かな時間が流れる。
風がまた吹き抜けると、ヴァイスがぽつりと、呟くように言った。
「……不思議な奴だな。お前は」
「不本意なんですけどねぇ」
そう言った航平は、前を見据えてやはり不満そうに口を尖らせる。
その横でヴァイスが薄っすらと笑みを浮かべていたことは、本人ですら気が付いていなかった。
◆
「で、あいつ。どうよ?」
端的に告げられた言葉に、オルフェンは片眉を上げた。
航平とヴァイスが外に出てすぐ、少し長くなりそうだからと案内されたギルドの報告室内。
静けさが燻る室内で、アレクは足を組みながら椅子に腰を下ろしていた。
手元の書類はすでに提出済み。オルフェンが内容を精査している間、アレクはぼんやりと天井を見上げていたが、ふと目線を戻す。
オルフェンは書類を捲る手を止めず、ほんの一拍置いてから答えた。
「あいつとは、ヴァイスのことですか?」
「他に誰がいるよ。あのクールな狙撃手様だよ」
アレクは肘をつきながら顎を支え、くつくつと喉の奥で笑う。軽口に聞こえるが、目だけはやけに真剣だ。
「現場での働きは申し分ない。冷静で正確、無駄がない。ですが……」
「ですが?」
アレクは鼻を鳴らした。わかりきった言葉の続きだ。
「周囲との軋轢があるのは事実です。本人にその気がなくとも、馴染めない人間はどうしても浮く。現場での協調性を求めるギルドとしては、扱いづらい人材ではあります」
「ま、ああいうのを持て余すのは今に始まった話じゃねぇな」
アレクは立ち上がり、窓辺に歩いていく。外では夕暮れの赤が、徐々に群青へと色を変えつつあった。
「……ギルドが要らねぇってんなら、こっちで貰うのもありだよなぁ」
何気なく呟いた言葉に、オルフェンは書類から目を上げ、まじまじとアレクを見つめる。だがその表情は、とくに驚いている様子でもなかった。というより、アレクの突飛な言動にオルフェンが適応したとも言える。
「優秀なやつは喉から手が出るほど欲しいしな。傷があったって構わねぇよ。それに……航平とも意外といいバランス取れてんだよな、あいつ」
「そういう基準で人を拾ってこないでいただきたいのですが……まぁ既に同行実績もありますし、ギルドが介入する範疇ではありませんので、お好きに」
「ドーモ」
やる気のない返事をしながら、アレクは背を向けて廊下へと歩き出す。その背中には妙な頼もしさと、どこか兄貴分のような包容力が滲んでいた。
アレクという男は不思議な男だと思っていたが、それ以上にイレギュラーなのは航平という存在だ。なにせ、あの荒くれものの冒険者たちが、未だに航平に対して表立って暴力をふるっただの、喧嘩を吹っ掛けただのという話を全く聞かない。
それはあの横にいる男……アレクのおかげもあるだろうが、下手に擦れた雰囲気もない、ごく普通の航平だからだろうか。
冒険者になる人間は様々だ。しかし共通して言えるのは、家庭環境に問題がある事や、スラムで生まれ育った為に行き場が他にない者……所謂”帰る場所が無い”人間たちだ。
恵まれた環境にいたものが好んで冒険者になった例は殆どなく、故に、冒険者である彼らは真っ当な教育を受けていないことが多い。
だから暴力に走るのだ。思っていることを伝える術を知らないから。
しかし、航平は相手の雰囲気を察して対話を試みようとする。それは、冒険者たちにとってひどく珍しい対応だ。なにせ喧嘩を売る相手は同じ冒険者か裏社会の荒くれものが殆どで、冒険者相手にちゃんと話をしようというものは今までに全くと言っていい程居なかったのだから。
そして航平という人間は、ただなよなよしただけの世間知らずな人間かと思えば、おっかなびっくりではあるものの、決して理不尽なことには屈せず、相手がなにを言いたいのか、どういうことを求めているのかを整理して相手に伝える術が、非常に長けていた。
これはエンジニアであるが故に、問題点を整理し、相手の求めていることを導き出すという職業病のようなものだが、こんなところでそれが発揮されているとは航平も全く思いもよらないところである。
「……不思議なパーティーだ」
ぽつりと呟いたオルフェンの声は、静かに空気に溶けて消えていった。