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第3章

「どうしたの、君貴。随分機嫌が良さそうだけど……何かいいことでもあった?」


 場所は、ニューヨークのセントラルパークを見渡せる、ペントハウスでのことだった。君貴はニューヨークとロサンジェルス、それにロンドンに自身の建築事務所を構えているが、彼は五年以上ものつきあいになる恋人とは――いつでも世界中のどこかのホテルで落ち合うなどして、互いの近況を伝えあっていた。


「い、いいや、べつにっ……」


「ふうん。なんか怪しいな。どうせまた、パリかミラノあたりで、好みの子でも見つけて遊ぶか何かしたんだろ?怒らないからさ、正直に全部僕に話したら?」


 君貴の恋人はレオン・ウォンといって、ロンドンの児童養護施設にいたところを富豪の中国人に引きとられたという、複雑な出自の持ち主だった。君貴は英・仏・伊・独・日本語が話せたが、彼はこれに加えて中国語とロシア語が話せる。


「今度の相手は、男じゃないんだ……」


 君貴はレオンの機嫌を伺うように、ソファに座る隣の恋人のことをおそるおそる見た。結局のところ、勘の鋭いこの世界的ピアニストのことを騙し覆せるはずもないのだ。それならば、なるべく早く降参してしまったほうがいい。


「なっ……ま、まさかとは思うけど、とうとう未成年の美少年にまで手を出したとか、そういう……」


(流石の僕も、それだけは許さないよっ!!)というように凄まれて、君貴は首を竦めた。彼らのゲイ仲間で、よくつるんで遊ぶカール・レイモンドなどは、「あんたたちってまったく、しょうもないゼウスと、ゼウスの浮気を叱るヘラみたいな関係性よねえ」と言って、よく笑っていたものである。


「ちっ、違うぞっ。俺だって流石にそこまで人間として落ちぶれてないからなっ!ただ、てっきり男だとばかり思ってたのに、寝てみたら女だったっていうか……」


「なんだってえ!?寝てみたら一体なんだったってのさ。まさか、相手はやり手のドラァグ・クイーンだったとか、そういうわけでもないんだろ?」


「違うよ。女の子だったんだ。あ、女の子なんて言っても、ちゃんと成人過ぎのって意味だぞっ。髪の毛も短いし、声もハスキーだったからわかんなかったんだ。しかも……」


(処女だったんだ)とまではとても言えなくて、君貴はまた黙り込んだ。レオンのほうではもう言葉もない。いや、彼は文字通り絶句していた。


「だって――そんなの……変じゃないか。おまえは、なんでかわかんないけど、僕たちと同じ人種かどうかわかるのをずっと自慢にしてて、百発百中とまではいかなくても、まあ、88.8%くらいの確率で、相手がゲイかどうかすぐに見抜く。で、残りの22.2%っていうのは大体バイだったりするわけだ」


「うん……つか俺、結構酔ってたっていうのがあってさ。それで判断が狂ったのかどうか……」


「だから、それがおかしいんだろ。君貴が男引っかける時は大抵、最低でも軽く酔ってるわけだから。それより、それがおまえの機嫌のいい理由ってことのほうが僕は気になるね。まさかとは思うけど、その子と……」


 このあと、君貴は何故か頬を染めたまま、俯いていた。(嘘だろ!?)とレオンは思ったが、彼の反応から見て本当らしい。そもそも、君貴は元はヘテロだったのが、ある理由からゲイになったという経緯があるので――最初から女が相手では勃たないといったタイプのゲイではないのだ。


「なんか、そんなことになったんだ。何も、俺のほうが無理強いしたってわけじゃないぞっ。ホテルへ連れていこうとしたら、ただ黙ってついてきたから、『あ、やっぱりそうじゃないか』と思ったんだ。普通、もしそうじゃなかったら、キスしたあたりで『あんた、何すんだよっ』てなるもんだろ?でも全然、そういうこともなかったし……」


「…………………」


 レオンには、何か突然飲み込めてきた。こう言ってはなんだが、彼の恋人は37歳という年齢にして、イケメンといっていい容貌をしている。女性のほうで、そうした一夜だけの関係を結ぶのも悪くない――と考えても、おかしくはないかもしれない。


「っていうことは、おまえあれ?もう十何年以上も女性とはしてないのに……いや、もし僕に話してないってだけで、実は前からたまにそんなこともあった、僕に対して不貞を働いてたっていうんなら、話はまた別だけど」


「そんなこと、あるわけないだろっ。だから、俺もびっくりしたんだ。でも、あんまり……その……ドンピシャ好みな子だったもんだから」


「へええ……………」


 ジロリと横から睨まれても、この時君貴はそんなレオンの様子にすら気づいていない様子だった。いつもなら、『俺とおまえは魂の双子みたいなもんなんだから、他の奴らはそのことに一切関係ない。そのことはわかるだろ?』といったように、言い訳するのが君貴の常套手段だ。けれど、今回はそれすらない。


 レオンはこの時ばかりは流石に(やってられるか!)と思った。それで、ぼんやり顔の君貴に向かって、牡丹の刺繍が施されたクッションをぼぐっ!とぶん投げる。


「じゃあ、君貴はこれからはゲイじゃなくてバイってことだね!僕はね、これまで随分おまえの浮気のことは見逃してやってきた気がするけど――それも全部、軽い気持ちの遊びだってわかってたからだよ。それもほとんどが一夜限りのね。でも、今回ばかりはもう許せないっ。その、どこの尻軽ともわからないアバズレと、どうとでもなっちまえっ!!」


「お、落ち着けよ、レオンっ。それに、その子は尻軽なんかじゃないんだっ。しょ、処女だったんだ……」


「はあっ!?」


 他に、青いガーベラやコスモスの描かれたクッションで「これでもか」とばかりしたたか殴られた君貴は、頭や顔を必死にガードしつつ、ようやくのことでそこまで言った。


 レオンは「ヴァージン」という言葉に一度冷静になると、君貴の隣にもう一度座り直した。本当なら、「死んじまえ、このどあほうめっ!!」とでも捨て科白を残し、次のコンサート地であるイスラエルへ飛ぶため、JFK空港にでも向かうところだったのだが。


「そういうことなら、最初から話せよ。少なくとも僕には恋人として、おまえの愚行のあらましについて、知る権利がある」


「う、うん……」


 そこで君貴は、まだ怒っているレオンに向かって、先週の土曜の夜にあったことを、順に話して聞かせた。ゆえにここで、話の時間のほうは、一時的にその時のことに戻る。


 日本のどこにも、君貴は自分の設計事務所を構えていない。ゆえに、仕事で日本の諸都市へ行く際には、ホテル住まいをするのが常である。その前日の金曜日、君貴は都内に新しく建設される予定のホテルのデザインを、長くライバルとして競ってきた建築デザイナー、ケン・イリエとプレゼンすることになっていた。結果のほうはその場で公表されたわけではなく、この翌日、どちらにお願いするか連絡する……ということだった。


 採用の連絡が来たのは、君貴の秘書をしている岡田豊おかだ・ゆたかの携帯電話だった。その結果を知るなり、君貴は「キャッホー!!」と叫び、シモンズのベッドの上へ高々ダイブしていたものである。


 そして、祝杯を挙げるために、「日本の風俗について知りたい。俺を夜の街に連れていけ」と自分のボスに言われ――岡田としては困り果てたものである。というのも、彼はボストンのロースクールを出たあと、弁護士をしていたところを君貴の設計事務所に拾われたといった経緯があり、彼と同じ東京出身であるにせよ、いわゆる「行きつけの店」などはなかったからである。


 そこで、日本の中学時代の友人と再会した時、彼らと行った居酒屋のほうへ君貴のことを連れていくことにした。店のほうは田舎の民家風で、座敷のほうは堀りごたつになっており――君貴はこれはこれで気に入ったようである。もちろん、二十七歳の時から三十二歳になるまでのこの五年、阿藤君貴所長の性格・性癖等について、岡田はよく知り抜いていた。彼がゲイであることも、自分と同じ年齢の世界的ピアニストの恋人がいることも……ゆえに、君貴が「日本の風俗について知りたい」という時、それは何も「いいネエチャンのいる店に連れていけや。へへへ」といったことを意味していない。そうではなく、ロンドンやミラノやパリ、ニューヨークなど、世界の大都市の風俗についてはある程度観察済みだから、東京のそうした風俗といったものがどんなものか、比較検討してみたい――と、岡田の上司は言っているわけである。


 何故日本人で、それも東京出身である君貴が、歌舞伎町や六本木といったあたりの雰囲気を何も知らないかといえば、そこにはそれなりに理由があった。まず、第一には、ウィーンの音楽院へ進学した時点で、彼には日本という場所に一切未練がなかった。小さな頃から何故か、ヨーロッパの歴史が大好きで、日本の歴史にはまるで興味が持てなかったものである。そして、初めて実際にヨーロッパに住んでみて思ったのは、(こここそ、俺が住むべき場所だ!)ということであり、さらには(俺の前世はきっとヨーロッパのどこかの国の領主だったに違いない)と、本人はそのように思い込んでいたようである。


 また、音楽の道を断念し、建築という道に<逃げた>と、君貴の母が思っていたことから――自然、実家のある日本からは足が遠のいたということがあった。だが、アメリカやヨーロッパや中東などで建築の仕事をし、実績が積み重なっていくごとに、君貴は日本の仕事も少しは請け負うようになっていたのである。けれど、それも割と最近……ここ、一、二年のことだということは、それだけ彼の心の中には「音楽の道を断念した」ことに対し、後ろめたい気持ちが残っていたということなのだろう。


 一軒目の居酒屋で軽く食事をして出た時、君貴はすでに結構酔っているようではあった。だが、「さあ、次いくぞ!二軒目に案内しろ」などと言われ、岡田が携帯で一生懸命いい店はないかと探していた時のことである。歩いている途中で、君貴は居並ぶ店の中に『モン・シェール・アムール』なる紫色の看板を見るなり――「おっ、あそこに俺のいとしいしとがいるらしいぞ」と言い、その地下にある店のほうへ突進していったのである。


(やれやれ。ボスはまったく、トールキンの『指輪物語』が大好きなんだから)


 そんなことを思いつつ、岡田は溜息を着いて君貴のあとを追っていった。地下へ続く階段のほうは、どこか中世の城の石壁を思わせたが、君貴が突然「なんだかここは、パリのカタコンベみたいなところじゃないか」などと言いだすもので――(こりゃ、なるべく早くボスをホテルへ送っていったほうがいいな)と、岡田はそう判断していたほどである。


「そうですかね。俺にはここは、せいぜいのところを言って、マヤ文明の遺跡か何かみたいにしか見えませんけどね」


「マヤ文明の遺跡だって?岡田、おまえ相当酔ってるな」


(どっちが!)と、岡田は思ったが、君貴はすでにすっかり上機嫌で、スキップしながら店のドアをくぐるところだった。ボーイにボックス席のひとつに案内されると、エメラルドグリーンのドレスを着た、二十代後半くらいの女性が「いらっしゃいませー!」と営業スマイル全開で挨拶してくる。


 ところが、君貴はといえば、「かのんでえーす!」などと挨拶してきたホステスの巨乳の谷間を見て――「チッ」と舌打ちしていたものである。


「お母さんが泣いてるぞ。娘をこんな淫売に育てた覚えはないって、そう言ってな」


「わっ、わわわっ!ええと、カノンちゃんだっけ?先生にはウィスキーの水割りをお願いしようかなあ、なーんて」


 岡田は慌てて、君貴の言葉に被せるようにしてそう言った。どうやら幸い、飯島花音の耳には、「淫売」の二文字がよく聞こえなかったらしく、彼女はきょとんとした顔をしていたものである。


「あ、せんせえってことはあ、あれですか?お医者さんとか、弁護士さんとか、そういう……」


「俺は一応弁護士の資格は持ってるけど、先生はそういう先生じゃないんだ」


「えっ!?でもまさかー、学校のせんせえってことはないですよね?」


「はははっ。学校の先生かあ。なるほどー」


 気を遣いまくりの岡田とは違い、君貴はカノンという名のホステスに一切興味を示すでもなく、そちらの対応は部下にまかせ、まずは右側の席の会話に耳を澄ませた。衝立によって仕切られているため、姿ははっきり見えないとはいえ――衝立に数ミリ隙間のある箇所があり、そこから相手を見ようと思えば見えないこともない。


「だから、その俺の部下ってのがさあ、やたら身長高くて、ラグビー選手みたいにがっしりした体格なんだけど、アレのほうが小っせえのな。ほら、その点背の低い女の子ってのは、そんなにでかいもんでなくても満足してもらえるかもしれねえだろ?それで俺の部下の奴はいつでも、小柄な女の子の尻ばっか追いかけ回してたんだ」


「へええ……人の悩みっていうのは色々あるもんですねー」


「そうそう。何分、体格が立派な分、さぞかし立派なモノをお持ちでしょう……ってな具合に、女の子が寄ってきても、あいつにとっては嬉しくもなんともねえわけよ。結局、自分と五十センチくらい身長差のある女の子を口説き落として、去年結婚したよ。俺も、あいつのアレの小ささのことを思って、ご祝儀のほうはちっと色をつけてやったもんだ」


「やあだあ、社長~。だからわたしにも短小の男が近づいてこないように気をつけろだなんて~」


「その点わしはもう、基準点はクリアしとるぞ。奴さんと比べたら、少なくとも二倍以上はあったからな!ワッハッハッ!!」


(やれやれ。ありゃ、しょうもねえスケベじじいだな。だから、チンポコのちっせえ若造より、いい年した中年のオレにしとけってか?)


 君貴はちびちびウィスキーを飲みながら、そんなことを考えた。


(実際、ホステスってのも大変なもんだな。俺があの子の立場なら、『やあだあ。そんなこと言って社長、ほんとはペニスが1.5センチくらいで、股の間に埋もれて見えないんじゃないですかあ?』とでも、言わずにいられないだろうがな……笑顔でいなして、適当にかわさなきゃならんとは、客商売ってのもままならんもんだな)


 君貴はどこぞの社長ともわからぬ赤ら顔の男に心中で唾を吐きかけると、今度は左の座席の様子を伺うことにした。


「まったく、女性の美を求める飽くなき欲望ってやつには、実際のところ参っちまうね。やれ脂肪吸引だ、リフトアップだの……まあ、それで金をもらってる以上、もちろん私には何も言えやしないんだがね」


「あら。でも、男性がやっぱり女性に美を求めさせるんですわよ。顔にたるみのある女性よりもない女性、お尻のたるんだ女性よりもたるんでない女性――といった具合にね。そのうちわたしも、先生のお勤めなさってるクリニックのほうに、お世話になってみようかしら」


「はははっ。ママはうちになんか用はないだろ。それだけの美貌があったら、うちの美容外科なんか来たって、無駄にお金を捨てるようなもんだ」


「そんなことありませんわよ。女も四十近くになると、どうしてもお腹まわりやらなんやらにお肉がつきやすくなりますからね。あ、でも、わたしが昔から悩んでるのは贅肉とかじゃありませんのよ。この顔の鼻の横にあるほくろなんですの」


「べつに、ママの場合はそのほくろがむしろ素敵なチャームポイントになってるんだから、いいじゃないか」


「それがねえ……わたしがこの仕事を始めて間もない頃、やっぱり美容外科でとってもらおうと思ったことがあるんですけど、いわゆる観相学っていうのかしら。そういう先生に見てもらったら、わたしの場合、この鼻の横のほくろが金運に関係してるから、取らないほうがいいって言われて、それで今日に至るってわけですの」


(ほうほう。こちらはそこそこまともな会話を交わしているようだな)


 君貴はそんなふうに思い、衝立の数ミリの隙間から、それとわからぬようちらと覗いて見ることにした。すると、まず白い光沢のある着物を着た、細面の上品な顔立ちの女性が目に入り――次に、その隣に視線を移し、君貴は思わず吹きだしそうになった。


「ぐっ!ぶえっ!!」


 ウィスキーを無理な形で飲みこんだため、君貴はおかしな音を発してしまったが、やはりどうしても笑いが堪え切れない。というのも、美容クリニックの外科医なのだろう<先生>というのが、あまりに背が低い上、自分で自分の顔を整形したほうがいいのではないかという御面相だったからだ。


(そうだよなあ。いくら美容技術が発達しても、男の低身長ってのは、シークレットブーツでも履く以外ないだろうしな……)


 おそらく、酔っていたせいもあるのだろう。このくだんの美容外科医が、実は自宅で『背よ、伸びろ!びよよよよ~ん!!』などと、ある種のマシーンによって体を必死に伸ばすところまで思い浮かび、この自分の妄想に、君貴は堪らず笑いだしてしまった。


「はっ!はははははっ!!」


 もちろん、突然のこの笑い声に驚いたのは、カノンと岡田である。そこで彼は誤魔化すために、急いで全然関係のない話をしはじめた。


「ああ、なんだっけ?おまえら今、俺に建築のデザインを頼むとしたらどーだのいう話をしてたんだっけ。まあ、お嬢さんがうちに依頼してきたとしたら、短小話聞かされ料といった同情割引を用いて、多少安くしてやってもいいよ。俺だって何も、最初から今みたいに大口の仕事があったわけじゃない……駆け出しの頃は、ロサンジェルスあたりに住む大富豪に、十万ドルやるから、うちの犬の犬小屋を作ってくれなんて依頼されてたもんだ」


 十万ドルといえば、日本円にして約一千万ほどだが、そのあたりがよくわからないカノンは、やはりきょとんとした顔のままでいる。


「そいつの家の犬ってのが、すこぶる太っててな……フレンチ・ブルドッグだったんだが、顔のほうれい線のだぶつきといい、目のまわりに黒っぽいクマがあるところといい、マフィアみたいな顔のご主人さまと実によく似てるんだ。実際はマフィアじゃなくて、映画のプロデューサーだったんだが、『オレはこいつを自分の分身のように可愛がってる』なんて真顔で言われた日には、吹きださないようにするのが大変だったぜ。ほんと、毎日ちゃんこ鍋でも食わされてんのかってくらい太った犬でな……しかも、あんまり太りすぎて、後ろの足があまりうまく機能してないんだな。ちょっと歩いてはおっちゃんこ、ちょっと歩いてはおっちゃんこ……俺はご主人さまにこう聞いたよ。『この可愛らしいワンちゃんは、下半身が不自由なんですか?』って。そしたらやっぱり、太りすぎでこうなったってことだった。で、話のほうは本題の、どんなデザインの犬小屋にするかってことになったんだが――犬の様子が何やらおかしい。やたらハァハァ言いながら、俺の足のあたりに縋りついてきやがる。それから不自由じゃない自分のチンポコを何度もなめまわすんだ。結局俺は、この話を断ることにした。もちろん十万ドルは欲しかったがな。けど、俺にもプライドってものがある……それに、この犬に必要なのは犬小屋じゃない、ダイエットだ、と思ったというのが、何よりの一番の理由だ」


「ははあ。ブルジョワの家で飼われてるブルドッグの、何やらブルブル震える話だってことですね」


 岡田が(うまいこと言ったオレ!)といったようなしたり顔をしたため――君貴は再び「チッ」と舌打ちした。それから、ウィスキーのグラスをテーブルに置き、「くだらん」と言って席を外す。


 君貴がトイレのある方角へ消えてしまうと、カノンは彼の早口の話をもう一度思い出して、遅れて笑った。


「先生の先生は、面白い方なんですねえ。お顔だってハンサムのイケメンさんだし、歌舞伎町あたりでホストにでもなったら、すぐお店のナンバーワンになれそうですよ」


「まあ、確かにな。でも、先生はまあ、貴族趣味でいらっしゃるから……あ、失礼。ごほん、ごほんっ!!」


 自分たちが貴族とその家来なら、彼女は娼婦ということになってしまうと思い、岡田は咳き込んだのだが、もちろんカノンはそこまで色々深く考えたりしなかった。ただ、君貴の後ろ姿をぼんやり眺め、これからもしこの店で自分を指名してくれたとしたら――結構いいお金を落としていってくれそうだと、そちらのことのほうに気を取られていたせいでもある。


(やれやれ。どこの国でも結局、人間観察というやつが一番面白いな)


 そんなことを思いつつ、君貴はトイレから出てくると、手を洗った。それからエアータオルで乾かしてのち――ふと、ピアノの生音に気づいたのである。


(こりゃ一体誰の曲だ?どこかで聞いたことがあるような気はするが……)


 それがクラシックのピアノ曲であれば、知らない曲はほとんどないと言い切れる君貴ではあるが、それがジャズということになると、かなりのところ心許ない。だが、誰のなんという曲なのかは気になる――というわけで、ふらふらとピアノの音の源まで近づいていくことにしたわけである。


(しかし、なんだな。『葬式のように静々と』なんていう指示があるわけでもなかろうに――なんとも単調な、音色の乏しい演奏だな)


 だが、『彼』の後ろから演奏する様子を眺めているうちに、君貴は気づいた。単に彼は、こうした場所に相応しく、人々の会話の邪魔にならぬよう、自分に注意の向くような演奏をしていないだけなのだ、ということに。


(ふうん。なるほど……)


 ちなみに、このあとタクシーの中で、君貴が「才能なら、ないことなかろう」と言ったのは、嘘ではない。彼がもし、情熱的に、自分の本能の赴くがまま、自由にピアノを奏でたとしたら――きっと素晴らしい演奏をするに違いないと、そう思ったからだ。


 このあと、君貴はボーイと同じ制服を着た若い青年の姿を見つめるうち、ふと世界的ピアニストである自分の恋人のことを思いだした。君貴はレオンと出会ったことで……初めてプロのピアニストになるという夢を断念した自分を肯定することが出来た。クライスラーはヤッシャ・ハイフェッツがブルッフの協奏曲を弾くのを聴いて、同僚のジンバリストに「君も僕も、ヴァイオリンを膝にぶつけて壊してしまったほうがよさそうだな」と言ったというが――それとまったく同じことが君貴にも起きたのだ。


 今も、レオンのピアノ演奏を見、聴くたびに思う。『この才能に、俺は到底及ばない』と。エミール・ギレリスの再来か、とデビュー当時世界中の新聞が書き立てたように、高い位置から繰り出される正確な打鍵、深い思想性に裏打ちされた叙情性溢れる演奏……そんなものを、九歳からピアノを始めたという青年が、何故まだ十六歳という年齢で示しえたのか、レオン自身はインタビューで聞かれるたび、はぐらかしていたものだ。「ピアノというものは、ただひたすらに反復練習あるのみです」などと。


 この時、君貴はレオンと出会った当時のことに思いが遡っていたが、マキの演奏が終わり、次の曲へ移ろうというその瞬間、君貴は彼に声をかけていた。


「おい、それは誰のなんていう曲だ?」


 だが、マキは答えなかった。まるでプログラム通りにピアノを弾く、自動演奏人形のように、次の曲――『亜麻色の髪の乙女』へ移ろうとする。普段、人から無視されることに慣れていない君貴は、酔っていたせいもあり、この時あからさまにムッとしたものである。


「あんた、知ってるか?ドビュッシーのその曲は、果たして亜麻色の髪の乙女は下の毛も亜麻色なのか、といったような曲らしいぞ」


「あの……」


 この時、マキが振り返ると、君貴は(どけ)というように、彼に身振りで示した。君貴の威圧する眼差しを恐れでもしたように、マキはすぐに座席を見も知らぬ客に譲る。君貴は誕生日にレオンから贈られた獅子のカフリンクスを外すと、腕まくりした。職務に忠実なピアノ弾きにかわって、『亜麻色の髪の乙女』をそのまま弾いてもいいはずだった。あるいは、他のドビュッシーの前奏曲でも……だが、君貴はベートーヴェンのピアノソナタ第23番、熱情を選んだ。選曲に深い意味はない。いや、もしかしたら、自虐的なまでに抑圧された演奏を弄する青年の、ピアノに対する熱情を呼び覚ましたいと、無意識の内にもそう望んだのかもしれない。


「ドビュッシーは、おそろしくピアノが上手かったというが……俺に言わせりゃただの、金髪好きのしょうもない自己中男だ」


 君貴は、フロアにいる客全員が注目すればいい――とはまったく思わなかった。ただ、マキの胸の奥にもまったく同じ熱情が眠っているはずなのに、何故こんなにも自分を押し殺したような演奏を続けるのか、聴いていてイライラしたというのがある。


 それで君貴はつい、自分のピアノの技量を見せつけでもするように、気づくとべードーヴェンのピアノソナタを全力で弾き切ってしまっていた。何人かのホステスが『何事か』というように、衝立から顔を出していたが、君貴にはどうでも良いことだった。彼はとにかく、気の毒なアルバイトのピアノ弾きのために、熱情の第3楽章を弾き切ったに過ぎない。


「何か、他にリクエストはあるか?」


「ええと……じゃあ、リストの『ラ・カンパネラ』を」


 ショパンの曲あたりを予想していた君貴は、マキが自分のさらなる技量を試そうとするかのように、リストの難曲を所望するのを聞いて、思わず笑った。


「チョピン先生じゃないんだな。だが、まあいい」


 実をいうと、君貴は十六歳の時にCDデビューしたことがある。その中にはリストのラ・カンパネラの他に、メフィスト・ワルツ、ショパンの英雄ポロネーズなどの有名曲が含まれていた。選曲に関していえば、若気の至り――リストと同じく、自分のピアノの技巧を見せつけたいとの――としか言いようがないと、今もそう思う。


 だが、君貴は極若い頃からリストの難曲を弾きこなそうと努力してきただけに――また、建築のデザインをする間、彼は行き詰まるともっぱらピアノを弾いてアイディアを絞りだそうとするため、今も気がつけばピアノに向かっている……ということがよくあるのだ。


 とはいえ、流石に多少ミスるかと思ったものの、ほぼノーミスで弾き切った瞬間、君貴は自分でも少し驚いた。<昔取った杵柄>とは、もしかしてこういうことを言うのだろうか?


 最初に拍手したのは、後ろに立っていたマキだが、次の瞬間にはボックス席のホステスらや客からも拍手の波が送られてきて、君貴はなんだか居心地が悪くなった。


「こいつを借りるぞ」


 このフロアの責任者風に見える男が近づいてくると――君貴は髭を生やしたオールバックのマネージャーに、財布から二十万ほどの金を取りだして渡した。自分と岡田の酒の分を含めても、十分釣りがくるはずだと思ってのことだった。


「なんだ?たぶん、おまえの時給の分ならあれで足りているはずだぞ」


「そっ、それはそうかもしれないけどっ。問題はそういうことじゃないでしょうっ!!わたし、ここのアルバイト気に入ってるし……」


 店の前に止まっていたタクシーにマキを強引に乗せると、君貴は『彼』のことをあらためてじっと見つめ直した。やはり、自分の好みのタイプだと、そのように再確認する。


「音大生か何かか?」


「……違います。ただの高卒の、しがない花屋の事務員です」


 君貴はこの時、自分でもおかしな笑い方をしたと思った。「フッヒャハハハッ!」といったような、擬音で表現するのが少々困難な笑い方だ。


「ふうん。勿体ないな。音楽を本気で勉強しようとは思わなかったのか?」


「才能とかありませんし……何より、家にお金がなかったので、そんな高望みをしようともまったく思いませんでした」


「才能は、ないことなかろう。まあ、だがあれだな。あんなザルどもが聴衆というのでは、通夜か葬式かというような演奏の仕方をしたほうが、むしろいいのだろうな。なんにせよ、面白かったよ」


 君貴はバックミラー越しに、訝しむような眼差しをこちらへ向けてきた運転手に気づき、「リュミエールホテルまで」と頼んだ。これまで、彼が声をかける相手は、外国人である場合が多かった。フランス人、イタリア人、イギリス人、ドイツ人、アメリカ人……今まで、少なくとも十数ヶ国の国籍の男たちとそうした関係になったことがある。


 だからこの時、君貴はある種の新鮮さを味わっていた。自分と同じ日本人のことを選んだことは、これまで一度もない。だが、マキのことを男と信じている君貴には――彼がとても可愛らしく感じられていた。


(フランス人とイタリア人は性欲お化け、イギリス人は好きもの、ドイツ人は変態……そういや、カールがそんなことを言ってたことがあったっけ。あいつの基準でいくと、日本人はどういうことになるんだろうな。初心とか?)


 君貴がそんなことを考えながら自分を見つめていると気づかないマキは、超高層ホテルに到着するなり、驚いている様子だった。しかも、一番上の55階で降りたとあっては尚さらだった。


「ここ、一体何階ですか?」


「55階とか、そのくらいじゃないか?そう大したこともあるまい」


「へえ……………」


 ここで、マキと君貴の間で、意味の取り違えが起きた。マキとしてはただ、高層階から見る東京の夜景の美しさにうっとりしているだけだったのだが――そのきらきらした瞳の輝きに、君貴は彼女が考えている以上の、まったく別の意味を読み取っていた。(ああ、これはイケる)といったように。


「こういうところは初めてか?」


「普通、そうじゃないですか。ここ、一泊するだけでも結構するんでしょうし……」


 君貴はいそいそとスーツの上着を脱ぐと、それをハンガーにかけ、クローゼットに吊るした。サイドボードにあるブランデーの瓶を掴み、グラスに入れて飲む。


「おまえも、何か飲むか?」


「いえ、いりません」


 こういう時、君貴は酔っていない相手と寝たという経験がない。恋人のレオンは別としても――(やはり、日本人は真面目なのか?)と、君貴は自分も日本人だというのに不思議になった。


「帰るのか?」


「……はい。今日は、なんかありがとうございました。あなたのお陰で、仕事のほうも早く切り上げることが出来ましたし……」


(いや、これは日本人に特有の遠慮というやつだ。あるいは単に照れくさいのかもしれない)――君貴は都合よくそのように考え、マキに目で合図すると、彼女は彼の隣に来て座った。だから、君貴はこう思った。(ほら、やっぱりそうだ)と……。


 マキのほうで自分のキスに応えてこなくても、君貴は気にしなかった。たぶん、経験が浅いのだろう。そのままソファの上でもいいことには良かったが、君貴は彼のことをベッドまで連れていった。(せっかくこんな豪華なベッドがあるんだから、使わないのはもったいないよな)と、そう思ったせいもある。


 服を脱がされた時、君貴があからさまにがっかりするのではないかと思ったが――事実を知ったとすれば、マキはおそらく複雑な気持ちになったに違いない。彼女は自分でも(ブラジャーをする意味がわからない)というくらい、体が少年体型で真っ平らだった。ゆえに、ブラジャーはおろか、スポーツブラ的なものも着用していなかった。それでも僅かばかり胸の膨らみのようなものがないでもない。だが、人の思い込みとは怖ろしいもので、君貴はこの時点になってもまだマキが『女』とは気づいていなかった。


 だが、そんな彼も流石に、マキが女物のパンティを着用しており、そこに男にあるべきものを見出せなかったとすれば……彼の相手を愛撫する手も止まろうというものだった。


「おまえ、名前は……?」


 何かに耐えるようにじっと目を閉じていたマキは、この時ぱっと目を見開いて言った。


「えっ!?マ……マキです」


「そっか。可愛い、マキ……」


 女だとわかっても、君貴はやめる気にはなれなかった。というより、彼女の反応が何故硬いのかの理由もわかった気がした。だがまさか、処女だとまでは考えなかったし、一切抵抗するでもなく、自分のされるがままになってくれる彼女が可愛らしくもあった。


 ゆえに、マキがあとから思ったこと――(男はヤリたいとなったら、いくらでも嘘をつける人種なんだわ)との見解は、実は正しくない。君貴がマキのことを可愛いと感じていたのは事実だし、また、事実であればこそ、自分の良心を誤魔化すためでなく、何度も繰り返しそう言ったのだ。


 だがこの翌日、先に目が覚めてパニックになったのは、まず君貴のほうだった。そう多量に、ということではないが、シーツに血痕が残っているのに気づき、彼は自分の性器から出血したのかと思い、慌てた。しかし、バスルームでシャワーを浴びるうち、君貴はあることにはっきり思い至った。「あ゛ーーーっ!!」と声にならない声で、思わず叫んでしまう。


 マキはよほど疲れたのか、まるで死体のように起きる気配がない。酒が脳に及ぼす効果が朝陽とともにすっかり消えた今――君貴は焦りに焦っていた。土下座してあやまるべきだろうか?いや、それとも「責任は取る」と言って、賠償金を先に支払っておくべきなのか……。


(いや、ダメだ。金で解決だなんて、不誠実な男すぎるだろうがっ!!)


 君貴はとりあえずコーヒーを飲んで心を落ち着かせようと思ったが、コーヒーを一口二口飲んだところでマキが目を覚ましたため――思わず吹きだしそうになったほど、慌てたものだ。


「ああ、起きたのか……」


 君貴は自分の罪の結果を直視するように、マキのほうをおそるおそる振り返った。(間違いない)と、心の中で溜息を着く。確かにショートカットで、日本人の女性としては比較的背が高いとはいえ――こうして窓から差し込む陽の光の中で見れば、間違いなく彼女は『女』だった。


「きのうは、そのまあ、色々と……」


 君貴としては、それだけ言うのが精一杯だった。彼は誰に対しても、相手の目をじっと見て話す癖があるが、この時ばかりは流石にマキの瞳を見つめることが出来なかった。きのうの夜は、黒曜石のようにキラキラ輝いて、あんなにも綺麗だと感じたというのに……。


 マキのほうからなんの言葉もなかったことで、君貴はなんとも気まずい上、とても間が持たなかった。そこで、財布からそこにあった現金すべてを彼女に渡すということにしたのである。


「こんなものじゃ足りないと思うが、だが今、財布に手持ちがこれくらいしかなかったもので……」


 一枚残らず数えたわけではないが、君貴は三十万ほどのお金をマキの手に握らせようとした。


「べつに、お金なんていりません……」


 君貴のこのやり方に、マキはショックを受けたようだった。ここでも君貴は(やはりそうだ)と確信する。お金欲しさとか、そうしたことが彼女が自分に抱かれた理由ではないのだ。それなのに、自分は一体何をしているのだろう?まるで、娼婦にでも対するように、金で済ませようとするなんて……。


 とはいえ、この時の君貴にはこれが限界だった。仕事があるというのはただの言い訳に過ぎないが、それでも自分のほうからロビーに下りていかなければ、秘書の岡田がここまで来てしまう。


「色々話したいことはあるんだが……」


 君貴はソファの背にかかったスーツの上着を取ると、部屋から出ていこうとした。


「生憎仕事の打ち合わせがあるんだ。何か食べたいものがあったら、なんでもルームサービスで頼むといい。あとはいつでも自分の好きな時にチェックアウトしてくれていいから」


「…………………」


 ――この場合、どういう態度を取るのが適切だったのか、君貴にはやはり最後までわからないままだった。抱きしめて、きのうの夜のことを労うというのはおかしいが、とにかく何かそんなようなことをする……それから、小切手を渡して「好きな金額を書いてくれ」とでも言ったほうが良かったのだろうか?


「きのう、あのあとどうしたんですか?携帯の電源も切っちゃって、全然繋がらないし……心配したんですよ。ボス、結構なところきこしめしてらしたから」


「きこしめす、か。普段口語じゃあまり使わない言葉だな」


 君貴は、そのまま秘書の岡田とホテル前からタクシーに乗り、成田空港のほうへ向かった。今度は別件で、アメリカのシアトルへ向かう必要があり、仕事の打ち合わせのほうは飛行機内で行う予定であった。


 だが、君貴はこの日の夜にあったことを忘れなかったし、あの出来事は自分にとって、また彼女にとってどういった意味を持つものだったのかと仕事の合間合間に考え続け――その翌週の休日に、ニューヨークでコンサートのあった恋人のレオンと、彼所有のペントハウスで落ち合ったというわけだった。


「……おまえさあ、気持ちはわかんなくもないけど、そんな話、僕に聞かせて一体どうしようってのさ」


 呆れ顔のレオンに対して、君貴はただ黙って俯いた。もちろん、こんな浮気話、そもそも恋人に聞かせていいような話ではない。だが、レオンは何かが違うのだ。いつでも、君貴が自分では気づかなかった視点から分析し、彼にとって有益となるなんらかのアドヴァイスをしてくれる。


「いつも僕が聞かされるのは、おまえが軽い気持ちで一夜限りの浮気をしたっていうようなことだけど……ようするにあれだろ?ヴァージンの子に手をだしちゃって、翌朝金を渡しただけで済ませたことで、今おまえは罪悪感に苦しんでるっていう、そういうことなんだよな?」


「そ、そうなんだ。もちろん、もっと金を渡しておくべきだったとか、俺が言いたいのはそういうことじゃないっ。なんていうかこう、あの場合における紳士的な態度というのはいかなるべきものだったのかという、そのことをずっと考えてるんだ」


「ふうん。紳士的ねえ……」


 レオンは、ちらと軽蔑した眼差しを隣の君貴に向けた。もう彼らは長いつきあいになる――ゆえにわかる。ようするに彼は、もう一度その娘に会って彼女の本心というやつを知りたいということなのだ。


「なんにしてももう、ヤッちまったものは仕方ないよ。その子の処女膜は手術でもしない限り元には戻らないんだし――もしかしておまえ、処女膜再生手術の金をだすから、それで許してくれ、なんて言うつもりじゃないんだろ?」


「しょ、処女膜再生手術だって!?そんなものが本当にあるのか?けど、そんな手術、なんで必要なんだ?」


「さあね。色々あるんじゃないの?レイプされて処女を失ったけど、それは自分としては本意じゃなかった。本当に心から好きな男に処女を捧げたいとか……ま、イスラム圏の女性については、あえて説明するまでもない気がするけど」


「ほ、本当に好きな男と……」


 君貴がずーんと落ち込んでいるのを見て、レオンは溜息を着いた。こうした彼のことを見るのは珍しい。ゆえに、腹は立つものの、レオンはいつものように助言してやることにした。


「おまえがそう責任を感じる必要はないんじゃないの?話として聞いていて思うに、その子は一切抵抗しなかったんだろ?ましてや、悲鳴を上げたわけでも、「訴えてやる」と罵ってきたわけでもない……まあ、その子の気持ちも僕にはわかんないでもないな。君貴はいわゆるイケメンの範疇に入るような男だし、ナンパされて、行った先がホテルのプレジデンシャル・ルームで、「この男ならいいかな」みたいに思ったっていうことなんじゃない?だから、べつにそう深刻にならなくても――同意の上ということなら、彼女にも責任はあるよ。初めてだっていうことを先におまえに伝えなかったという責任がね」


「…………………」


(こりゃ、まるっきりダメだな)


 そう思ったレオンは、やはり今日はこのまま姿を消すことにした。とにかく、今彼はその自分がヴァージンを奪った娘のことで頭がいっぱいなのだ。そんな恋人のことを見ていてもイライラするだけで、レオンの精神衛生上、いいことなどひとつもない。


「じゃあ、僕はチャリティー・コンサートがイスラエルのほうであるから、このまま空港のほうへ行くよ。まあ、ここは君貴と僕のニューヨークの家みたいなもんなんだから、僕がいなくても好きに使えばいいし」


「レオン、ありがとう」


「…………………」


(のわーにが、ありがとうだっ!)というのがレオンの本音ではある。(これに懲りて、男遊びもほどほどにするようになればいいけど、それは無理だろうな)と、彼としては冷静に分析するのみだった。


 だが、この翌月、今度はロンドンにある君貴所有の屋敷で――レオンは今度は腹が立つだけでなく、嫉妬で腸が煮えくり返る事実を聞かされることになる。なんと、君貴は再び日本へ飛ぶと、そのマキという女性に会い、話しあいの場を持ち、お互いの誤解を解き合ったというのだ。さらにその上、再び体の関係を持ったというのだから、開いた口が塞がらないとはまさにこのことだとレオンが思ったのも……まったく無理からぬ話である。




 >>続く。








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