自分が自分でなくなる恐怖
「久古、お前、昨日神社で樹神と2人でいただろ?」
次の日、高野が僕に話しかけてくる。その威圧的な喋り方が、癪に触る。
「君には、関係ないだろ?」
「あん!?」
気持ち悪いくらい、顔を近付けて威嚇してくる。ここで、目を逸らすと、相手の思うツボだ。僕は、瞬きも我慢して、高野に睨み返し続けた。
「ふん。何もしねぇよ、バ〜カ」
高野は、とても頭がいいとは言い難い反応をしながら、去っていった。高野の頭が悪くないってのは、リコの気のせいに違いない。
***********************
「さて、昨日までで、幽霊モノは二つ、ノートに記しました。今日は、別のテーマで行きたいと思います」
リコが、掛けてもいないメガネを直す仕草をしながら笑う。
「じゃ、先生!今日のテーマはなんでしょう?」
「キューコ君、いい質問だね。今日は、自分が自分でなくなっていく恐怖ってものについて、考えたいと思います」
自分が自分でなくなっていく恐怖?
どんな状態だろう?気が狂っていく感じだろうか?それは確かに怖いかも…。
…でも、ただの発狂ならば、『得体の知れないモノ』というキーワードを満たしていない。
「気が狂っていくってこと?」
僕は、考えてもわからない事を認め、素直に聞いてみる。
「それも、確かに怖いかもしれないけど、だんだん何者かに乗っ取られていくってのが、もっと怖いんじゃない?」
だんだん、何者かに乗っ取られる…、それは、おそらく些細な物忘れ程度のスタートなんだろう。側から見たら、言っている事の整合性が、感じられなくなり、さも気が狂っていくように映るだろう。
乗っ取られていく事を本人が、自覚したとすると、かなりの恐怖だ。
「何に乗っ取られるの?」
これから、それを考えようというのに、つい聞いてしまった。あまりの子供っぽさに、リコに呆れられないか心配になったが、それはどうやら考えすぎだったようだった。
「この間、キューがだいぶ考えてきてくれたから、今回は、わたくしめが考えさせていただきました」
仰々しく、片手を胸を抱えるように前で折り跪く。シャルウィーダンス?という言葉が似合いそうなポーズだった。
どうも今日のリコは、キャラが安定していない気がする。先生キャラかと思っていたが、今は何キャラなんだろう?
「キューは、スペリーとガザニガの分離脳って話知ってる?」
なんだ?そのザリガニみたいな名前は?まったく聞いた事がない。だが、そんな子供っぽい事は、敢えて口にしない。彼女にガッカリされるのを避けるためだ。
「スペリーとガザニガってのは、脳科学者なの。人の脳に右脳と左脳があるってのは知ってる?」
それは、知っている。確か、右脳派は閃き型で左利きになって、左脳派は理論型で右利きになるって話だったと思う。
それを初めて知った時は、右利きの自分は、閃き型の天才とは違うのだと、ガッカリした事を覚えている。
「スペリーとガザニガってのは、その右脳と左脳を繋ぐ脳梁って奴を切断した患者を使って、実験した事で有名なの」
「何?そのヒトデナシ感。なんで脳梁ってのを切断しちゃうの?」
「確か、なんかの病気の治療のためだったと思うけど、よく覚えてないわ」
彼女が言うには、右脳と左脳には別の機能があり、一説には、人格すらもそれぞれ違う可能性があるという事だった。要は、その別の人格にジワジワと乗っ取られるという設定だった。
その設定ならば、誰にでもキッカケさえあれば、起こり得る可能性があるため、都市伝説としては、申し分ないと言えるし、今回のテーマである『得体の知れないモノ』が、自分の中に既に存在しているのだから、恐怖感も十分と言える。
「いいね。さすがリコ!」
いつも、褒められているので、今回は先手を打って、僕の方から褒める。
「えっへん」
胸を張って、威張ってみせる彼女の可愛らしい仕草に、思わず目を逸らしてしまう。
「じゃ、じゃあ、右脳を活性化させる目的で作られた動画がキッカケで、右脳の人格が暴走するってのは、どうかな?そんなセミナーとかありそうだし…」
思わず、適当な事を言って、誤魔化そうとするが、リコは、そんな僕の肩を掴む。
「お前は、天才かぁ!?」
両肩を掴んで、思いっきり揺さぶるリコ。やはり、今日のリコのキャラは、定まっていないように思えた。
「でも、脳の中に別人がいるってのは、面白いよね。僕はてっきり寄生虫のようなモノのせいで、自分を見失っていく事を考えてしまったよ」
この間、読んだ小説の中で出てきた設定だった。その小説は、寄生虫に寄生される事で、まるで別人のようになってしまうという内容だった。
その話は、カタツムリなどに寄生して、宿主の行動まで変えてしまう『ロイコクロリディウム』という寄生虫がモチーフになっていた。
「それもありなんじゃない?」
リコが、簡単な感じで言い放つ。
「アイデアが出たなら、どんどん書いていこうよ」
そう言われれば、そうかもしれない。このノートの目的は、『架空のホラー』を書いていくものなのだから、思いついたらドンドン書いていけばいいのだ。
「じゃ、未知の寄生生物の話も入れよう。そいつは、宿主の脳を乗っ取って、さも人間のように振る舞うってのはどうだろう?」
「いいわね。さっすがキューよ。で、その生物の目的は何?」
「生物の目的は、一つしかないよ。繁殖さ」
「じゃ、脳を乗っ取らないと繁殖できない悲しい生物ってことね。その生物の姿は?どうやって人に寄生するの?」
リコが矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。その勢いにたじろいでしまった僕は、思わず適当な事を口走ってしまった。
「髪の毛みたいな生物で、ハゲている人がカツラと思って、被ると寄生に成功する…みたいな」
自分で言ってしまったことだが、後悔してしまう。あまりにふざけた内容だったからだ。
脳を乗っ取るわけだから、頭に近い方がいい気がするのは確かだが、流石にカツラはないだろう。もっと寄生生物の卵を食べてしまうとか、ベタなのでいい気がする。
「相変わらず、私にはできない素晴らしい発想をするのね」
リコが、ため息を吐きながら呟く。遠回しに、ディスられているのだろうか?
「じゃ、薄毛に悩んだ人が、カツラを被る事で寄生されるってことで決まりね」
なんと、採用されてしまった。
僕は、そのアイデアに後悔しながら、ノートに『右脳活性化を目的とした動画』と『寄生するカツラ』の内容をノートにまとめた。
リコは、嬉しそうにその姿を頷きながら見ていた。