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4.9綾華5

 なんか、馬鹿馬鹿しくなったわけね。要するに。

 うじうじ考えちゃあ相手の反応に一喜一憂したり、一緒にいるとやたら楽しかったり、離れた後に自分の言動に自分でダメ出ししてのたうち回ったり、こんなの、普通に考えたらさ、恋以外の何物でもないでしょ。

 あたしも気付いてしまったわけだ。自分が想像以上の早さと深刻さで浩樹先輩に惹かれ、恋してしまっていることに。多分、あきちゃんのときより、激しくて、強い。

 こんなに惚れっぽかったんだ、あたし。生きてるとそれだけで発見だらけの日々だね。毎日刺激的なことでようございました。

 だいたい、今まで恋のひとつもせず、告白を受けたことすら無いらしい浩樹先輩が、あたしの目にはかっこよく見えて仕方がないという時点で、あたしは多分壊れている。

 美形は間違いないと思うんだけどなあ。でも多分、かなりあたしの感情が見る目を狂わせてるっぽい自覚もあるしなあ。

 あの堅い、堅いにも程があるほど堅い性格が気持ちいいとか、絶対おかしいから。どんだけ歪んでるんだよ。マゾか。ドMか。テレビならNHK好きか。

 いや、別にNHK好きがドMってことじゃなくてね。

 とにかく、自分が無惨なほどに浩樹先輩に恋してしまった自覚がある以上、行動しないとかあり得ないわけですよ。話してるだけで胸が一杯になって、苦しくなって、涙が浮かんじゃうほど感極まったりしてる状態で、なにもしないでチャンスや相手の出方を待つとかあり得ないからマジで。

 というわけで、あたしは浩樹先輩をだましてデートに連れ出し、フェミニンで可愛らしいコーディネートで攻めるというベタなアプローチを仕掛け、相手にデートを楽しむ意識を芽生えさせ、あまつさえキスを奪うというミッションも達成した。

 グッジョブあたし。

 さらには、たたみかけるように恋人つなぎで先輩の左手をロックするという偉業を達成し……




 ……あたしは思考停止した。

 あれ? こっからどうすんだっけ?

 まともじゃない恋に縛られてつまらない連中とつるんでいたせいで、あたしには「普通の恋の進め方」のレシピが備わっていなかった。

 そもそも普通の恋って何だ。

 あきちゃんと由紀みたいな恋?

 いや、あれはまともなようでいて、まともじゃないぞ。なんせ、あたしが感心するくらいのいい男と、一皮むけたらとんでもない美少女に一変しやがった女だし。

 外見だけじゃなく内面でもあたしが心から尊敬できる、しかも年下のカップルなんて、少なくともあたしは普通だなんて認めない。認めてなんかやんないぞ。特別に決まってる。本人たちは絶対に自分たちを平凡とか思ってるんだろうけどさ。

 よって、奴らは参考にならない。残念。

 他にも候補が思い浮かばないではないけど、却下。自分を納得させる例になるほど親しくない。

 かといって今まで付き合ってた連中の考え方から行けば、答えなんか簡単に出る自分もいるわけで。

 元カレも含めて、あたしの周囲に勝手にたむろっていた連中の思考回路なら、男女を問わず、次のあたしの行動なんかひとつしか思い付かないはず。

 ホテル直行。

 身体も大事な恋愛の要素で、あたしはセックスを否定なんて絶対にしないし、嫌いでもない。むしろ好きな方。

 浩樹先輩に抱かれるなんて考えただけでドキドキするし、全身の肌が敏感になるし、唇や乳房が張ってくる感覚になるし、見悶えて笑み崩れたあげく死にたくなるほど恥ずかしくなるなんてことにだってなる。

 でも、だ。

 欲しいのは、それじゃない。

 いや、したいよ。したいけどね。

 それが目的じゃない彼氏彼女に、あたしはなりたかった。

 もしかしたら恐ろしく贅沢な夢なのかもしれない。浩樹先輩に身体抜きのあたしを好きになってもらおうなんて、傲慢で無茶で無理な夢なのかもしれない。

 でも、夢を見たかったんだよ、あたしも。

 あきちゃん相手にはかなわなかった、心と心とでぶつかり合うような恋。

 そんな夢を見ていたくせに。

 あたしは、実際にそんな風になりたくて握った先輩の手を前に、かなりシャレにならないレベルの思考停止に陥ってしまった。

 無様だ。

 こいつはかなり無様だ。

 手をつないで歩き出したら急に黙ってしまったあたしを、浩樹先輩が気にしている。まあ、そりゃそうだよね。

 でも、あたしにそこで気の効いたことをする余裕はなかった。

 浩樹先輩の手から伝わる温もりとか、肩が触れ合う距離の心地好さとか、あたしのペースに合わせて歩幅まで変えてくれてる優しさとか、いつもメガネ越しに見ている目を横からかろうじて直接見られるもどかしさとか、つないだ指から感じる熱とか、微妙な動きとか、色々なことを一気に感じたら、もうめちゃくちゃになっちゃった。

 明治神宮の砂利の参道からJR原宿駅の裏にある道に出た私たちは、それまでの騒々しさがうそのように静かに手をつないで歩く。

 そして、不意に浩樹先輩が立ち止まった。

「……どうした? 大丈夫か?」

 いつの間にかうつむき加減になっていた私が顔を上げると、浩樹先輩が心配と困惑が入りまじった顔で私を見ていた。

 無理もないと思う。

 あたしは、泣いていた。

 歩きながら、顔を多分真っ赤にして、歯を食いしばって、息を殺しながら、いつの間にか泣き出していた。

 いきなり連れている女がこんな状態になったら、そりゃびびるよね。

 答えようとした。大丈夫、気にしないで。

 でも、そんな状態で言葉がまともに出るわけがない。あたしの人生にこんな場面が来るなんて想像もしていなかったけど、あたしはしゃべろうとして息を軽く吸い込んだ瞬間に、盛大なしゃくりあげの発作に襲われた。

 まさかの事態にパニックになったあたしは、完全に冷静さなんか失った。ふぃっ、ひぃっ、と強くしゃくりあげて、そのたびに全身を震わせて、あたしは子供時代にも体験した記憶が無いくらい、むずかるお子ちゃまに成り果てていた。

 気が付くと浩樹先輩はあたしの正面にいて、それぞれの手であたしのそれぞれの手を握り、真顔でじっとあたしの顔をのぞきこんでいた。

 そして、そっと耳元に口を寄せてささやいた。




「ぼんぽんいたい?」




 まったく予期しない衝撃の一言に撃たれて、あたしは一瞬呆然となり、不条理なタイミングで出てきた赤ちゃん言葉と、それを口にした浩樹先輩の真顔とが、見事なまでにまるでシンクロしていない様子をぽかんと眺めた。すぐに、私のめちゃくちゃになっていた神経が立ち直り始める。

 そして、私は笑い始めた。

 泣き笑い。

 しゃくりあげようとする体と、吹き出そうとする体とが喧嘩して苦しい。

「な……なんでそこで……そのセリフが出て……くるのかなあ」

 先輩はほっとしたような顔になった。

「泣く子にはとりあえずこのセリフかな、と思って」

 いきなり泣き出されて困ったはず。でも先輩には余裕があったんだろうな。でなきゃこのセリフは出てこないでしょ。

 泣き笑いでぐずぐずいってるあたしを、浩樹先輩は腕をなでるようにしてなだめながら、黙って私が落ち着くのを待っていてくれた。

「……ごめんね。浩樹先輩は悪くないから」

 やっとのことでいうと、先輩は腕をなでながらうなずいて、

「ゆっくりでいいよ」

 と優しくいってくれた。

 そして、カバンからポケットティッシュを出して私に差し出した。

 自分の顔がどうなっているか、想像もしたくない状況だけど、涙と鼻水におおわれた顔よりひどい顔にはならなそうだから、遠慮なくいただくことにする。メイクを気にする余裕はこの時のあたしにはない。

 盛大に鼻をかんで、もう一枚で涙もぬぐうと、多少は落ち着いてきた。

 浩樹先輩はそれをじっと我慢強く待って、軽くあたしの両肩に手を添えていた。

 何をどう説明したらいいかわからないけど、何もいわないわけにもいかない。でも、そんなに急いで喋ろうとしても、言葉が出てこない。

 あたしがあうあうと言葉を探しているらしい気配を感じたのか、浩樹先輩が先に沈黙を破った。

「もうだいぶ落ち着いた?」

 大きくうなずくと、あたしは深呼吸した。横隔膜はギリギリのところで持ちこたえてくれて、それ以上大げさなしゃくりあげは起きなかった。

 ふたつ、みっつと深呼吸を続けると、体のこわばりもとれて、視野が広く明るくなった気がした。

 やっと、まともに言葉が出た。

「ごめん、急に泣いちゃって。なんか、うまく説明できない色々がうわーってなっちゃって」

 浩樹先輩はあたしの両肘に手を添えながらうなずいた。表情は柔らかい。

 恐る恐る出しているあたしの声は結構小さいし、近くを山手線が走る、路上には台数は少なくても車が行き交う、歩行者は二人の様子をもの珍しげに見ては行き過ぎる、という意外に騒々しい状況になっている。環境がよろしくない。

 あたしが視線を左右に走らせたのを感じてくれたのか、浩樹先輩が、肘に触れていた両手でポンと拍子をとった。

「歩こうか。顔も洗いたいだろう?」

 それからあたしたちは、また手をつないで歩いた。

 人通りが多い神宮の入り口から表参道に足を向けると、会話をしながらのんびり歩くのも面倒な程度には人が多くなる。かといって、流れに合わせてただ早く歩くというのでもなく、あたしたちは人様に迷惑にならない程度にゆっくりと、無言で、でも時々視線を合わせながら、静かにお昼前の歩道を進んでいった。

 表参道の混雑や喧騒を嫌って右にそれると、幼稚園の前を通って住宅街の小道に入る。人の流れが途絶えたように消え、たまに行きすぎる自転車があるくらいになる。いつもいつもこうじゃないんだろうけど。

 そんな中に、ひっそりとカフェがあった。古着屋さんの並びで、二階は美容室になっている。

 なんとなく無言のまま、浩樹先輩があたしに「ここでいい?」と視線で尋ねてきた。なんとなくその視線は理解できたから、うなずいた。

 店内はお昼の時間帯に向けてまだ開店したばかりのようで、お客さんの数は多くない。店の前の通りの様子からしたら当然という気もするけどね。

 店に入るところで、手が離れた。あ、と思ったけど、座ろうとすれば離れるのは当然なわけで、でもちょっと寂しくて、もっと歩いててもよかっな、とも思う。

 飲み物の注文だけ取ると、浩樹先輩はあたしに久しぶりに声をかけた。

「顔、洗ってきなよ。今のタイミングなら多少ゆっくりでも大丈夫だろうからさ」

 そういわれて、やっとあたしは自分が崩壊したメイクを人前にさらして歩いていた事実に気付く。どれだけの惨状か、さすがに経験が無い泣き方をしてしまったから、想像がつかない。

 お言葉に甘えて離席。

 おしゃれだけどちょっと窮屈なトイレに入り、鏡を見ると、思ったほどひどくはなかった。メイクは、だけど。鼻は少し赤いし、目は微妙に腫れていて、全体的に泣きむくみ、という感じ。

 とりあえず直せるだけのメイクは直したいから、まずは顔を洗う。下地とか色々やりたいことはあるけど、しょうがない。泣いた自分が悪い。

 自分ではさっと洗ってささっとメイクを直したつもりだけど、どれくらい経っただろう。可愛い系を装うのがテーマだったから、もともと今日はナチュラルメークに甘さを加えた程度のメイクだったから、メイクそのものにそれほどの時間はかかっていない、はず。

 トイレから出て席に戻ると、浩樹先輩は足を組んで外を見ながら、一杯目のコーヒーを飲み終えるところだった。

「待たせてごめんね」

「もういいのか」

 浩樹先輩はそういうと柔らかく笑った。

「ひどい顔してるでしょ」

「元が良すぎるから大して変わらないよ」

「心のこもらない褒め言葉をどうもありがとう」

「そんなことは無いつもりなんだけどな」

 浩樹先輩が少し不機嫌そうな声を出す。

 だってしょうがないじゃないか。いきなり褒めるんだもん。照れてまともにこたえられない、なんて事があたしに起きるのも我ながら不思議だけどさ、そうなっちゃうんだよ。

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