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SS置き場  作者: 葉生
『なんでもない日々』SS
22/24

大学生の心と瀬戸さんの話

 わたしはたぶん結婚とか出産とかしないと思う、と口にした(もと)に、両親はそれぞれ「そうですか」「ふうん」と興味なさげに――いや、というよりわざわざ宣言することだろうかと不思議そうな顔をして相槌を打った。心としてはそれなりに覚悟と決意を持って言葉にしたのだが、あっさりとした反応に気が抜けつつ、やっぱり、という気持ちもあった。

 瀬戸心は四姉弟の長女で、責任感は姉弟のなかでは随一だ。しかし比較した場合の話であって、長女であることは確かだが、すぐ下の妹である初とは双子であることもあり、世間でいわれるほど長子として矜持があるわけではない。少なくとも弟と妹を一人ずつ持つ母の飛紗に比べれば、まったくの無責任といってもよかった。それに言い訳をするならば、親の育て方がうまかった。双子の初はもちろん、さらに妹である歩とも年齢が近いために、両親は三人に対しローテーションで「姉の日」を定めた。「姉の日」に当たればその日はおやつは譲るものであるし、勉強は教えるものになり、誤ったことをしているのを目撃すれば注意をすべき立場になったが、代わりに少しの夜更かしを許され、また両親をひとりじめできる時間が設けられた。末の龍一だけはその流れに組みこまれなかったのでやはり末っ子という感じが否めないが、代わりに姉には逆らえない性分が染みついている。

 子どもである心から見ても父親の眞一、母親の飛紗は美男美女で、その間に生まれた自身も人並み以上には他人受けする顔であることをはやくから悟っていた。それで容貌を理由に男女ともに一目置く存在となり、恋人が途切れたことはなく、いまも一応、いることはいる。それでも結婚とか出産とか、というのは単にわかりやすい表現を捕まえただけのことであり、もっと現実的にいえば他人と一生を誓ったり、自分だけ割りを食うような――つまり十月十日身動きが自由にとれなかったり、そこから仕事が途切れたり世間の「母親像」に憤るような――ことはとてもできない、と思ったからだ。

 あるいはいつか、そんなしがらみや世間の目など気にも留めずにいられる日がくるのかもしれない。それは政治の改善かもしれないし、そこまで思い至らぬほど気が狂うためかもわからなかったが、残念ながら心には夢中になれることがない。いちゃいちゃと二人だけの世界をつくるのはたのしいものの、それはその相手でなくても成り立つことであって、いわば雰囲気を享受しているだけだ。

 その点、心から見ても両親はいつも仲がいい。互いを常に名前で呼ぶし、記念日やイベントにはプレゼントを贈りあう。

「孫とか見たくないん?」

 たまたま帰りが一緒になった父の眞一に聞けば、眞一はテレビを見て笑うのと同じように、はは、と破顔した。

「見たくないとはいいませんけど、心の人生には関係のないことですよ」

 ほかの三人に期待しているという意味ではないと、心にはすぐにわかってしまったので、なおさら首を傾げる事態になった。

 恋愛をしたくないわけではない。恋愛をしないわけでもない。どちらも心にとっての事実だが、父にはその真意が汲みとれたらしい。両親とも賢いと思って育ってはきたものの、核心に触れる言葉なく察されると、むしろ心のほうが疑問を持ってしまう。

「心にはいま恋人はいるんですか?」

「一応」

「一応ね。一応、というのは事実関係だけを示しますね」

 親に対して恋人がいると断言する恥ずかしさを無視して指摘され、心はどきりとした。言い寄られるから応えているだけで、別にいてもいなくても変わらないとする自身を見透かされたような気がした。

「こういう言い方はいやかもしれませんけれど」

 母にも心たち子どもにも敬語を使う眞一を、昔は物珍しく同級生たちに見られたものであるが、大学生となったいまはへたをすれば心が先輩で父が後輩とされるほどだ。自分が老けているのか、父が童顔すぎるのか。まったく似ていないわけではないはずなのに。

「私も似た類なので、ある程度までは理解できると思います」

 理解、というのは人生が変わること。

 ある先生に感銘を受けた言葉だと幼いころから繰り返してきた父がわざわざ「理解」という言葉を使うので、心は反射的に眞一を見つめた。二人並んで電車の吊革を握りながら、視線がかちあってにこりとされる。

「飛紗ちゃんに会うまで知らないことでした」

 結局のろけなのだろうか。恋に落ちて人生が変わる、それは心もよく知っている。両親もそうであるし、父方の祖父、正しくいえば祖父二人を見ていてもよくわかる。父はともかく母のほうはなおさらその傾向がつよいし、それだけに説得力はあるのだが。

 うさんくさく感じていたのが顔に出ていたのか、父は声をかみ殺しながら咽喉でくつくつと笑った。

「でもどうでもいいことなんですよ」

「いや、どうでもよかったらわたし生まれてへんのやけど」

「そういう意味ではなくね」

 大学教授をしている眞一は心を諭すように、というより授業のなかで一割でも伝われば儲けものといわんばかり、心に視線をやった。

「たかが恋愛ですよ」

 ちょうど駅につき、アナウンスが流れる。規模の大きな分岐点のため、ぞろぞろと人が降りていった。目の前の席が空いたものの、眞一が座らないので、隣の心も座らずに変わりなく吊革を掴み続ける。

「孤独な人間はどこにあっても孤独です」

 すきにしなさい、とどうして心が決意を口にしたのかさえ深くは聞かず言われて、もう言い訳はできなくなった。なんとなくごまかしていた心のなかの砂漠を受け入れるしかなくなった。すぐ傍に眞一がいれば、初がいればあやふやにできるそのぽつんとした広大な土地を、心は認識せざるをえなかった。

「おとうさんも?」

 負け惜しみのように言えば、父は平素どおり笑った。

「あなたのおかあさんに出会ってからは、さっぱり」

 今生では見つけられるわけがなく、見つけようもなく、見つける気もなかった相手を、一目だけでも心は双眸に焼きつけたくなった。父の眞一はあのとき発した心の言葉は浅からず現実の面倒くささを孕んだものであり、本気でありつつも嘘でもあり、宣言することではっきりと線引きをしようとした心の気持ちを完全に掌握していた。

「腹立つ……」

「よく言われます」

 けらけらと父が笑うのに合わせたように、電車のドアが閉まった。

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