祖母の味
小さい頃から食べていたものが、今でも割と好きなんだけれど、その食べ物って、母が夕飯に焼いてくれたさんまだったり、魚飯だったり、割と母は料理上手だったので、生節ときゅうりの和物だったり、野菜の煮物、天ぷら、豚ロースの卵つけ焼きだったり、色々とあるんだけれど、その思い出せるものは祖母が田舎で作ってくれたものと被ったり、祖母が送ってくれたりしたものもある。
祖母は三重県の尾鷲市の山の麓に住んでいて、周りの人からも慕われていた。
何か料理をすると、近所に配ったりしていたのを何となく覚えている。まぁ、それだけではないようだけれど、人に分け与えるような人と言えば、何となく雰囲気はわかるだろうか。
母や私が祖母の家に行くと、第一声が、「おぅ、飯食べよー。」と、既に食事の準備がなされている。それが昼時とかならわかるが、それよりはるか前だったり、昼をだいぶ過ぎて着いたとしても、それは変わらない。
祖母が体調を崩して入院してお見舞いに行った時でさえも、第一声は変わらなかった。自分のことより、子や孫らの飯の心配である。
祖母は九十七才で天に召されたのだけれど、その時は祖母に世話になったという人が、次々に弔問に訪れた。中には遠方に住んでいても、訃報を聞きつけて悔やみにきてくれた方もいた。その時程、祖母の偉大さ、寛大さを感じれたことはない。
その祖母の作ってくれたものは、梅干、瓜の漬物、ずいきの漬物。魚飯、田舎巻き、さんま寿司、かますだっかなぁさんま寿司と同じように姿寿司になってたの。エゴマのいも餅、この芋は、さつまいもの芋でじゃがいもではない。沢山のお造りも食べさせてもらった。
あとね、筍を下処理までして送ってくれたり、干物も送ってくれた。
夏は畑で作ったスイカを井戸水なのか湧き水なのか、冷たい水で冷やしておいてくれて、夏の海水浴の後に食べたりもしていた。
ぼた餅も美味しかった。
今はね、中々尾鷲に行く機会がなくて、その味には出会えなかったりするけれど、是非また食べてみたいと考えている私は、結構食いしん坊のようだ。
この間、『ライオンのおやつ』と言う小川糸さんが書かれた小説を読んだ時に、私がもし人生の最期に食べるとするならどんなおやつだろうって考えた。私が選んだのは、祖母が作ってくれた、エゴマのいも餅だった。
余談だが、この小説を読んでから、幾つか小川糸さんのお話を手にしたのは別の話である。
まぁ、そんなこともあり、いつかこのエゴマの芋餅を是非再現したいと思っている。
ちなみに私はそれ程料理は得意ではない。まぁ、幸い毎日食事を準備するので、以前よりマシにはなっているとは思うが、今も主人が私の料理の実験台なのは、申し訳ないかぎりだ。
今日は何をしようか、料理上手だった母も祖母の元に行ってしまったので、相談することもできない。
冷蔵庫に入っている材料を見ながら、今日も私は料理を考える。
「嗚呼、ばあちゃんの料理食べたい。」