橙の夜桜
次の目的地となるは、両生類の遺伝子を持つ人々が統治する国、黄泉。
そこで待ち受けているとは…。
空から大地に旅行を始めた雲の涙は、風の思いのままに遥か彼方へと走って行く。やがて木々の葉に当たり、その衝撃により爆ぜる。その音は儚くも、力強く心を洗い流してくれるだろう。
数多の思いが詰まった雨が作り出す譚詩曲は、抵抗もなく耳に届けられるだろう。
「…。」
黒曜石を、静かに水面に浸け、パッと指を話す。
空気中ではすぐに地面に落ちて割れてしまうが、水に入るとまるで枝から落ちる木の葉のようにゆらりゆらりと舞う。
「あっ。」
偶然通りかかった鯉に黒曜石が当たる。水によってさらに切れ味を増した刃が、運悪く鱗の隙間を縫ってその体に切れ込みを入れる。
「あああ。何てこと…。」
さらに運が悪かったのか、切れた箇所が動脈だったため、大量に赤い血が噴火のように噴き出した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…!!!」
その血の匂いを嗅ぎつけた他の生き物が鯉の身体を喰らう。が、その鯉は病気を持っていたのか、喰らった生き物たちものたうち回り、あっという間にその動きが止まり、水底に沈む。
「こんなつもりじゃなかったのに…。」
少女は涙を流す。流した涙は地面に向かって走って行く。
「ああ、私は必ず不幸を呼んでしまう。もう、嫌だよ…。」
か細き彼女の弱弱しい声は、慈悲もなく雨に洗い流された。
【1.虚ろな境界線】
-1-
全てを飲み込む勢いでその水面に降り注ぐ月明かりが、水母のようにユラユラと揺れる。手で触れようとも触れることのできない鏡花水月。それはまさに今いる国を表しているかのようだった。
ドラキエルから西の方角に位置する、黄泉。この国の住民は水陸両方で生活することのできる生物"両生類"の遺伝子を持った人種"両生人"が大半を占めている。両生人は水陸両用であることは魚人と大して変わらないが、どちらかというと陸上を好んでいる傾向にある。陸上だと他の人種に劣り水中だと魚人に劣るどっちつかずの身体能力の他、性格はおとなしく陰湿な傾向にある。
黄泉の国がそれでも進行されずに他の国に負けず劣らず勢力を保ち続けているのは、彼らの特殊な能力によるものだ。他の国からは"魔術"や"呪い"等と呼ばれているこの不思議な力は、今現在も解明されていない。
「はぁ…。」
アイナはため息をつく。
「まぁまぁ、良かったじゃないですか。こうやって無事にたどり着けて。」
イルがアイナの肩をさする。
「おーい、大丈夫かー?」
「ううっ、くらくらする。」
カイはブランを背負っていた。
「ここ、一番最後でもよかったかもしれないわね。」
「確かにな。ここまで来るのにも相当大変だった…。」
時は、3週間前まで遡る。
-2-
「さて、黄泉の国の場所はっと…。」
アイナは竜車の中で地図を広げる。手綱をもっているカイを除いたアイナとイル、ブランの3名が周りに集合した。
「えっと、ここから北西の位置にありますね。」
「そう。でもまっすぐ進むってわけじゃなくて、さらに西に迂回する必要がある。」
「えっ、北じゃダメなんですか?そっちの方が…。」
ブランの疑問に、アインがあきれて答える。
「あのね、そうしたら4国のど真ん中を突っ切っちゃうじゃない。あそこは、私たちがニライカナイで対峙したカトブレパスレベルの魔獣がウジャウジャいるところよ?そこを通るなんて、命を捨てる行為なの。」
「あっ…。そうなんですか。ごめんなさい。」
「謝る事じゃないでしょ。カイ!聞いてた?」
「おーう。ま、1週間ってとこだな。」
竜車は進路方向は変えずにそのまま走っている。つまり、カイは既に塵を把握していたということだ。
「僕、竜車なんて初めて見ました。」
「私もです。」
話によると、ブランとイルは伝染病事件以前は一度もニライカナイどころかノロ島を出たことがなかったらしい。首都のユタまでは貿易のためにドラキエルから頻繁に竜車は通っているため普通のニライカナイ人だったら見慣れていると思っていた。どおりで私たちの竜車を見た瞬間目を輝かせていたのか。
「よし、じゃ、楽器の練習でもしようか。」
アイナは竜車の奥から楽器を一通り持ってきた。残るパートは、ギター、ドラム、シンセサイザ、サックスだ。
「改めて見ると、やっぱりすごいですね。」
「壊したら弁償だかんね。」
ずらりと並べられた楽器たちは、どれも高級魔獣の素材で作り上げられたもので、オーダーメイドだ。武器としてでも使用できるほどの強度は持っているが、壊れてしまった場合はまたドラキエルに戻って作ってもらわないといけない。
「あ、あの、僕やりたい楽器があるんですけど…。」
手を挙げたのは、ブランだった。
「お、いいね~。何やるの?」
ブランがある楽器を手にした
「…なるほどね。良いじゃん。似合ってるよ。」
「たしか、その古文書によると…。この口をつけるマウスピース?ってところの銜え方が大事みたいですね。アンブシュアだっけ?」
「そうですね…。えっと、まずはリードをセットして…。ちょっと吹いてみます。」
ブランは、上前歯をマウスピースに当て、下唇が下前歯の上に巻き込む形で咥えた。そして、空気が漏れないように息を静かに吹く。
すると、金属の振動によって生み出された綺麗な音が鳴り響いた。
「…!!やった…!!」
「おー!!お前、筋がいいじゃねぇか!!」
手綱を取っていたカイも、竜車の起動が乗ったのか、いつの間にかベースをもって練習をしようとしていた。
「いえいえ、それでもまだ、音を出せたってだけですから…。」
「よし、ブランはサックスに決定!!イル!!あなたはどうする?」
「…どうしましょう?どれも魅力的なものが多くて…。」
イルは担当を迷っている。残っているのは、赤色のドラム、黄色の変形ギター、緑のストラトキャスターギター、ピンクのシンセサイザだ。そこでアイナは提案をする。
「この、緑色のギターとかはどう?」
イルはドラドの魚人。その光り輝くような黄色の鱗と髪の色と喧嘩をしないようなコーディネートをした方がいい。
「私もそれにしようと思っていました。ちょっと担いでみますね。」
イルはギターを肩にかける。すると、綺麗に反射した髪の毛と鱗、そして担いだギターと合わさりまるで
アルストロメリアのように可憐で儚い姿が映された。
「イル、あたしと結婚しよう。」
「何を言っているんですか!?」
イルは左利き。その担いだギターはアイナと左右対称となって様になっていた。
「決まりね。じゃ、みんな一思いに練習をしよう!!!」
西部の海岸線を走る竜車に揺られながら、4人は練習に没頭していた。皆古文書を参考にしながら思い思いに音を出していたため、周囲は不協和音の渦に飲まれている。ゴキ丸はと言うと、最初イルに非常食と間違われたために、怯えて距離をとっている。
「で、1日練習してみてどんな感じだ?」
「僕は、なんとなくつかめてきたかも。」
ブランは曲の一節を詰まることなく吹き切ってみせた。
「私も、完全とは言えませんが…。」
イルも動きこそまだぎこちないが、しっかりと演奏が出来ていた。
「すげぇな、お前ら…。」
「いえいえ、この古文書がかなり分かりやすく書いてあるので、すんなりと頭にイメージが出来たんです。」
ブランはもともとの才能、イルは考古学の知識によって古文書を一字一句見逃さずに読むことができるために、成長も早かった。この調子でいけば、数日後にはセッションが出来そうだ。
「で…。」
カイはアイナを見る。アイナも、カイを見る。長い付き合いだお互いの意思はもうアイコンタクトで伝わる。
カイが筆頭にベースを鳴らす。5日間と、今日。その練習の成果の見せ所だ。つっかえることなく一曲を弾ききった。その指の流れるような手つきに、おお、という歓声が上がる。
「これくらいなら、お前らなら国に着くまでに弾き切る事が出来ると思う。そして…。」
アイナは、大きく息を吸い込み、その声を発した。
誰をも魅了するかのような美声が万里を過ぎ去るかの如く聴衆の耳に響き渡る。耳の中で反響し、何度も鼓膜を優しく包み込む。ブランとイルは、言葉を失った。
「俺たちはこのレベルに張り合うほどにうまくならなければいけない。それに…。」
アイナは担いでいる橙色のギターを鳴らした。
ぴょいん。
照れくさそうに笑うアイナを見て、カイはため息をつく。
「な!ん!で!お!ま!え!は!退!行!し!て!る!ん!だ!」
「うるせ〜〜!!!!! 知らね〜〜〜〜!!!!」
喧嘩を始める2人の猿を後目に、ブランとイルは苦笑いをする。
「僕たち、何とかなりそうだね。」
「そう…かもね。でも、早くカイさんのベースとアイナさんの歌と張り合えるように練習しなきゃ。」
「だね。ぼくも練習に戻るよ。」
「あ、そうだ。」
口を引っ張られているカイが、二人に言う。
「もう仲間なんだから、二人共俺らに敬語はナシな。」
耳を引っ張られてるアイナが、さらに続ける。
「うん。よそよそしいのはダメよ。徐々にでいいから、敬語はとるようにね!」
仲間。その言葉を聞いた瞬間、初めて認められているという実感が湧いた。
「仲間…。」
イルはその場で涙を流す。
「えっ!?ちょっと!?イルちゃん!?」
「なになになになに!?あたしらなんかひどいこと言った!?」
喧嘩を他所に放り出して狼狽するアイナとカイ。
「あっ、いや、そんな…。ことないです…。」
その光景を見て、必死に涙を鰭で拭き笑顔を作るイル。
イルという少女も、何かを抱えているようだ。
-3-
「何とか、セッションできましたね!!」
イルは自分の努力の成果を実感していた。イルは普段から丁寧な口調であることをブランから説明を受けたため、特別に敬語禁止ということにはしなかった。
「ま、こんなもんだろ。とりあえず一曲はいい感じにできたな。」
「アイナさんも最初はどうなるかと思ったけど、ちゃんと弾けるようになってよかった。」
「おっとこれは喧嘩の合図か?」
しかし、もともと1歳程度しか年が離れていないためお互いの共感することが多かったのか、4人もすっかり馴染んでいた。
「そろそろ、着きますよね?」
イルが神妙そうに地図を見ながら聞いている。
「そのはずだけど…。」
そう、誰もがそう思っているのだ。
「ねぇ、カイ。あたしが旅に出る前に言っていたこと覚えてる?」
「あー、黄泉の国の奴らは何たらなんたらって?」
「そう。」
竜車は目的地に到着した。
周囲を見渡せど、見えるのはあざ笑うかのように雨に踊る沼地の水たまりと、雲の隙間から微かに見える紫色の月のみだ。
そう。黄泉の国と思われるものは一切見当たらないのだ。
「…だから、面倒くさい奴らって言ったのよ…。」
小刻みにアイナが揺れているのがカイにもわかる。
「国ごと消してんじゃねええええええええええ!!!!!!!」
「じゃあ、国に入るにはその笛貝という生き物を探さなきゃいけないの?」
「ええ。そう。そうじゃないと奴らは絶対にここに来てはくれない。」
アイナがため息をつきながら3人に説明した。
「本当に鎖国しているんだね…。カイさん、ここ周辺に魔物はいる?」
「あー、手分けして探したいってことか?残念ながら、魔物の気配はあるな。」
イルとブランは戦うことができない。なので4人で手分けして探すことは難しいだろう。
「じゃ、2手に分かれましょ。私イルといくわ。」
「はい。分かりました。がんばりますね!」
イルは、仲間と言われたことがよほど嬉しかったのか、より一層やる気を出していた。
「よし、じゃあブラン、俺らも捜索だ。」
「は、はいっ!」
こうして2手に分かれた一行は、笛貝を探すことになった。
「黄泉について、何か知ってそうな口ぶりだったけど。お二人って、黄泉の国に来たことがあるの?」
ブランは足元に注意を払いながらカイに問いかけた。ここ周辺は薄暗くぬかるんでいるため、気を抜くと足を持っていかれる。転んだりなんかしたらひとたまりもない。
「いや、俺は行ったことがない。アイナが1回だけ武器を作るために行ってきたってだけだ。」
「武器って、あの長い剣?」
「そうだ。あれは"太刀"っつー黄泉独特の武器でな。他の国よりもずば抜けて切れ味に特化した武器なんだ。その思い切りの良さにアイナが惹かれて、一回行ったんだと。」
「あ、その太刀の話なら、歴史の書物を読んでいた時に見かけたことがあります。鎖国をずっと行っている黄泉にはかなり独特な文化があって、ちょっと変わった武器とかもあるとか。」
たわいのない会話をしながら、泥を棒でかき回す。笛貝という貝を知らない二人は、アイナが言っていた特徴をあてに探す。
「白と紫の斑点が特徴の、いぼいぼがある貝か…泥で柄は見えないだろうし、シルエットだけで判断するしかないな。」
「はい。注意深く探そう…。ん?」
と、更に奥深くに棒を差し込むと、何かにこつんと当たる感触がした。
「どうし…!!!ブラン、下がれ!!!!」
「えっ!?」
「馬鹿野郎!!!」
カイはブランを突き飛ばそうとするが、その直後大きな口のようなものがブランをバクンと飲み込んだ。
そこにいたのは、粘液に囲まれた白い貝殻に、紫色の斑点がある巨大なカタツムリだ。
「…。こいつか。創造と全然違うじゃねぇか…。あのバカ…。」
大きく息を吸い込み、槍を構える
「ブラン。今すぐ助けるからな。」
「あ、言うの忘れてたわ。」
「え?」
ぬかるみを進むアイナとイルは、ゴキ丸と戯れながら笛貝を探していた。
「笛貝って、結構大きいんだよね。あいつ、大丈夫かな…。」
「え?カイさん?」
「いやいや、ブラン。笛貝はだいたいこの泥んこの中に潜ってんの。それを偶然見つけちゃったりしたら、そのまま食われちゃうなって。」
「まさかぁ~。私だったらあり得るかもしれませんが、彼は獣人獣人ですよ?素早く避けれますよ。」
2人はキャッキャウフフと世間話をしながら笛貝を探していた。
「それにしても、見つからないな~。よし。」
イルは、辺りをきょろきょろ見渡している。すると、アイナは自信満々に笑顔を見せた。
「イル、ちょっと離れてて。とっておきを使うよ!」
「は、はい!」
アイナは自慢の力で近くの大岩を担いだ。
「よいっしょっとぉ!!!!!!」
勢いよく沼地の中心地に大岩を投げ入れた。ドプゥという効果音と共に少し岩が沈んだ途端、周囲の泥がゆっくりと盛り上がる。
湧き出てきたのはやはり笛貝の群れだ。合わせて5体。大きさからしてどれも成体だろう。
「わ…。おっきい。」
アイナは太刀を鞘から引き抜き、構える。
「さてと、双竜の片割れの実力を味あわせてやろう。」
刀は朧月夜に照らされ、妖しく輝く。
「ゴホッゴホッ!!し、死ぬかと思った…。」
笛貝によって丸飲みにされたブランは、カイによって助け出された。
「いや、俺も油断していた。危険な目に遭わせてすまん。」
笛貝を気絶させ、ブランを救出した後に始末する。その作業は思った以上に大変な作業だった。まず貝殻は固く、本体は柔らかいために衝撃が緩和され打撃がきかないのだ。そのため、なるべく中心にからずらすように外側を槍で刺していくわけだが、その作業もなかなか難しいところがある。奴らは粘液を出して摩擦係数を下げ、なるべく直角にしないと槍そのものが粘液で滑ってダメージを与えることができない。ブランを救出するまでかなり時間がかかってしまった。
「なんか、どんくさくてごめんなさい…。」
笛貝の消火液を泥で洗い、ブランのダメージは軽い皮膚の炎症のみで済んだ。これでもっと遅ければ継承では済まなかったであろう。
そして、気絶している笛貝の貝殻を本体から引きはがし、集合地点に持ち帰る。貝殻は数日で再生するようだ。
「気にすんな。黄泉に行けばちゃんとした治療薬があるだろうから、そこでしっかり見てもらおう。」
ブランはため息をついた。
「…。あの、カイさん。」
「ん?」
「僕に、身を守れるくらいの武術を教えてくれませんか?」
ブランは、正式にお願いしたいと思って故意で敬語を使った。ここに来る途中に、敬語はダメとあれほど言われていたが、どうしてもこれは敬語で伝えたかったのだ。
黄泉付近に到着するまでに何回も魔獣が襲来した。しかし、イルとブランは戦うことができないためにアイナとカイが撃退した。このままでいいのかと自信に疑念を覚えていた。
糸を汲み取ったカイは、答える。
「ま、楽器の練習と並行する感じになるだろうけど、それでもがんばれるっつーなら全力で教えてやるぜ?」
「カイさんなら、そう言ってくれると思った。ありがとう!」
カイは、感心した。狼狽えもせずに受け入れるのか、本当に勉強熱心だな。と。
集合場所に戻ると、既にアイナとイルが待っていた。
「よっす。おっ。お前らも捕まえてこれたんだな。」
「あったりまえよぅ!…で、なんでブラン君はそんなにボロボロなのかな?」
「お前がもっと笛貝について説明してたらこうなってなかったよ。」
アイナを責めようとするカイを、ブランが宥めた。
「いえ、僕がどんくさかっただけ…。うう、クラクラする…。」
「えっと、その、この笛貝の殻を集めてきたのはいいんですけど、この後はどうするんですか?」
イルが笛貝の貝殻を指でつついている。
「これはね…。ちょっとみんな、耳を塞いで離れてて。」
アイナが静かにその長い太刀を抜く。真っ直ぐにとんだ一閃は笛貝の貝殻の先端を掠め、小さな穴を作った。
「こうするの!!!!」
耳を塞ぎその欠けた笛貝の貝殻の先端を咥え、思いっきり息を吹きつけた。
ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!
貝殻の中で音が反響し、大音量となって大地に吐き出された。地面は波のようにうねり、辺りを震撼させる。
「…。ひゃあああ…。」
その音にびっくりしたのか、イルは腰を抜かし地べたにへたり込んでしまった。
「うっるせ…。え?」
カイがアイナにクレームを入れようとしたその瞬間、集合場所の目安となっていた朽ちた看板の後ろ辺りの地点が、白く濃い霧に包まれていく。
「さて、4国で一番面倒くさい国、黄泉のお出ましよ。」
白い霧が竜巻のように渦を巻き、収縮を始める。
「ねぇ、アイナ。これここに居たらやばいんじゃないの?」
狼狽するカイを後目に、アイナが自信満々に答える。
「試しにやってみたら意外とできるものね。」
先ほどまで収縮していた白い霧が、一気に爆散した。
「きゃああああ!!」
その場にいる全員に白い霧が吹きつける、ハンターであるアイナとカイでは耐えることはそう難しくはないが、イルとブランにとっては耐えるどころか吹き飛ばされてしまうだろう。アイナはイルを、カイはブランを掴み、そのまま嵐が過ぎ去るのを待った。
「…ふぅ。すげーな。おい。」
白い霧が晴れた先…。そこは…。
「さ、入るよ。黄泉の国に。」
深い闇に包まれた不思議な国、黄泉が現れていた。
【2.死の国】
-1-
黄泉の血に踏み入れた瞬間、カイは全身に寒気を感じた。
海中や水中とは違う、心の芯に降り注ぐ寒気。そして、全方位から感じる不気味な視線。俗に言う来てはいけない場所に来てしまったような感覚だ。
カイは周囲を見渡した。しかし、人の気配は感じずだ誰も発見することができない。
「さてと、黄泉の中心街に向かうよ。」
アイナは背伸びをしながら3人に言った。
「俺らは来るのが初めてだ。ここは相棒に任せていいんだよな?」
「んー…。私だってここに来るのは今回で2回目なんだから、中心街の方角は分かっててもどこにあるかなんて正確にわかんないよ。」
「じゃあ、ここも見たところ町の様ですし、聞き込みをしておいた方がいいんじゃないでしょうか?」
イルの提案に皆が頷く。
「そうしよう。ここは4人で散らばって情報を集めた方がいいかもな。」
「はい。昔本で色々勉強していたのですが、両生人はかなり警戒心が高いと聞きます。恐らく集団で動くよりは単独行動で、且つ敵意の無い親しみを込めた態度で接すると効果的だった気がします。」
「なんであたしを見てるのよ。」
そうして4人は解散して聞き込み調査をすることとなった。
「あ…。あのっ…。誰かいますか?」
ブランは静かに扉をノックする。しかし、当然の如く反応か帰ってこない。その代わり、さっきから感じている視線が一気に強まった。
「決して怪しい者じゃありません…。どうか…。話だけでも…。」
すると、目の前の扉が重々しくゆっくりと開いた。
「…。」
この家の住人が無言でぶらんを見つめる。その姿を見て、ブランは戦慄する。
一瞬で判断できたのはその者が人間ではないということだ。全てを飲み込むかのような真っ黒な物体に、白い目。ただそれだけ。逃げ出したくなる衝動を抑えて、ブランはその黒い物体に声をかける…。
「その…。ここの、黄泉の、中心街、に、行く方法、を…。」
そのブランの言動を見たのか、黒い物体は何かに気付きその場でもぞもぞと揺れだす。すると、周囲の空間が歪み、黒い物体だったものが人間の姿に変化する。
「…えっ?」
「驚かせてすまないね。」
ブランには何がどうなっているのかがさっぱりわからなかった。
「外からの客人なんてめったにないもんだから、思わずあっちの姿になっていたよ。」
「…。はぁ。」
「中心街だったね。おそらく京の地にのことかな?それだったら、この街の西側の道を道なりに進めばたどり着けるよ。」
「…!ありがとうございます。」
ブランは住人の男性にお辞儀をし、その場を去った。
「ようやく、情報を聞くことができた…。」
これまでに何軒か回っていたブランは、やっとの思いで聞き出せた情報をもって集合場所に帰還しようとしていた。しかし、その足はおぼつかない。
「だめだ。クラクラする…。」
思った以上に笛貝から受けたダメージが大きかったのか、いまだに体調がすぐれない状態が続いていた。
「ちょっと、休もう。」
ブランは近くに設置されていたベンチに腰を掛けた。座った瞬間に、今までたまっていた疲労感と恐怖、緊張が押し寄せてくる。頭に残っているクラクラが、一気に片頭痛に変化し、体調が想像以上に悪いことが分かった。
「これは…まずいぞ…。」
ベンチの上で横になる。目を閉じると、一瞬で意識を失ってしまった。
「だっはっはっは!!!」
「それでよ!そのアイナがよ!思いっきりころんでよ!!」
「そりゃ傑作じゃねぇか!!!あんちゃん!!そこは男として…。」
「転ぶ姿を笑顔で見守る。だろ??」
「だははははは!!!面白い奴だ!!!!」
カイは、現地に偶然いた両生人の老ハンターと意気投合していた。
体質上、竜人と両生人は波長が合いやすい傾向があり、たまにこうして意気投合する場合がある。
「で、なんやかんやでチームを組むことになったんだ。」
「なるほどなぁ。で、そのあとその楽器とやらを使って何かしようとしているわけか。」
「ああ。意外と楽しいぜ。あんたもやってみないか?」
老ハンターは顎に手を当て少し考えた。
「いや、遠慮しておこう。わしももう長くないしな。若者の話を聞くくらいにしておかんと、それこそミイラになっちまうな!がっはっは!!」
「おいおい!せっかく知り合えたのに簡単に死なれちゃ困るぜ!!じゃ、メンバーが集まったら一番先にライブの招待状を送ってやろう!!!」
「そいつぁたのしみだ!万年亀の入浴ぐらいに辛抱強く待ってやろう!!」
「おうよ!!俺と、脳筋ゴリラで…。」
「誰が脳筋ゴリラクリニックじゃチ○カス!!!!!!!!」
「ゴフゥ!!!」
偶然通りかかったアイナのボディブローが見事にカイにヒットし、勢い良くカイは吹き飛ぶ。
「お、噂をすればなんとやら!思ってたより数段ぺっぴんさんじゃねぇか!!」
「あんたも同じように吹き飛ばしてやろうか!?」
「やめろって!!そんなことしたらぽっくり行っちまう!!」
「「すみませんでした」」
鮮やかなたんこぶを付けているカイと老ハンターを目の前に、アイナは腕を組みながら立っている。
「分かればいいの。それじゃ、カイ。戻るよ。」
のびているカイの首根っこを掴み、引きずる。アイナは、振り返った。
「おっちゃん。カイと仲良くしてくれてありがとうな。」
「…む?」
「いや、カイって竜種が種だから、結構崇拝されたり尊敬される立場にいるのよ。だから、こんなにバカ騒ぎ出来る相手ってあたし位しかいなくてね。」
「…。」
「だから、ありがとうって。あたしの悪口言ってたから〆たけど。」
「じゃ、その坊主に伝えてくれ。話したかったらいつでも来いと。」
「了解。じゃね。」
ひらひらと手を振って立ち去るアイナを老ハンターは眺める。
「…いいパートナーじゃねぇか。嘘ついて悪かったな。」
老ハンターの姿はもういない。
-2-
「イル!早いね!」
「アイナさん!…と、そこにいるのはカイさんですか?」
カイを引きずりながら集合場所に戻ったアイナは、先に竜車に戻っていたイルと合流した。
「いつまでのびてんの?しゃきっとする!」
「ふげっ!!!」
情が込められた熱い拳骨を浴びたカイは、はっと目を覚ます。
「ん?あれ?おっさんは?」
「もうとっくにどっか行った。で、情報はつかめたの?」
「ああ。あのおっさんが話してくれたぜ。」
「私も、いろいろと聞くことが出来ました。」
「おっけ。ブランがまだだけど、先に情報共有しちゃいましょうか。」
3人は、自身がききだした情報を共有した。
「ま、大体こんなもんかな。」
「そうですね。問題ないと思います。」
「よし、じゃあまとめるぞ。俺ら3人の時点では重要な情報は全部で3つ。」
カイは、2人に説明するような形の立ち位置に立ち、言葉を続ける。
「1つ目は、中心街となる場所は2個あるということ。北のツクヨミと、南のアマテラス。」
「北は主に水中生活を得意としている奴らが大半を占め、南は逆の陸上生活を主にしている奴らが拠点にしている。ってことね。」
「そして、2つ目。その町に入る場合も笛貝を使わなければならない。」
「多めにとっておいてよかったですね。」
「で、最後の三つ目。西には絶対に近づいてはいけないということ。」
「これが謎よね。なんで近づいちゃいけないんだろう。」
「話に聞くと、立入禁止区域が多くてかなり危険らしいですけど…。」
「ま、俺らは冒険をしに来たわけじゃないんだ。そこは避けて通ろう。」
そして、話し合った結果、水中を得意とするカイとイルがツクヨミに、水中では息が持たないアイナとブランがアマテラスでメンバーとなる人物を探すことになった。
「それにしても、遅いな。ブラン。」
「ですねぇ…。ヤンキーにカツアゲされてなきゃいいんですけど…。」
「あながち間違ってねぇかもな。ちょっと探してくるわ。ここで待ってろよ。」
カイは、そう言って奥へと歩いていった。
「カイさん、大丈夫ですかね?結構この町広かったと思うんですけど…。」
「あぁ、大丈夫よ。竜人は、獣人には劣るけど結構鼻がいいからね。ブランの匂いくらいはもう覚えてるんじゃない?」
「私も種族からして結構鼻がいいはずなんですけどね…。空気中だとさっぱりです…。」
「魚人は水中特化だからねぇ。ここはしょうがないでしょ。カイの帰りを待ちましょ。」
二人は竜車の中で休憩することにした。
「さて…と。こっちか。」
ブランの通った道の匂いの痕跡を頼りに、カイはブランを捜索している。湿気が多いため、多少匂いが薄まるのが早くなってきている。早く見つけないと足取りがつかめなくなってしまう。
「ちっ。結構置くまで進んでんな。」
今は雨がやんでいるからいいものの、雲行きは怪しい。雨が降ってしまっては、匂いが掻き消えてしまうだろう。
「大体この辺りか。」
商店街であろう通りから少し離れた脇道。そこだけブランの匂いが濃く残っている。
「ん?」
カイは、通りの端に設置してある休憩スペースに目をやった。テーブルとセットで置かれているベンチは、さっきまでここに居たかのように匂いがはっきりと残っていた。
「…おかしい。」
その場を離れたのなら、他に移動したようなにおいの残り方をするものだが、その形跡が全くと言ってないのだ。まるで、あたかもそこから瞬間移動したかのように。
何か痕跡はないかと、周囲を探る。
すると、ベンチの上には見たことのない色をした花弁が落ちていた
「なんだこれ?」
その花びらに振れようとした瞬間だった。
「おうおう!竜人のにーちゃん。その花弁に触れちゃいかんよ!」
「あんたは、さっきのおっちゃん!」
慌てた様子で老ハンターが駆け寄ってきた。
「それはな、黄泉の花っつってな。触った瞬間別次元の世界に行っちまうんだよ。」
「別世界だと?」
カイは、その話を信じることは出来なかった。別次元の世界?そんな、ファンタジー世界じゃあるまいし。
(いや、まてよ?もしその話が本当だとしたら…。)
「おっちゃん。このベンチで休んでた獣人を知らないか?」
「獣人?うーん。さっきまでお前さんと話してたからなぁ。ここ周辺の奴らに聞いてみればいいんじゃないか?」
「確かにそうか…。ありがとな!!」
カイは、急いでその場を後にした。
「遅いねー。」
「そうですね。」
アイナは、近くで買ったソフトクリームを舌でからめとる。濃厚なバニラが下にまとわりつき、味覚を一気に支配する。下に触れた感覚が甘さという味覚に変換されて脳に響いた。
「おいしいなぁ。これ。」
「そうですか…?」
「いやいや、真人のあたしにとっちゃイルの食べてるものに恐怖を感じているけどね。」
対して、イルは冷凍バッタを頬張っている。食べ物の好みは人種によって顕著に出るものだ。雑食である真人や獣人と違い、両生人や魚人は水草や昆虫、魚肉しか食さない。ちなみに、竜人と鳥人は肉と昆虫しか食べず、ほとんどの植物人はそもそも水分しか接種をしない。
「人種の違いってだけで戦争が起きて、今の国たちに分裂しちゃったわけですからね…。」
「ま、聞き込みしてた限りじゃあ、みんながみんな異種族を嫌ってるわけじゃなさそうだったけどね。」
「ですねー。…ん?あれって…。」
イルが指さした先を見ると、カイが慌ててこちらに走ってくる姿が見えた。
「カイじゃん。おーい。ブランは見つかったかー?」
「あんたたち!!やばいわよ!!」
カイがオネェ口調になっている。と、するとかなりの緊急事態の様だ。
「まさか、ブランに何かあったんですか?」
「そのまさかよ…。」
肩で息をしながらカイは何かを伝えようとしている。
「いいから息を整えろ。オネェ口調じゃいまいち緊張感がなくなるから。で、誘拐されたの?」
指摘され、カイは一気に気を落ち着かせた。
「すまねぇ。ちょっと違う。」
「ちょっと??」
「ああ。ブランは…。」
「黄泉西部にある、死の世界に飛ばされた。」
【3.闇】
-1-
カイは竜化し、イルを乗せて湖を駆け抜ける。
「よし、潜るぞ。準備はいいな?」
「はい。大丈夫です。」
カイは大きく息を吸い込み水中へと飛び込む。と同時に、イルも飛び込んだ。
「イル、少し水温が低いが大丈夫か?」
「ちょっと寒いですが、何とか!」
流石は魚人といったところか。水中だとカイよりも素早く滑らかに泳ぐことができる。水中では、カイは人の姿に戻ることは出来ない。そのため今回の聞き込みではイルが主となって動く。
北の都ツクヨミ。ここではサンショウウオやイモリなどの遺伝子を引き継いでいる、水中で主に生活している両生人が多く行き交う繁華街だ。
「カイさん。今回って、聞き込み調査というよりは情報収集ですよね?」
「ああ。そうだ。」
「どこから手を付ければいいんですか?ちょっとわかんなくて…。」
「ま、情報が行き交う場所といったら、酒場辺りが定石だろうな。雑多な情報も多い大衆居酒屋か、確かな情報が多いバーか。値はバーの方が高いぞ。」
「分かりました。早くブランを助けたいので、バーに行きましょう。」
「了解。1つだけ注意だ。俺らはまだ未成年。酒を勧められても飲むなよ?」
「分かってますよ。」
カランカラン。
軽快なサウンドと共にドアを開ける。
「いらっしゃい。おや?初めて見る顔だね。」
幸運なことに、お店には数人しかいなく、店主とは気兼ねなく話すことが出来そうな環境だ。
「お邪魔します。」
「どうも。」
「ふむ、竜人と魚人。この街にいる住民の顔は覚えてる。つまり、君たちは外からここに来たってわけだ。」
「はい。そうです。実は、折り入ってお聞きしたいことがありまして…。」
「訳アリの様だね。まぁ、いい。聞こうじゃないか。」
イルは、店主にこれまでの経緯についてマスターに伝えた。
「なるほど。これは少し、面倒なことになりましたね。」
「やっぱり面倒なのか?」
カイは店主に質問する。店主はそれに苦い顔をして答えた。
「ええ。ちょっと長くなりますが、お付き合いいただけますかな?」
「はい、それでブランの助かる方法がわかるのであれば。」
「では話しましょう。」
店主は席につくイルとカイに向けて説明をする。
「まず、この黄泉の国について説明します。これが分からないと、根本の解決になりませんから。」
「黄泉の国。私も含めこの国の住人達はイザナギと言っています。イザナギは、この世界の中で最も死後の世界との距離が近い場所です。西部にある洞窟""の最深部には、死後の世界"イザナミ"とつながっている扉があるそうな。」
「なるほど。だから西には絶対に近づくなってことだったんですね。」
「ええ。私たち両生人以外は単独で入ったら戻れなくなりますから。」
「単独で?それはつまり、両生人と一緒に行けば行き来ができるの?
南の都アマテラス。ツクヨミと対を成す繁華街であり、カエルなどの遺伝子を受け継いだ、陸上生活を主に行動している両生人が牛耳っている。ツクヨミと比べても若干こちらの方が血気盛んな輩が集まりやすいのが特徴だ。
アイナは水中に居続けることができないため、アマテラスの片隅にぽつりとある鍛冶屋に来ていた。ここは、アイナの主要武器として使っている太刀を製作した思い出のある場所だ。
「ああ。両生人が不思議な力を持ってるって話、おめぇらの国じゃ聞いたことないか?」
「確かに、聞いたことがあるね。」
「俺らは、その力を陰陽道って言ってる。ま、実際のところ俺は使えねぇんだがな。」
「使える人と使えない人がいるのか。ありがと。探してみる。」
「ゲロゲロゲロ、アイナの姉御。そいつぁ難しいぜ?なんたって、使える奴なんざ一握りしかいねぇんだからな。」
「ま、それも想定範囲内よ。その力を使える人をあんたは知ってるの?」
「そりゃ知っているともさ。ここらじゃ有名だからな。」
「もったいぶらずに教えなさいよ。」
「いいぜ。その代わりなんか食いもんでも奢ってくれよ。」
「お安い御用。ブランを助け出したらいくらだって美味いもんをご馳走してやろう。」
「よっしゃ!交渉成立!一回しか言わねぇから耳かっぽじってようきいとれよ。」
「陰陽術っつーのは、死者の世界と繋ぐ魂の契約とでも考えてくれ。俺ら両生人は生まれながらにして既にその魂の契約を交わしている状態にあるんだ。黄泉の国にいるせいでな。」
「魂の契約?」
「ま、死んだ魂をイザナミに、そして新たな命が生まれたときにその魂を持ってくるってわけだ。」
「うーん。」
「分からんでいい。で、イザナミから魂は移動することは出来ない。そこで陰陽術が使える巫女という両生人の出番だ。」
「巫女ですか…。」
イルとカイは真剣に店主の話を聞いている。
「ええ。イザナミには"魂気"という特殊な空気が流れています。その今期に触れてしまうと、イザナギに戻る事が出来なくなるんです。」
「おいおい、だったらブランはそのコンキとかいうやつに触れちまったってことか?」
「恐らくそうでしょうね。代表的な例ですと、黄泉の周辺に生息している笛貝という生き物は、体が大きい個体だと内臓が魂気を帯びていたりします。魂気に触れてしまった彼は、ぼーっとしていませんでしたか?」
「あっ…。」
「クラクラするってずっと言ってたな…。」
「心当たりがあるようですね。それが引き金となったのでしょう。魂の送還の儀式では、イザナミに群生している黄泉の花を体に振りかけて送還します。ブラン様は運悪く黄泉の花に触れてしまったのでは?」
「可能性が高いな。」
「大体、原因が理解できました。私たちは、その巫女という人物に出会って何とか交渉をしてくればいいんですね?」
「ええ。そうなりますね。事態が事態ですし…。」
「わかった。で、その巫女っつーのは何処にいるんだ?」
「巫女は、ツクヨミとアマテラスの両方に1人ずついらしております。イザナミの門を開くためには、陰の巫女であるアザミと、陽の巫女であるセンジュの両方の力を合わせなければならないのです。」
「なるほど。陰と陽で道を開く、それが陰陽道ということですね?」
「然様でございます。」
何故かイルが納得している。カイには原理については全く分かっていなかった。
「じゃ、ツクヨミではアザミって奴に会ってくればいいのか?」
「いいえ。それは違います。陰陽道は月の光を主体として行われる妖術。ここでいう陽は太陽ではなく、月を意味します。」
「なんとも複雑な話だな。じゃ、センジュか…。」
「然様でございます。センジュ殿であれば、気安く引き受けてくださるでしょう。」
「"気安く"というのが引っ掛かりますね。」
「ふむ、いいところに気が付きましたね。」
「まさかとは思うが、アザミが…。」
「ええ。その通りです。私はちゃんとした水がないと干乾びてしまうくらい水中型なので実際にお会いしたことはないですが、アマテラスに住んでいるアザミ様はかなり気の難しい方と聞いております。そう簡単には承諾してくれるか…。」
「はぁ…。大丈夫かな…。あいつ…。」
「きっと大丈夫です。信じましょう!」
「おや、お仲間様がアマテラスにいらっしゃるのですか?」
「はい、そうなんです。真人なので水中で呼吸ができないためにアマテラスにいます。」
「それに、かなり横暴な筋肉ゴリラ。気難しい奴に果たしてお願いできるかどうか…。」
「おやおや…。」
カイは、頭を悩ませた。
-2-
「ここが、アザミさんがいる屋敷ね。凄いな。」
鍛冶屋が言っていた屋敷に到着すると、まずその大きさに驚く。黒い竜宮城と言わんばかりの景観に、水語彙という一言以外言葉が渋滞して外に漏れることはなかった。
アイナは周りを見渡す。周りに作られた池は、なぜか赤い。何かの紅藻が繁殖しているのだろうか。それとも…。
「血?じゃないよなぁ。」
にわかによぎる不吉な予感を肩から払って、扉の前に立つ。
「すみませーん。ツクヨミ様に用があってまいりました、旅人のアイナというものですー。」
が、反応なし。基本的に屋敷にいるとは聞いているが、ノックの音に気づかなかったのだろうか。
もう一度ノックを行おうとしたその時、屋敷の扉が重々しく開いた。
「大変お待たせいたしました。ご用件をお伺いいたします。」
この家の侍女らしきものが出迎えた。
「改めて、アイナと申します。イザナミの門を開いてもらいたく、アザミ様にお話を伺いに来ました。」
自分にしてはなかなかいい敬語を使えたのではなかろうか。
「ふむ…。」
侍女は少し考えた後、アイナにこう言った。
「詳細についてお聞きしたいので、どうぞ中にお入りください。」
意外にすんなりと通してくれた。かなり面倒くさいと言われていたが、話が分からないというわけではなさそうだ。一体何が問題なのか、今の時点では何かわからない。
「疑問に思っているようですね。ただの旅人をこう易々とみこの屋敷に招き入れることについて。」
「お見通しって奴ですか。」
「はい。あなたがドラキエルの双竜が一角、アイナ様であることも。」
万年鎖国だったと言われている黄泉だったはずだが、周辺地域の情報は集めているようだ。それならば話は早い。
「で、何故その私をすんなりと通してくれたのかを説明してはくれるのでしょうか?」
「既に資格があるからですよ。」
「資格?」
「ええ。資格がない者であれば、既に門前で死んでいるからです。不運な事故として。」
「不慮の自己ね…。」
泥棒や実績の無いハンターなどは、恐らくここで門前払いというわけか。そして、鎖国であることから証拠もなくもみ消されるのであろう。
「おそらく、貴女と考えていることとは違いますよ。ただ運が良かった。それだけのこと。」
この侍女、心でも読んでいるのだろうか。的確に私の考えていたことをついてくる。
「運が良かった?」
「ええ。アザミ様は陰の道を進むもの。自然とこの国の負なる因子が寄り集まってくるのです。」
「えーっと、つまり?」
「負なる因子が集まると、身の回りに不幸な事象を呼び起こすようになるのです。例えば、先ほどの戸をノックしたら、その衝撃によって上の枕木が偶然にも落下してしまい、更に後頭部に当たって死んだ者もいます。」
「なるほど。つまり、超不幸ってことね。」
話しているうちに、居間に着いたようだ。
「どうぞごゆっくりなさってください。今お茶をお持ちいたしますから。」
「あ、そんなにゆっくりしている場合じゃ…行っちゃった。」
侍女はすでに消えていた。
「なるほどのう。イザナミに連れていかれるとは、なかなか面白いことをしてくれたもんじゃ。」
「面白いってなぁ…。」
「そうですよ、ブランの命がかかってるんです!」
「まぁまぁ、焦らんでいいぞい。そのブランとやらは1日前に姿を消したんじゃろ?」
身の丈ほどの大きなヒョウタンの中に蓄えられた大吟醸を豪快にラッパ飲みしている女。そう。陽の巫女である大王サンショウウオの両生人、センジュだ。巫女と呼ばれている高貴な姿を想像していたが、現実は真逆。晒を巻いてはいるが、服はほとんどはだけており、カイは目のやり場に困っていた。この世にアイナよりもだらしない女がいることに衝撃を受けた。
「はい、そうですが…。」
「そいじゃ、あっちじゃ1分ちょいしか経っておらんぞい。」
「あ、あの、その話は分かりましたが…その、千住様。服装が…。」
「ん?おお、すまんすまん。危うく弁天様が降臨するところじゃったな!!はっはっは!!」
服そうというよりは、下半身だけしっかりと身をただしたといった表現が正しいだろう。ヒョウタンに入っている酒を飲み干すと、センジュは二人の前に歩み寄った。
「うおっ!!酒くせぇ!!どんだけ飲んだんんだよあんた!?」
「はふぅ、においだけで酔いそう…。」
どこからどう見ても成人しているとは思えないほどに小さな見た目にも拘らず、歳は軽く100歳を超えているらしい。
「アザミの奴にはもう声をかけておるのか?」
「ああ。一人で向かっているはずだ。」
「一人…。そいつぁちと心細いな…。」
「気難しいと聞いておりますが、仮にも私たちのリーダーですし…。」
「いや、本人はわしと同じく気安く引き受けてくれるだろう。そこにまで行く道中が大変なのじゃ。」
「ああ。アザミさんが不幸を呼び寄せちまうって話か?もうこれ4回目だぞ…。」
「おお、すまんすまん。ちと飲みすぎたな。」
「安心しな。センジュさん。あいつは、超が付くほどの幸運な女だ。そう簡単にやられはしない。」
「大層な自信じゃのう!では、その言葉を信じよう。では、イザナミの門に向かうぞい。出発は明日じゃ。」
二人は、センジュとの交渉に成功したのであった。
「このお茶めっちゃおいしい…。」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。では、ひと段落着いたらアザミ様のところへ行きましょう。」
「了解。あんた、左手、どうしたの?さっきから隠しているようだけど。」
「これはこれは、失礼いたしました。先ほどお茶をこぼしてしまいまして。」
アイナは侍女の顔上に手を伸ばし、落ちてきた木箱をキャッチする。侍女の寸前で止まった箱は、見事にも角が向けられていた。
「危ない危ない。本当に不幸が降りかかってくるのね。」
侍女は驚いた表情をしてアイナを見た。
「勤続して3年、こうやって不幸を誰かの手で止められたことはアイナ様が初めてです。」
「それでよく生きてこれたな。あんた。」
「いえ、そろそろ運が尽きてきたところです。」
侍女は、首に巻かれた包帯を解いた。すると、生々しい傷跡が何個も残っている。
「私は、既に6回ほど死にかけていますからね。」
「わぁ、よく働いていられるね。」
「両生人は、他の人種よりも再生力が優れています。なので。即死でなければさほど問題はありません。」
アイナは、一瞬みせた侍女の悲しい表情を見逃さなかった。しかし、質問しようとしたところを強引に侍女が制するように言葉を重ねる。
「さぁ、アザミ様のところへ向かいましょう。」
「…。」
アイナは、侍女のあとについていく。
「失礼します。」
「む…。」
そこにいたのは、とてつもなく綺麗な女性だった。マダラヤドクガエルの両生人、アザミ。その所々日水位色に輝く黒い髪は迷うことなく真っ直ぐと伸び、透き通った肌は水面に負けじと外の景観を映し出すごとくつやつやしている。
「そこにいらっしゃる女性は…。」
「初めまして。アイナと申します。折り入ってお願いしたいことがあり、 やってまいりました。」
「先ほどセンジュが言っていた者か…。」
「は?」
アザミが何かを考えている。
(センジュって、確かツクヨミにいるもう一人の巫女のことだよね?何で知っているの?)
「ああ、済まぬ。センジュとは念話をしていてな。君の名前はカイという男から聞いたそうだ。ブランという者のことも聞いておる。」
さらりとすごいことを言われた。
まず一つ目に、心を読まれていること。この屋敷の者たちは平気で心を読んでいる。これも陰陽道の影響か?非常にやりにくい。
それに、二つ目。念話とさらっと言ったが、ツクヨミとアマテラスは直線距離にしても相当の距離である。それは相当の手練れということではないだろうか。
「して、アイナよ。もうあちらは出発したと報告を受けているが、どうする?」
「勿論、直ぐに出発します。」
「よろしい。ではすぐにでも手配しましょう。おい、オニユリ。」
「は。」
オニユリと呼ばれた侍女は奥へと進んでいき姿を消す。
「すまぬな。妾はもう老いぼれの身。遠征までする体力はもうない。代わりに妾のわっぱ共を活かせようと思ってな。」
「ご子息様は、陰陽道というのを使うことは出来るのですか?」
「然様。まだ不完全ではあるが、2人で力を合わせれば門を開くこともできよう。ましてや、陽の道はあの呑んだくれババアがやるんだからの。」
なら安心だ。その二人を連れて行けば、ブランを助けることができる。そう思っていると、奥からオニユリが子供たちを連れてきた。
子供と言っても、アイナと同じ位だろうか。二人の少女は、アイナに丁寧に挨拶を行った。
「お初にお目にかかりますの。わたくしの名前は、スグリ。短い間ですが、宜しくお願いしますの。」
可愛らしいポニーテールを揺ら着かせながら、お辞儀を行う。
「スイレンです。宜しくお願いします。」
ボソッと俯きながらアイナにお辞儀をする。アイナにも見てわかるくらいに、落ち込んでいるように見える。
「では、少しの間、お借りします。」
アイナは、スグリとスイレン連れて、屋敷を出る。
「オニユリ、感じたか?」
「ええ。私も驚いております。」
「ああ。センジュと張り合えるくらいに陽の気を纏っている。」
「彼女の周りにいると、不幸が降りかかってこない。これは…。」
「わっぱ達の"呪い"も、何とかなるかもしれん。」
「陰の気を取り込みすぎて、不幸の連鎖を見の周りに起こす呪い"イザナミ"。」
「はてさて、見学と行こうじゃないか。しばし安らかなひと時を過ごそうぞ。」
To be Continued
次回予告。
そんなものはありません。