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第6話 戦闘

「旦那様っ!」


 急ぎ駆け寄るレナの声を聞いてもなお、ヴラドは己の身に何が起こったかをわからぬままであった。意識こそはっきりしているも、視界は揺らぎ、動こうとも身体は意志に反して動かぬ。


 彼は、己の身が床に倒れていることにすら気づかなかった。──何が起きたかを知ったのは、レナに抱き起こされた後、寝台(ベッド)のほうを向いて叫ぶ彼女の声を聞いた後のことである。


「無礼な! いくらあなたが王族の姫君だからって、やっていいことと悪いことがあります! 何もいきなりなぐり飛ばすことはないでしょう!」


 そこでようやく、ヴラドは己が何をされたかを知る。左拳の一撃を頭部にもらい、なぐり飛ばされたのだということを。──それも、かなりの強力な打撃。不意討ちとは云え、不滅の存在たる吸血鬼を行動不能にまで追い込んだのであるから。


 もし受けたが人間なれば、まず昏倒は避けられぬ。意識は絶ち切られ、ふたたび起きて動けるまでにいかほどの時間がかかるものか。──下手をすると即死すらあり得た。


 だがこのヴラド=ツェペシュは、すでに人間に非ず。不滅の存在、吸血鬼の始祖(ヴァンパイアロード)!──幾らもせぬうちにふたたび動く力を取り戻すに至る。


 ゆっくりとヴラドは立ち上がり、


「よい、レナ。永く生きていればこうしたことの2度や3度はあるもの。これしきのことでうろたえておっては──いかぬぞ」


 と、衣の乱れを直しながら云う。


 あくまでも、悠然とした態度を崩さぬ。


「じつに元気がよい。活きがよい。──よほど、よい血が流れておるものとみえる」


 寝台(ベッド)に眠る姫の眼を見据えたままに──


「さぞ──それは甘美なる味なのであろうな!」


 すばやい動き。一切の予備動作すらみせず、眼にも止まらぬ速さにて、ヴラドは姫のもとへと接近した。ほぼ一瞬、瞬き1度ほどの間も置かず、姫の懐深くに潜り込んだのである。


「その血、とくと行くままに味わわせて頂く!」


 ふたたび、首元へと嚙みつきに入るヴラド。


 しかし──


「はぶらっ!」


 今度は、右拳の一撃を鼻筋にもらう。強烈なる一撃。姫はまず腕を引いた。撥条(バネ)入りの寝台(ベッド)に1度己の肘を打ちつけ、その反動をもってまっすぐに縦拳を放ったものであったから、これはたまらぬ。


 長身を誇るヴラドの身体が、砲弾のごとく斜め上方へと飛ばされたほどの威力。さながら対空砲! 向かう先は頑丈な石造りの天井である。


 この速度、この体勢にては、さすがの吸血鬼も無事では済まぬやもしれぬ!


「旦那様!」


 思わずレナが主の身を案じたも無理もないこと!


「ふふふ……なんのこれしき!」


 しかしながら、空中はヴラドの主戦場である。天井へとたたきつけられる前に上体を反らせ、打撃の勢いを利用してそのまま後方回転。上下逆の姿勢を取り、その両足にて天井へと張りついたのであった。


「これは──もしやこれは……」


 逆さとなったヴラドは、(アゴ)を反らせて眼下の寝台(ベッド)を見やる。そこにはすやすやと寝息を立てる眠り姫が横たわっている。


「──“起きている” のでは、ないのか……?」


 2度の打撃をもらい、ヴラドははじめ『罠』ではないかと疑った。──すなわちここの情報をもたらしたヘルシング教授と姫君とが裏で結託し、『人類の敵』吸血鬼の始祖たるヴラドを亡き者とし、吸血鬼一族の殲滅を狙ったものではないかと疑ったのである。


 あの老獪なる教授ならば、やりかねぬ!──ヘルシングの頭脳の巡らす策謀たるや、並の物に非ず。その策の綿密さ、悪辣さたるや、あのモリアーティ教授にも匹敵すると、ヴラドはみていたからである。


「──むう……思い過ごしか?」


 しかしその疑念は、今ここに晴れる。


 この天井にぶら下がった無防備な体勢──打ってくれと云わんばかりに隙だらけな──状態にて、姫はまるで追撃を行う様子もみせず、ただすやすやと眠り続けているのみであったからである。


(もしヘルシングならば、このような甘い手はとらぬ。必ずや余を亡き者にせんと、一度(ひとたび)小指一本でも掛かれば、逃さぬ。あの者の策ならば、必ず。──あれは、そうした男だ)


 故にヴラドの考えは、


(よもや──)


 別の方向へと至った。


「レナよ」


「はい」


 ヴラドの呼びかけに、レナが顔を上げる。


「我が忠実なる下僕(しもべ)、レナよ。そこなる姫君に近寄ることを許可する。余が許す。必要とあらば、(ナタ)(オノ)の使用も許可する。──だが攻撃は許可せぬ! あくまでも己の身を守るのみにとどめよ! 姫君を傷つけることはならぬ!」


 いかに相手が王族とて、優先されるは主の命。両手を腰布(スカート)の中へと入れ、左手に角燈(カンテラ)を、右手に(ナタ)を持ち、ゆっくりとレナは寝所へと迫り──


「──っっ!」


 左の肘が、レナをなぐりつけにかかった。急ぎ、(ナタ)にて顔を防御するレナ。


「なに──いっ!?」


 驚きのあまり珍奇な声が上がったも、無理もないこと。その肘の一撃は強烈という言葉では生ぬるかった。鈍い金属音とともに、その刀身をぐにゃりとへし曲げたのであるから。


 続け様に、右の肘が迫る。急ぎレナはひん曲がった(ナタ)を逆手に持ち替え、なんとかこれを防いだ。しかしながらその威力はやはり絶大にて、防御の上からレナを吹き飛ばしたのである!


「ひゃうっ!──くんっ! こ、これは……」


 大きく後方へと転がされ倒れたレナはすぐさま上体を起こし、乱れた裾を直したが、しかしその場に座り込んだままにあった。かなりの衝撃を受けたがため、すぐには起き上がることができなかったのである。


「──む……やはり余の思った通り……」


 頭上にてつぶやくヴラドのほうを向き、


「なにかわかったのですか!?」


と、レナが問うと、


「うむ。すさまじき寝相の悪さ。これでは、容易に近寄ることが叶わぬな」


と、ヴラドは答えて云う。


「のん気なことを云っている場合ですか! これではいつまで経っても血を吸うどころではありませんよ!」


 やや怒ったような声で云うレナであったが、しかしヴラドとてそれは重々承知。第一、彼には時間がない。夜明けまで──否。それより先、一番鶏が鳴く時までしか、彼はここへとどまれぬ。いかに始祖(ロード)とは申せ吸血鬼(ヴァンパイア)である以上、太陽の光の下では彼は生存できぬのである。


 それが、吸血鬼の宿命。


 故に、急ぎ血を吸う必要がある。己の屋敷に戻るまでの時間も考慮せねばならぬ。


 とても、相手の体力の消耗を図るまでの時間は、彼には残されていなかったのである。


「うむ、貴女の申す通り!──この一撃で決めてみせよう!」


 天井に逆さにぶら下がったままに、ヴラドは両手を広げた。爪先が、足が伸ばされ、身体が斜め一直線となる。


 その後に、ヴラドの膝が曲がり、ちょうどかがみ込むような姿勢となった。


 力を、溜めたのである。人間換算二十人力とも、百人力ともされる、吸血鬼の全力を!


「麗しの姫君よ! すこしばかり手荒な真似をするを許されい!」


 顔を上げ、まっすぐに姫の寝顔を見据え、ヴラドは叫ぶ。


 その後に──


「ふおおーーっ!」



 翔んだのである。



「せやあああ!『怪盗紳士』(ルパン・ダイヴ)!」


 曲げた膝を伸ばし、溜めた力を解放して天井を蹴りたるヴラドの身体は高速にて急降下した。


 その速度たるやすさまじく、着ていた服が脱げ落ちて裸体となるほどであった。


 猿股(パンツ)までも脱げ落ちた。ふわふわと、白い猿股が宙を舞う。


 しかしながら、外套(マント)は纏っている。紳士たるもの全裸となることは許されぬ。これは紳士として誇りを保つに必要なる最後の砦なのである。



 この恐るべき技は──その名から知れる通り──本来は世を騒がす仏蘭西(フランス)の怪盗紳士アルセーヌ=ルパンの得意技である。


 何故、トランシルヴァニアの館に籠り切りのヴラドがこれを知っていたか──それは彼が夜の住人であったからである。


 そもそも、太陽の光の下を出歩けぬヴラドであるが、しかしながら外界の様子を知っておくことは大事である。彼は外界の情報を、新聞や雑誌と云う媒体を介して仕入れていた。


 それらの記事の中に書かれた怪盗紳士の起こした連続窃盗事件がヴラドの眼に留まった。


 彼はこの怪盗に興味を示し──接近を試みたのであった。


 とは云えど、別に血を吸おうとしたのではない。そもそも、男性の血などにヴラドは興味はない。たとえルパンが絶世の美男子であっても。貴族が粟飯を喰わぬように、始祖(ロード)は同性の血など吸わぬのである。


 ならば、何故興味を示したか? それは彼の見事なる侵入手口の見事さに感銘を受け、その技を教わろうとのことであった。


 しかしながら、別に頭を下げて弟子入りし教えを乞うたのではない。仏蘭西(フランス)がごとき片田舎の平民擦れごときに誇り高き始祖が頭を下げようものか。否、断じてない!


 ヴラドはただ遠く離れた物陰より、その手並みを観察するのみであった。怪盗もまた夜の住人であったことが、ヴラドの接近を許したのである。


 吸血鬼の身体能力は常人を遥かに凌ぐ20倍、或いは百倍! その視力もまた相当なもの。気配を気取られぬ位置からでも動きを認識し理解することができるのである。


 もっとも気配を気取られていたとしても、向こうは仕事(ぬすみ)の最中。明らかな敵対行動も見せぬ妖しき者に気づいたとして、一々相手になどするものか。




 かくして捨て置かれたるこの闇の住人は、怪盗よりその技をまんまと盗み取ったと云う次第であった。


 云わば──間接的ではあるが──怪盗紳士ルパン直伝のこの技のすさまじさたるや。とても反撃など間に合わぬ。跳躍の頂点に達するや、音速に近い高速にて急降下してくるのであるから。


 さながら人間急降下爆撃!──しかし今これをやってのけているは、人間を遥かに上まわる吸血鬼!


「ふははははーーっ!」


 両手を広げたままに、ヴラドは寝台(ベッド)へと着弾する。すさまじき衝撃。肉弾重爆撃(ボディプレス)とでも云おうか、彼の体重がそのまま威力としてぶつかるのであるから、これはもう、拳であろうが肘であろうが、迎撃は不可能であった。


「さあ! 誓いの接吻(くちづけ)を!」


 わけのわからぬ言葉とともに、ヴラドはうつ伏せのまま顔を上げ、口を開いて嚙みつきに入る。──そう、姫君をブチのめすのではなく、吸血が目的なのである。ヴラドは決して、その目的を見失ってはいなかったのである。


 だが──


「ふあっ!?」


 しかしこれはどうしたことか。彼の眼前に在るは白き枕。彼の身体の下にあるは純白の寝布(シーツ)。目指す深窓の眠り姫の姿は、寝台(ベッド)のどこにもなかったのである。


「こ……これは!」


と、ヴラドが上体を起こしたのと、


「旦那様! 上です!」


と、レナが叫んだのはほぼ同時。


 それより、ほぼ時を置かず──ほぼ同時か若しくは瞬き一回にも満たらぬ時の後──ヴラドの身体は後方へと吹き飛ばされたのである。


「ひょんげえぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜!」


 情けない声を遠ざけながら、ヴラドの身体は部屋を抜け、廊下を超え、開いた窓の外へと投げ出され──庭を抜け、河を超え、対岸の森の中へと落下するのであった。


「だっ……旦那様あぁぁぁ!」


 慌て、すぐさま(ナタ)を摑み、脱げ落ちたヴラドの衣服を拾い抱え──さすがに直に触るは嫌とみえたか──(ナタ)の先端に猿股(パンツ)を引っかけたるレナが、急ぎヴラドの後を追って部屋の外へと出た時にはすでに、姫はふたたび寝台(ベッド)の上にて、すやすやと寝息を立てているのであった。

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