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2.1.由紀の恋が目覚めた日

 久しぶりに言葉を交わしたのは、文化祭実行委員にされてしまった私が、その初めての会合に出た会場でのことだった。

「渋谷さん、隣、いいかな」

 ぼんやりしていた私は、急に言葉をかけられて、びっくりして顔を上げた。

「あ」

 と、声を上げてしまった。

 そこにいたのが、中学時代からの想い人だったから。

「ああ、晃彦くん」

 とっさに気の利いた言葉なんか、出てくるはずがない。私はただ名前を呼ぶことしか出来ず、それすらも上出来だと思えるほどに頭が沸騰してしまった。

 どうして。

 どうしてあなたがここにいるんですか。

「……どうぞ」

 芸のないセリフしか口からは出てこない。

「じゃ遠慮なく」

 晃彦くんは、そんな私の醜態に気付いた様子もなく、ごく自然に隣に座った。

 座ってくれた。

 なんで晃彦くんは私の隣を選んだんだろう。他に席に空きがないわけじゃないのにどうして。もしかして少しは私の気持ちに気付いてくれていたりするとか、いやそんなことあるわけないんだからきっと他の席に座れない理由なんかあるのかもしれない、私の存在なんて気付いてもらえてるはずがないし、でも私の苗字を呼んでくれたから存在くらいは知ってもらえてるのかも……

 私はぐるぐると沸騰する頭の中で、意味があるようなないような言葉を並べ立てていた。とても落ち着いてなんかいられなくて、急に腰の辺りがむずむずしだして、いすの上で身じろぎした。

 私なんかの隣に座って居心地悪いんじゃないか、とか、私なんかすぐに消え去ってしまったらきっと晃彦くんはすっきりするんじゃないか、とか、考えているうちに私の口は暴走していた。

「……晃彦くんも、押し付けられたんですか?」

 いった瞬間に後悔していた。何をいっているんだろう。自分が押し付けられたからといって、彼も押し付けられたとは限らないのに。仮にそうだとしても、私とは違う。彼なら仕事が出来ると思うから、みんなが彼に任せたんだ。私のように、押し付けても反発しない相手だから押し付けられた人間とは違う。

「うん。そういうってことは、渋谷さんも?」

 晃彦くんは私の動揺に気付いてしまっただろうか。ごく気軽に応じてくれる気さくさが、どこまで晃彦くんの正直な態度なのかわからない。

 私は、自分で質問を振ったくせに、どうにかうなずくのがやっとだった。

 たぶん私は耳まで赤くなっている。

 いやだ。本当に消えてなくなってしまいたい。

「帰宅部だから放課後は暇だろうってさ。いい迷惑だ」

 そう付け加えてくれた晃彦くんの口調は至って自然で、それがまた悲しい。私は意識されていないし、名前を知っているという以上の存在じゃない、自意識過剰も大概にしておけ、という冷静な自分の声が聞こえる気がした。

「そうですか」

 固い声が自分の口から出るのを、私は絶望的な気分で聞いていた。

 もう、その後どんな会話をしたのか、私は覚えていない。きっと「はい」とかなんとか繰り返すのが精一杯だったはずだ。

 最低だ、私は。

 晃彦くんはすぐにしゃべらなくなった。多分、私に失望したんだろう。当然だ。

 会議が始まり、生徒会執行部の誰かがしゃべっていたけど、私にそれを聞いている余裕なんかなかった。ただ、この時間が早く過ぎてくれることを願った。

 何もしていないのがつらすぎて、私はほとんど無意識に落書きをしていた。後で資料を見ると、なぜか食パンマンとアンパンマンが並んでいた。幼稚園の頃から描いていた落書きだけど、中学生以来、ほとんど書いた記憶がない。自分に失望したあまり、幼児帰りでもしていたのだろうか。

 その後、一言も口を聞くことなく、会議は終わるはずだった。

 でも、神様は私にさらに試練を課した。

 全体会議が終わると、私はなぜか晃彦くんと肩を並べて歩く流れになってしまった。

 あんなに憧れていたはずの晃彦くんの隣という立ち位置。

 過去の自分がこんな場面を見たら、枕に顔をうずめてじたばたしそうな場面のはずだった。

 でも、今の私には、きつい。

「クラスの企画を管理するっていったってさ、企画を審査するのは執行部だし、予算管理は会計係だし、別にやることないじゃんなあ」

 晃彦くんは、たまたま同じ「企画担当」に割り振られてしまった私に気を使ってか、声をかけてくれた。

 背が高い晃彦くんの声は、上から柔らかく降り注いでくる。心地いい音。

 私が知っている中学時代の晃彦くんは、陸上部の中で記録が伸び悩みつつも、いつも明るくまわりを気遣っている人だった。その頃の晃彦くんはこんなに大きくなかった。

 クラスでも身長順では前から何番目かだった晃彦くんは、背が急に伸び始めると同時にタイムを落とした。

 私は知っていた。

 晃彦くんはそんな中でも同級生や下級生のタイムアップのために惜しみなく協力して、アドバイスもして、どんどんまわりを底上げしていったこと。自分の記録アップが望めないとわかると、ごく自然にそうしていたこと。押し付けがましくなく、さりげなく。

 そんな姿を見て、私は彼を好きになっていた。

「雑用係、でしょうか」

 私はどうにかそう答えた。会話の流れとしておかしくなかったかどうかもわからないまま、無理やり出した言葉だった。

「ありそう」

 晃彦くんは私の言葉にうなずいてくれた。間違ってはいなかったらしい。

「どうせ自分らで管理するなんて約束、どこも守らないだろうし。結局俺らが全部やった方が早い、みたいな感じになりそう」

「だとすると、書類作りはさっさと済まちゃわないと、後で必要になってから、なんて考えていたら追いつかなくなりそうだね」

「各クラスの企画が出そろう前に書類作って、使い方の簡単なマニュアルも作っちゃって配付して、ついでに自分たち用のチェックリストも作ろうか」

 晃彦くんは次々に言葉を繰り出してくる。

 隣を歩いていて、その回転の速さに圧倒されてしまった。

 この人、やっぱりすごい。

「資材のリストは去年のがあるけど、数とかチェックしなきゃいけないし、そのあたりもちゃちゃっと終わらせないと、後が怖そうだね」

「新規購入分の予算配分なんかはどうなってるんだろう。購買分は会計と相談なのかなあ。確認しとかないと」

 晃彦くんがバイトをしていることは結構有名。しているバイトが土木作業というのもこの学校では珍しかったし、掛巣さんという地元不良界の有名人の気に入られているらしいという噂もあった。

 晃彦くんは前から大人だったけど、もう私の想像が付かないくらい先を歩いているのかもしれない。

 自虐や自己否定に走っていた私も、晃彦くんの言葉を聴いているうちに、そんな卑小な自分のことより、晃彦くんのすごさに惹かれた。

「そんじゃ……どうかした?」

 晃彦くんは、私が思わずその横顔に見とれてしまっていたのに気付いたか、私に問いかけてきた。

 私はその事に驚くことすら出来なかった。

 淡い想い、という程度だった私の恋心は、もう、確実に強い想いに変わっていた。

「……ううん、すごいなあ、と思って」

「なにが?」

「仕事、できる人なんだなあって」

 私はいつの間にか必死になっていた。どうしても、今の自分の気持ちの何十分の一かでも伝えたかった。

 晃彦くんがすごいことを、私は知っているということ。私はあなたを見ています。

「始まってもいないのに、んなのわかんないだろ」

 晃彦くんは私の思いになんか気付いてくれるはずもなく、ちょっとぶっきらぼうに答えた。

「ううん、始める前からそうやって仕事の先が読めるの、すごいと思います」

 私はたぶん晃彦くんにとって聞き取りにくくない限界の小声でいう。それ以上の声は、のどが応えてくれなかった。

 必死の一言だった。今の私の限界。

「バイト先でさ、こうやって仕事の先の先を考えてる人がいるんだよ」

 晃彦くんは気負うこともなく、ごく自然体で答えてくれた。

「後で苦労するのが嫌なら、とかいう問題じゃなくてさ、大人が仕事やってて、段取りが上手くいかなくて失敗したら、自分以外の他人に迷惑がかかるだろ。金だってばかばか出て行くし、土木工事なんかだと下手すりゃ死人が出る」

 晃彦くんの話す内容は、もう、私が知らない世界の話だった。高校生になってしばらく経つけど、死人が出るような切羽詰った場面に立つかもしれない、なんて覚悟で物に当たったことは、少なくとも私にはない。想像もつかない世界。

 彼は私とは違う世界に住んでいる。それが強烈な憧れにもなるし、断絶にも感じられる。

「……でも、自分で選んだ仕事じゃないですよね、実行委員も、クラスの管理担当も」

 私は、プリントを挟んだルーズリーフを抱くようにして持ち、それはわらにすがる溺れた者の仕草だったかもしれないけど、それを抱くことで自分を無理に奮い立たせた。何かを抱いていると不思議に力が出る気がした。

「なのにちゃんと仕事のこと考えてる」

「うーん」

 晃彦くんは少し考え込むようだった。私なんかのために。その誠実さが私の心を捉えて離さないなんて、この人は気付いてもいないんだろう。

「確かにそうだけどさ、実行委員だって断ろうと思えば断れたんだし。それをしなかったんだから、やることはやんないとなあ」

 それに、と晃彦くんは言葉をつないだ。私はその場に固まって、声が降りかかってくるのを待つことしか出来ない。

「誰かにいわれて動くだけなの、俺嫌いなんだよね。バイトで大人に囲まれて仕事してるとさ、学校で高校生ごときに使われるの、なんかむかつくんだわ」

 私は体中に電気が走ったような気がした。

 やっぱり、この人は大人だ。もう大人の世界に入り込んでいるんだ。私とは違う世界の中にいるんだ。

 高校生に使われることすら自分には過分なことのように感じている私。

 高校生ごときに使われるのはむかつくとまでいってしまう彼。

 分不相応な恋に思えたけれど、それでも、やっぱり、私は晃彦くんに憧れていた。

「……そういう物の見方もあるんですね」

 かろうじてそれだけつぶやくと、私はどうにか見上げて晃彦くんの目の辺りをさまよわせていた視線を、ついと落とした。

 これ以上は無理だった。

「バイトしてるの、すごいですよね」

 と最後につぶやいた。

 なにをいっているんだろう、今さら。そう自分でも思ったけれど、それも本音のひとつだったから。

「すごいかねえ」

 晃彦くんは私の反応に不思議そうな顔をして首をかしげていた。

 彼にはわからない。

 太陽の下を歩いて少しも揺るがない人。

 人々の間にいることを平然と受け入れられる人。

 どちらも私にはないもの。

 だからこそ惹きつけられるもの。

 夜郎自大な、無知から来る傲慢とは違う、学校という限られた閉じた世界以外の世界を知っているからこそ身についた、余裕。

 それまで漠然と「いいなあ」と想い続けていた、その私の恋心は、偶然のいたずらで花開いてしまった。

 大げさかもしれないけれど、私の人生はここから始まったんだ、と、後になって私は思い知ることになる。

仕事が休めません。残業の嵐で身動きがとれず更新できずに申し訳ありません。気長にお待ちください。しばらく由紀視点を楽しんで書きたいと思っています。

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