第003話 カリストラ
――それから、一匹、また一匹とイノシシ型の魔物を狩っていった。
野盗に一方的にリンチを受けていた時とは明らかに違う。思い返せば、アヤメにもらったポーションを飲んだ後からだ。
瞬間移動と拳にかかる黒いモヤ――これを覚醒と呼んでいいのかわからないが、それでも、この魔物ぐらいなら倒せるようになっていた。
――五匹ほど狩ったところで、アヤメの元へ戻った。
こんなに狩ったんですかとアヤメは驚いていた。確かに取りすぎたかもしれない。でも食える部位と食えない部位もわからないので、保険も兼ねた。
――まぁ、自分の力を試したくて夢中になったのも多少はあるが…。
アヤメが用意してくれた焚き火に、魔物肉を並べる。川で汲んだ水も傍らに置き、簡単な食事の支度が整った。
火がパチパチとはぜ、肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。夜の冷えた空気と、炎のぬくもり――。
こんなサバイバルのような生活、日本じゃ絶対に味わえない。なんだか非日常感を味わっているようで、どこか楽しんでいるところもあった。
―――――
「いただきます!!」
かぶりついた肉は、意外にも柔らかかった。少し臭みはあるが、豚肉に近い。純粋なイノシシ肉は食べたことはないが、こんな味なんだろうか。
「……美味いな、これ」
アヤメも頬を緩めながら肉を食べる。
「わたし、なんだか生き返る心地です……!」
自然と二人で笑い合った。この森の中だ。調味料も米も当然ない。味付けなどまるでできないが、食べないよりはマシだろう。
こうして無事に食事を摂れることが、何よりの喜びだった。
――ただ、やっぱり米は欲しいし、塩やソースをかければもっと美味いよなぁ…。
「――あの、エミル様」
魔物肉を食べ終え一段落した後、どこかよそよそしい感じでアヤメが話しかけてきた。
「どうかしたか?」
「実は、その…わたし、エミル様に隠していたことがありまして…あの、びっくりしないでくださいね…?」
「お、おお、わかったよ」
――とは返すものの、内心めちゃくちゃドキドキしている。
え、一体何なのだろう。実は男の娘なのです、とかそんな展開か?
それかもしかして、一目惚れしました、とか告白だったり…?
そんなおれの淡い期待をぶった切るかのように、アヤメは真面目な口調で話を続けた。
「わたしの本当の名前は、『アヤメ・カルフール』といいます。『アヤメ・ランサス』という名前は旅の道中で名乗っている偽名でして…わたしはあのカルフール家の娘なのです」
――アヤメ・カルフール…?
少し肩透かしを食らって残念だとは思いつつも、真面目な話なのでこちらも真剣モードに頭を切り替えた。
「――あの、エミル様…? そうですよね、怒りますよね。本当にすみません、助けて頂いた方に偽名で名乗るなんて、わたしはなんて恩知らずな…」
「い、いや違うんだ、ごめん。さっきも言ったように、記憶が混乱していて…。その”カルフール”っていうのは、由緒ある家柄なの?」
「――!! これは失礼いたしました。カルフール家はこの大地にある国、シオン国を代々統べている国主の一族なのです」
――なんという壮大な告白だ。
国主の娘であれば、偽名を使うのも致し方ないだろう。もしおれが国の関係者だったら、アヤメの命にもかかわる。
異世界転移後だというのに、とんでもない女の子と知り合いになってしまった。
「……国主、って、マジで? ってことは、アヤメは世継ぎだったり…?」
「わたしの四つ上に兄がおりますので、次期国主は兄ですね。ただ現在、シオン国は他国を全く寄せ付けない、国としては世界から孤立した存在となっています。エミル様、失礼ですがこのカリストラの一大宗教、”アストレア教”のことは…?」
「すまん、それも覚えてないんだ…というか、カリストラってなに…?」
アヤメの方をみると鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。おれ、そんなおかしな質問をしているのだろうか…。
「カリストラはこの世界そのものを指します。そして、カリストラには”アストレア教”という宗教が広く流布されており、”アストレア教団”という組織がすべて管理しているのです」
アヤメの話によれば、どうやらこの世界――カリストラでは、アストレア教を信仰するのが当たり前らしい。他の宗教はほとんど存在しないということだった。
実際、どの国にもアストレア教の教会があって、休日には教会に礼拝にいくのが当たり前の習慣となっている。
宗教に馴染みが薄い日本で生まれたおれにとっては、完全な異文化だ。
アヤメの故郷、シオン国はこの世界宗教である”アストレア教”を信仰せず、鎖国を続けているため、他国から異端扱いを受けているという。
これが意味するもの。
国として孤立しているということは、ほぼすべて自給自足で賄わないといけない。もし天災が起きて不作が続いたら? もしシオン国を開国させようと戦争を仕掛けられたら?
他国との交易も行わず、孤立していればどんどん世界から取り残されてしまう。
孤立し鎖国を貫く現状ではやがて限界が訪れ、国が滅びてしまうかもしれない。外の世界を知らない父と兄に現実を伝えたい。
そのためにアヤメは国を飛び出した。たった一人で、異端のレッテルを背負いながら。
「まあその…なんと言いますか……結構勢い半分で飛び出したみたいなところはあるんですけどね………」
「なるほど、それで戻るに戻れず、今にいたる、と…」
「恥ずかしながら…もうかれこれ二ヶ月くらい、なんとか……」
――本当にとんでもない家出少女だ。それなら、その佇まいに似つかわしくないボロボロの服装の理由もわかる。
「それで先ほどの村、タルマ村というのですが、あそこはとても閉鎖的な村で、ひどく異端扱いを受けまして…。パンをくれた方のような例外もあったのですが…」
「なるほど…理由はわかったけれど、”信仰していない”というだけでそこまでひどい扱いを受けるものなの?」
「それほどまでにアストレア教は絶対なんです。タルマ村のような場所は特に信仰心も強く、異端を排斥する傾向にもありまして…」
――宗教が正義の世界、か…。
元の世界では、宗教がきっかけで起きた戦争がいくつもある。盲信する危うさはわかっているつもりだ。
「この近くにはセルディス王国という大国があります。そこの教会の司祭が定期的にタルマ村を訪れるのです。セルディスの司祭は布教活動に力を入れており、辺境の村だからといって差別せず精力的に回っています」
「なるほど、それで貧しい村ほど盲信しやすくなる――と。しかし、アヤメの考えを否定するつもりはないが、危なっかしいな。一歩間違えたらあの野盗に殺されていたんだぞ」
「たしかに仰るとおりです。でも、そうはならなかった。エミル様が助けてくれたじゃあないですか」
「――うーん、助けた内に入るかわかんないけどね…」
おれは逆にアヤメに助けられたことを思い出し、また頭を抱えてしまった。
「ふふふ、見ず知らずのわたしを命がけで助けようとしてくれた――それが嬉しいんですよ」
アヤメはとびきりの笑顔でそう答えた。とても無邪気な、国主の娘とは思えない屈託のない笑顔である。
それからお互いの色んな話で盛り上がった後は、おれが火の番をすることにして、アヤメを先に寝かせることにした。
空を見上げると、満点の星が広がっている。日本の、それも東京では見ることはできないだろう。
――この世界で生きていくんだな。
それならそれで、明日からはどこか拠点を見つけて活動を始めないといけない。アヤメが言っていたセルディス王国にでも行ってみるのもいいか。こんな魔物がいるような世界だし、冒険者ギルドなんかもあるのだろうか…。
そんなことを考えながら、慣れない火の番もあっていつの間にか、うとうととしてしまった。
―――――
――イタッ!!
足先に針で刺されたような痛みが走る。目を見開くと、巨大な蛇がとぐろを巻いていた。
……魔物か?
いつの間にか火も消えていた。迂闊だった。ここは治安の良い現代日本ではない。衛生や医療体制が現代と比べてどうなっているかも未知数の異世界、それも魔物が跋扈している森の中なのだ。
――ぐ………あ……
月明かりに照らされた自分の足が、みるみる変色していくのがわかる。
毒だ、やられた。油断したというにはあまりに稚拙すぎる。
――ガ…ア……ガアアアア!!!!!
「……エミル様!? どうかされました…? ――!! 足が…!!!」
体中の神経が焼けるように痛む。立ち上がることも、まして声を張ることもできない。目の前にいるアヤメに「逃げろ」と言いたくても、言葉が詰まる。
――おれの異世界生活、こんなのばかりだ。くそ、今度こそもうここまでか…。
そして――
蛇が、牙をむいて襲いかかってきた。
――ウォォォオオ!!
叫ぶように腕を振り上げ、蛇の胴体を力いっぱい掴む。
その瞬間だった。
『毒耐性を獲得しました』
目の前に、青白く発光するウィンドウがポップアップ表示された。
「――な、んだ……これ……?」
まるでゲーム画面のようなその光は、すぐに消えた。みるみるうちに足の痛みが引いていき、気付けば蛇型の魔物は息絶えていた。
「エミル様、これは……?」
「あ、ああ……なんとかなったみたいだ。……でも、今のは……」
初めて目にする“ステータスウィンドウ”。
もう自分の能力がわからない。そもそもこの世界の能力ってなんなんだ? 魔法やスキルという概念はあるのだろうか。
アヤメが気遣うように、おれの足元を覗き込んでくる。
「――傷が、消えてる? エミル様、本当に大丈夫なのですか……?」
「大丈夫……みたいだ。たぶん……さっき、あの蛇に毒を食らって、限界まで耐えたからか……」
『毒耐性を獲得しました』
――あのウィンドウが出た瞬間、確かに体の中の何かが変わった実感がある。まだ信じられないが、それ以降、体の痛みはすっかり引いていた。
「アヤメ、君は魔法を使えたりするのか? そもそも魔法ってわかるか? たとえば、その…タルマ村の人間だって魔法を使えたりするのか? 冒険者だけだったりするのか?」
「あ、あの、エミル様、落ち着いてください…!! その…えっと…」
「――あ、ごめん…」
頭に浮かんだ疑問を矢継ぎ早に聞いた勢いで、おれはアヤメの肩をがっしり掴んでいた。
あまり免疫がないのか、アヤメの顔が真っ赤になっている。いつの間にか、表情が見えるくらいには夜が明けていた。
「ごめんな、こんなオジサンに肩なんて掴まれて、セクハラだよなこりゃ…」
「――すみません、セク…ハラという言葉がなんなのかはわかりませんが、エミル様はおじさんではありませんよ…? わたしと同じくらいのご年齢かと思っておりましたが…」
「は…?」
急いで川の水面に自分の顔を映してみる。そういえばこの世界にきて鏡なんて使っていなかった。
そこに映っていたのは紛れもない、自分の高校時代の顔だった。人間、年を取りここ数年のことは忘れやすくなっていても、中学や高校時代のことは鮮明に覚えているものだ。
――間違いない。ここ最近増えてきたシワやシミが全くない、20年以上前の自分がそこにいた。
なんだこれ、転移の影響か…?
若返り、瞬間移動、黒いモヤ、耐性獲得のウィンドウ、いったいおれは何の能力を授かったというのか。
「エミル…様? あの、大丈夫でしょうか…?」
「あ、ああ、悪い。大丈夫だ。どうやら自分の年齢すら失念していたようだ…ははは」
どうやら異世界転移のときに、身体に何らかの変化があったらしい。全部がバラバラの現象じゃなく、何やら共通の法則がある気がしてならない。
だが、今の時点では何もわからない。自分の能力がこの世界にどう影響するかもわからない。事が判明するまでは、地球から転移してきたことは黙っておくことにした。
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