第三話 先輩しっかりしてください
「まさか、トオル君がここで働くなんてね」
「おう、マコ。今日からよろしく!」
そう意気揚々とあいさつしたのは、マコと同じ大学に通う同級生のトオルだった。毎朝このコンビニに同じ時間にきてホットコーヒ―を買っていく彼だったが、今日はコンビニ『ロッソン』の店員の格好をして、こうしてカウンターの中に入っている。
「なんか、面接のときすごい大変そうだったね…プッ…あははは」
「あーーーもうなんでみんな俺のこといじるんだああ!!!」
トオルは真っ赤になった顔を両手で覆い隠している。トオルは一度、教科書に見せかけた日記帳をこのコンビニに忘れて行ってしまい、その内容を店長と店員に見られている。
そのせいで、店長との面接の際、「あの日記はまだ書いているのかね」とか、「自己PRの代わりに日記を見せてくれてもいいのだよ」とか言われていたのだ。店長は一見冷静そうなおじさんなのだが、面白いと思ったらさりげなくいじってくる。
「あれまじで本当に疲れた…。」
「お疲れ。まあ、採用されてよかったじゃん。」
「うんまあ、そうなんだけど…」
トオルとマコが話していると、店長がやってきた。
「トオル君。今日からよろしく。」
「あ、はい!お願いします。」
「今日は、うちで一番長く働いているコウジ君に指導してもらうからね。」
「はい。」
「今日は土曜日だから、朝は忙しくないと思うけど、まあ彼にいろいろ聞いて頑張ってね。」
「わかりました。」
「じゃあコウジ君、あとはよろしくね。私はちょっと用があるから外に出ているよ。少ししたら戻ってくるけど。」
店長が後ろを振り返り、後ろの男に前に出るように促す。
「まかせてください!」
そういって店長の後ろから出てきたのは、高身長の男だった。
「俺の名はコウジ。このコンビニができた当時から働いている!42歳だ!」
「あ、そうなんですか…。別に年齢は聞いてないんですけど…。」
トオルがコウジの迫力に圧倒されて一歩後ずさる。
「コウジさん、新人には毎回こうやって挨拶するらしいから、あんまり気にしなくていいよ。」
「そ、そうなんだ…。」
「よし、今日はレジのやり方から教えてやろう」
「お、お願いします…。」
高身長のせいなのか、上から目線な話し方のせいなのか、なんだか圧倒される。あと、少し声が大きく暑苦しい。
カウンターに立つと、一人の客が弁当を一つ持ってきた。
「よし、客が来たぞ。まずは俺が手本を見せてやろう。」
「はい」
客が弁当をカウンターに置く。
「これ、温めてください。」
「了解した!」
コウジは弁当を受け取ると、バーコードを読み取る。
「トオル、弁当を温めるときには、ソースをはがしてから温めるのだ!レンジの中で爆発するからな!」
「は、はい…」
言っていることはとても大事なことなのだが、隣で大声を出されると鼓膜が破れそうでやはり一歩下がってしまう。目の前で財布を出している客もいつの間にか少しカウンターから距離を取っている。
コウジは弁当からペリペリとソースをはがしていく。…が、その手が急に止まった。
「…!!!」
「…コウジさん?」
トオルが不思議に思ってコウジの手元を覗き込む。なんと、引っ張った時にソースの袋が破け、中のソースが流れ出てしまったのだ。
「えええ!?ちょ、コウジさん!手が!ソースだらけに!!」
「うわあああ俺の手があああ」
カウンターの中で騒ぐ二人を見て、客がまた一歩後ずさる。
すると、隣のカウンターにいたマコが素早く二人のもとへやってくる。
「申し訳ございません、お客様。すぐに新しいものと交換してまいりますので。」
「あ、はい…お願いします…。」
マコは素早く店内から同じ弁当を取ってきて、ソースをはがし、レンジに入れて温めのボタンを押す。
「430円になります。」
支払いも素早く済ませ、レシートを渡す。
チーン
レンジが音を鳴らすと、扉を開き即座に弁当をレジ袋の中に入れる。
「お箸はご利用になりますか」
「はい、お願いします」
割りばしも袋に入れると、レジ袋の持ち手をくるっと巻き付け、持ちやすいように工夫し、そのまま客に手渡した。
「お待たせいたしました。お暑いのでお気を付けください。」
「うん、ありがとう」
客が袋を受け取ると、マコは深々と頭を下げた。
「先ほどは申し訳ございませんでした」
「いえいえ、新人君、頑張ってね」
「あ、ありがとうございます。」
トオルも深々と頭を下げる。
こうしてマコのおかげで、無事に終えることができた。
「マコさん、ありがとう…」
「ううん、いいのいいの。いつものことだから。」
「え、いつものこと…?ていうかコウジさんは?」
トオルの隣にいたコウジは、いつのまにかいなくなっていた。
くるりとあたりを見渡す。
「俺はゴミクズ野郎だ…。」
コウジがカウンターの奥で膝を抱えて丸くなっているのが見えた。
「え、ええ??コウジさん??」
「俺なんていつもこうだ…。一番長く働いているのにいつも失敗ばかり…。きっと足手まといなんだろうなぁ。」
そういって泣き出してしまった。
「うわああああん」
さっきの暑苦しさから一変、さめざめと泣くその姿は、おやつを買ってもらえなかった小さな子どものようだった。
「え、あの…?」
「ああ、やっぱりこうなったか…。」
マコがはあ、とため息をつく。
「やっぱりって?」
「コウジさん、仕事はできるんだけど、いつも自信満々で何でもできるって思ってるせいなのか、ちょっと失敗しただけですぐ泣き出しちゃうの。いわゆるお豆腐メンタル…って感じ?」
マコの「お豆腐メンタル」という言葉を聞いてさらに泣き出すコウジ。
「えええ!ど、どうすればいいんだよ!」
「とりあえず慰めて。」
「!?」
「お客さんの対応は私が全部やるから、トオル君はとりあえずコウジさんの慰め係になって。だんだん元気になるはずだから。」
「な、慰め係!?」
マコはすぐにレジに戻っていき、「次の方どうぞ!」と客に声をかけ始めた。トオルは心底めんどくさいと思いながら、コウジの横に一緒に座り、慰めることにした。
20分くらい経っただろうか。一向に泣き止む様子がない。泣き声が聞こえたらお客さんが困惑するだろうということで、トオルとコウジはバックヤードに移動した。
「どうすればいいんだ…。」
「ごめんなあ…。俺がちゃんと指導できないせいでお前の貴重な時間を…うわあああああ」
「もうそれはいいですから!泣き出す前までは上手に指導してくれてたじゃないですか」
「じゃあ今は足手まといなんだ…俺はダメな奴だ…うわああああ」
さっきからずっとこうなのである。
トオルも正直疲れ果てている。というか俺は何のバイトをしに来たのだろうか…。そんなことまで考え始めた。
「俺も泣きたいんですけど…。」
トオルがそうつぶやくと、誰かが店内に入ってきた。
ピロリロリロン、ピロリロリロン
「あ、店長。お疲れ様です。」
「ああ、マコちゃん。どうかな?彼の様子は」
「いつも通りです。店長お願いします。」
「よしわかった。」
入ってきたのは店長だった。外での用事を済ませて帰ってきたのだ。トオルは考えるよりも先に、バックヤードを飛び出して店長のもとへ駆けだしていた。
「店長!!」
疲れ果てた表情のトオルを見て、店長は、うん、とうなずく。
「ああ、わかっているよ。トオル君、ありがとうね。」
そう言うと、バックヤードへ入っていった。
「トオル君、レジのやり方もう一度教えるから、一緒にこっちにいよう」
マコがトオルに声をかける。
「あ、もういいんですか」
「うん、店長に任せておけば大丈夫。」
はあ、とトオルが気の抜けた声を出す。店長は何でもできる人なのだろうか。
トオルはレジのやり方を教わりながら、バックヤードから聞こえてくる声も聴いていた。
――大丈夫、君はいつもよく頑張ってくれているよ。
――店長…。でも、俺はいつもすぐ泣くから…
――それは、一生懸命になっている証拠だ。
――店長……!!!
こんな声がずっと聞こえてくる。トオルは、店長の忍耐強さに心底感心していた。
そして、5分くらい経っただろうか。
「マコ、トオルの指導ご苦労だったな!」
「あ、コウジさん。」
コウジは何事もなかったかのように、すっかり元通り元気になって、カウンターへ戻ってきた。
「あとはこの俺に任せておけ!何しろ俺はこのコンビニで一番…」
「あの、俺今日はこのままマコさんに指導してもらいます。」
トオルが疲れ切った顔で反射的にそう返してしまった。
そして、トオルが気づいたときにはもう遅かった。
「どうせ俺なんてえええええ」
「あーあ、トオル君…」
「うわああごめんなさいいいいなんでええええ」
それから、トオルはまた店長とともにコウジを慰める羽目になった。
「店長、なんであんな人雇ってるんですか。」
お昼休憩中。弁当を食べながら、トオルは店長に聞いてみた。
「ははは、それはまたいつかわかるよ。」
店長はすがすがしい笑みを浮かべている。やりきった、というような表情だ。本当に自分は今日何のバイトをしに来たのだろう。そして店長もなぜそんな表情ができるのだろう。トオルは今にも倒れそうなほど疲れ切っているというのに。お昼を食べた後、終わるまで気力が持つだろうか。
「店長は何でもできてすごいですね…」
「いやいや、サオリちゃんのほうがもっと早くおさめられるんだよ。」
サオリはこのコンビニで働く、トオルとマコの一つ上の、同じ大学に通う先輩だ。
「え!?どうしてですか」
店長はしばらく考えた後、こう答えた。
「確か保育士を目指しているとか言っていたから、それが影響しているのかな。」
トオルが目を見開く。
「え、赤ちゃんあやすのと同じってこと…!?」
トオルの持っていた箸が、カラカラと音を立てて床に落ちた。
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