第二章 アイドルと冒険者達(4)
段々と日も暮れ、当日出店する予定である屋台の組み立ても一段落した僕は、空腹を感じていた。やはり中途半端な時間に食べた腸詰だけでは足りなかった様だ。しかも大半は所長に食われた記憶がある。
「さて――とりあえず今日の作業は終わったから、ご飯でも食べに行く?」
僕が振り返ると、今日は全員揃っての軽い通しだけで終わったらしいセンターアイドルが、物陰からじっとこちらを見つめていた。
結局彼女は多くを語らず、「この人をプロデューサーにしましょう! きっと、多分……凄い役に立ってくれると思うんです!」と中身の伴っていない謎の僕推しを始めたが、ノリコ女史と所長の「スキャンダラスは厳禁よ!」「いやぁ、さすがに彼まで取られたら事務所の維持が……」という発言により、冒険者P誕生の瞬間は保留となった。
ちなみに、桃色ツインテールには去り際に脛を蹴られ、黒子には呪いの言葉を掛けられた。何を思っての事だかは知らないが、誤解を生む様な発言は厳に謹んで戴きたい。
「僕に用があるんだよね? ええと……どこかで会った事があるとか?」
向こうから異常接近して来たし、センターアイドルはどうも僕の事を知っている様子だった。こちらにはてんで覚えが無いが。
「――やっぱり、私の事なんて覚えてないですよね」
彼女は重い足取りで近付くと、僕の前に立った。何を食べるべきか、やはり少女と一緒ならオサレな店とかの方がいいのだろうかと僕が思案していると、彼女は反芻する様に少し俯いてから、続けた。
「今からだと大体二年くらい前……でしょうか。よくあるお話しですけど――私はまだこの世界に転移したばかりで、自身に与えられたチートを過信して、身の丈に合わない強さの魔獣に挑んだんです。もちろん大ピンチになっちゃって……脅えて縮こまっていたら、ある人が助けてくれたんです」
ほら、よくあるお話しでしょ。と笑いかける。どうやら運命的な再会を期待している様だ。確かに、二年前はまだ冒険者にはなっていなかったが――
「――それが、僕だと?」
「はい。すぐに去ってしまって後ろ姿しか見えなかったので、せめて『鑑定』を……と」
正直、そういうのはあまり関心しない。【転移者】の悪い所の一つに、やたらと『鑑定』をしたがる事が挙げられる。プライバシーの侵害だ。そう呟くと、彼女はまた縮こまってしまった。
「ご、ごめんなさいごめんなさい! でも、せめてお名前だけでもって……」
「いや、そこまで謝らなくてもいいから。で、今日も『鑑定』した結果、当時助けてくれたのが僕だったと確信したと」
「本当はあの怖いお爺さんに向けて使おうとしたんですけど……いえ、ごめんなさい。本当に『鑑定』するのがクセになっちゃってますね、私」
それで、何が見えたのかと僕が続きを促すと、彼女は首を振った。
「何も……。名前もステータスも、何もかもが空欄でした」
でも、それで確信したんです。と少女は続けた。
「二年前のあの時も、何も見えませんでした。こんな事、普段は絶対起こりません。あなた以外では」
だから、あなたはもう忘れてしまったのかも知れないけれど、あの時のお礼をさせて下さい、と。
「助けてもらって、ありがとうございました」
彼女は頭を下げ、魅力的な笑みを浮かべた。
「――ようやく見つけたぜ、『魅了』持ち。随分離れた場所に逃げやがって、手間取らせてんじゃねえよ」
そこに、若い男の声が響く。視線を向けると、見るからに軽薄そうな青年が一人。腰に帯剣し、それの柄を弄びながら近づいて来た。
「ヨシダさん……」
その姿を認め、センターアイドルは小さく震える手で、僕の裾を掴んだ。
「こんなトコで遊んでないで一緒に来いよ。お前のチートは貴重だからな。条件を満たさなきゃなんねえが……ま、すぐに使い物になるよう、オレがPLしてやるよ」
強引にセンターアイドルの腕を掴むヨシダ。見た目は明らかに少女誘拐の現行犯だ。嫌がり振り解こうとする彼女の様子からして、これは止めるべきだろう。
「離して下さい! 私はもう、魔王を討伐する以外の目的が――この世界でやりたい事が出来たんです!」
「あん? 魔王? 何の話しだ?」
「だってその為に私を連れ戻しに――」
するとヨシダは彼女から手を放し、それを額に持って来ると、やや仰け反る様にして大笑を上げた。少なくとも僕は、こんな角度で笑う人間を初めて見た。
「ギャハハハ! お前バカじゃねえのか? そんなのは英雄ごっこしてる連中にやらせときゃいいんだよ。ンなくせえ事の為に、オレがわざわざこんな街にまで来るわけねえだろ!」
ひとしきり笑った後、ヨシダはセンターアイドルへと視線を戻した。欲望に塗れ歪んだ、底なし沼の様に黒く濁った眼だった。
「お前のチート『魅了』でこの世界の実権を握る連中を傀儡にして、オレ達【転移者】が代わりに世界を支配するんだよ!」
述懐するヨシダは、随分と大それた事を考えている様だった。オレ達というからには、他にも同じ思想を持った【転移者】がいるのだろう。迷惑な事だ。
「お前が今一緒に居る奴……ノリコだっけ? 気に入らねえんだよなあ。大した能力もねえくせにオレ達には従わず、早々に事務所なんて立ち上げてよ。定期的に活動を邪魔してやってんのに、一向に服従しねえ。よく考えな。お前はゴミみたいな能力しか与えられてないあんなクズ共とは違って、こっち側の選ばれた存在なんだぜ?」
俯くセンターアイドル。だが次にヨシダに向けられた双眸には、普段の彼女とは真逆の、強い意志の光を携えていた。
「ノリコさんは――あの人は確かにあなたとは違います。何の努力も苦労もせずに身に余る力を与えられて、歪んでしまった可哀想なあなたとは」
「あ″?」
ヨシダは剣に手を掛け、抜いた。まさかそこまでの行為には及ばないと思うが――もしそうなら、このヨシダとかいう人物は底抜けのバカなのだろう。
「お前オレがどんだけ長い間下手に出てやってたか分かってる? とりま、協力する気はないってこと?」
少女は力強く頷いた。
「そうかよ」
盛大にため息を吐き、怒りを隠そうともせず、地面を蹴りつける。
「お前の能力の面倒な所はよ、自分よりレベルの低い相手しか『魅了』出来ない事だ。PLするのもかったりーし……だったらオレが直接使った方が早いんじゃね?」
どうやらこの男は底抜けのバカだった様だ。切っ先を少女へと向け、一息に踏み込んだ。
「オレのチート『強奪』は知ってるよなぁ! 倒した相手の能力をコモン・ユニークを問わずに奪う、最強の能力だ! てめえのチートはオレが使ってやるよ!」
凶刃が突き入れられる直前、その一閃を手の平でトンと押す。逸れた剣身は僕と少女を掠める様に通過し、ヨシダは勢いのまま足を躍らせ、背後でたたらを踏んだ。
「……あ″? なに、お前?」
ゆっくりと振り向いたヨシダは射竦める様な凶悪な威圧感をはらみ、センターアイドルは小さく悲鳴を上げると僕の背後に身を隠した。
何、と言われてもずっと彼女の隣に居たのだが……。どうやら彼にとってモブでしかない僕は、文字通り眼中に無かったらしい。だったら別にそれでもいいさ。
「初めまして、冒険者Aです」