四人目の話
「四人目ですか」
「恥ずかしながら」
まったく恥ずかしそうな様子はなく、口だけ体裁を整えるように瀬戸は言った。廣谷が小さく嘆息したのを智枝子は聞き逃さない。瀬戸が結婚してたったひとりを大切にしている実感を重ねられるのがいやなのか、なし崩し面倒を見るはめになるのがいやなのか、瀬戸が「父親」として確立していくのがいやなのか、もしかしてこれから子煩悩になるかもしれない瀬戸を見るのがいやなのか、まあ、おそらくすべてである。子煩悩に関してはあくまで可能性があるというだけでほぼありえないだろうし、そもそもすでに三人いて過度の愛情をそそいでいる様子はないのだから今さら懸念することではない。
週に一回智枝子が廣谷の研究室に通う日に、こうして廣谷の淹れてくれた珈琲を飲み、智枝子と瀬戸が何かしら持ち寄って談笑するのがここ最近の流れだ。智枝子は瀬戸が持ってきた豆もちを頬張る。甘みと塩気のバランスが絶妙で手がとまらない。午前中は京都に出張、午後の講義のために急ぎ帰って来たと言うわりに、しっかり出町柳にある有名店で豆もちを買っているのだから瀬戸は随分とちゃっかりしている。もっともここ数日、彼の妻である飛紗が「無性に食べたい」と漏らしていただからだそうで、理由はもはや瀬戸らしい、と言ってよい。そんなことを言うと廣谷はまた眉間に皺を寄せていやがるだろうけれど。
「安定期に入ったので報告です」
「でも飛紗ちゃん、大変なんやないですか。仕事また休まんとですよね」
「四人目にもなれば余裕、と言って、ぎりぎりまで働くみたいですよ。立ち仕事でもないですしね、任せています」
そういうものか。最初の双子を妊娠、出産したときは傍から見ていて庇わずにはいられないほどはらはらしたのを思い出す。つわりも重かったようであるし、あのころの飛紗といえば真っ青な顔ばかりが印象に残っている。それまで身だしなみを整えた飛紗しか見たことがなかったので驚いた。
「金銭面を考えたら、そうなるでしょうね」
「あと単純に、飛紗ちゃんは仕事がすきなので」
廣谷は小首を傾げて、智枝子の持ってきたオードブルラスクを口に運んだ。瀬戸が豆もちを持ってくるとわかっていればおかきにしたのだが。
「問題は保育所ですね。出産予定日を考えると微妙なところです」
言い出したらきりがないくらい、子どもを一人無事に育てるだけでも——いや、それより前に母子ともに健康で無事に出産するだけでも——大変であるのに、四人とはそれだけで頭が下がる。親戚とはいえしつけなどは考えず、ただかわいがるばかりの智枝子とは当然責任の重さも違う。
「男の子がほしかったんだって」
珈琲の苦みと豆もちの甘さを交互に味わっていたら、ふいに瀬戸が言った。
「ということは」
「先日病院で調べてもらったら、飛紗ちゃんが望むどおりでした」
子どもというのは授かりもので、性別などは狙えるものではない、幸運が重なっただけだとわかりつつ、さすが、と呟かずにはいられない。そんな智枝子に、瀬戸ですよ、と廣谷はごく当然の顔をして言った。
「おにいさんは希望とかあったんですか」
「いえ特に。妻子ともに健康で生まれてきてくれればそれで充分です」
いまは女の子三人、飛紗によれば毎日瀬戸の取り合いだそうだ。しかし彼女たちがいちばんおそれているのも瀬戸で、一方的な理由で喧嘩でもしようものなら平等に誰の相手もしないので話し合いによる取り決めが行われているとのことだ。賢すぎるのが不安だ、と飛紗は言っていた。
「たのしみですね、廣谷さん」
智枝子が言うと、実際は思っていないだろうに廣谷は目を伏せて小さく頷く。そのやりとりを見て瀬戸がくつくつと笑った。