お告げ屋さん④
...暗い...。
どこだろう?ここは。
気がつくと、辺りは真っ暗闇になっていた。自分がどこに立っているのか、まったくわからない。不思議な事に、自分の寝間着姿は、薄ぼんやりと光っているように見えた。当然、足もうっすら光っているわけだが、床も闇に包まれていて、地面にちゃんと立てているのかもわからない、不思議な感覚だった。
試しに右足を擦りながら、前に出してみるが、床はちゃんと続いているようだ。
...さて、どうしたものか...。
まずは、落ち着いて、状況を整理してみよう。
なぜ、こんなとこにいるのか?
...わからない。さっきまで、何をしていたのか、記憶がまったくないのだ。
ここは、どこなのか?
...こいつも答えは、わからない。
なんだ、結局、わからない事だらけではないか。
俺は、落胆する気持ちと裏腹に、笑みを溢す。あまりの情けなさに、笑うしかない状況に陥ってしまったと言える。
自嘲気味に笑っていると、辺りの雰囲気が変わった。いや、雰囲気なんて曖昧なものでもなく、匂いが変わったのだ。最初、匂いを感じさせない空間だったのに、いつのまにか熟し過ぎた果実が甘く腐っていくような悪臭が充満していた。軽い吐き気を我慢しながら、周りを見回すが、相変わらず、闇に包まれているだけだった。
!
不意に、背後に人の気配を感じ、振り向こうとした時、頭を何者かに押さえつけられた。思わず、ヒッという声にならない音が喉から飛び出る。早鐘のようにのたうつ心臓。少し間が空き、落ち着きを取り戻すと、ヒュー、ヒューと呼吸音らしきものが耳元で聞こえてくるのがわかった。その息は生臭く、周囲の甘い悪臭と入り混じり、生ゴミの匂いとなり、ますます吐き気が強くなる。
「これは、お前の未来だ」
沈黙を破るように掠れたような、くぐもったような、低い声が響く。と同時に、頭を激痛が走る。押さえられていると思われる頭がキツく締め付けられたのだ。まるで、手が頭蓋骨の中に侵入しようとするような感覚を覚える。激痛に暴れようとするが、頭が固定されているため、手足をばたつかせることしかできなかった。頭を掴んでいると思われる手を引き剥がそうと、手を振るが、空を切るのみで締め付けてくる手を確認することが出来ない。
飛び上がることも、しゃがみ込む事も出来ずに、喉からは声にならない呻きを吐き出しながら、ただひたすら、手足をバタつかせていた。
やがて、頭を締め付ける痛みが和らぐが、今度は、脳をかき混ぜられるような、形容しがたい頭痛が襲ってきた。涙とヨダレと鼻水で顔がベタベタになり、何度も顔を拭うがキリがなく、匂いと頭痛により、吐き気は最高潮に達した。
腹の中から、何かが逆流してきた。
我慢する余裕もなく、それを受け入れると、決壊したダムのように、次々と吐瀉物が流れ出した。大量の吐瀉物は、口からだけでなく、鼻からも飛び出してくる。前屈みになる事も出来ずに垂れ流す。寝間着を汚し、裸足の足元にビシャビシャと流れ落ちる。その感覚も不快で、足をジタバタさせるが、頭を押さえられているせいで、その場で足踏みするにとどまる。足の裏に吐瀉物を踏みしめる、これまた不快な感覚。俺は、諦めて、身体の力を抜き、嘔吐を続けた。延々と続く嘔吐。不意に暗闇の中に、まるでフラッシュバックのように、断片的な映像が浮かんでいる事に気付く。
日めくりカレンダーの映像。今週末の日付が記されていた。続いて、道路。道路を上から俯瞰しているような映像。高速道路だろうか?認識すると、次の映像に移る。まるで、こちらの思考を読んでいるようだ。車を前から見た映像に切り替わった。それを見て、俺は驚いた。
運転席には加奈子、助手席にはチャイルドシートに座った和也が乗っていたからだ。思わず、声を出そうとするが、嘔吐はまだ止まっておらず、ガアァ、という意味不明な呻きになるだけだった。
加奈子と和也の走る車が高速道路を走っているという事だろうか?
まるで、正解だ、とでも言うように、映像が切り替わる。
今度は、まるで運転しているような視点で展開される映像。加奈子の目線だろうか?目の前にはハザードを点けたトラックが止まっていた。映像の人物もハザード点灯のボタンに手を伸ばし、減速をしていた。渋滞のようだった。映像がバックミラーを映す。
後ろから、トラックが猛スピードで近付いて来るのが見えた。瞬間、映像が途切れた。
呆然としながら、嘔吐を続ける俺の目に、加奈子と和也の葬儀と思われる映像が流れ、ようやく、二人が高速で事故にあって、死亡したのだという事が理解できた。
「この未来を変えたくば、命を差し出せ」
「さもなくば、受け入れろ」
再び、暗闇に包まれた世界に、掠れた低い声が響いた。その声が響き終わると、それが合図かのように嘔吐が止まり、頭痛も消えた。涙目になりながら、辺りを見回す。頭も自由に動かせるようになっていた。
「...待ってくれ!一体、どういう事なんだ?ここはどこだ?あんたは何者なんだ?」
咳き込みながら、疑問を投げかけるが、返事はない。
俺は、吐瀉物の中に取り残された事を悟った。