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1.あきにいちゃん

「入学と同時に失恋とか、ありえないでしょ」

 香澄が机にべったり張り付きながら愚痴った。

「まあまあ……仕方ないよ、1年の時から彼女がいるんだし」

 愚痴に付き合っている貴子は、もう何度目かわからなくなっている香澄のぼやきに苦笑した。

 入学からもう二月近くたって、そろそろ夏服に代わろうかという時期。初夏の日差しは既に猛烈で、外を歩くのにも度胸がいる。

 冷房がいい加減古くて暑さをほとんど解消してくれない教室は、丘の上という地形もあって窓さえ開ければ風通しだけはいいから、乾いた風が通り抜けて、気持ち良くなくもない。

「知っててなんで教えてくんなかったのよ」

 という香澄の非難も、いい加減聞き飽きてきた。

「一目ぼれの前に注意するとか、どんだけエスパーなのよ」

 貴子は何度目かわからないその反論を口にすると、チョコを口の中に入れた。

 香澄の片思いの相手は生徒会長。入学式の挨拶で演壇に立ったその姿に惚れた、という。

 貴子はその生徒会長を前から知っていた。

「幼馴染なんでしょ、彼女との仲を妨害するとか」

「できるわけないでしょ、あれだけ仲良いんだから」

 香澄と同じ目に遭った同級生は少なくない。

 大体、目立つ上級生がいい男だったら、新入生に人気が出ないはずがない。会長は背が高くて顔立ちも整っていて、なにより余裕ある立ち姿が綺麗だった。新入生の憧れにならないほうがおかしい、と、会長を幼い頃から知っている貴子でも思わないではない。

 でも、それは叶わぬ恋。

 会長には、とびっきり美人の彼女がいる。

 副会長を務める会長の彼女は、貴子の記憶では、付き合い始めの頃はメガネをかけていたはずだった。それが、いつの間にかコンタクトになり、髪も野暮ったい伸ばしっぱなしのロングから、レイヤー入りの軽やかなロングに変わって、年下の貴子でも嫉妬したくなるほど綺麗になった。

「美男美女の生徒会長と副会長カップルとか、どこの少女漫画だよ、腹立つ」

「しかも学校始まって以来の名将カップルとかいわれてるしねえ」

 貴子は慨嘆した。あの兄ちゃんが名将と来たもんだ。

「去年の文化祭とかすごかったもんなあ」

 香澄がいう。志望校の文化祭ということで香澄も貴子も見学に来ていたけれど、確かにすごかった。行事に醒めた学校、という定評がウソのような盛り上がりで、その盛り上がりを陰から演出していたのが現会長たちだというのは、校内では常識だった。

「ほら、行くよ。部活遅れるぞ」

 と、貴子は立ち上がった。香澄と二人で被服部に入ったのは一月ほど前のこと。文化祭のファッションショー目指して作品作り……というのは上級生の話で、今はひたすら運針の練習でちくちく針を操るだけの日々。

「あうー」

 だらだらしたくなる香澄の気持ちはわからなくもないけれど、ここでサボっていても仕方がない。

 被服教室のある棟までの道すがら、強い日差しの照りつけるグラウンドから聞こえてくる体育部の声や、吹奏楽部の練習で管楽器が奏でる調子っ外れの音を聞きつつ、貴子は思った。

 香澄、あんたの片思いなんか甘っちょろいにも程があるわ。こっちは年季が入ってるんだから。

 そんなことを考えていたから、渡り廊下の向こう側から良く知った顔が歩いてくるのを見つけて、貴子は思い切り動揺してしまった。

「やだ、会長だ……!」

 香澄が小声でいい、興奮して貴子の腕をつかんで振り回してくれたおかげで、その動揺も隠すまでもなく消え去ってくれたのが、この際はありがたい。

「落ち着きなさいよ、珍獣じゃないんだからさ」

「なんだよ、俺は一年の間じゃ珍獣扱いか」

 会長は貴子の言葉を受けて苦笑していた。

「珍獣なら出会ってありがたがってもいいけど、先輩じゃありがたみもないしね」

 貴子がいうと、香澄は「なにいってんのよあんた」とものすごい目で睨んでいるのがわかる。でも、無視。こっちは生まれた時からの知り合いだ。

「確かに俺じゃ何のありがたみもないな。これから部活か?」

 会長の声はいつもと変わらない。というか、この人は誰と一緒でも変わらない。たった一人、彼女の前以外では。

「うん……先輩は生徒会?」

「いや、今日は無し。演劇部の公演が近いから、評論家やってくれって頼まれてるんだ」

 いつの間にか伸びた背は、もう貴子が見上げないと視線を捉えられないほどになってしまった。

「ほら、早く行かないと部長に怒られるぞ。あいつも最近やけに気合入ってるからな」

 そういうと、会長は気が付いたように指を鳴らした。

「そうだ、おばさんに伝えといてくれるか。今度の地区清掃、河川敷のごみ拾いになったから。そのうち回覧回るけれど、幹事は俺がやるからよろしくって」

「あきにいちゃんがやるの?」

 思わず、長年呼び続けてきたあだ名が出てしまった。学校では使わないようにしていたのに。

「親がどっちも休日出勤確定でさ。最近バイトもしてないからって俺に押し付けやがった」

「大変だねえ」

「大変なんだよ。お前ももちろん来るよな?」

「えー」

「えーじゃなしに。いいか、来いよ、待ってるからな」

 そういうと、会長はぽんと貴子の頭を軽くなでて、「じゃな」と手を上げて歩いて行った。

「いいなああああ」

 香澄がたまりかねたように身もだえする。

「会長にあんな風に話しかけられるとかうらやましすぎだよ、ちょっと、あんた私と人生とっかえて」

「無茶いわないでよ」

「あーん、あんな風になでられたら私死んでもいい」

「やっすい命だなおい」

 突っ込みながら、貴子は自分の顔の赤さがばれないか不安で仕方がなかった。

 どきどきしていた。

 私だって、と貴子は思う。私だって、あんな風になでられたら嬉しくて死にそうになるんだ。

 生徒会長、佐藤晃彦。

 貴子の三軒隣に住むご近所さんにして、貴子の初恋の相手。




 叶わない恋なんてこの世から無くなってしまえばいい。

 私の恋は絶対叶わない。

 貴子のつぶやきは、まだ熱をはらんでいる夕暮れの大気の中に消えていく。

 部活帰りの道。

 自転車でゆっくりと一人行く道が貴子には寂しい。

 友達と群れるのはどちらかといえば苦手だった。女子の間でそれを通すとただの嫌われ者になるから付き合ってはいるけれど、限度がある。

 それでも寂しさは募るのが矛盾で、その矛盾が貴子にはつらい。

 中学校に入ったばかりの頃、同じように帰る道は、寂しくなかった。徒歩通学だった中学で、となりにあきにいちゃんがいたからだ。

 晃彦は、ぐんぐん背が伸び始めていた。部活は陸上部だったけれど、成長が急すぎて体が付いていかず、記録はぱっとしなかった。だから貴子なんかと一緒に帰れたのだと、今にして思えば、晃彦ののほほんとした態度が懐かしい。

 本当は悔しかったはずだ。同期の選手たちが次々に自己記録を破っていく中で伸び悩み、帰りは近所の妹分と馬鹿話をして帰るしかない生活。

 でもそれが貴子には貴重だった。伝えたことはないけれど、大好きなあきにいちゃんと少しでも一緒にいられたらと思い、自分も陸上部に入った貴子だから、帰りに一緒になれるのは幸せだった。

 晃彦はいつも家の前まで送ってくれた。

「当たり前だろ、すぐそこなんだから」

 と晃彦はいう。そのすぐそこの距離を、貴子は壊すことが出来なかった。中学一年生にとって中学三年生の先輩は、標的にするには大きすぎたかもしれない。

 もてない、目立たない、ぱっとしないと三拍子そろった「ダサ男」を自称する晃彦だから、自分が一緒にいてあげないと、という訳のわからない乙女思考もあった。

 それが脱皮する前の蝶の言い草でしかないことは、高校に進学した晃彦を見て痛いほどわかってしまった。晃彦はバイトを始め、背に見合うだけの体が出来ていき、同時に色々な経験からどんどん大人の顔になっていった。貴子が中学で立ち止まっているうちに、ずるいくらいに遠くへ行ってしまった。

 そして秋、晃彦には彼女が出来た。

 それを知った時の衝撃と、その夜の悔し涙は、たぶん一生忘れられないだろうと貴子は思う。

 同じ中学出身だから、貴子も顔は知っていた。

 渋谷由紀。

 顔は知っていたけれど、目立たないにも程がある人だったから、名前も知らなければ、どこの学校に進学したかも知らなかった。

 そんな女が、晃彦と付き合っていくうちにどんどん綺麗になっていった。

 土台が良かったこともあるのだろうし、晃彦と急に仲良くなった上級生たちが寄ってたかって彼女のルックスを改造したことも良かったのだろう。時々晃彦と一緒に歩いている永野家のお嬢様など、自分自身がカリスマ的な美人のくせに、貴子の憎むべきライバルを綺麗にすることに命を賭けているような気配すらあった。

 生徒会副会長になった晃彦がその年の卒業生を生徒代表の一員として送り出す頃には、晃彦の彼女は、もう貴子の手が届く相手ではなくなってしまっていた。

 貴子も認めざるを得なかった。

 晃彦と並んで歩く由紀は、可愛らしいくせに媚がなく、顔立ちは大人びているのに表情があどけなく、女の貴子から見ても悔しく感じることすら出来ないほどに、美しかった。永野家のお嬢様は別格としても、少なくとも貴子が知る限り、晃彦の隣にいてこれほど引き立つ女性はいない。

 かなわない。

 成績は常に学年上位、生徒会役員としても経験豊富で、去年まで「学園の女帝」として君臨していた永野家のお嬢様とはタイプが違うものの、「学園のアイドル」の座を継承したのは彼女だった。

 かなうわけがない。

 いつの間にか家の前にまでたどり着いていた。

 貴子は大きくため息をついた。

「ただいまあ」

 叶わない恋に胸を痛めつつ帰宅するなんて、そんな乙女回路は私には似合ってないはずだ。そう考え、自分を笑い飛ばそうとした貴子の目の前に、当の本人がいた。

「お帰り。遅かったな」

「あ、あきにいちゃんっ」

 晃彦が、玄関先に座っていた。

「な、なんで」

「なんでって、洋ナシのお裾分けしにきたら、早速煮物でお返しってことになってだな」

「ごめんなさいね、お待たせしちゃって」

 奥から母が出てきた。

「あらお帰り。晃彦君、これ持って帰ってちょうだいな」

「おお、こんなにですか。なんかかえってすいませんね」

「傾けないでね、汁物だから」

 晃彦は、貴子の苦悩など知るはずも無く、いつもののほほんとした顔で荷物を受け取っている。その油断しまくった横顔が素敵だと思えるのだから、貴子も大概重症である。

 そう、私にはこのご近所さんつながりという武器がある。あんなすごい美人さんでも、これだけは持てない「幼馴染」という武器。

 たくさんの思い出という武器。

「あきにいちゃん、今度のごみ拾い、どこ集合?」

「あれ、来るのか」

「来いっていったの誰よ、せっかく行ってやろうって気になったのに失礼ね」

「そりゃ悪かった。てか、別に集合場所じゃなくてもいいだろ。時間になったら迎えに来るよ」

「ああおいで、迎えにおいで、下僕のように迎えに来るがいいさ」

「なんだそりゃ」

 晃彦が笑った。貴子も笑った。

 これでいいや、と思えてしまった。

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