第四話:彼女の歌、僕の曲
「・・・で、紀元前494年に身分闘争が始まり、貴族の政治に・・・」
世界史の授業。
しかし僕には授業の内容など耳には入っていなかった。
僕の目は黒板にではなく、斜め前の席の彼女に向けられていた。
僕が引っ越して来たあの日から、
僕はどうやら白香さんと言う人のことを気になっているようだ。
こうして授業中も、黒板の文字をせっせと書き写している彼女の背中を
見つめて、何だか幸せな気持ちになっているのは、
たぶん・・・そういうことなのだろう。
しかし、彼女は僕と目が合うと、
僕の顔を一瞬見つめ、少し寂しそうな顔をしたかと思うと、
プイッと目をそらす。
もしかすると・・・嫌われているのかもしれない。
引越しのとき、彼女が訪ねてきたのは一種のユーモアだったのかもしれない。
あたかも長い間離れ離れになっていた2人が再会したかのような有り得ないシーンを演じるべきだったのだろうか。
彼女と話してみたい。
何度もそう思ったが、彼女の僕に対する態度を考えると、
話しかけても拒絶されるような気がしてできなかった。
自分の臆病さが情けなくて仕方ない。
同級生に話しかける勇気もないだなんて。
彼女が消しゴムを落とした。
その消しゴムは僕の足元に転がってきた。彼女は落としたことに気付いていない。
これは、好機・・・!僕は消しゴムを拾い上げた。
拾ったから話しかけるんだ。何も変なことはないだろう。
「あ・・・あ・・あの・・・」
情けない呼び声。・・・自分が情けない。
彼女は僕の呼ぶ声に気付いてくれた。
「消しゴム・・・落としましたよ。」
すると彼女は一度自分の机の上を確認して、少し驚いた顔をすると、
口パクで「ありがとう」と言って笑顔で僕の手から消しゴムを取ると、
一瞬僕に笑顔を見せてまた黒板のほうを向いた。
笑顔を見るだけで自分も少し笑ってしまった。
彼女はすごく魅力的。こうしてみると仕草の1つ1つに魅力を感じてしまう。
けれど・・・なぜか違和感。
何だろう、この感覚は・・・モヤモヤするような・・・どこかむず痒いような感覚・・・。
その感覚が何なのか、それは今の僕には分からなかった。
授業を終えた放課後、僕は中庭にいた。
転校してきて以来、僕はこの中庭が一番好きな場所になっていた。
別に一人で感傷に浸りたいとかそういうものではなく、様々な花が咲いている此処が、
まるで体に染み付いているかのようにとにかく好きだった。
もっと目に付く花は沢山植えられているというのに、なぜか僕の目線は小さな花、勿忘草に向けられていた。
勿忘草が何だか彼女と重なって見えるような気がしたから。
何だかとっても・・・懐かしいような気がしたから。
懐かしい・・・言ってみたはいいものの僕にはその気持ちが分からない。
ならば、なぜ懐かしいと思えたのだろう?
それも僕には分からないことだった。
・・・〜♪・・・
何処からか声が聞こえる。
透き通るような声、悲しい曲調。この曲を僕は知っている。
誰が歌っているのか、僕はすぐに分かった。
――――――彼女だ。
もっと近くで聴きたい。そう思ったときには体が既に声に向かって動いていた。
教室の前まで行くと、彼女は僕の机に手を置いて歌っていた。
彼女は涙を流しながら歌っていた。
いつの間にか僕も涙を流していた。
この曲の名前は・・・、それは・・・勿忘草の花言葉であり、本当の名前・・・forget-me-not・・・・・・
最後までゆっくりとした曲調でその曲は終わった。
歌い終わった後も彼女は静かに泣き続けた。
顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、その涙を拭こうともせず、彼女は泣いていた。
今、彼女に僕ができることがある。
僕は音楽室へ向かった。
僕はピアノの前に座った。
彼女に届けよう。僕の曲を。
・・・トーン・・・・・・。
僕は長い一音を最初の音として、彼女への曲を弾いた。