深夜の訪問者
その晩、美奈子は泣きそうな程、怯えていた。夕方、由宇から届いたLINEのせいだった。
ドラマの再放送を見ながら、マッタリしていた美奈子の元に由宇から、とんでもない内容のメッセージが届いたのだ。
『涼子が殺された
次に綾子が狙うのは、多分、美奈子だと思うから、
気を付けて!』
最初、その内容を理解するのに、数分掛かってしまった。
なぜ?
絶対に襲われないという為に、神社で祝詞をあげて貰ったのではないか?
由宇が嘘をついていたのか?
やはり、御守りがないとダメなのか?
そもそも、『ヒトガタ様』の儀式をやったのは、真依と由宇の家の近所だろう。ならば、先に狙われるのは、あの2人ではないのか?
涼子が殺された?
あの涼子が?
うろ覚えだが、涼子は、何かしら武道をやっていたのではなかったか?そんな涼子が殺される程だ。何をどう気を付ければいいのか?
その時から、美奈子は物音を気にしながら、ビクビクと過ごしてきた。そして、遂に、就寝するため、自室に1人となったのだ。
早く、朝になってほしいと願いながら、暗い部屋で、ベッドに横になっていた。朝になれば大丈夫という保証はないが、専業主婦の母と一緒だという事は、相当に心強い事なのだ。
突然、携帯が鳴る。誰かから、着信が入ったのだ。真依からだろうか?美奈子は、携帯の画面を見て、凍りつく。
綾子の名前が表示されていたからだ。
美奈子は、携帯をベッドに放って、部屋の隅に逃げる。着信音から逃れるように耳を塞ぐ。
「もう、やめてよ〜」
独り言を呟き、着信音が止むのを待つ。
永遠に続くかと思われた着信音が止んだ瞬間、美奈子は携帯に駆け寄り、真依に電話する。
なかなか出ない。
「…何?」
「ま、また綾子から、ちゃく、着信があったの!た、たまたま、お風呂入ってたから、で、出られなかったけど…、ね、どう思う?どうすればいい?次は、美奈子が殺されるの?」
早口で捲し立てる。
「…護身用に包丁でも、枕元に置いておけば?」
珍しく、真依からのアドバイス。美奈子は、恐怖と緊張の中、真依に優しくされ、思わず涙を流す。その通りにしておけば、全て上手く行くような気持ちに包まれる。
「そっか、そうだよね。流石、真依!」
「もし、綾子が襲ってくるのであれば、なんとか美奈子の所で食い止めてね。由宇には、出来ない事だから」
さらに、優しい言葉を掛けられる。
そうだ、美奈子には、きっと出来る。由宇には出来ない。真依のためにも、ここで食い止めなければ!
美奈子は、涙と鼻水を垂らしながら、何度も頷きながら、電話を切った。
顔を拭うと、台所に向かう。包丁を手に入れるためだ。1階に行くと崇が玄関に向かう所だった。
「コンビニ行ってくるわ」
そう言って、外に出て行った。それを見送った後、包丁を持って自室に戻る。
枕元にそっと包丁を置き、布団に入る。これで、安心して眠れる。
ふと、窓に何か当たったような音が響く。
ビクッとする美奈子。カーテンを開けて確かめてみたいが、恐ろしくて出来ない。もし、そこに綾子が張り付いていたら、どうすればいいのか?
バンバンッ!
今度は、はっきりと窓を叩く音が響く。
(もう、なんなのよぉ)
泣きながら、窓に近寄る。冷房を付けたまま、寝るつもりだったので、窓には鍵がかかっているはず。そう思いながら、そっとカーテンを摘む。
きっと、何かゴミか何かが当たった音に違いない。カーテンを開けたら、な〜んだ、ただのゴミかぁってなるに違いない。
美奈子は、そっとカーテンを引っ張り、小さな隙間を作って、そこから覗き込む。
!
素早く、カーテンを離し、尻餅をついた状態で、部屋のドアの方へ移動する。自分が見たモノが信じられない。窓に長い髪の女が張り付いていたのだ。
涙がボロボロと溢れ落ちる。嗚咽が漏れる。
大丈夫!窓には鍵が掛かっているし、玄関だって…。
そこまで考えて、美奈子の心臓が大きく脈打つ。崇だ。崇は、コンビニに行くと言って外に出ていった。つまり、今、玄関に鍵は掛かっていない…。
美奈子は、這いながらベッドに向かった。ベッドに手を掛け、なんとか立ち上がる。足が震えて力が入らない。枕元に置いてあった包丁を握る。そのまま、ヒョコヒョコとドアに近付く。
両手で包丁を構える。先手必勝。もし、綾子が部屋に入ってきたら、これで迎え撃つ。全身が震えて、上手く力が入らないが、大丈夫。体重を掛けてやればいいのだ。ポッチャリ体型は伊達ではない!
階段から音がするのが聞こえた。誰かが、ゆっくり階段を上っているのだ。
来た…。
足音が、段々近付いてくる。自分の心臓の音が大き過ぎて、足音が聞こえ辛い。ドアノブがゆっくりと回る。
ドアが開いた瞬間、美奈子は目を閉じて、体重を預ける。包丁がヌプッと何かに入っていく感触がする。思ったより抵抗が少ない。一度、包丁を抜いて、念のために、もう一度刺してみる。それもヌプッとした手応えで、抵抗を感じるのは最初だけだった。
相手は何も言わない。
成功した?
美奈子は閉じていた瞳を、恐る恐る開ける。
そこには、口から血を垂らしている崇が立っていた。
なんで?
何かの間違いだ!
だいたい、美奈子が刺したのはお腹なのに、
口から血が出ている訳がないのだから!
あぁ、これこそドッキリなんだ。
この後、母か父が、
『ドッキリ大成功!』の看板を
持ってやってくるはずだ。
膝から崩れ落ちて行く崇を見ながら、そんな事をボンヤリと考えていた。倒れた崇の周りに血溜まりが出来ていくのを見て、美奈子は、ようやく現実を受け入れた。
…もう終わりだ…。
美奈子は、発作的に持っていた包丁を自分の喉に突き立てる。
ゴボッ。
自分の口から、出したつもりのない音が溢れる。
ゴボッ、ヒュー
ゴボッ、ヒュー
首から変な音が漏れる。
痛みと息苦しさと熱い液体が、美奈子の身体を包む。なぜ、すぐに死ねないのか?一度、包丁を抜いて、胸に刺し直そうか?そう思い、包丁を抜こうとするが、血で滑って包丁が抜けない。このまま、苦痛の中で、失血死を待つしかないのか?
イタイ!
イタイ!イタイ!イタイ!
イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!イタイ!
流れだす熱い液体に包まれているのに、
身体は妙に寒気を感じる。
夏だと言うのに寒い。
それが妙に可笑しくて笑おうとするが、
口からはゴボゴボと、
水の中で喋ろうとした時のような
楽しげな音だけが響く。
ますます楽しくなってくる。
ゴボッ
ゴボボッ
ゴボッゴボッゴボボッ
美奈子は、笑いながら意識を失っていった。