富岡 紀男の怒り
ピロリロリーン♪
携帯が鳴る。LINEのメッセージが届いた音が鳴り響く。引き篭もって、7年。PC以外で俺に連絡を取ろうとする物好きな人間は限られている。スナック菓子を食べていた右手の指を舐めた後、携帯を見る。やはり、そうか。相手は、道永 由宇。近所に住んでいる女子高生だ。
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内容を見て、歓喜とも憤怒とも言えない複雑な感情が沸き上がる。再び、『ヒトガタ様』をやってしまったと書いてあった。
俺は、即、返信する。詳細を教えろ、と。
彼、富岡 紀男にとって、『ヒトガタ様』は、決して忘れられない名前だった。なにせ、彼の人生を狂わせるキッカケとなった忌まわしい儀式だったからだ。
7年前、21歳だった紀男は、特に職に就いている訳ではなく、かと言って大学や専門学校に通っている訳でもない、所謂、ニートと呼ばれる存在だった。趣味はネットと、たまに遭遇する小学生や中学生の相手をしてやる事くらいの平凡な男だった。
その時、開設していたHPのHNである『エテ吉』を名乗り、適当に子供の相手をしてやる程度だったが、持ち前の話術と、それなりの経験、精神年齢の低さから、子供達の心をガッチリと掴み、人気者となっていた。
紀男は、社会的に相手にされない自分でも、子供達の中では、ちょっとしたヒーロー並みの扱いをされるため、気分が良く、積極的に相手をしてやっていた。まるで、小さな王様だった。
ある日、ある少女にネットで知った、降霊術を教えてやった事が全ての始まりだった。
その儀式をやったと言う少女達の相談に乗って、その中の1人を家まで送った。ただ、それだけの事だった。
次の日、紀男は警察に連れて行かれ、執拗な取り調べを受ける羽目になった。家まで送った少女が殺されたのだ。
「刑事さん、何度言ったら、わかってくれるんですか?俺はやってない!」
「犯人は、皆、そう言う」
「だからぁ!俺は、あの子を家に送り届けただけで、何もやってないんですよぉ!」
「お前がやったんだ!お前、小学生と仲が良かったそうじゃないか?ずっと、標的を物色してたんじゃないのか?」
「違う!俺は、ただ…」
「違わない!…お前の部屋のDVDやら、漫画やら、調べさせてもらったよ。随分とホラーが好きみたいじゃないか?出来心だったんだろ?人形の手形を血でつけてみたり、ホラーを再現したかったんだろ?無職だもんなぁ。何の取り柄もないもんなぁ。世間の注目を集めたいよなぁ?」
警察は、最初から紀男を犯人と決めつけていた。厳しい言葉で責められたと思えば、次の瞬間には、優しい言葉で同調してくる。
睡眠時間を削られ、
髪の毛を掴まれ、
机に顔を押し付けられ、
椅子を蹴飛ばされ、
胸倉を掴まれ、
唾を吐きかけられ、
人生を全否定され、
執拗に責められた。
何度、罪を認めそうになった事か。
何度、挫けそうになった事か。
それでも、紀男は耐え続けた。その責め苦が、永遠に続くかもしれない恐怖と戦いながら、必死になって抗い続けた。
結局、証拠不十分で解放されたが、紀男は憔悴しきっていた。
耐え抜いた。
それで、全てが元通りになると思っていた。
家に帰るまでは…。
家に帰ると、塀に落書きがされていた。
『人殺し』
『ロリコン野郎』
『死刑!』
『死ね!』
心無い言葉が、所狭しと書き込まれていた。釈放される時に迎えに来てくれた両親がバツの悪そうな顔をする。
「最初は、書かれる度に、消してたんだがな…」
父が、疲れ切った声で呟く。母が嗚咽を漏らす。両親が2人で営んでいた飲食店にも嫌がらせが後を絶たず、壊滅的だと言う。
何故、俺が…、俺達が…、こんな目に遭わなければいけないのか?
ただ、小学生相手に、いい気になっていただけではないのか?
それが、こんなにも悪い事なのか?許されない事だったのか?
紀男の絶望は、怒りに変わっていく。
全部、あいつらが悪いのではないか?『ヒトガタ様』をやった、あのガキどもが…。
いや、あいつらに『ヒトガタ様』の存在を教えたのは自分だ。
じゃあ、結局、俺が悪いのか?
違う!
『ヒトガタ様』が、全て悪いのだ!
そうだ!あんな儀式が存在するのが悪いのだ!
紀男は、趣味で作っていた『エテ吉パラダイス』というHPも閉鎖し、代わりに『ヒトガタ様の部屋』というHPを立ち上げた。情報を収集するためだった。
紀男は、人間関係を断ち、完全に引き篭もった。
そして、関係のありそうな情報を募集し、自分なりの考察も添えながら、『ヒトガタ様』や関連する全てを集めていった。情報を集めて、どうするのか?どうなるのか?と、いったことは、考えていなかった。とにかく、怒りの赴くまま、ひたすらに情報を集めていた。
一方で、彼は引き篭もったまま、生活するためにデイトレードを始めた。最初は、増えても、すぐに減り、中々、安定した収入にはならなかったが、1年経つ頃には、それなりの収入が入るようになった。
今では、あの事件がきっかけで、店を閉めた両親を養いながら、人並みの生活を送れるようになっていた。
そんな紀男と由宇が、LINEの連絡先を交換したのは、4年前だった。晃太を介して、あの時の事を謝罪したい、と言われたのだ。
晃太とは、事件の後も連絡を取っていた。
晃太も紀男に対して、後ろめたさを感じており、怒りと生活のために、晃太を相手にしようとしない紀男に対して、執拗につきまとった。
最初は無視していたが、懲りずに毎日訪ねてくる晃太が、段々煩わしくなり、怒声を浴びせて終わりにしようとした。
だが、それでも晃太は、何度もやってきた。
結局、紀男が折れる形になり、晃太を部屋に入れる事になった。
「呆れた奴だな。お前も俺と関わってると、親に怒られるぞ?」
「エテ吉兄さんは、悪くない」
「…もうHPも閉鎖したんだ。だから、もう『エテ吉』じゃない…」
「じゃあ、ノリオ兄さん」
「人をお笑い芸人みたいに呼ぶな…」
「じゃあ、ノリさん」
「…」
その時から、晃太はたまにやってきては、PCに向かっている紀男の側で、何も言わずマンガを読むといった関係に落ち着く事となった。
晃太も、また、あの事件に思うところがあったようで、空手を始めていた。次、似たような事があった時に、みんなを守れる力が欲しいという事だった。
由宇が、謝罪したいと言い出したのは、中学に上がり、携帯を手に入れたタイミングのようで、晃太を介して、LINEの連絡先を交換しあった。その時から、晃太だけでなく、由宇とも連絡を取り合うようになっていった。
今回、由宇から、再び『ヒトガタ様』をやってしまったという連絡が入ったのは、晃太と3人のトークルームだった。
紀男は、晃太と由宇に召集を呼びかけた。