第002話 初めての魔物狩り
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どれくらい時間が経ったのだろう。冷たい布の感触で、おれは目を覚ました。
「――う…ん、あれ…?」
上半身だけ起き上がり、辺りを見渡す。さっきの場所から少し離れたところだろうか。近くには川が流れていた。
「――良かった。お目覚めになりましたか?」
さっきの女の子がタオルを絞っていた。
ふと下の方に目をやると、湿ったタオルが一枚あった。起きたときに額からずり落ちたのだろう。
なんだか体も軽く、痛みもほとんどない。さっきはまるで自分の体ではないような、もう死んでしまうかもしれない状況だったのに。
――そうか、気を失った後、おれを看病してくれたのか。
つくづく情けない話である。助けたはずの女の子に、逆に助けられてしまうとは…。
「――あの!! この度はお助け頂き、本当にありがとうございました!!!」
女の子はおれの方を向き、深々と頭を下げてきた。献身的な態度が痛いほど胸に刺さる。助けられたのはこちらの方だっていうのに。
「――やめてくれ。おれの方こそ君に助けられたんだ。礼を言うのはこちらだよ…ありがとう」
「いえ、それは違います。貴方がいなければ、あの野盗はそのままわたしを襲ったでしょう。貴方がいてくれたお陰で助かったのです。わたしのためにこんな目に…せめて看病はさせてください」
――なんと芯の強い子なのだろう。
年齢は中学生から高校生ほどだろうか。整った顔立ちに、栗色の髪を右側で束ねたサイドポニーテールがよく映える。結び目からのぞく淡いグリーンのハイライトが、温かみのあるブラウンを一層引き立てている。
風が吹くたび髪が揺れ、緑の筋がきらりと光る。柔らかな表情の奥に秘めた凛とした強さが垣間見え、彼女の存在感をより際立たせていた。
しかし気になるのは、そんな態度や顔立ちには似つかわしくないボロボロの見た目だ。
衣服はところどころ破れ、土埃にまみれ、素足に近い足元には無数の傷が刻まれている。長旅でもしていたのだろうか…?
これでは、襲ってくれと言わんばかりだ――そう思わずにいられなかった。
「――そういえば、君、助けを呼んでたよね…? その人達は…」
「あ、申し訳ございません! その、あれは嘘でして…ああ言えばあの場を去るだろうととっさに…」
「ああ、いや、お陰でおれも君も助かったんだ。機転を利かせてくれてありがとう」
そう言うと女の子は照れた顔をしたが、本当に立派だ。自分がまた襲われるかもしれないのに、そんな機転を利かしてくれていたとは…。
「そうだ、お名前…お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。わたしはアヤメ…アヤメ・ランサスといいます」
「アヤメ、ね。おれの名前はエミル。『エミル・ハナビシ』だ」
異世界を意識してか、海外風に名乗ってみた。日本では「エミル」という名前はキラキラネームそのもので名乗るのが恥ずかしかったが、この世界では自然で違和感もないだろう。
こんな場面、本当なら「名乗るほどの者ではないさ」なんて言いたいが、助けられた後だ。今更何をしたってカッコつかない。
「ところで、アヤメ…はこんなところで何をして……」
言いかけた瞬間、頭がクラクラしてきた。さっきのダメージがまだ残っていたのか、気持ちが悪い。吐き気までしてきた。
「――エミル様、これを…!! これをお飲みください!!!」
アヤメは小瓶を差し出してきた。中には淡く光る青い液体が入っている。何の薬か全くわからないが、もう今は何でもいいからすがりたい…そう思うほどに気分は最悪だった。
――ゴクッ…!!
おれはひと思いに一気に飲み干した。
「この薬は…」
「これはポーションです。今のお体にききますよ」
ポーション――ゲームでよくみる回復薬か、この世界のものも同じなのだろうか。
「ポーションか…よかっ…ぐっ」
言いかけた瞬間、体の中が熱くなった。心臓が爆発しそうなほど脈打っている。
――なんだ、自分の体になにが起きている!?
とにかく熱い。呼吸も荒くなってきた。苦しい。
おれ、やっぱり死ぬのか…?
「エミル様、しっかりしてください、エミル様!!!!」
アヤメの声がかすかに聞こえる。近くにいるはずなのに、はるか遠くから言われているような感じだ。
熱い熱い熱い熱い熱い。
全身とんでもない勢いで血液が流れているようだ。
「――ガアアァァァァアアアア!!!!!」
「エミル様!!」
アヤメの声が遠ざっていく。
視界が白く染まり、おれはそのまま、再び意識を失った。
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――はっ。
気づいたら辺りは暗くなっていた。
どうやらまた気を失っていたらしい。助けた相手の前で二回も気を失うなんて、本当に情けない話である。
ふと隣に目をやると、アヤメが寄り添うように寝ていた。目の前には焚き火の跡がある。気を失ってからどのくらいの時間が経ったのだろうか。
――おれの身に何が起きたのだろう。ポーションを飲んだ後、どうして気を失ったのだろう。
とても悪意を持って渡したようにはとても思えない。間違いなく、あのポーションは回復薬だ。おれが知っているポーションとは何か違うのだろうか…。
異世界の人間だったから体が合わなかったのか、もしかしてうっかりあのポーションが腐っていたり…。
――いや、違う。
痛みも疲れも全く感じない。数々の暴行を受けたにもかかわらず、体はピンピンとしている。体のどこを触っても痛くないし、暗くてよく見えないが痣もできてはいないだろう。
だとするなら、一体何が起きたのだろう…。
そんなことを考えていたら、アヤメが目を覚ました。
「う……ん、あれ、エミル様、お目覚めになられたんですね……」
そう呟くと、アヤメは目をかっと開き、驚いたように飛び起きた。
「し、失礼しましたエミル様!! わたし、どうやら寝てしまっていたようで…」
「いや、いいんだよ…本当にありがとう。ごめん、二回も」
「それはお気になさらず…。大丈夫ですか? お体、どこか痛いところはないでしょうか? すみません、わたしのポーションがお体に合わなかったのでしょうか…」
「ありがとう、大丈夫だよ。どこも悪くない、それどころかピンピンしている。すごいんだな、ポーション」
「それは良かったです…! でも、一体どうしたのでしょう…ポーションを飲んであそこまで苦しまれる様子は、他に見たことがなくて…」
やはり、おれのは異例らしい。この世界のポーションも、おれが知っているそれと違いはないみたいだ。
「そうだな…おれも自分の身に何が起きたのか、本当にわからないんだよな……」
そんなことを話していると、
ぐぅ〜〜〜〜。
二人のお腹が同時に鳴った。
「…………」
「…………」
「お腹、空いたな」
「あ、あの、その、いや、これは…」
アヤメは顔を真っ赤にして慌てている。
「何か食べたいけど、食材に困るな…」
「そうですね…森には魔物が出るので、弱い魔物なら狩って食べることはできるのですが…」
魔物。
ポーションに続き、一気に異世界らしくなる単語だ。この世界には魔物がいるのか。つくづく、転移直後に魔物に遭遇しなくてよかったと思う。
「わたし、その…武器なるようなものを今持っていなくて…本当にすみません」
「いや、それは仕方ないよ…謝ることでもないしさ。そうだな、川があるから魚とか、魔物でなくても何か動物とか…」
「――あの、エミル様。お言葉ですが、魔物が出る森には動物はいませんよ…?」
――なんてことだ。アヤメの態度をみるに、どうやらこの世界では常識的なことらしい。
「そ、そうだっけ….? ごめん、ちょっと記憶がいまあやふやなんだ…」
慌てて誤魔化した。もう今後はこれで通すしかない。
「そ、そうだ。近くに村があったんだ。そこで助けを求めるのはどうかな? さすがに食べ物の一つくらいは分けてくれるんじゃ…」
「――残念ながら、それは期待できません」
アヤメの顔が急に暗くなった。声もどこか元気がない。さっきまでとは大違いだ。
「わたしも旅の途中の身です。あの村には今朝寄ったのですが、全く相手にしてくれませんでした…」
「え、君もなの? そういえばあの村、やけに廃れていたけれどそれが関係してるのかな…」
「――それはわかりません。あの村で優しくしてくれた方もいらっしゃっいまして…パンを分けてくれたのですが、おそらくもう頼れないと思います…」
おれのときは誰も相手にしてくれなかったというのに、アヤメはそうではなかったらしい
「うーん、でもこうしていても食料が手に入るわけではないし、ダメ元でおれ一人で行ってみるよ」
そう話したときだった。
――ガサガサ
近くの草むらから音がしたので振り向くと、そこにはイノシシのような、鋭い牙と短い黒い角を持った動物がこちらを見ていた。
「なんだ…? イノシシ?」
「あ、エミル様、いけない! 魔物です。逃げないと…!!」
そうアヤメが言い終わるより前に、イノシシ型の魔物はこちらに向かって突進してきた。
あれが魔物か…!
しかし、今逃げてもあのスピードでは逃げ切れないだろう。もう二度とあんなカッコ悪い真似はしたくない。
――野盗のターゲットがおれに向いたあの時、アヤメにはもう一つの選択肢があった。
それはおれを置いて逃げることだ。そうすれば自分だけは確実に助かる。
しかし、アヤメはその選択肢は取らなかった。リスクを犯してでも、おれを助けたのだ。
――今度こそ、もうどうなってもいいからこの女の子を守りたい…!!!
なんだか自然に魔物に向かって体が動いていた。もしかすると、物語の中のヒーローはみんなこのような感覚なのだろうか。
――その瞬間だった。全身の血液が逆流するような、体の内側から何かが弾けるような感覚が走った。
視界が伸びる。空気が引き裂かれる――。
気がつけば一瞬で魔物の前に移動していた。まだ魔物からは十メートルくらいは離れていたはずだ。それなのに、だ。
思考が追いつかないまま、おれは反射的に拳を振り抜いていた。
――ドンッ!
重たい感触とともに、魔物は吹き飛んだ。自分でも信じられない力だった。
「エ、エミル様…?」
アヤメの方を見ると驚いたような顔をしている。だが一番驚いているのはこのおれだ。
思い切り殴り飛ばした割には拳も痛くない。殴り飛ばした魔物を見ると、もう息はしていなかった。
――なんだ、これ……あんな魔物を一撃で…?
気になって自分の拳を見ると、黒いモヤのようなものがゆらゆらとまとわりついていた。
――このモヤのおかげ…なのか……? これがおれの力………?
しばらくするとこのモヤは消えた。
一瞬で魔物の前にワープしたことといい、一撃で魔物を倒した程の攻撃力といい、わからないことだらけだ。
――もしかして、これが覚醒……?
少しワクワクしたが、自分の力がわからないことは不気味だ。それに、おれはこの世界のことを何も知らない。
「あ、そうだ、アヤメ。さっきの魔物って、食える?」
「え、ええ。焼けば食べられますが…」
「そっか!! 良かった。ちょっと試したいことがあるんだ。おれは森の中で他に魔物がいないか探すから、火の用意をお願いできるか?」
「も、もちろん構いませんが、ちょっとエミル様、夜の森は危険ですよ!!」
――早く自分の力を試したい。
そう思うと居ても立ってもいられなかった。おれはアヤメの話を聞き終わるより先に森の中へと進んでいった。
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そこからの魔物狩りは思ったより苦労しなかった。
森の中には、先程のイノシシ型の魔物が何匹も生息していた。人生初の“狩り”である。
さっきは一瞬のことだったし、気も動転していて曖昧だったけれど、冷静になるとよくわかる。拳に意識を集中させると……あの黒い“モヤ”が、じわじわと手にまとわりついてくる。
さらに、あの瞬間移動。
試しに木の陰を視界に入れ、「あそこに移動したい」と念じると……、次の瞬間には、すでにその場所に立っていた。
距離は十メートルほど。時間にして一秒もかかっていない。あまりに自然すぎて、自分の体が“どうやって”移動したのか、脳が処理しきれない。
――もしかして、これが魔法なのか?
正直原理はまるでわからないが、この力はおれの気持ちに応えてくれる。
だがこの黒いモヤは……どうにも気味が悪い。まるで黒い炎をまとっているようではあるが、熱も冷気も、痛みすら感じない。
――異世界にきたんだ、わからないことを考えたって仕方がない。ここにはインターネットもないし調べようもない。いずれわかる時もくるだろう。
そんな楽観的なことを考えながら、おれは狩りを始めた。
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