名誉挽回のチャンス
いくら自分に非があるとはいえ、無理やり謝罪をさせられたヴァルナーはいささかムッとした顔をしていた。リアンノは笑う。
「申し訳ございません。お戯れがすぎたかしら」
クスクスと無邪気に笑うリアンノをしばしどこか熱いものがまじる眼差しでじっと見つめたヴァルナーだったが、ふいに真面目な顔をして声を落とした。
「おい、これだけは警告しておく。サラ・ベルツはお前の命を狙っている。俺が取り上げたあのグラスも、毒が入っていた」
リアンノは息を飲んだ。
「毒!? そんな、サラはそこまでして私を貶めようとしていたんですの……?」
「にわかには信じられないかもしれないが、これが証拠だ」
ヴァルナーはシャツのボタンを数個外すと、ちょうどリアンノが飲み物をこぼしてしまった場所あたりをあらわにした。鎖骨の下が、赤く腫れあがっている。
リアンノは口に手をあてた。
「なんてこと!」
「そんな顔をするな。これくらい平気だ」
「は、はやくお医者様に見てもらった方がいいんじゃなくって?」
「ダメだ。王宮のヤツらは誰も信用できない。誰がサラに繋がっているかわかったもんじゃないからな」
「……なぜ、サラがやったと思いますの?」
「サラ・ベルツの犯行に違いない。夕方、やけにキョロキョロしているサラを見かけて、おかしいと思って尾行したんだ。案の定、あの女はキッチンにいた給仕を脅して、飲み物に毒を混入させていた」
「そんな、ひどい……」
リアンノの脳裏に、怯えた顔の給仕の顔が浮かぶ。あの年若い青年は、サラに脅されて毒入り果実水をリアンノに渡していたのだ。
ヴァルナーは悔しそうに呟く。
「……しかし、お前の飲み物に毒物を混入させたあの女を公の場で糾弾をしようにも、今のところ確固たる証拠がない。兄貴たちはサラに夢中だし、簡単に事件をもみ消すだけの権力を持っている。それに、下手に動けば、あの金髪の給仕の方がすべての罪を被って首を刎ねられることにもつながりかねない。それだけは、避けなくては」
「……八方ふさがりということですか」
「まあ、そういうことだ。とにかく、これからは迂闊に外で出された飲み物は手を付けるなよ」
「わかりましたわ」
リアンノは震えながら、それでもしっかりと頷いた。
「ヴァルナー様が私をこの部屋に連れてきたのは、これを忠告するためだったのですね」
「ああ。どこで誰が話を聞いているか分からないからな。先ほども言ったが、王宮のヤツらは皆、信用できない。……まあ、俺とお前が一緒にパーティーを抜け出したことで、多少噂になるかもしれないが」
「……それは、困ります」
「なぜだ?」
一瞬の間があった。リアンノは逡巡した後、口を開いた。
「……好きな人がいるからですわ」
「父上に俺との婚約を勧められても、か?」
「はい」
きっぱりとリアンノは答えた。ヴァルナーの顔がさっとこわばり、徐々に絶望したような表情に変わる。
その表情を見て、リアンノはハッとした。
「……あの、不躾な質問で恐縮ですけれど、もしかしてヴァルナー様は本気で私のことが好きでいらっしゃるの?」
「お前、それを今失恋したばっかりの俺に言うか!?」
責めているような口調とは裏腹に、ヴァルナーは苦い笑みを浮かべる。
リアンノは何というべきかわからず、口をつぐむしかできない。「手練手管に長けた悪女」だとか「男たちをたぶらかす美女」とかなんとか好き勝手言われてきたリアンノであるが、実際には色恋についてはこれっぽっちも縁がない。こういう時にどう答えていいのか皆目見当もつかないのだ。
シュンとして「ごめんなさい」と謝るリアンノに、ヴァルナーは頬をかく。
「おい、気まずくなるから謝るなよ。俺だって嫌われるようなことを散々してきたんだ。いちおうフラれる覚悟はできていた」
「……相手は誰、とは聞かないんですね」
「お前はまた、傷に塩を塗り込むようなことを……」
「あっ、すみません……」
「どうせ、お前の執事なんだろ。図書館で俺がお前をどれほど罵ろうと顔色一つ変えなかったのに、あの執事の話になると、お前は烈火のごとく怒った。それですぐにピンときた」
「やだ、私ったらそんなに分かりやすかったかしら?」
手を頬に沿え、リアンノは照れたような笑みを浮かべる。それを見たヴァルナーは額に手を当てて大きくため息をついた。
「お前、それはわざとか? 俺の傷を広げようとしてるのか……?」
「そ、そんなつもりは……」
「……まあ、心変わりしたらいつでも言えば良い。側室としてならお前を受け入れてやるよ。何番目の側室になるかは分からないがな」
ヴァルナーが皮肉交じりにニヤッと笑うと、リアンノはあきれた、とばかりに肩をすくめた。
「ヴァルナー様のような性格の悪い方のもとに輿入れしたいとは思う女性は、そう何人もいないと思いますわよ」
「重ね重ね、お前は本当に失礼なヤツだな!? 多少言葉の手加減をしろ! 俺はこの国の王子だぞ!」
「あら、やっと、調子が出てきましたわね。そちらのほうが、ヴァルナー様らしいですわよ」
ふいに、リアンノはいたずらっ子のような微笑みを浮かべた。深い藍色の瞳が、きらきらと光る。それを見たヴァルナーは急に胸をおさえ、逃げるように目を背ける。
「おっ、俺は服を着替えてくる」
「あら、また急ですわね」
「うるさい。適当にくつろいでろ」
それだけ言って、ヴァルナーは足音荒くクローゼットがある別室へむかった。
誰もいない部屋で一人頬を火照らせたヴァルナーの脳裏に、リアンノの藍色の瞳が思い浮かぶ。心臓が早鐘のように打った。
あの瞳のきらめきが、容易に手に入らないだろうことも、ヴァルナーはよく分かっている。
(はあ、逃した魚はでかいなあ……)
ヴァルナーはため息が漏れそうになるのをこらえつつ、クローゼットの前で手早くシャツを脱いだ。サラ・ベルツの用意した毒はよっぽど強いものだったらしく、未だに鎖骨の下は痛々しいほどに腫れている。
しかし、自分の身を危険にさらしてもなお、リアンノを助けたのに対して不思議と後悔はなかった。
(あれほどまでに生意気な女なのに、いつまでたっても嫌いになれない……)
ヴァルナーは未だに奇妙な高揚感の残る胸元をさすった。
婚約破棄した後、クラーセン家の財力に眼がくらんで、再度リアンノに近づこうとしたことは認める。しかし、その後はクラーセン家の財力よりむしろ、リアンノに興味がうつった。
リアンノは、ヴァルナーにとって唯一無二の存在だった。
周りの者は皆、第三王子であるヴァルナーに遠慮する中、リアンノだけは持ち前の気位の高さと多少空気を読まない、――もとい、読めない性格ゆえ、まっすぐに向かい合ってくれた。だからこそ、会うたびになんとか気を引きたくて、いつも高圧的な態度で接していた。
どうにか会いたいと願って手紙を書いたことも幾度となくある。しかし、返事は来なかった。いくら手紙を書いても無視されたことは腹が立ったが、今思えばあのような無礼な内容の手紙でリアンノが振り返る訳がない。
(自らの行いをどんなに後悔しても、もう遅い)
何度目かのため息をこらえつつ、ヴァルナーはクローゼットからゆったりしたシャツを取り出して手早く着替えた。それから、鏡に映った自分を念入りに見る。
数々の令嬢たちが熱をあげる、ツンとした怜悧な顔立ち。絶世の美女とたたえられた母親によく似た、大きくて人をひきつけてやまない色素の薄い瞳。
顔が少し赤いが、まあ相手はあの鈍感なリアンノだ。気付かないだろう。
ヴァルナーはシャワーを浴びるかどうか迷ったのち、軽く頭を振ってリアンノ待つ部屋へ足早に戻った。リアンノは常にハレシアやあの気に食わない執事と一緒だ。こうして二人きりになれる機会なんてめったにない。
(今のうちに、話しておきたいことが山ほどある)
今は、数少ない名誉挽回のチャンスなのだ。しかし、自室に入って早々、ヴァルナーの思いは打ち砕かれた。
それもそのはず、リアンノはソファにもたれかかって、スヤスヤと安らかな寝息をたてていたのだ。完全に眠っている。
おずおずと起こそうと肩をゆすってみたものの、リアンノは無反応だった。この調子だとしばらく起きないだろう。
「む、無防備すぎるだろうが……ッ!」
先ほど胸のうちにある恋心は伝えたはずだ。いや、確かに素直な言葉でなかったのは認める。しかし、自分のことを好いていると伝えたばかり男の前で、こうも無防備になれるものか。
(寝込みを襲われることはないだろうと信頼されているのか? ……いや、この女、絶対そこまで考えてないだろ)
クソ、とヴァルナーは一人悪態をついて天を仰ぐ。当のリアンノは、あどけない寝顔で安らかに夢を見ていた。
フラグをリアンノが叩き割る話でした。
ブックマーク、評価等ありがとうございます。
面白いと思っていただけたらぽちっと評価していただけると嬉しいです!





