ある日、神社で
樹神に本を拾ってもらった日から、何故か、樹神の事が気になって、目で追ってしまう自分に気付いた。だが、彼女はいつもの窓際の一番後ろの席に座って、本を読んでいるだけだった。
今日は、気分転換に外で読書をしよう。
僕は、学校帰り、まっすぐ家に帰らないで、昔、よく遊んだ神社に行き、秋の陽だまりの中で本を読もうと、境内に上がり込んだ。柱にもたれかかって、本を読み始める。何ページか読んだあたりで、人の声がした。
「あら?先客がいると思ったら、キューじゃない?」
…キュー?
…僕の事か?
そんな呼び方をする人間なんか知らない。だいたい、久古の"こ"だけを省略することに、どれだけの意味があるのだろうか?
そう思い、本から目を離し、声の主を見上げると、靴を脱ぎ、境内に上がってきた樹神が立っていた。
「樹神さん?キューってのは、僕の事?」
「そうよ?キューコだから、キュー。なんか変?それから、樹神さんってのは、やめてよ。リコって呼んで」
「…リコ」
言われた通り、彼女の名を呼ぶと、なんだか照れ臭い。母が熱くなるのを感じながら、読んでいた本で顔を隠す。そっと本の陰からリコを覗くと、彼女も僕の顔を覗き込んでいた。いや、正確には僕の読んでいた本を興味深げに見ていたのだ。
「何読んでるの?」
先日、彼女から教えてもらったエドガー・アラン・ポーの『黒猫』という短編集だった。『モルグ街の殺人』をネットで検索してみたら、世界で初めて書かれた推理小説との事だったので興味が湧いた。父親の本棚を物色すると、ポーの本は数冊あったが、お目当ての『モルグ街の殺人』は、見当たらなかった。
ただ、彼女の口から聞いた『黒猫』という名前の本はあったので、それを手に取ってみた。裏表紙を見ると、短編集だという事が分かった。しかも、その中にお目当ての『モルグ街の殺人』も収録されているようだった。
だから、本棚にいくつか無造作に突っ込まれている、購入時に書店で貰えるブックカバーをつけて、ランドセルに突っ込んだのだ。
決して、彼女と話を合わせるために読もうと思った訳ではないのだが、素直に答えるのに躊躇してしまう。
少しの沈黙の後、彼女の顔を見ないで答える。
「ポーの『黒猫』っていう短編集…」
「あ、この間、話した奴だね?早速、読んでくれてるんだ?」
「…たまたま、父さんの本棚にあったから…」
「そっかぁ。キューのお父さんって、いいセンスしてるね」
「…そっちは?」
「私?私はT・ハリスの『レッド・ドラゴン』だよ」
また、海外の小説名が出てきた。
「昔、映画になったレクター博士っていう殺人鬼がでてくる四部作の一作目になるの」
ほとんど何を言っているのか理解できない。
「面白いの?」
「…それは、読んだ人の主観によるんじゃないのかな?だから、その話が面白いかどうかは、自分で読んで判断するしかないと、私は思うの」
「…言い方を変えるよ。君…リコにとっては、どうなの?」
そう言うと、リコはイタズラっぽい笑顔を見せながら答えた。
「ええ!まだ途中だけど、とってもエキサイティングだわ」
T・ハリスか。
覚えておこう。
「…この『黒猫』もそうだけど、海外の小説って、とっつきにくいんだよね…」
思わず、本音が溢れてしまった。頭が悪いのに、ムリして読書する見栄っ張りだと思われただろうか?
「それは、描かれる情景が日本と違うせいで、イメージが上手くできないからじゃない?」
「どう言う事?」
「小説って、そこに書かれている世界をイメージできるから、没頭できるんじゃないか、って私は思うの。
だから、上手くイメージできないと、文字が頭に入ってこない。没頭できない。
イコール、とっつきにくいって感じてしまうんじゃないかな?情景描写のフェイズは面白くないけど、セリフはすんなり入ってくるってのは、このパターンじゃない?
あとは、翻訳のせいで文章が堅くなってしまっているパターンがあるんじゃないかな?と私は思うの」
確かに、情景が細かく描写されても、その景色がよくイメージできない事がある。日本を舞台にした小説なら、そういう事は滅多にない。
「そういう場合は、映画を見ればいいのよ。映画を見て、海外ってこんな感じなんだ?海外の文化って、こんな感じなんだ?って、いっぱい映画を見れば、海外の小説を読んだ時に、イメージの助けになるわ」
なるほど、彼女の言葉には説得力があるように思えた。
「そんなにすんなり対策が出るって事は…」
「そっ。私も苦手だったの。海外小説」
そう言った後、彼女は片目を閉じ、舌を出す。いわゆる、テヘペロという奴だ。
僕は、思わず笑ってしまう。
「そんなに笑わなくてもいいじゃん。そんな事よりさ、それ、読んだら感想教えてよ」
「なんで君…、リコに感想を言わなきゃいけないんだよ?」
「だって、私が紹介した本なんだよ?面白くないってなったら、どこが!?ってなるし、面白いってなったら、でしょ?でしょ?ってなるでしょ?」
「まぁ、なるだろうね。でも、感想を伝える伝えないは、別の話じゃない?」
「そんなイジの悪い子に育てた覚えはありません」
「そもそも育てられた覚えがありません」
僕らは、2人で目を合わせて、笑い合った。
彼女となら話が進む。他の子と、こんなに楽しく会話したのは、初めてだと思った。
「わかったよ。ちゃんと感想を教えるよ」
一通り、笑った後、リコに答える。その答えを聞いて、満足そうに笑いながらリコが提案してくる。
「じゃ、今度はキューが面白い本を教えてよ」
まいった。
僕に、彼女に幻滅されないような、感心してもらえるような、本を紹介することができるだろうか?
その日から、放課後、神社に集まって、紹介した本や紹介してもらった本、新たに開拓した本などを、2人で一緒に読書する日々が始まった。