第二章 アイドルと冒険者達(5)
かつて【転移者】の一人が言っていた、挨拶は古事記にも記されている神聖な物だと。しかしどうやら徳が低かったらしいヨシダは、挨拶に唾を吐く事で返し、明らかに見下した表情を浮かべた。
「んだよ、マジでただのモブかよ。世界を救う為に戦ってやっている【転移者】様の邪魔をしてんじゃねえぞ、クソが」
世界をどうこうの部分が先程の弁と多少違う気がするが、【転移者】は情緒不安定な連中が多い。いや、あえてそういう者を選んでいるのか。何にせよヨシダは剣を掲げると、【転移者】特有の自己紹介タイムを始めた。
「見ろ、コイツは攻撃力8000の神剣ラグナロク! 1000年近く台座に突き刺さり、選ばれし勇者にしか引き抜けないと云われていたが、オレはコイツを簡単に引き抜いた! この世界にオレを召喚した女神も驚いていたぜ、こんな事は初めてだってなぁ! 更には様々な上級魔法、古代魔法、神聖魔法! 伝説級の技の数々も、ちょっと真似するだけで会得出来ちまった。大神殿の連中は次々に、こんな簡単に覚えてしまうなんて聞いた事がありません、ヨシダさんは一体何者なんですか! とオレに詰め寄って来たぜぇ!」
――これはまだ続くのだろうか。とりあえず背後で脅えている少女の頭に手をやり、「大丈夫だから」と落ち着かせてやる。
「そしてオレの最強チート『強奪』! コイツで手に入れた古龍の『古龍の息吹』! フェンリルの『獣風爪撃』! グレーターデーモンの『混沌の破壊』! どれも大軍を無双する伝説級のスキルだ!」
お話が長すぎる……。これはもう帰っても気付かれないのではないだろうか。センターアイドルの背を軽く押し、飯屋に向かおうとする。
「待てや、てめえらを逃がすとおもってんのか!」
だが流石に、そこまで甘くはなかった様だ。ヨシダは自らの御高説を清聴しない無礼な愚民を、とうとう成敗しに掛かった。
神剣ラグナロクなる剣が夜闇に青白い光を放ち、一直線に軌跡を残す。空気を切り裂く殺気と共に、剣が振り下ろされた。少女の身を寄せ翻ると、背後にある屋台が真二つに割れた。小生意気にも躱した愚民を逃すまいと、次手は横に薙ぎ払う。スキルの一つか、形の無い刃が広い空間に解き放たれた。いわゆるお姫様抱っこというやつか、少女を抱え跳躍した僕に向けて手を掲げると、ヨシダは『古龍の息吹』と叫び、良く分からない破壊を放った。其れは紅く渦巻き、空に高熱の螺旋を描く。空気を焼いて迫る熱気の奔流。僕はセンターアイドルが肺を焼かない様に、顔を胸に引き寄せてから身を捩った。熱線が過ぎ去り、回転したまま地面に降り立つ。少女を降ろすと、踏み込むヨシダと同時に距離を詰めた。剣を振り上げた姿勢で面食らっているその鼻の下辺りを、軽く手の平で押し上げてやる。
「ゴッ!?」
一、二歩と後退し、ヨシダは流血した鼻を押さえ膝を付いた。覗く双眸からは、もはや隠す気もない殺意があった。
「ゴミの分際で……!」
地を蹴り、連続で剣を振るう。上下、左右、袈裟、逆袈裟、途切れる事なく斬り入れられる刃を、センターアイドルが茫然と見つめているのが分かる。その速さはもはや彼女の目では捉えられず、澄んだ音と共に縦横無尽に舞う光だけが乱れ飛んでいるのだろう。
「クソがぁぁぁぁぁぁ! どんなチートを使ってやがる! 避けんじゃねえ大人しく斬られろや!」
紙一重で見切り、体裁きでのみ躱す。別に特異な能力など使ってはいない。純粋な経験によるものだ。
徐々に荒くなる剣筋、息も途切れ途切れなヨシダは、気合いを振り絞る様にして大上段から打ち下ろした。半身になってやり過ごし、柄を踵で押し込む。前のめりになったヨシダが咄嗟に身を引き起こそうとする力を利用し、襟首を掴み勢いよく引きずり倒す。背を強く打ったヨシダは苦しそうに悶え、肺に空気を取り入れようと必死に口を動かしていた。
これで流石に懲りただろう。水から揚げられた魚の様になっているヨシダに手を貸そうとすると、彼はそれを振り払い跳ね起きながら距離を取った。どうやらまだ懲りていないらしい。
「バカが! 全身体強化魔法、更には『身体強化・極』を発動した! 今度こそ死ねや!!」
大きく跳躍し、光り輝く剣が月光を浴び、爛々と煌めいた。もはや聞き取れない絶叫と共に迫る力の奔流は地を割り、暴風が舞い上がる。空気を震わすが如き剣気。一文字に僕へと振り下ろされる必殺の刃――
それを片手でつかみ取る。
「――じゃあ、これは没収するから」
茫然とするヨシダの二の腕、やや上部を拳でコツンと叩く。一瞬だが麻痺したその手から、本来こういう奴に持たすべきではない凶器をもぎ取る。
「あ、ありえねえ……こんな事があってたまるかよ……。オレは【転移者】の中でも一握りの、特別な存在なんだぞ……!」
凶器を没収された危険人物は顔を歪め、怒りを地面にぶつけた。何度も何度も何度も、地面を蹴りつける。
「もういい……見せしめだ。どうせオレ達がこの世界を支配するんだからなあ。【転移者】様に従わないとどうなるか、てめえを潰すついでに世界にしらしめてやる。『隕石召喚』!!」
夜空へと手を掲げるヨシダ。丁度その時、今まで惚けた様にこちらを見ていたセンターアイドルが、ハッとした様子で声を上げた。
「いけません、あれは巨大な岩石を召喚して上空から落とす最上位の魔法です! このままだと街が跡形もなく吹き飛んでしまいます!」
説明ありがとう。僕はまた子犬の様に震え出した彼女の頭に、優しく手を置いた。それから数十秒経ち、数分が過ぎても、何かが起こる気配はなかった。
「何だ……魔法が発動しねえ……どうなってやがる!?」
直後、空間に歪みが生じた。夜闇の中においても、何故かはっきりと分かる黒い影。生き物の様に脈動し、不確かな形状だったそれは、やがて人の姿をかたどった。
黒髪に赤目、全身真っ黒な装いの、見るからに縁起の悪そうな少女。
『ごめんなさいね~。流石に看過出来ないから、干渉させてもらったわ』
ごきげんようとスカートの裾を摘まみ挨拶したのは、今まで【転移者】を避けていた筈の、あのお化けだった。
「なんだコイツ、死霊系のモンスターか? どこから湧いて来やがった」
ヨシダの何気ない一言に、お化けがムッとする。
『失礼ね、死霊系でもモンスターでもないわよ。もっと高位な存在』
彼女は僕の首に腕を回すと、頬を寄せた。
『私は彼の歪んだ性癖の結晶。幼い子が好き過ぎて、四六時中一緒に居たいという想いから生み出されてしまった、哀れな妄想の具現化――』
やめろ。周囲にあらぬ誤解を与えるな。
「そ、そうなんですか!? 本当にそういう関係なんですか!?」
やたら詰め寄って来るセンターアイドル。さてどう説明したものか。
「……僕に憑いてるただのお化けだよ」
結局当たり障りの無い答えで済まそうとすると、こうなってしまう。
『それじゃ死霊系のモンスターと変わりないじゃない。今回は別に構わないわよ。どの道このお兄様は一線を越えちゃってるし、遅かれ早かれ消えて貰う事になるから』
何気なく物騒な事を言いながら、少女は無い胸を張って、偉そうにふんぞり返った。
『よくぞここまでたどりついた勇者よ。この魔王が直々に相手をしてくれよう!』
まおう が あらわれた。