消えた人形
「…あの人形、焼却炉から逃げ出してたよ」
翌日、登校前のラジオ体操で、真依に告げる。昨日、エテ吉兄さんと焼却炉を見た後、校庭をしばらく探していたのだが、結局、人形は見つからなかった。エテ吉兄さんは、その内見つかるだろうから、その時、しっかり燃やせば問題ないと、言ってくれたのだが、一晩経っても、不安は消えなかった。
人形が、顔を背けるのを見てしまったためか、人形が自分達を襲いに来るのではないかと考えてしまい、いつ現れるか、気が気でなかった。
「え?どうゆう事?あの後、学校に戻ったの?」
真依の質問に、私はエテ吉兄さんに会った後の事を話した。エテ吉兄さんの受け売りになるが、燃えきるまで、見なかったせいで、私達が目を離した後、自分で火を消して、焼却炉から脱走したのだろうと。
真依は、何かを考えながら、聞いていた。
「逃げちゃったのは、仕方ないわね。他の人が見たら騒ぎになっちゃうかも…。学校で、洋子と歩美にも話して、どうするか考えましょ」
それでも私の不安は消えなかった。
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「ねぇ、ねぇ、あの後、あの人形、焼却炉から逃げ出したらしいよ」
朝の会が始まる前の騒々しいクラス内で、4人で集まり、コソコソと話をする。周りは、夏休みに何をしていたかなどの話で盛り上がっている。随分と日焼けした生徒もチラホラ見掛け、みんな夏休みを満喫している事が伝わってくる。そんな中、私が朝話した内容を、真依が洋子と歩美に語る。
「え?あの後、さらに動いたって事?ってか、あの後、また学校に戻ったの?」
驚いた洋子が、私に聞いてくる。
私は、朝、真依に語ったように、エテ吉兄さんとの話を再び語る。みんな黙って聞いていたが、怖がるような感じはなかった。
「知らない人が見たら、びっくりしちゃうよね?」
気が弱いはずの歩美ですら、笑いながら話す。
「まぁ、放っておけばいいんじゃない?あの娘の事だから、きっと立派な野良人形として、生きていくでしょ?」
「野良人形って!」
洋子の発言に、真依と歩美が吹き出す。私の感覚がおかしいのだろうか?実は大した事じゃないのだろうか?そんな事を考える私を置いて、3人は話を続ける。
「ところで、真依。あの後、お母さんに怒られなかった?」
「ん?なんで?」
「だって、あの人形高そうじゃない?失くしたって言ったら怒られそうじゃん。あんな目立つとこに置いてあった訳だし…」
「ああ、実はお母さん、あの人形の事、嫌いだったのよ。お父さんの方のおばあちゃんが贈ってくれたもんだから、捨てられなくて、困ってたの。だから、失くしたって言っても、何も言われなかったよ」
3人が、笑いながら話すのを上の空で、聞いていた。
「ねぇ、由宇!大丈夫?」
私の様子に気付いた真依が、心配して声を掛けてくれる。
「…うん…」
「なに?何が心配なの?」
洋子が苛立ったように、突っかかってくる。
「あの人形…、私達のところに来ないかな?」
私は、不安を打ち明ける。
「どうして?動けるようになったお礼に、何か恩返ししてくれるってこと?」
「…」
「由宇!本当に大丈夫?」
「…襲ってこないかな?…口封じ…みたいな?」
呆れたような顔をして、真依が続ける。
「由宇、冷静に考えてみて?あの人形が口封じで私達を襲う意味はあるの?私達が何を言っても、誰も信じてくれないし、動く事を私達に言わせないために、わざわざ動いている姿を誰かに見られるリスクを負う?そもそも、襲う気なら、昨日、片付けてる時に襲ってくるんじゃないの?逆に、私達に捕まらないように逃げるのが、普通じゃない?」
そうなのだろうか?私が考えすぎなんだろうか?確かに、真依の言う通りかもしれない。
「それに、あの人形が襲ってきたとしたら、返討ちにすればいいわ。だって、あんな小さな人形なんだよ?まだ野良犬の方が怖いわよ」
洋子も続ける。
「野良人形より、野良犬だね」
歩美が、楽しそうに続け、再び、3人が爆笑を始める。
そうだ。不安になる方がどうかしていたのだ。
「そうね、うん。ごめんね、もう大丈夫」
私も笑って、3人を見る。そして、想像する。野良人形が、人目を避けて、神社の社の下や、橋の下などで生活する姿を。見つかると見世物になるので、子供達から、逃げ惑う姿を。
ああ、あの娘も、これから大変ね、と同情心すら沸いてくる。
「そういえば、私、この間、新しい水着買ってもらったのよねぇ」
洋子が話題を変える。私も気持ちを切り替えようと、その話に乗る。
「もしかして、バリバリの競泳水着?」
「違うよ。明日、海に行くから、それ用の可愛いやつ」
笑いながら、質問する私に洋子が答える。
「だから、今度、4人で市民プールでもいこうよ?新しい水着を自慢したいのよね」
「だったら、4人で海に行こうよ。私、お母さんに連れて行ってもらうよう頼んでみるよ」
歩美が、珍しく積極的な事を言う。
私達は、人形の事も忘れて、楽しく盛り上がり、登校日を終えた。
…それが、笑う洋子を見た最後の日となった…。