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俺と本庄先輩はまた電車を乗り継ぎ、お互い言葉にするわけでもなく、学校最寄りの駅に戻ると、カフェに入った。

まだ学生なども居ない時間。大学生が疎らに席を埋める中、俺達は最初と同じ席に座って、窓硝子越しに人波を見ていた。紙カップから立ち上る珈琲の湯気が、白く立ち上り消えて行く。

「今日はありがとう」

 珈琲も飲まないまま、ぼんやりしていると、本庄先輩がそう呟いた。

「お礼を言われる事は何も……」

 お礼を言われるような事は、何もしていない。ただ俺は、彼女を抱き締めただけだ。本庄先輩を慰めようとか、彼女に何かしたいという思いではなく、ただ俺が彼女を抱き締めたいという欲に従い、抱き締めただけだ。

 俺は何て言い訳すれば良いのか分からず、言葉を口の中であぐねる他なかった。

「私、何もないままに誰かに抱き締めてもらうの、初めてだったかもしれない」

 本庄先輩がそう呟く。

「手を繋ぐのもね」

 そう言って口元にささやかな笑みを宿すと、彼女は紙コップを手にして、白い湯気をふっと息で払った。俺も同じように珈琲に口を付けると、思った以上に熱いそれに驚いて、口を離す。

 本庄先輩は、そんな俺を見て笑った。こんな事で彼女が笑顔になるなら、そんな思いが、どこからともなく込み上がってくると、俺はそれを隠すように、ぎこちないだろうけれど、笑みを返した。

 俺と彼女の間の空気が、ほんの少しほぐれるような気がした。

 俺達はそれからどこに辿り着くわけでもない話をした。何かを誤魔化すようであり、けれど、本当にその場を楽しむようでもあり。ただ俺達がそこに居る事だけが本物であるかを確かめるような、そんな他愛のない会話だ。

 話しては口を噤んで、沈黙に肩までどっぷりつかり、人の流れを眺める。

「いつき君」

「はい」

「私の名前、知ってる?」

「本庄かなえ先輩」

「なんで知ってるの?」

「聞いといてそう聞き返します? 先輩、美人で有名ですから、嫌でも名前入ってきます」

「へえ、自覚なかったな」

「自覚あってもどうかと思いますから、良いと思いますよ」

「ねえ、いつき君」

「なんです?」

「私の名前呼んでみて」

「本庄先輩?」

「かなえさん」

「嫌です」

「私のセックス見るのは」

「あー! わかりました!」

「先輩はつけないでね」

「……かなえさん」

「はい」

「かなえさん」

「なぁに、いつき君」

 ――そう言って、おままごとする幼女のように笑った先輩は、胸が締め付けられるほど可愛くて、俺は溜息吐く仕草をして、自分の心を悟られないように隠した。先輩はそんな俺の肩を掴み揺らして、

「これからかなえさんね!」

なんて言うものだから、いよいよ俺の心拍が乱れ始めて、どうにもならない気恥ずかしさと、戸惑いの中に、俺は「あーはいはい」と、乱暴な返事しかできなかった。

 それでもかなえさんは嬉しそうに俺を揶揄って遊ぶから、まるでそれが永遠のように感じられて、外の寒さなんて忘れてしまい、心も体もほこほこと温められるような幸福感で満たされてしまう。

 妹にも感じる事の出来なかった何かが、俺の胸の奥で言い表しがたい何かを生み出そうとしているのを感じた。

 ――けれど、それが生まれる事も孵化する事もする余地なく、かなえさんは翌日、自殺した。


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