失意の悪役令嬢
「ふっふっふ、おめでとうございます! お嬢さまはヴァルナー様にフラれることで、破滅フラグを回避しました!」
「は、はあ?」
突然の一言に、リアンノ・ミミ・クラーセンは言葉を失った。
相手は、今まで妙に寡黙だった執事で、リアンノにとっては空気のような存在だ。
そんな男が、突然笑いながら意味の分からないことを言ってきたのだから、リアンノは当然ながらパニックになった。クラーセン家の一人娘として十五年間とにかく甘やかされて育ってきたリアンノは、予期せぬ出来事がとにかく苦手なのだ。
(な、なにを言っているの、この執事……。意味がわからないわ……)
リアンノは分かりやすくドン引きしている。
当の執事は、リアンノの冷たい視線を一身に浴びて満足そうにため息をついた。
「ああ、いいですね、その冷たい視線。たまりません!」
「気持ち悪ッ」
即答。
コンマ二秒で発せられたリアンノの罵倒に、執事は笑みを深めた。全くダメージを受けている様子がない。それどころか、ますます喜んでいるようだ。
リアンノは、混乱して口をパクパクさせた。まったくもって、意味が分からない。それも当然のことだ。それまで大人しかった執事から「破滅フラグを回避した」と前触れなく宣言され、思わず罵倒すればなんとも嬉しそうに微笑まれたのだから。
リアンノはだんだんこの訳の分からないシチュエーションに、腹が立ってきた。
(そもそも、なんで私の縁談をめちゃめちゃにした男に、こんなこと言われなきゃいけないの!?)
◇◆◇◇◆◇
なぜこのような状況にリアンノが陥ったのか――
事の発端は、3日前に遡る。
アリアッセル平原の丘の上にあるクラーセン伯爵家の白亜の城は、いつにもなく騒がしかった。クラーセン家の一人娘であるリアンノに、ついに縁談が舞い込んだのだ。
リアンノの見合いの相手は、トルトーネ王国の第三王子であるヴァルナー・ゲーヘルト。少々短気なところはあるものの、輝く美貌で数々のご令嬢を虜にする16歳の王子だ。リアンノは15歳だから、1つ年上になる。
年が近い上に、リアンノも黙っていれば美少女という分類の顔立ちだ。お似合いのカップルになるだろうと、貴族たちの間ではもっぱらの評判だった。その上、リアンノの家柄もやんごとない。クラーセン家は、田舎に領土があるとはいえ、建国以来からの貴族であり、いわゆる名家と呼ばれる家柄だ。
そして、リアンノの父であり、クラーセン家の当主であるフェルイ・クラーセンと、ヴァルナーの父であるリレール国王は古くからの友人である。
クラーセン家の一人娘であるリアンノと第三王子との見合いは、べつだん驚くこともない、なんとも貴族らしい妥当な見合いだった。噂を聞いた貴族たちは、「十中八九、二人は婚約をするだろう」と頷きあったほどだ。
そして、当のリアンノと言えば、この国の第三王子との見合いを前に、とにかく張り切っていた。
「この私に似合うドレスを国じゅうから集めなさい!」
そう行商人たちに命令して、20着ほどのドレスを買い集めたリアンノは、自らのミルクティー色の髪に似合う、一番豪奢なドレスを選んだ。アクセサリーも隣国の珍しい真珠をふんだんに使ったものだ。村人が一生働いても買えないようなものばかりである。
見合いの当日には、腕がいいと評判の理容師をわざわざ首都から招いて髪の手入れをさせた。もちろん、化粧だっていつもの倍の時間をかけている。
未来の婚約者に少しでもよく思われたいリアンノは、一生懸命頑張ったのだ。
その上、ヴァルナーがクラーセン家の屋敷を訪れる時間のギリギリになって、リアンノはさらなるサプライズを思いついてしまった。
「そうだわ、未来の婚約者、ヴァルナー様のために、ウェルカムドリンクとして、私自らの手でとっておきの紅茶を淹れて差し上げましょう!」
リアンノは自分の淹れる紅茶の味に格別の自信があった。なぜなら、皆がリアンノの淹れた紅茶をほめそやすからである。――まあ、もちろんそれは完全なるお世辞で、リアンノの紅茶はごくごく普通の紅茶なのだけど。
とにもかくにも、リアンノは思いついたら即実行しなければ気がすまない。
ゴテゴテとしたドレスのまま、メイドたちをズラッと引き連れて台所に向かったリアンノは、迷惑そうなコックたちの視線を無視して、特製の紅茶を丁寧に用意し始める。
隣国から取り寄せた茶葉をたっぷり使い、さらに淹れ方もこだわった。お湯の温度も、蒸らす時間も完璧。カップもリアンノが自分で選んだものだ。
「こんなもんかしら? まあまあの出来だわ』
「さすがリアンノ様! 天才です! この紅茶を飲めば、確実にヴァルナー様はリアンノ様の愛のトリコになるでしょう!」
「ふふん、まあ、紅茶なんて手ずから用意しなくても、王子は私に夢中になるのは必然。なんたったって、今日の私はこんなに美しくて可愛くて完璧なんだもんっ!」
「もちろんです、リアンノ様! なんたったってリアンノ様はトルトーネ王国の真珠と呼ばれるお方ですから」
「……あら、私にふさわしいのは、真珠じゃなくてダイアモンドのほうだと思わない?」
「その通りですわ、リアンノ様! ダイアモンドのあの輝きこそ、リアンノ様にふさわしいです!」
メイドたちは揃ってリアンノの機嫌を取る。リアンノは顎をそらせて、得意げに頷いた。彼女の人生は、一事が万事この調子だったので、リアンノはこれが当たり前だと思っている。
ほどなくして、ヴァルナーが屋敷に到着した、と侍従が伝えに来た。リアンノは足早にヴァルナーのいる来賓室に紅茶を運ぶ。紅茶は熱々のうちが美味しいと、相場が決まっているのだ。
リアンノは紅茶がのったお盆を手に、得意な顔でバーン、と応接室のドアを開けた。ソファでえらそうにふんぞり返っていたヴァルナーは急に現れたリアンノに驚いて小さな悲鳴を上げた。そして、整った顔にぶすっと不機嫌そうな表情を浮かべる。
「おい、リアンノ。こんな辺境の地までわざわざこの俺が足を運んでやったのに、やけに遅かったじゃないか」
「ヴァルナー王子、ようこそいらっしゃいました。遅れてごめんあそばせ」
ヴァルナーの不機嫌な態度を気にした様子もなく、リアンノは優雅に首をかしげて微笑んだ。名家の令嬢らしく、その所作は美しい。リアンノは、腐っても貴族令嬢なのである。
「長旅で疲れたでしょう? 紅茶でもいかがかしら。私がヴァルナー様のために、特別に淹れてさしあげたの。 熱々のうちに――……」
リアンノが得意満面の笑みでヴァルナーに紅茶を運んでいた時、ふいに、磨き上げられたピカピカの革靴がにゅっと飛びてきた。上機嫌のリアンノはその足に気づかない。そして、その革靴は、迷いなくリアンノのレースだらけのドレスの裾を踏んづけた。
「ああっ」
バランスを崩したリアンノの手から、熱々の紅茶の入ったカップが宙に舞う。
余談だが、リアンノが悩みぬいて選んだこのカップはアスチルベがあしらってあった。アスチルベの花言葉は「恋の訪れ」。しかし、虚しいことに花言葉通りに恋は訪れることはなかった――……
それはさておき。
熱々の紅茶が入ったカップは、ガチャンと音を立て、見事にヴァルナーの頭の上に着地した。きらめく金髪が、熱々の紅茶でぐっしょりと濡れる。
長くきまずい沈黙のあと、
「……あ、熱――ッ!!!!」
ヴァルナーの悲鳴が、部屋中、いや、城中にこだました。
そこからは、てんやわんやの騒ぎになった。
ヴァルナーは熱々の紅茶を頭から浴びせかけられたことに激怒し、足音荒く部屋を飛び出していった。リアンノはその姿を呆然と見送るしかできない。まさか王子相手にこんなヘマをやらかすなんて、考えてもいなかったのだ。
ものの1分足らずで、見合いの席は強制終了となり、当然の流れながら、ヴァルナーとリアンノの見合い話は爆速で破談した。
新連載です。のんびり更新になりますが、楽しんでいただけますように♪