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電車で二駅乗り、学校の最寄り駅にあるいつものカフェに入ると、先輩は良く座る窓際の席に座っていた。ガラス窓の外を流れる人波を見つめる横顔は、憔悴しており、隠せない疲労で青くくすんでいた。それは冬晴れの日差しとは対照的で、一際そう目についたのかもしれない。
俺は静かに近寄ると、本庄先輩、と声を掛けてみる。彼女は何処かに手放していた意識を引き戻すように、幾度か瞬きすると、いつもの笑顔でこちらに振り返った。
「本当に学校休んでたんだ」
揶揄うような声音で言われて、俺は隣の椅子に首に巻いていたマフラーを置いた。
「まあ、気になってたんで。ちょっと飲み物買ってきます」
そう言って一旦席を離れてレジに向かい、俺はいつもの珈琲と一緒にチョコレートのクッキーを買った。
席に戻り、彼女の珈琲を支える手のそばにクッキーを置くと、本庄先輩は不思議そうにそれを見つめてから、
「いいの?」
と言い、俺が頷くと、嬉しそうにそれを食べてくれた。白い皿に乗る大判のソフトクッキーを小さく取り、口にゆっくりと運ぶ。チョコレートの甘ったるい香りが漂うような気がして、自分の中の父親に対する戸惑いが、少しだけ緩む気がした。
俺達は暫く無言で窓の外の通りを眺めたり、珈琲を飲んだりしていた。夕方よりも疎らではあるが、冬の晴天もあり、明るい太陽の下を歩く人達の足取りは、何処となく軽快に見える。乳母車を押して歩く女の人も、スマホを耳に押し当て歩くサラリーマンも、派手な化粧と派手なファッションに身を包んだ大学生風の人たちも、誰もがこの陽気を楽しんでいるように見えた。
俺達はただそれを呆然と、映画を眺める様に見つめていた。
「これね」
何の前触れもなく、思い出したようにそう言いながら、彼女は着たままの白いコートのポケットに手をいれた。なんだろう、とその様子を見ていると、一枚の折りたたまれた紙が出てくる。
「なんか捨てられなくて」
彼女は二つ折りのそれを開いて、丁寧に両手で皺を伸ばした。
折り皺の消えないまま、差し出されたそれを受け取る。それは白黒の写真だった。実際見るのは初めてだけど、何となく、それが先ほどまで本庄先輩の腹の中にいた子供の写真だと分かった。
「これ、ここの……白いやつ」
彼女の細い指が、薄いベールの巻層雲みたいに白と黒が混ざり合う中の、細かな一点を指さす。俺は表面を丁寧に磨いた桜貝のような、彼女の爪の先が差すそれを、まじまじと覗き込んだ。
それは生きているものと判断するには頼りない印のようであった。けれど、紛れもなく生きていた証拠写真だった。そう思うと、手にあるそのたった一枚の写真が、少し重く感じられた。消えたばかりの魂が、手の内側にあるようだった。人は死ぬと、二十一グラム軽くなるという事を、どこかで聞いた事を思い出した。本だったか、妹だったか、誰かの雑談だったが、忘れてしまったけれど。魂の重さ。それが、手の内にある様な気がした。
俺は暫くその一点を見つめていた。人の形はしていないけれど、人だったに違いない微かな一点。俺は何と言って良いか分からず、顔を上げて、本庄先輩へと視線を流した。
彼女の表情は、久し振りに見る穏やかなそれで、俺は少しだけ違和感を感じた。ほんの少し、歯車がかみ合わない、そんな些細な違和感だ。
「もういないんだって」
彼女が他人事のように呟く。零した言葉が珈琲に落ちて深く深く沈んでいく気がした。俺はそっと写真を返すと、彼女の穏やかな横顔を見つめる。冬の日差しが、空気中に舞う微かな埃をきらきらと金色に光らせながら、本庄先輩を包んでいた。
俺と本庄先輩は、暫く黙ったまま、その写真を見つめていた。
店内に流れる音楽に、増えた客の談笑が混じり始めても、俺達はただその真ん中に折り畳んだ皺の出来たモノクロの写真を見つめる。
黙祷のような静けさが、ただひたすらに俺と彼女を包んでいた。




