前編(騎士視点)
私の名はスターチス。この国の騎士を勤めている。主に王家の専属騎士として常に王家の人々の護衛を勤めていた。私は第一王女トレニア様の騎士として仕えていたが、めでたくトレニア様は遠方の小国の王子と婚姻を結ばれた。
本当におめでたいことだ。トレニア様が5歳、私が20歳の頃から騎士を勤めていたが、毎日が刺激的で本当に生きた心地がしない日々だったから。
トレニア様は人として大事なものが欠けている。本当に人なのか? 魔王か破壊神ではないか? と疑われるほど、性格が破綻していた。
王女に似つかわしくない錬金術をこよなく愛され、時間を見つけては研究に没頭されていた。それ自体は百歩譲って良しとしよう。問題はトレニア様の関心は破壊や凶器など、こちらの背筋がうっすらと寒くなるようなものばかりだったのだ。
忘れもしないトレニア様と初めて出会った日。トレニア様は自分の花壇のお世話をされていた。可愛らしい趣味の姫様だと思ったものだ。しかし、トレニア様は笑顔でおっしゃった。
『ふふっ。この花はね。長くそばに置いておくと、そばにいた人に幻覚を見せて、体を弱めていくのよ』
『嫌いな人に送るための花なの。花ならプレゼントにもってこいでしょ?』
年相応の笑顔で語るトレニア様に、戦慄し、背筋が凍った。まだ若干5歳の姫様だぞ。私は楽しげに花壇の世話をするトレニア様を愕然と見たが、このような危険なものを放置しておくことはできないと思い、密かに花壇の花を変えた。トレニア様にふさわしいトレニアの花だ。
少しは普通の少女のように花を愛でられてもと思ってのことだったが、トレニア様はただ、ただ無表情で花を見つめていた。
トレニア様の表情を見て、この先の日々が戦場と同じくらい厳しいものだと私は悟ったのだった。
トレニア様の奇行は留まることを知らず最初のうちは陛下も王妃も嘆かれ、トレニア様を淑女に育てるため、熱心に指導されていた。しかし…。
トレニア様が爆弾というものを作った時、お二人はすべてを諦めた。トレニア様が9歳の時だ。
トレニア様は爆弾の威力を確かめるためなのか、ある日、森に一人で入っていった。そして、爆弾を爆破させた。躊躇なく。慌てて飛び出してトレニア様を庇ったため、幸い軽傷ですんだが、トレニア様は何事もなかったかのようにこう言われた。
『森を一つ無くしちゃった。私ったら、うっかりやさんね』
うっかりどころの話ではないが、余計なことを言えば明日の命はないと思い、私は黙っていた。
そうして、トレニア様は研究に没頭され、様々な実験を繰り返されるようになる。
トレニア様の奇行は厳重に隠されていたが、それでもどこかしらから漏れたようで、嫁ぎ先は皆無だった。
二の姫、三の姫が嫁がれる頃になると、陛下は国内の平和のため、トレニア様を嫁がせることを決意された。
『あの小国では、こちらに利はないが、もはや他に手段がない。王妃となればあの子も少しは大人しくなるだろう』
それが本心ではないことを私は知っていた。陛下は人間凶器とも言えるトレニア様を恐れ、厄介払いしたかっただけだ。それは酷い行為とも言えるが、我が身と国の平和のためといえば仕方ないだろう。
こうして、トレニア様は18歳の年に嫁がれていった。
私は心配だった。もちろん、小国に住む人々が。小国など滅ぼしてしまいそうな姫様だ。果たして、このまま何も起きないままでいられるか…。一人従者が付いていったが、あれはトレニア様の従順な駒だ。トレニア様が暗躍するためにつかわれるのであって、トレニア様を止めるものはいない。
心配で最初は私も付いていこうとした。しかし、陛下に涙ながらに説得された。
『スターチス。お前は長年、本当にあの子のために仕えてくれた。何度、死にかけたか分からないだろう。今、生きているのが不思議なくらいだ。もういい。自分の命を大切にしろ、スターチス』
確かに私は何度、トレニア様に殺されかけたか分からない。爆弾に巻き込まれ、毒針の実験と言いながら矢を打たれ、寝ている隙にしびれ薬をしこまれた時もあった。さすがに鈍器で殴られそうになったときは怒ったが。
ただ、トレニア様にとってはそれが遊びであることを私は知っていた。魔獣の子供が戯れにじゃれついているだけだと思っていた。こっちは命懸けだが。
人として何かが欠けて生まれてきてしまったトレニア様。それを教える者も埋める者もおらず、ただ恐れられ、腫れ物を…いや、爆弾を触るような扱いをされてきたトレニア様。
友人もおらず、家族の愛情も与えられずに一人でいるトレニア様を私はほおっておけなかった。まぁ、本当に命懸けだったが。
トレニア様との日々で私はあらゆる毒の耐性がつき、強靭な体を手に入れた。トレニア様がいなくなった今、騎士団長を務めるまでになっていた。
でもやはり、心配だった。
トレニア様とのお別れの日、トレニア様は私に笑顔でおっしゃったあの言葉が引っ掛かっていたからだ。
『スターチスがいないのは寂しいわ。本当に…』
その言葉だけを聞いたものなら涙の別れに感じるだろう。しかし私にはこう聞こえていた。
『スターチスがいなくて寂しいわ。寂しくて向こうで小国を滅ぼしてしまうかもしれない。それが嫌なら会いに来てね。でないと、みんな死んじゃうわよ?』
そんな風に聞こえてしまったため、とても心配だった。
なるべく早く会いに行こう、そう思った矢先だ。トレニア様の結婚破棄が伝えられたのは。
なんでも、トレニア様は小国に着いたそうそう、結婚相手から一方的に結婚破棄を言われたそうだ。その場で暴言を吐いたため、地下牢に入られたそう。
嫌な予感が的中してしまった。
その一報を聞いた陛下は取り乱し、宣言された。
「なんと愚かな…あの子の逆鱗に触れたら滅びの道しかないというのに…地下牢に入れるなど、なんの拘束にもなっておらん。今すぐ兵を出せ! あの子を世に、はなってはいかん。我が国が火の海になるぞ! 今すぐ探すのだ!」
私はトレニア様捜索隊の団長として小国に旅立つことになった。
ーーーーー
小国への道すがら、トレニア様に仕えていた従者に出会った。
「あぁ、結婚破棄された姫さんですか?なんか、牢屋を爆破して、トンズラしてましたよ」
その言葉に私は深くため息をついた。想像通りすぎて。
そういえば、輿入れの前に手持ちサイズの小型爆弾を開発されていたような…。
『護身用にね』
トレニア様は可愛らしい笑みで言っていたが、気に入らない誰かを瞬時に、抹殺するためではないかと思った。
従者の話では、牢を爆破したのみで死人は出ていないらしい。それどころか、怪我人もないらしい。それに驚いた。あのトレニア様が誰も傷つけることなく目的を遂行されるなど…ついにトレニア様にも人の心が宿ったのだろうか…。
「ところで、なぜ、トレニア様は結婚破棄など、されたのだ?」
「あー、なんか、結婚相手の王子が元々、姫さんとの結婚を嫌がっていたらしく、どのぞの娘と真実の愛とかに目覚めたから、結婚はしないって突然、言い出したんですよ」
「姫さんのことを魔女だのなんだのと、散々言いましてね。それで姫さんキレちゃって」
『私もあなたのピーーー(自主規制)するなんて死んでもごめんですわ』
「なんてエグいことを言ったんで王子、泣いちゃって。泣きながら牢屋に入れろ!って言ったんですよ」
それはなんというか…。ため息しかでてこない話だ。王子も愚かだし、トレニア様もそれは男には絶対言ってはいけない言葉を言っている。
小国で結婚相手と仲睦まじく過ごされたら良いと思っていたが、やはり叶わぬ願いだったか。
「それで、トレニア様は牢屋に入れられて、隠し持っていた小型爆弾で牢を爆発させたのか」
「お、さすがですね。ご明察です。姫さんはそのまま逃亡されました」
「お前はなぜ、トレニア様のそばにいなかったんだ?」
「俺ですか? あぁ、姫さんにお金をたんまり頂いて、もう帰っていいよと言われたんで」
「帰っていいよって…そばに居ようとは思わなかったのか?」
「俺がっすか? 冗談。元々、姫さんとはそういう契約でしたし。お金をもらったら、はい、さよならです」
その言葉に何度目かのため息が出た。どうしてトレニア様の周りにはまともなのがいないんだ…。
「それで、トレニア様はどこへ?」
「あぁ、森の方へ歩いて行きましたよ」
「わかった。ありがとう。恩に着る」
そう言って従者と別れて歩きだそうとする。
「騎士様」
ふいに呼び止められた。振り返るとにこにこと笑った従者がいた。
「姫さんを見つけてあげてください。それを姫さんも本当は望んでいる」
従者の顔はにこにこと変わらない。しかし、この男の言葉が、なぜか私には響いた。
「言われなくても、見つける」
そう言うと従者は満足そうに笑って消えていった。
ーーーーー
しかし、トレニア様の捜索は難航を極めた。半年が過ぎた頃、陛下はトレニア様の捜索を打ち切った。
「あれは野生にかえったのだ」
意味不明な言葉を陛下は呟かれていたが、半年経っても、自国に被害がないので、この先も何もないだろうと判断したのだろう。
元々、厄介払いをしたかった相手だ。害がないと分かれば、わざわざ自分の懐に取り込む必要はない。
理屈は分かる。それだけのことをトレニア様はしてきたのだから、陛下の考えに異は唱えなかった。
私はまた騎士団の長にと、言われたが、丁重にお断りした。そして、一人でトレニア様を探す旅に出る。
従者のあの言葉が気になったから。それもある。それに、私はトレニア様の近くにいないと、どうにも落ち着かなかった。長年そばにいたせいでもある。一人でいようとするトレニア様が心配で、やはり、ほおっておけなかったからだ。
ーーーーー
旅をしていると、トレニア様のことをよく思い出した。大半は戦慄する出来事だったが、それとは違う出来事をふと思い出した。
たった一回だけ。
そう、たった一回だけ、トレニア様は絶叫して夜、目覚めたことがある。錯乱した声に飛び起きて、近づいてみると、トレニア様は涙を流していた。初めて見る涙に動揺しながらも、声をかけてたが、私の声は届かない。涙を流しながら、トレニア様は私にしがみついた。
そして、呟いたのだ。
私を殺して…と。
普段のトレニア様では考えられない言葉にさらに動揺しつつも、私はどうにかトレニア様を寝かせ、その日を終えた。
翌日、トレニア様は元に戻っていた。変わらず、また爆弾の製作に取り組んでいる。わけのわからない出来事で、あれは夢か?と思ったほどだ。だから今の今まで思い出せずにいた。
あの夜はなんだったのだろう。
考えた末、私は一つの結論に思い当たる。
もしかしたら、トレニア様は……
それを確かめたいがために、私はトレニア様を探し続けた。
ーーーーー
また、爆弾の研究でもされているかと思い、その筋の人からも話を聞いてみたが、情報は得られなかった。
転機がきたのは、私が騎士をやめてさらに半年後のことだった。
辺境の地で奇妙な噂を聞いた。
森に魔女が住み着いた。というものである。
この地には深い森がある。そこの奥深くの山小屋に魔女が住んでいるというのだ。近くの住人に話を聞くと、若い女が一人で破格の値段で山小屋を買ったらしい。金持ちが住んでいるとみて、幾人かの男が山小屋へ向かったが、全員、酷い目にあったらしい。
一人はしびれ薬で動けなくなり、さらに一人は毒矢で射ぬかれそうになった。さらに、もう一人は爆弾で火傷をおったそうだ。
それ以来、誰も山小屋に近づかなくなり、魔女が住み着いているという噂が広まったのだ。
それを聞いた私は奇妙な懐かしさを感じた。
どれもそう。私がトレニア様に受けた仕打ち、そっくりだったからだ。私は期待を胸に山小屋へと向かった。
山小屋へは数々の罠が仕掛けられていた。しびれ薬、落とし穴は可愛い方で、落とし穴にみせかけて、背後から巨大なハンマーが降ってくるというのもあった。透明の糸に足をひっかけると毒矢が一斉に降ってくるという仕掛けもあった。爆弾はそこいらに仕込まれ、これはなんのダンジョンだ?と思ったほどだ。
しかし、山小屋へ近づくたびに私は高揚していた。まるで、トレニア様との日々の集大成のような罠の数々。
間違いない。
トレニア様はここにいる。
そして、私は山小屋へとたどり着く。
ーーーーー
「スターチス??」
やはりトレニア様はここにいた。最初に出会った時のように、花壇に水をやっていた。
トレニア様は痩せておられた。ろくに食べていないような華奢な体の前に立つ。
「お久しぶりです。トレニア様」
私の胸は出会えた喜びにあふれていた。やっと、会えた。よかった…生きておられた…。
「スターチス…」
トレニア様が私の名を呼び、もっていた水差しを落とす。勢いよく水がこぼれ落ちて、私達の足元を濡らしたが、私達は気にしなかった。
トレニア様は私を見つめ、目を潤ませる。頬が少し赤くなっていた。
感動の再会。外から見れば、そう見えるだろう。私もそう思い込んでいた。
しかし、トレニア様はどこまでもトレニア様だった。
トレニア様は感動の再会のような表情で、どこからか出したナイフで私を刺そうとした。それを紙一重でかわし、私はトレニア様を見つめる。
ゆらりと動くトレニア様の体。ハッキリ言って狂人である。
「スターチス…私ね、ずっとね、あなたに会いたかったの…」
トレニア様が近づく。
「会って、あなたを殺したかったわ」
うっとりと私を見つめるトレニア様。その表情は高揚していた。ここまでくるともはやホラー展開まっしぐらだ。殺るか殺られるか。二つに一つのしかないように思えた。なら、私はあえて、後者をとる。
トレニア様が向かってくる。刃物が私の頬をかすめ血が流れ出す。それを見てトレニア様は一瞬、ひるんだ。その隙に腕をとり、刃物を捨てさせる。
驚いた表情のトレニア様に顔を近づけ、私は穏やかに告げた。
「いいですよ。私を殺してください」
「ただし、刃物じゃなくて、あなたの愛で」
そう言って、トレニア様の唇を塞いだ。驚いて暴れるトレニア様を抱き込み、抵抗を押さえ込む。
考えてみれば、簡単なことだ。私は鍛えぬかれた騎士。トレニア様は痩せたか弱い姫。力でかなうはずもない。
長いこと角度を変え、口づけを深めるとトレニア様は抵抗をなくし、答えてくれるようになった。
そして、名残惜しく離れると、トレニア様の頬はすっかり上気し、瞳から狂気は消え、ただの少女に戻っていた。
「スターチス…これは?」
「口づけですよ、トレニア様」
先程の感触を確かめるようにトレニア様は自身の唇をなぞった。
「気持ちよかったですか?」
「…わからない。わからないけど…嫌ではなかったわ」
無垢な瞳で言われて微笑む。
「それはよかったです」
そう言って、今度は優しく抱き寄せた。今度はトレニア様の頭を撫でる。
「本当に、生きておられてよかったです」
何度も何度も頭を撫でると、トレニア様は黙って私にされるがままでいた。
「スターチス…私は…私は…」
「もういいんですよ、トレニア様。これからはずっと、私がそばにいます。決して、あなたを一人にはさせません。ずっと、ずっと一緒です」
トレニア様が小さく震える。そして、こくりと頷いた。
トレニア様は人として大事なものが欠けている。それはきっと、愛情だ。
誰かを愛することも、誰かの愛を受けとることもできていない。まるで、生まれたての赤子のように無垢なままだ。
欠けているものが何かよくわからないが、きっと大事なものだと感じていたのだろう。埋めるために真逆の行動をしていた。きっと。
トレニア様の私への行為も、もしかしたら、ただの遊びだったのかもしれない。それは本人に聞かないと分からないが、さしたる問題ではない。
大事なことは、トレニア様が生きていること。それだけだ。
殺してほしいと泣いていたトレニア様。
なぜ、そこまで追い詰められていたのかは私には分からないが、これからゆっくり時間をかけて彼女の本当の心を知ればいい。幸い、時間はたっぷりあるのだから。
「これから、たくさん愛情を注いであげますね」
「愛情…? 愛情なんてよくわからないわ」
「今は分からなくていいんですよ」
首をかしげるトレニア様に微笑みかける。
愛を知らない無垢なお姫様。
私自身、これが愛情なのか、それ以外の感情なのか分からない。でも、これだけはハッキリといえる。
お姫様が私には可愛く見え、心配でどうしてもほっとけないのだ。
だから、そばにいて、彼女が欠落したものを埋めていこう。
私はただ、トレニア様の心からの笑顔が見たいだけなのだ。
next…トレニアside